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サバービコン 仮面を被った街 (ジョージ・クルーニー監督 / 原題 : Suburbicon)

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現代を代表する俳優、ジョージ・クルーニーはまた映画監督でもあり、これは「ミケランジェロ・プロジェクト」に続く彼の監督作。上のチラシで見る通り、何やら古きよきアメリカという感じで、マット・デイモンとジュリアン・ムーアが並んで立っていて、コピーは「この 2人、何かおかしい」とある。私などは、これを見て絶対に見るべき映画であると確信したのであるが、世間一般は必ずしもそうではないらしく、シコネンではすぐに上映が終了してしまい、今では渋谷のアップリンクという (私が結構な頻度で足を運ぶ) 小劇場でのみ公開中である。ただ私が実際にこの映画を見たのは、新しくできた TOHO シネマズ日比谷である。このシネコン、かなり良心的な作品選択を行っていて、私はこの日とその翌日、連続で足を運んでしまったのである (但し同劇場では既に本作の上映は終了している)。

実はこの映画にはもうひとつウリがあって、それはジョエル & イーサンのコーエン兄弟が脚本を書いているということ。書かれたのは 1986年というから、彼らのキャリアの最初期である。その後 1999年にはジョージ・クルーニーに送られたが、映画化には至らなかった。ジョージ・クルーニーは、ここで監督のみならず、共同脚本と製作にも名を連ねているが、1957年にペンシルベニア州のレヴィットタウンという街で実際に起きた黒人家族への迫害というテーマに、彼がその存在を覚えていたこの「サバービコン」の脚本を組み合わせることで、この映画の構想ができたらしい。この映画は、1950年代の古きよき米国を舞台として、そこにあった社会的な緊張感を描いている。題名のサバービコンとは、架空の街だが、あらゆるものが揃った豊かな郊外生活を約束する場所。だがもちろん、もともとコーエン兄弟の脚本だから、そこには人間群像のブラックな表現がなされているはずだ。おっと、車が電柱にぶつかっていますねぇ。一体何が。                        
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そう、車をバックさせて電柱にぶつけてしまうほど、ここで運転手が動揺しているのは、この高級住宅街に、あろうことか、黒人家族が暮らしているのを見たからだ。当時そのような事態は、考えられなかったに違いない。この映画のひとつの軸は、そのような差別の実情。黒人家族の住む家の両側には塀が立てられ、このように周辺住民の嫌がらせが起きる。これは見ているとうんざりして来るが、かなりリアリティがある。騒いでいるうちに白人たちが興奮してきて、段々暴力的になってくるあたりには、いつの時代にもある愚かな人間の本性が赤裸々に描かれている。
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だがこの映画においては、黒人家族は勇気をもってからかいを無視したり、あるいは恐怖におののくシーンはあっても、自らの権利を声高に主張したり、家族の中で議論するようなシーンは、ほとんどない。つまり、あえてここで黒人家族に深く感情移入するようには作られていない。これは一見識であろうと思う。なぜならこの映画の主眼は黒人家族の命運にあるのではなく、マット・デイモンとジュリアン・ムーアの夫婦 (あ、これには若干解説を要するのだが、それはネタバレになるので、ここでは深入りせず、この 2人が「夫婦役」であるとだけ述べておこう)、そしてその息子の命運こそがテーマであるからだ。なぜに息子はこんな目に遭わなければならないのか。
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コーエン兄弟の作品としてひとつの典型例と言えるのは「ファーゴ」であろう。そこでは、ちょっと嘘をついてしまったばっかりに、その嘘をごまかすためにまた嘘をつき、どんどん事態が悪い方に転がって、取返しのつかないことになるという雪だるま式の不幸が、ブラックユーモアたっぷりに描かれていた。この映画もそれに似たような面がある。だが、こちらの方はもう少しシリアスだ。まずこの点に、見る人による好悪の違いが出るだろう。平和な田舎町で起こる、エゴによる邪悪なる企み。様々な人間が入り乱れて、運命の歯車は不可逆的に動き出す。クルーニー自身、この作品と「ファーゴ」の共通点に言及しながらも、「ただ今回はコメディ色を少し抑えて怒りをもう少し前面に押し出したものにしたいと思っていた」と語っている。なるほど、ではこのシリアスな流れは、意図したものであるわけだ。とはいっても、恐ろしい話の中にもとぼけた味わいもあって、このマット・デイモンがまた今回も、実によい味を出している。詳細を語れないのは残念だが、最後の方のシーンで、子供に語りかけながらうまそうに「朝食」を平らげるシーン (と、そのあとの様子) は秀逸だ。
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それから私が素晴らしいと思ったのは、オスカー・アイザック。グアテマラ出身で、「スターウォーズ」シリーズに出演する一方、「エキス・マキナ」では静かな狂気を見せ (クルーニーも彼のそこでの演技を「最高だった」と誉めている)、「X-MEN ; アポカリプス」では特殊メイクの大悪役を演じている。ここでは狡猾な保険調査員を演じていて、登場時間は長くないものの、強烈な印象を残す。実はこの役、もともとジョージ・クルーニーその人を想定して書かれたものであるらしい。なるほど、ちょっと分かる気がする。だが、オスカー・アイザックの演技によって、より狡猾さが強くなったと言えるのではないだろうか。
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それからこの映画で印象的なのは、最後に白人と黒人の子供同士がキャッチボールをするシーンである。大人たちが差別的言動で憎悪を高めているとき、子供たちはごく自然に友情を育んでいる。陰惨な物語であるだけに、この子供たちの姿には癒されるものがある。だが、ここでもクルーニーの演出はことさらに子供の純真さを強調するようなことはなく、ごく淡々と、日常としての子供たちの交流を描いている点、好感が持てる。いかに非日常的なトラブルが起ころうとも、人間は意外と強くできていて、日常的な習慣に戻ることで、また明日から生きていけるのである。
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面白かったのは、この映画の中では、1950年代なのに早くもテレビをリモコン操作していることだ。この写真でマット・デイモンが右手に持っている装置で、チャンネルに光線を照射する。これはゼニス・エレクトロニクス社というメーカーの商品で、実際にあったらしい。                   
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1950年代というノスタルジックな世界を舞台にしながら、人種差別や人間の (社会の?) エゴに焦点を当てることで、現代の米国社会に警鐘を鳴らしている作品ともいえるかもしれない。私の好みとしてはやはり、コーエン兄弟風のブラックユーモアがもっとあった方がよいとは思うものの、これだけの役者を使いこなすクルーニーの演出には、見るべきものがあると思う次第である。

by yokohama7474 | 2018-06-09 15:54 | 映画