川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
by Crop Stock
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> 吉村さん この作品..
by yokohama7474 at 21:14
本日5日の公演に行って来..
by 吉村 at 19:53
> カギコメさん 熱い..
by yokohama7474 at 22:29
> 吉村さん そうでし..
by yokohama7474 at 00:36
22日におられたんですね..
by 吉村 at 21:57
> michelange..
by yokohama7474 at 23:53
Crop Stock_y..
by michelangelo at 17:24
> 吉村さん 私もヤン..
by yokohama7474 at 22:38
マーラーの3番を聴けるの..
by 吉村 at 22:24
> eastさん コメ..
by yokohama7474 at 22:54
メモ帳

アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団 2018年 7月16日 サントリーホール

e0345320_23061337.jpg
前日の準・メルクルに引き続き、日本人の母を持ち、欧米で活躍する指揮者の登場である。それはほかならぬ、アラン・ギルバート。1967年生まれの 51歳。つい昨年まで 8シーズンに亘って、押しも押されぬ世界第一級のオーケストラ、ニューヨーク・フィルの音楽監督を務めていた。彼は今般東京都交響楽団 (通称「都響」) の首席客演指揮者に就任し、今回の一連の演奏会がそのお披露目公演である。彼の指揮ぶりは過去にこのブログでご紹介したが、私にとっては、日系人であるということなど全く何の関係もない。世界でも有数の実力を持つ指揮者として、深く尊敬する音楽家である。今回は、この写真よりもさらに髭を濃くして登場した。
e0345320_21101073.jpg

彼の指揮ぶりは、その大柄な体格を反映したようなダイナミックなもの。だがその一方で、決して粗野ではなく、高い知性を感じることのできるものである。この素晴らしい指揮者が都響の指揮台に今後かなりの頻度で現れてくれることは、今後の東京の音楽界にとっては大変に意義深いことであると私は思う。そんなギルバートが今回採り上げた曲目は、以下の通り。独墺系の大小のシンフォニーである。
 シューベルト : 交響曲第 2番変ロ長調 D.125
 マーラー : 交響曲第 1番ニ長調「巨人」(クービク新校訂全集版)

さて、演奏開始前にステージを見ると、フルート首席の場所に、女性が座っている。慌ててプログラムを見ると、このオケの首席フルート奏者は 2名の男性である。これは奇異なこと。そして、さらに奇異なことには、プログラムにそのような記載はないものの、その女性は、日本を代表するフルーティストのひとりである、高木綾子に相違ない。周囲の木管奏者と何やら楽譜を見ながら話し合ったり、大変くつろいだ様子に見えた。どういう背景であるのか分からないが、きっとオケの一員としての演奏をご本人も楽しんだのではないだろうか。
e0345320_21190579.jpg
今回ギルバートは、全曲を通して譜面台も置かない暗譜での指揮。しかも最初のシューベルトは、指揮台すらも使わずに、床に立って、小規模な私的演奏会で演奏されたであろうシューベルト初期の交響曲を指揮した。編成はコントラバス 4本で、ヴァイオリンは左右対抗配置を取る。面白かったのはヴィオラとチェロの位置で、通常は指揮者正面左にヴィオラ、右にチェロという配置が多いと思うが、今回はその逆。ギルバートの音響へのこだわりを感じさせた。だが、音楽が始まってみると、楽器の配置がどうであれ、確信に満ちた足取りの音が鳴り渡り、貧血の初期ロマン派の演奏とは一線を画す、ダイナミックなものであった。これぞアラン・ギルバートの音楽である。この曲では木管の活躍する箇所が多いが、高木はさすがの技量で涼やかな音色を響かせ、かつ、周りの奏者との呼吸も素晴らしい。さすが、演奏前に打ち合わせをしただけのことはある (笑)。

今回のメインはマーラーの人気曲「巨人」であるが、そこに添えられた「クビーク新校訂全集版」という注釈は、一体どういうことなのか。実はこの版は、1893年ハンブルク版とも呼ばれるもの。つまり、マーラー自身が 1889年にブダペストでこの曲を初演した後、1893年に今度はハンブルクでその改訂版を指揮した、その時の版が基本とされているようだ。ただ実際のところはもう少し複雑で、このクビークという人の校訂による版は、本当のハンブルク初演版と同じではなく、その後の作曲者自身による改訂も反映されているという。このクビーク版の世界初演は、2014年にトーマス・ヘンゲルブロック指揮 NDR エルプフィル (旧北ドイツ放送響) によって、つまりはまさにこの曲ゆかりのハンブルクで、なされたというが、この NDR エルプフィルは、奇しくもアラン・ギルバートが来年 9月に首席指揮者に就任するオケで、そのコンビでの来日公演も、早くも今年 11月に予定されている。ともあれ、この版の特徴のひとつは、最終稿では削除されてしまった「花の章」が第 2楽章として残っていること。トランペット独奏を含むメランコリックな音楽は、マーラーの本質的な部分と深く結びついているようにも思われ、私は結構好きな音楽なので、今回は予期せずそのような版での演奏となったことを喜んだのである。そして演奏は、やはり万感のニュアンスを秘めながらも力強く進むもので、世界最高クラスの指揮者と、マーラー演奏にかけては世界的な水準を誇る都響のコンビには、この曲の特性がぴったりフィットする。ギルバートはなんら奇をてらったことをせず、正統的な解釈でオケをぐいぐいと引っ張り、実際にそこに立ち現れてホールを満たした音響は、本当に聴き物であった。終楽章の大詰めでホルンが高らかに鳴り響く箇所では、ホルン奏者たちが起立するのを見るのが私の好みなのであるが、今回は起立はない。なぜならば、この時点のスコアでは、未だそのような指示は書かれていないからだという。ともあれ、最初から最後まで見事な音響設計の演奏であり、ここでも高木綾子のフルートは大きく貢献していたが、やはりそれだけではなく、最後の最後で全楽器が一丸となって作り出した大団円に、鳥肌立つものを感じたのであった。

それにしても改めて感じるのは、マーラーが追い求めた音像には、ある一貫したものがあるということである。比較の対象としてブルックナーを挙げると、先の記事で言及したブルックナーの 4番は、やはり作曲者自身が何度も改訂をして、いくつもの版が出来てしまった。それに対してこのマーラーの 1番は、今回の版が通常演奏される版と異なる点は、細部にはいろいろあるようだが、耳で感じて分かる箇所はかなり限られていて、メインの旋律の伴奏音型であったり、楽器間のバランスであったりという程度。曲そのものは、マーラーの頭の中ではごく初期から出来上がっていたということであろう。その点がマーラーとブルックナーの大きな相違であると感じた次第。これが 1895年、ハンブルク歌劇場の音楽監督であった頃のマーラー。
e0345320_22134783.jpg
さて、ギルバートと都響は、今回もうひとつのプログラムを用意している。それも大変に興味深い内容なので、大いに期待することとしよう。

by yokohama7474 | 2018-07-16 22:15 | 音楽 (Live) | Comments(0)
<< デッドプール 2 (デヴィッド... 準・メルクル指揮 国立音楽大学... >>


最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