川沿いのラプソディ


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東京二期会公演 ウェーバー : 歌劇「魔弾の射手」(指揮 : アレホ・ペレス / 演出 : ペーター・コンヴィチュニー) 2018年 7月22日 東京文化会館

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私が初めてオペラなるものの実際の公演に接したのは、今から 30年以上も前のこと。それ以来国内外で、随分と珍しい作品を含め、相当数のオペラを鑑賞してきた。いわゆる名作として世に知られたオペラの多くは、既に何度となく実演で見ているのであるが、ところが有名なオペラの中で多分ほとんど唯一、どういうわけかこれまで縁がなくて、実演で見たことのないものがあった。何を隠そう、それがこの「魔弾の射手」である (音楽にあまり詳しくない方のため、「まだんのしゃしゅ」と読みます。「魔弾」とは百発百中の「魔法の弾丸」のことで、悪魔が作ったもの)。ドイツ・初期ロマン派を代表するひとり、カール・マリア・フォン・ウェーバー (1786 - 1826) の代表作で、1821年にベルリンで初演された作品だ。このウェーバー、結核のため、39歳の若さでロンドンで客死している。
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この「魔弾の射手」はドイツ語による、いわゆるドイツの国民的オペラで、森の恐ろしさや悪魔との契約というロマン主義的なテーマに満ちた傑作であり、ワーグナーにも大きな影響を与えた作品であるという音楽史的位置づけは充分理解しているのに、そして、このオペラの序曲は中学生の頃からの私の大のお気に入りであるのに、なぜにこれまで全曲を見る機会がなかったのだろうか。それはやはり、日本では演奏頻度が (少なくとも最近は) 低いという事情はあるとは思うのだが、ふと考えてみると、メディアでのこの作品の人気自体、決して高いとは思えない。例えば、音楽史上の重要作はすべて録音しつくしたかのように思われるカラヤンに、この曲の録音があっただろうか。答えは否である。そう思うと、ベームもこの曲の正規録音はないし、ショルティもバーンスタインも、あるいはマゼールも、それから、ドイツオペラに積極的なメータやバレンボイムも、調べた限りではこのオペラを録音していないようである。カラヤンに関しては、実は私の手元には彼の生涯の全演奏記録なるものがあるのだが、録音はなくとも、きっとこの曲は若い頃から実演ではしょっちゅう振っていたのだろうと思って調べてみると・・・ない。ないのである。カラヤンによる「魔弾の射手」全曲の演奏記録が、一度も。もちろん、膨大なデータなので、私の見落としかもしれない。だが、若い頃からワーグナーやシュトラウスの作品を繰り返し演奏してきたカラヤンが、もし演奏していたとしても見落とすほどの回数しかこの曲を指揮していないとしたら、それだけでも充分意外ではないか。

すぐに考え付くこのオペラのひとつのハードルは、全曲のうちかなり長い部分を占めるドイツ語のセリフであろう。少なくともそれは、日本での上演においてはハードルになりうるし、カルロス・クライバーの録音のように、セリフの部分のみ専門の俳優を起用している例もある。だが、それでは同じくドイツ語のセリフが多い「魔笛」や「こうもり」が頻繁に演奏されることの説明がつかない。音楽面では、これは全編に亘って親しみやすいメロディ (合唱曲を含む) を持つ名作であり、その面でのとっつきにくさはほとんどないだろうし、序曲を知っていれば、そのメロディが随所に使われていることに一種の安心感を覚えることさえある。だが、本当に心震えるアリアとなると、それほど多くない。その意味で音楽的に本当の傑作と言えるのかどうか。加えて、このオペラの原作は「幽霊譚」という小説であるらしく、もともとおどろおどろしいものであるが、この作品の脚本の出来は、それほど質の高いものとも思えない。そんな複数の要素が組み合わさって、音楽史的意義を認められながらも実演にかかる頻度が低くなってしまっているのかもしれない。

