川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
by Crop Stock
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> 吉村さん 音楽の楽..
by yokohama7474 at 22:03
> マッキーさん 貴重..
by yokohama7474 at 22:01
今晩は、イワン雷帝聴きに..
by 吉村 at 18:43
あなたがザンデルリンクと..
by マッキー at 07:11
> katoさん コメ..
by yokohama7474 at 22:28
昨日、NHKで演奏を聞い..
by kato at 09:06
> カギコメさん いつ..
by yokohama7474 at 23:11
> Dear M. L...
by yokohama7474 at 23:08
yokohama747-..
by M. L. Liu at 13:02
> 吉村さん ご賛同あ..
by yokohama7474 at 23:33
メモ帳

名古屋の古寺 その 1 大須観音、七寺、万松寺、栄国寺、興正寺

このブログではこれまでにも何度か、名古屋やその近隣地区の歴史的な場所をご紹介してきた。もちろん名古屋は、戦国から泰平の世に至る時代のいわゆる三英傑を輩出した、そして徳川御三家のひとつが治めた由緒正しい土地であるが、実は、それ以前からの古い歴史を今に伝える場所でもある。これから 2回に分けてご紹介するのは、名古屋の古寺の数々であるが、その中には三英傑、とりわけ信長と家康に関係するものもあるし、そうでないものもある。京都や奈良というメジャーな場所とは一味違った古寺について、一人でも多くの方にその存在を認識して頂ければ幸いである。尚、これらの寺を回ったのは昨年の夏頃であり、写真からは夏の日差しを感じて頂けるものと思う。最初にお目にかけたい写真は、これだ。
e0345320_00570798.jpg
おぉー、マンションに仁王さんの横顔が。実はこれ、あるお寺のいわゆる門前町として賑わっている商店街 (2本並行して走っている) のひとつの場所を表したもの。そのお寺とは、通称大須観音。正式には真福寺宝生院という。
e0345320_00595674.jpg
e0345320_01001045.jpg
e0345320_01002175.jpg
この大須という地域、なんとも庶民的な雰囲気で、商店街では古着を売る店も多く、また、大道芸人フェスティバルのようなものも開かれる。ある知人の言葉によると、「浅草と秋葉原とサンパウロを足して三で割ったような街」なのである。このうちサンパウロとは、ブラジル料理屋が多いことによる。きっと近隣に住んでいるブラジル人も多いということだろうか。いずれにせよ、昭和の匂いとアキバ系の雰囲気漂う、活気のある街である。だが、そんな街の中にあるこのお寺、実は文化史的観点から見て非常に貴重なお宝を多く所蔵しているのである。そのお宝とは、書物。実に 15,000冊の古書籍を収める真福寺文庫 (大須文庫) は、日本有数の規模と質を誇る。4点の国宝書籍を所蔵するが、中でも南北朝時代の「古事記」は、同書の現存する最古の写本である。これらの書籍は通常は非公開だが、私は幸いなことに、2012年から 2013年にかけて名古屋市博物館で開かれた「大須観音展」で、この「古事記」をはじめとする国宝書籍 4点、重要文化財の仏涅槃図などを見ることができて、実に興味深かったのである。
e0345320_01173232.jpg
実はこの大須観音、もともとは違う場所にあったものが移転されてきたのだ。現在の岐阜県羽島市にあったものを、徳川家康の命によって、1612年に現在地に越してきたという。その理由は、もともとの場所では川の氾濫が多く、貴重な文書類を守ることが困難であったことであるらしい。なるほど家康という人は、街作りにも長けているが、文化財という観念のない当時、古く貴重なものを守るということに意義を見出した人だったのである。現在このように賑わっている大須観音は、家康のおかげで現在まで至宝を維持できたことになる。

