川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアー (ヨルゴス・ランティモス監督 / 原題 : The Killing of a Sacred Deer)

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このブログで映画を採り上げる際、映画の内容と関係なく、なぜそれを見たいと思ったかとか、どの劇場で見たかといった事柄をダラダラと記述することがある。もちろん、そんな箇所を読み飛ばすという方もおられようが、私としては、東京で起こっている文化的事象こそがこのブログの中心テーマであるからこそ、映画にまつわる背景も大事なのである。例えばこの映画、チラシをある小劇場で見て、これは見ないとと思っていたのであるが、ふと気がつくと既にその劇場での上映は終了してしまっていた。しまった。完全に乗り遅れたか。と天を仰いだ私はしかし、まだ 1ヶ所、レイトショーながら都内でこの作品を見ることができることを発見。だがその場所とは、東京南部・多摩川沿いの我が家からは遠く離れた、吉祥寺である。「ココロヲ・動かす・映画館」という一風変わった名前の劇場で、カフェも兼ねているという。ちょっと面白そうなので、平日のレイトショーに出掛けてみた。・・・結果として、この劇場、大変気に入った。巨大シネコンでは宿命的な商業性というものとは縁のないような、でも内容の濃い映画だけを厳選して上映している。私がこの映画を見た日には、その前の回には別の映画を上映していたが、終了して劇場の扉が開けられたときにも、多分誰も出て来なかったような・・・。つまり、観客が少なくても、極端な場合ゼロでも、良質の映画を上映し続ける信念を持つ映画館であるということだ。昨年オープンしたばかりのようだが、こういう劇場には是非頑張って欲しいので、ここで応援メッセージを発しておきましょう。あ、もちろん、TOHO シネマズ日比谷にも頑張って欲しいのだが (笑)。この「ココロヲ・動かす・映画館」はこんな場所。
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私がこの「聖なる鹿殺し」を見たいと思ったのは、その呪術的な響きのある題名 (原題のそのままの和訳である) もさることながら、その出演者である。ニコール・キッドマンとコリン・ファレル。むむ、この組み合わせ、最近どこかで見なかったか。そう、ソフィア・コッポラ監督の「The Beguiled / ビガイルド 欲望のめざめ」である。その映画自体はそれほど素晴らしいとは思わなかったものの、この 2人の役者と、それからエル・ファニングの演技には、期待通りのものがあった。この映画にもそこに大きな期待があったのである。そして、今思い返してみて、この映画は決して明るく爽やかなものではないが、人間の根源的な恐怖心を煽るような内容であり、その衝撃はかなりのものがある。無理して吉祥寺まで見に行ったことに、全く後悔はないどころか、これを見逃さずに済んで本当によかったという思いを抱くことになった。米国ではこういうポスターもあるようだが、さて、これはどういう意味なのか。
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ここでコリン・ファレルが演じているのは心臓外科医。腕も立つようだし、患者のことも気にかけている立派な医師であるように見える。だが、実は、このような髭面によって人間的な表情の発露は注意深く封印されていて、そのことが物語の展開とともに重要に思われてくる。何より、演じるコリン・ファレル自身がそのことを充分意識して演じていることは明らかで、これは大変に見事な演技だと言えるだろう。
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ニコール・キッドマンが彼の妻の役。彼女特有の鋭い表情と自然な色気が、幸せな家庭を切り盛りしながらも何か得体の知れない不安に苛まれていく妻の姿を、様々に彩る。演技過剰でもいけないし、紋切り型ではもっといけない。難しい役だと思うが、大変素晴らしく演じている。
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そして、彼らの生活にズカズカと入ってくる謎の少年を演じるのは、バリー・コーガン。昨年公開された「ダンケルク」で兵士を助けに行く民間船の助手役を演じていて印象に残ったが、ここでの役柄は、なんというのか、茫洋として捉えどころのない少年で、他人とちゃんとコミュニケーションできるのに、何かが心の中に巣くっているような役。ネタバレせずに語るのは難しいが、この映画の成功の多くは彼によっていると言っても過言ではないだろう。
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要するに、これは幸せな家族が徐々に崩壊して行く話なのだが、その理由は断片的にしか明らかにならないので、本当のところは一体何が起こったのか、見ている人たちには分からないし、ここで起こっていることが何らかの魔術であるのか、あるいは集団的な幻覚の類であるのかも分からない。でも、これは本当に怖い映画で、実に救いのないものだ。私がここで是非書いておきたいのは、人間世界で起こる不幸な出来事の多くは、いっそ「はい、悪魔でござい」という絶対的な悪者が出てきて、ぜーんぶソイツが悪いとできれば、本当に楽になるはずなのだが、現実にはそんな単純なことにはならない、ということだ。なんとも気の滅入る話であり、できればこんな陰鬱な映画など見ることなく、楽しく毎日生きて行きたいものだが、しかしこの映画を見ることで、逆に、人間の中に巣くう何か邪悪なものを少しでも浄化できればよいとも思うのである。実に禍々しい映画であるがゆえに、そのメッセージを正面から受け止めれば、今度はこの世界に必ず存在する尊い価値というものも見えてくる、そんな映画であると思う。抽象的な言い方だが、この映画をご覧になればきっと、なるほどと思って頂けるはず。