そんな中、東京二期会が今回 4回に亘って上演した「魔弾の射手」の最終回を見ることができた。オペラファンにとってはなんといっても、この舞台の演出が、現代きってのカリスマ演出家、ペーター・コンヴィチュニーによるものであることに、まずは興味を惹かれるものであろう。ハンブルク州立劇場との共同制作プロダクションであり、かの地では既に 1999年に初演されているというから、日本登場までに随分時間がかかったものだ。コンヴィチュニーは、往年の名指揮者フランツ・コンヴィチュニーの息子で、1945年生まれの 73歳。その、知的裏付けのある先鋭的な演出は、世界のオペラハウスを震撼させており、日本での人気も高い。
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コンヴィチュニーというと、過激な読み替え演出という印象があるが、今回の演出は、決して過激なものとは思えない。もちろん、昔ながらのドイツの田舎の風景や森のおどろおどろしさを素朴に表現しているわけではないが、かといって情報過多で音楽を邪魔するようなこともない。舞台装置は最小限であるが、それぞれの場の雰囲気を出すことに成功しているし、紗幕の使い方にも必然性がある。大詰めでは少し意外なことも起こるが、それも決して見ていて不愉快になるような、気をてらった演出ではない。そんなわけで、全体としてはむしろ、手堅くまとめたというイメージすらある。そしてユニークなのは、悪魔ザミエル。これは少し語りが入るだけで、歌は歌わない役なのだが、この演出ではかなり出番が多く、通常の登場場面以外でも衣装を換え、何度も無言で舞台を歩き回っていたし、狩人たちの合唱の前の場面転換の際には、緞帳の前にひとり出てきて、続く場面での合唱の歌詞をリフレインして語っていた。この役を演じたのは、大和悠河 (やまと ゆうが)。元宝塚のトップ女優であるらしい (私はそのあたりにはトンと疎くて、ファンの方には怒られてしまうかもしれない)。彼女の出演によって、ロビーには多くの花輪が飾られていたし、登場時の拍手やカーテンコール時のブラヴォーも大変なものであった。確かにその長身には、なんとも言えない存在感がある。これは今回のオペラの記者会見の様子。
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また、このザミエルを表す音楽がヴィオラで演奏されるが、今回はヴィオラ奏者が舞台に登場、アガーテ、エンヒェンという 2人の女性役の前で、実際に楽器を演奏した。これはハンブルクでの写真であろう、今回とは歌手もヴィオラ奏者も違っているが、今回ヴィオラを演奏したのは、そのハンブルク州立劇場で首席ヴィオラを弾く、ナオミ・ザイラー。そう、あの京都の「かやぶき音楽堂」で知られたピアニスト、エルンスト・ザイラー (昨年死去) の娘である。
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それから、特筆したいのはオケの素晴らしい演奏である。今回ピットに入ったのは読売日本交響楽団 (通称「読響」)。序曲の冒頭からしてただならぬ雰囲気で、一挙に森と魔術の世界に引き込まれた。また、この序曲の終盤で、一旦音楽が静まってから大音響となり、そして休符を挟んで弦楽器が駆け抜ける箇所があり、どんな名門オケでも、わずかな乱れが出ることが多いが、今回は完璧。こういう部分がバシっと決まると、その日の演奏の士気も上がるだろう。最後まで素晴らしい表現力を保ったオケは、間違いなくこの上演の成功に大きな貢献を果たしていた。指揮のアレホ・ペレスは、アルゼンチンの若手で、既にザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮した経験もあるという (演目はグノーの「ファウスト」で、ディスクにもなっている)。堅実性とドラマ性を併せ持つ、なかなかの手腕であると思うので、今度はオーケストラコンサートで聴いてみたい。
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歌手陣は、マックスの小貫岩夫、カスパルの加藤宏隆、アガーテの北村さおり、エンヒェンの熊田アルベルト彩乃ら、あまりなじみのない若手中心であったが、いずれも大変に安定した出来であったと思う。また、隠者の小鉄和弘は客席で立ち上がって舞台に花を投げ入れるという、意表を突く登場ぶりだったが、貫禄十分の歌唱であった。ただ、全体を通して若干の課題があったとすると、日本語のセリフとドイツ語の歌詞が、時折、劇の流れをギクシャクさせたと言えるかもしれない。ただこれは作品の内包する弱点とも考えられ、上で考察した通り、このオペラの上演頻度が低いのも、このあたりが一因になっているのかもしれない。