さて、この大須地域には、実は戦前にはさらに大きな寺があって、その周りは大変賑わっていたという。その寺の名は、「七寺」(ななつでら)。
e0345320_01281565.jpg
本当の名前は長福寺というらしいのだが、「ななつでら」というこの一風変わった名前で呼ばれるのが普通である。実に 8世紀の創建と言われる古刹で、紀是広という創建者は、7歳で亡くなった我が子を弔うためにこの寺を建てたのでこの名があるという悲しい伝承による。今では知らなければ素通りしてしまうような小さな寺であるが、上記の通り、もともとはかなり大規模な寺院であったところ、戦災でその伽藍のことごとくを失ってしまった。その狭い境内にはこのような露座の仏さまがおわすのであるが、そのお姿は痛々しい。
e0345320_00295920.jpg
だがこの寺には、そんな戦争の惨禍を乗り越えて今に伝えられた貴重な宝物がある。ひとつは、平安時代に書かれた一切経。戦争中疎開されていたので、3,000巻以上が現代に伝えられ、今でも研究者がよくやってくるという。重要文化財である。それから、もうひとつの重要文化財は、かつて本尊阿弥陀如来の左右に控えていた脇侍、観音菩薩と勢至菩薩である。これも平安時代後期のもので、旧国宝。これは借りてきた写真であるが、実に優雅なお姿である。
e0345320_00382848.jpg
堂内には、戦災に遭う前の立派な伽藍と、阿弥陀三尊の写真が掲げられている。これらは、お寺の方の許可を得て撮影することができた。戦争とはいえ、本当に失われたものの尊さを思うのであるが、だが現代の我々としては、観音・勢至の両脇侍が残ったことだけでも奇跡的なことであると思うしかないだろう。
e0345320_00410512.jpg
e0345320_00411814.jpg
e0345320_00413098.jpg
さて、次に採り上げるのは、やはり大須地域にある万松寺 (ばんしょうじ) というお寺である。ここは織田氏の菩提寺で、信長の父信秀の墓所でもある。これは我々にとって決してなじみのあるエピソードではないが、信長が父の葬儀の際に位牌に抹香を投げつけたという逸話があって、それはこの万松寺 (現在地に移転する前の) が舞台であったらしい。今では昭和の香り漂うアーケードの商店街の中に立つ小寺院であるが、なんとも風情がある。
e0345320_00484413.jpg
e0345320_00504223.jpg
ここにはその若き信長の逸話を題材にしたからくり人形があって、ある時期は故障していたようだが、今ではそれも直り、日に何度かパフォーマンスもあるようだ。だがこの日はあいにく、パフォーマンスを見ることはできなかった。
e0345320_00495992.jpg
だがその代わりと言ってはなんだが、最近設置された龍の彫刻が様々な色でライトアップされていて、これはこれでなかなか面白かった。
e0345320_00525666.jpg
e0345320_00532144.jpg
e0345320_00533849.jpg
さて、この地域ではもうひとつ、仏像好き、あるいは隠れ切支丹に興味のある人なら絶対に見逃せない場所がある。栄国寺である。
e0345320_00554498.jpg
e0345320_00560267.jpg
この寺は、そもそも切支丹に寛容であった尾張徳川家が、幕府の禁制に従って隠れ切支丹を処刑した場所に、その菩提を弔うために建てられたもの。そのゆえに、規模は小さいものの、切支丹関連の遺品を集めて、博物館として公開しているのである。切支丹を弔うのに仏教寺院を建造しても、処刑された人たちは浮かばれなかったかもしれないが、それでも、人間としての思いやりがこのような寺として結実したことは尊いことである。この寺の境内には、今でも切支丹を供養する石碑や石仏があって、歴史の悲劇を今日に伝えている。
e0345320_00592299.jpg
e0345320_00593628.jpg
e0345320_00595827.jpg
切支丹博物館は、本堂の脇にある。案内を乞うと、その博物館を観覧し、本堂内を拝観することができる。遠藤周作も、「男の一生」という作品の取材でこの寺を訪れたことがあるという。
e0345320_01035825.jpg
e0345320_01041136.jpg
そして、この寺に安置されている仏像群が興味深い。まずは本尊の阿弥陀如来坐像。鎌倉時代の美しい丈六仏である。
e0345320_01071265.jpg
そしてこれは、いわゆる清凉寺式釈迦如来。胎内に鈴が取り付けられているという。
e0345320_01082732.jpg
e0345320_01093270.jpg
極めつけはこちら。
e0345320_01103918.jpg
お姿は少し変わっているが、阿弥陀如来である。実はこの阿弥陀様の胎内には、五臓六腑の模型が入っていて、「五臓阿弥陀仏」と呼ばれているのである。
e0345320_01120001.jpg
これは大変尊い仏様であるのだが、実はこのあたりには、切支丹の処刑に加えて、少し陰惨な歴史がある。それは、すぐ近くの橘公園という場所で、江戸時代に罪人の腑分け、つまりは解剖が行われたのである。もちろん、それは医学の発展に資することであり、五臓阿弥陀もそのような流れの中に位置づけられるのかもしれないが、やはり人の命の儚さを思わせることは否めない。それを知らなければ何の変哲もない公園であるが、時を経て過去に思いを馳せることには、少しは意味があるだろう。
e0345320_01153802.jpg
e0345320_01155290.jpg
さて、この記事では最後にもうひとつ、名古屋の名刹をご紹介しよう。八事 (やごと) という場所にある興正寺である。
e0345320_01213031.jpg
この寺は、東海地区唯一の木造五重塔があることで知られる。1808年の建造で、重要文化財。門の奥、正面に立っていて、これはなかなかに絵になる塔である。
e0345320_01225107.jpg
e0345320_01232128.jpg
実は、以前、初めて訪れたときにはなかった大仏が、この塔の正面にできているのを見て少々驚いた。まあ、インパクトはありますな。
e0345320_01242692.jpg
e0345320_01243928.jpg
e0345320_01245282.jpg
この塔に向かって右側にエスカレーターがあり、それを使って少し高台に出て、少し歩くと竹翠亭という建物がある。ここでは庭を愛でながら抹茶を頂くことができ、この日はかなり暑かったので、大変結構なリフレッシュとなった。
e0345320_01274613.jpg
e0345320_01280753.jpg
さて、この興正寺はこのようになかなか素晴らしい名刹なのであるが、現実世界はままならない。昨年、この寺が属する真言宗の総本山である高野山から、前住職が罷免されるという事件があったらしい。土地の売却を巡って不正利益を得たという疑いがあったとのこと。私がこの寺を訪れたときには、この広大な境内を持つ興正寺の、道路を挟んだ反対側にプレハブ小屋が立っていて、それが本当の「興正寺」を名乗っていた。もともとはマンションのモデルルームがあった場所に、総本山の高野山が弘法大師の像を運んできて「寺院」としたもの。何やら緊張感があった。
e0345320_01362125.jpg
この問題は訴訟沙汰にもなったが、つい最近、前住職側と高野山側は和解したというニュースを見た。せっかくの歴史ある大寺院である。訪れる人々が心を痛めるような事態は避けて欲しかったので、今はこのような緊張感あるシーンはなくなっていることを祈りたい。だが一方で、人間のやっていることには常に間違いが存在するという意味では、このような光景を目撃することによって、学ぶところがあったとは言える。古寺巡りも、不健全な現実逃避ではなく、常に我々が生きている現代社会の中で、その体験を活かせるものであって欲しいものだ。

by yokohama7474 | 2018-06-14 01:42 | 美術・旅行 | Comments(0)
<< 名古屋の古寺 その 2 金龍寺... フランソワ=グザヴィエ・ロト指... >>


最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