こんな映画を撮ったのは、ヨルゴス・ランティモスという監督。私も今回初めて知った名だが、1973年生まれのギリシャ人である。この作品では共同脚本家のひとりでもあり、昨年のカンヌ映画祭で脚本賞を受賞したときの写真がこれだ。
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本作が 5本目の監督作であり、過去にも「籠の中の乙女」という作品でカンヌの「ある視点」部門のグランプリ、「ロブスター」という作品ではやはりカンヌの審査員賞を受賞しているらしい。つまり、以前からカンヌでは大変に高く評価されている人だということだ。前作「ロブスター」でも主演を務めたというコリン・ファレルは、本作について、「まとめ方や、音楽も良くて、監督は天才だと心から思ったよ。素晴らしいと思う。彼のおかげだね」と語っていて、その高い信頼がよく分かる。ヨルゴス・ランティモス。ちょっと覚えにくい名前だが、間違いなく今後、さらに素晴しい映画を撮ってくれるに違いない。

それから、せっかくコリン・ファレルが音楽について触れているので、この作品における音楽の使用について少し書いておくと、冒頭で使われているのは、古典派か初期ロマン派風の宗教曲。ラストに登場するのは、これはバッハの「ヨハネ受難曲」だ。正直なところ、最初の曲は知らなかったので、調べる方法はないかと思ったら、ちゃんとプログラムに (しかも演奏者名とともに) 記載されていた。最初の曲はシューベルトのスターバト・マーテルで、ミシェル・コルボ指揮の録音である。なるほど、シューベルトの合唱曲なら、サヴァリッシュ指揮の全集 (11枚組) を所持している。今それを手元に持ってきて確認すると、シューベルトはスターバト・マーテル (「悲しみの聖母」とも訳される) を 2曲書いており、ドイッチュ作品番号ではト短調 D.175 とヘ短調 D.383があり、この映画で使われているのは後者である。また、ヨハネ受難曲は、昔の名盤であるカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ・管弦楽団による演奏。それから、劇中に刺激的な音響があれこれ出てきて、私はそれらを音楽とは認識しなかったのであるが (笑)、実はソフィア・グバイドゥーリナとかジェルジ・リゲティの作品の断片が使用されているようだ。うーん、それらの作曲家にはそれなりに思い入れがあるのに、断片とはいえ、彼らの作品を音楽と認識しなかった不明を深く詫びて、また彼らの作品を聴いて行きたいと思う。例えば手元にある、この "Clear or Cloudy" (「晴れか曇りか」) という 4枚組のリゲティ作品集には、本作で使用されている彼のピアノ協奏曲とチェロ協奏曲が含まれているのである。
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例によって脱線してしまったが、この作品は、ただ楽しいだけでない映画に人間の真理を見たいという方には絶対お薦めである。プログラムに使われている写真はこのようなもの。ここで主人公の心臓外科医が佇むのは、彼の娘と息子がいたはずの病院のベッドである。映画の中にはこのようなシーンは出て来なかったと記憶するが、ある意味で彼の家族との関わりにおける絶望的な距離感を表す、素晴らしいショットであると思う。そういえば、やはりリゲティ作品を効果的に使用したいたキューブリックの「2001年宇宙の旅」にも、大詰めで室内装飾が真っ白なシーンが出てきましたなぁ。もしかするとランティモスは、21世紀のキューブリックになるかもしれないと、期待を表明しておこう。  
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by yokohama7474 | 2018-06-10 21:20 | 映画 | Comments(0)
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