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ファントム・スレッド (ポール・トーマス・アンダーソン監督 / 原題 : Phantom Thread)

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この映画において最も印象的な宣伝文句は、ダニエル・デイ=ルイス引退作というものであろう。過去 3度のアカデミー主演男優賞に輝く英国人の名優であるが、現在 61歳。まだまだこれから活躍できる年齢だと思うが、何事によらず、引き際は大事である。私は決して彼のファンというわけでもないものの、痩身でありながら独特のアクのある演技には、過去何本かの映画で印象づけられてきた。この映画での素晴らしい演技を見るにつけ、引退するとはなんともったいない、と思わざるを得ない。ここで彼が演じるのは、成功したファッションデザイナー、レイノルズ・ウッドコック。彼は常に独自の美学に裏打ちされたライフスタイルを貫くダンディな紳士であるが、仕事熱心なせいであろうか、未だ独り者である。
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この映画は、その芸術家気質の彼が、あるレストランのウエイトレスであったアルマという女性と出会い、そして彼女とパートナーとなり、結婚し、だが蜜月は長くは続かず、のっぴきならない夫婦間の緊張感の中で、彼らの間に新たな関係が生まれて行く・・・というもの。その内容を書くとネタバレになるので、ここではそれを避けることとするが、その内容には耽美性もあり、例えば谷崎文学との共通点も見出せるように思う。ただ、この作品の評価の分かれ目になりそうなこととして挙げたいのは、性的な描写が一切ないこと。私も別に映画で卑猥なシーンを見たいと言っているわけではなく (笑)、この内容なら少しは淫らなシーンがないと、生温い映画だと思われてしまうだろう。人間の本性を仮借なく描き出すべき作品であろうから、その点には少し不満が残ったことを記しておこう。それから、主人公レイノルズの前に言わば宿命の女、ファム・ファタルとして現れるアルマを演じるヴィッキー・クリープスというルクセンブルク出身の女優に、残念ながら魔性を感じることはない。申し訳ないが、この点はこの映画の内容にとってはかなり厳しいマイナスポイントと思わざるを得ないのである。もうひとりの重要な役柄、レイノルズの姉を演じるレスリー・マンヴィルという役者は、なかなかに硬質な演技で、この映画の彩りに貢献している。これが主人公たちの出会い。
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そしてこれが、最初の接近遭遇 (?)。
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多少抽象的な言い方で説明すると、ここで男と女は、運命的な出会いをするにも関わらず、生活をともにするうちに、人生において目指す方向なり、価値を見出す事柄に差異があることを認識し始める。それは例えば食べ物の好みであったり、その食べ物を食卓で食べるときの作法であったり、まあ言ってみれば些細なことが始まりなのである。だがその些細なことの果てに、女は男に復讐を思い立ち、それはうまく行ったかと思いきや、その復讐が男を変えてしまう・・・というもの。愛するがゆえに傷つけ合い、傷つけあうほどに愛が深まる。アルマはそのような二人の関係を、医者に対してこう語る。「彼に恋することで、人生は謎ではなくなるのよ」。なるほどこのように書いてみると、かなり怖い映画と思えてくる。だが、人間の本能に訴えるような怖さがこの映画にあるかと言うと、残念ながら私は否と言いたくなってしまうのである。そうそう、題名の「ファントム・スレッド」は原題も同じで、その意味は「幽霊の脅迫」であるが、ここで言う幽霊とは、私の解釈では、主人公の母親であり、その幽霊が何を脅迫するかというと、美的な生活を続けるべしということを、レイノルズに無言で訴えかけるのである。こう書くと、やはり怖い映画と思えてくる。だが残念ながら、決してそうではないのである。ダニエル・デイ=ルイスの演技には存在感があるだけに、全体としての出来が残念だと言わざるを得ない。

私がこの映画を残念に思うもうひとつの理由は、音楽である。ジョニー・グリーンウッドという作曲家は、この映画の監督、ポール・トーマス・アンダーソンと何度も共同作業を行っているらしく、ここでも、オリジナル曲に加えて、フォーレ、ドビュッシー、シューベルトなどを使っている (それから、晩餐会のシーンでは、ほとんど聴こえないくらいの小さな音量で、ベルリオーズの「幻想交響曲」の第 1楽章が流れていて、謎めいていた)。ただ、それがちょっとうるさい。美学を貫く主人公を描く映画としては、無音の部分で人間の感情が動くこともあるということを、もっと意識すべきではなかったろうか。そうそう、音楽に話が及んだついでに書いておくと、アルマという女性は音楽ファンにとってはもちろんおなじみで、それは作曲家グスタフ・マーラーの妻の名である。マーラーにとってはミューズでもあった彼女はしかし、世紀末のファム・ファタルの一人ともみなされ、奔放で不貞な妻ということではないにせよ、少なくとも自分の感情に素直に生きた人であると思うし、彼女の個性に翻弄されて煩悶したマーラーは、それを創造の原動力にしたのであろう。この映画では必ずしもマーラーを思い出す必要はないと思うが、主人公のミドルネームは、字幕には "J" としか出ていないが、劇中の言葉から聞き取ったところによると、「ジェレマイヤ」である。これは英語読みであり、我々日本人になじみの発音では、「エレミア」となる。もちろんこれはレナード・バーンスタインの交響曲第 1番の副題であり、ユダヤの預言者の名前である。なのでこの主人公はユダヤ人。それが分かると、やはりユダヤ人であったマーラーのことを思い出さずに映画を見るのが、難しくなるのである。これがアルマ・マーラー。
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だが、別にマーラーのことを考えずとも、男女の愛のいびつな形を感じることができれば、この映画の本質を理解することができるだろう。ひとつ言えることは、この映画にはかなり一貫した趣味性があるということで、それもそのはず、監督のポール・トーマス・アンダーソンはここで、製作や共同脚本のみならず、撮影まで担当しているのである。この監督はこれまでに 8本の映画を撮っているが、私が見たのは「マグノリア」のみ。なるほど、あれも癖の強い映画で、様々な登場人物の姿を見て結構楽しんだ覚えがあるが、この作品のように少ない登場人物の内面に迫るという作りになると、少し課題があるかなぁというのが正直な感想。1970年生まれなので、未だ若いと言える年齢である。
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ただ少し感じるのは、現代においては、倒錯した愛の形を描くなどというと、あまり世間の評価は高くないのかなぁということ。だからこの映画のように、内容のドロドロ感を覆い隠すような美しい衣装が、言い訳として必要なのかもしれない。実際、この映画はアカデミー衣装賞を受賞したらしいが、ファッションデザイナーが主人公の映画で、衣装賞って・・・(笑)。それはちょっと反則なのではないか、という思いも禁じ得ないが、ま、それはそれとして、志向する内容自体にはかなり芸術性があるものの、表現の面では課題の多い出来となった、私にとってはそんな映画として、記憶にとどめることになるだろう。
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by yokohama7474 | 2018-06-28 01:39 | 映画