川沿いのラプソディ


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ウラディミール・アシュケナージ指揮 NHK 交響楽団 (Vn : 庄司紗矢香 / Pf : ヴィキンガー・オラフソン) 2018年 6月16日 NHK ホール

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名指揮者ウラディミール・アシュケナージと、彼が桂冠指揮者を務める NHK 交響楽団 (通称「N 響」) との顔合わせによる 2つめの定期演奏会のプログラム。
 メンデルスゾーン : ヴァイオリンとピアノのための協奏曲ニ短調 (Vn : 庄司紗矢香、Pf : ヴィキンガー・オラフソン)
 ヤナーチェク : タラス・ブーリバ
 コダーイ : 組曲「ハーリ・ヤーノシュ)

なるほど、前半にはドイツロマン派の珍しい協奏曲、後半は中央ヨーロッパの物語性を宿した華やかな管弦楽曲だ。そう、前半に演奏されたメンデルスゾーンの曲は、これまでその存在すら知らないような曲なのである。だが、今や日本を代表するヴァイオリニストであり、N 響の定期に登場すると、年間を通したこのオケのコンサートランキングで必ずベストを争う庄司紗矢香が出演するとなると、これは聴き逃せないものになるに違いない。だが、ここにはヴァイオリンだけでなくピアノも入るようだ。このピアニストの名前は、これまで聞いた記憶がない。と思っていた私は、オラフソンという 1984年アイルランド生まれのピアニストについて、この CD を知っていることに気がついた。
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そう、これはミニマル音楽の大家で私も大好きな、フィリップ・グラスのピアノ作品集だ。名門レーベル、ドイツ・グラモフォンの専属アーティストとしてこのピアニストが初めて世に問うた CD。なるほど、彼がこれまで来日したことがあるのか否か知らないが、ちょうど聴きたいと思っていたピアニストを日本で聴けるというこの幸せ。もちろん、庄司の強い集中力にも期待である。この写真の衣装が、今回の演奏会のものと同じであった。
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だがそれにしても、このメンデルスゾーンの曲は一体なんなのか。これは、神童と言われた作曲者 14歳のときの作品で、メンデルスゾーン家の日曜音楽会で、作曲者自身のピアノによって初演された曲。だがそのフルオーケストラ版での出版は、実に 1999年までなされなかったという秘曲である。うーんなるほど、このヴァイオリンとピアノを聴く曲としては、大変興味深い曲。そして実際に聴いてみると、40分近い大作なのである。西洋音楽史において、独奏楽器が複数の協奏曲というと、例えばブラームスの二重協奏曲とか、さらに遡ってベートーヴェンの三重奏曲などがあるが、前者が本格的なオーケストラと丁々発止やりあう独奏楽器を聴く劇的な曲だとするが、後者はまるで、ピアノ・トリオにオケがついているような曲。そして今回のメンデルスゾーンは、後者のパターンであり、まるでヴァイオリン・ソナタとシンフォニーが、別々に演奏されるような曲。つまり、独奏とオケがともに盛り上がる箇所はほとんどなく、冒頭部分はこの作曲者がやはり若い日に書いた弦楽のための交響曲群のような雰囲気であり、一方でピアノとヴァイオリンが演奏する際には、独奏者だけが演奏し、オケは沈黙するという具合。短調で書かれているので劇的な箇所もそれなりにあり、確かに 14歳の少年の作品とは思えない内容ではある。だが私がこの演奏を聴いていて感心したのは、曲の内容よりもやはり、2人の独奏者の没入ぶりであった。ともにスコアを見ながら (ピアノは譜めくりつき) の演奏であったが、素晴らしい集中力で楽想の移り変わりを表現したので、それだけでも充分な聴き物であった。そうそう、まるでヴァイオリン・ソナタのような箇所では、ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタを思わせる部分が何度かあった。そして、彼らがアンコールとして演奏したのは、ヴァイオリンが終始中低音で歌う抒情的な曲。これは、モーツァルトと同時代の女流作曲家、マリア・テレジア・フォン・パラディス (1759 - 1824) という人の、シチリアーナという曲であったらしい。パラディスはピアニストでもあり歌手でもあったが、若い頃に失明したという。モーツァルトのピアノ協奏曲第18番は、彼女のために書かれたそうである。へぇー、それは知らなかった。このシチリアーナは、偽作という説もあるようだが、ともあれ、メインの曲目だけでなくアンコールでもこんな未知の曲を教えてくれるとは、庄司とオラフソンの見識が伺われるというものだ。これがパラディスの肖像。
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さて、休憩後にはオーケストラの魅力を存分に味わえる 2曲が演奏された。当初発表とは順番が入れ替わったものの、ともに東欧のストーリーテリングに依拠する名曲だ。ヤナーチェクは現在のチェコ東部、モラヴィアの人だし、コダーイはハンガリーの人。冷戦時代には東欧と呼ばれ、現在では中欧と呼ばれる地域の作品である。ヤナーチェクの「タラス・ブーリバ」は、ゴーゴリの小説に基づき、ポーランドの支配に抵抗したコサック隊長を題材にしている。またコダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」は、ハンガリーのほら吹き男爵のような物語。前者はシリアスで劇的であるのに対し、後者はよりユーモラスで、ツィンバロンの響きが民俗的である。私はこの 2曲を聴いて、中欧の人たちの物語好きに思いを馳せていた。この地域では、もちろん純音楽も数々書かれているにせよ、やはりこれらの曲にあるような物語性にひとつの特徴があるように思う。アシュケナージと N 響は、今回も、決して流れはよくないものの、それぞれの曲のストーリーを丁寧になぞり、大変劇的な音楽を作り出していた。アシュケナージは、とても 80歳を超えているとは思われない元気さである。
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ただ、ひとつ気になったのは、演奏終了後にオケの奏者を立たせるときに、メモを見ながら楽員を指していたことである。たった今自分が指揮した曲の中で、どの奏者をねぎらうべきかは、指揮者がいちばん分かっているはず。だがアシュケナージはそのメモを隠すことなく、じっくり目を落としてから、各奏者に起立を促していた。ただこれも、アシュケナージという音楽家のオープンな一面だと思えば、気にする必要はないのかもしれない。来期の N 響の定期公演には彼の名前はないが、是非また元気で N 響の指揮台に帰ってきて欲しいものである。

by yokohama7474 | 2018-06-17 01:02 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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