コンヴィチュニーは、このオペラに登場する悪魔ザミエルは、「人間を搾取する資本主義時代とともに現れた、神が排除される不透明な状況を擬人化した存在」であると語る。つまり、このオペラの書かれた 19世紀初頭の社会全体の近代化を象徴するということであろうか。そうすると、最後に突然現れて物事を解決する隠者は、神ということになろうか。そういえば、「デウス・エクス・マキナ」という言葉がある (映画「エクス・マキナ」の記事で触れたことがあるので、興味ある方はご参照あれ)。このオペラもまさにそういう作りになっている。コンヴィチュニーの面白いところは、何やら小難しい理屈で説明しながらも、実際に聴衆が目にする舞台には、結構ユーモアや茶目っ気があることである。例えば、上にも少し触れたが、上演終了直前で、この悪魔と神が面白いことになる点に、この演出のこだわりがあるのだろう。つまり、19世紀から 20世紀にかけては、神の不在の時代であったところ、21世紀の現代においては、もう神も悪魔も区別がつかなくなってしまっているということかと解釈した。その他、一度見ただけでは理解が及ばなかった箇所もあれこれあるが、まあ、全体の流れには好感を持つことのできる演出であった。

さて、この「魔弾の射手」、面白いことに、日本の別の場所でも、全く違うメンバー、全く違う演出で、現在上演中である。あまり演奏されないと言っておきながら、そんな事態が起きているのを見ると、偶然とはいえ、私が嘘をついたように思われそうでいやである (笑)。ともあれ、これは千載一遇のチャンス。なんとかそちらもレポートできるよう、頑張りたいと思っております。

by yokohama7474 | 2018-07-22 23:50 | 音楽 (Live) | Comments(4)
Commented by michelangelo at 2018-07-24 17:24 x
Crop Stock_yokohama7474様

貴殿のブログ記事を再び拝読することが出来、嬉しく興奮すると同時に悲しくなりました(笑)何故ならば、同じ日の鑑賞が叶わなかったと同時に、御目に掛かれず終いとなったからです。

私は、ペーター・コンヴィチュニー氏のアフター・トークを聴講出来る19日に公演を楽しみ、2回目はなしの予定でしたが、赤く目立つエレベーターと序曲の関係(演出)が面白いと思い、21日も参加することに致しました。

物語りの始まりは4階(地上)、エレベーターのボタン「▼」が現れ下った先は「狼」階です。そして「悪魔の音階」から一変、ワクワクする天国的な旋律「アガーテのアリア」へと移り、エレベーターは「7」階へ。合唱が始まってからは、ずっと6階に停止したままでしたが、狼谷では再び「狼」階に。

そして、感動的だったのは素晴らしいオーケストラと素敵なザイラー氏のヴィオラです。コンヴィチュニー氏曰く、「表題をヴィオラが提示、デュエットとして作曲されているからステージにヴィオラ奏者を登場させた」とのこと。

ザミエル役に元宝塚のトップを迎えると言うアイデアは、本当に見事です。登場回数が多く中性的な魅力が、日本語とドイツ語のバラバラ感を幾らか纏めていたように思います。アレホ・ペレス氏の指揮も、良かったです。

別の場所での「魔弾の射手」公演レポートも、楽しみにしています。私は、ザクセン州立歌劇場で行われたティーレマン氏が指揮の「魔弾の射手」を予習教材に選びましたが、一番気に入っているのは意外や背筋が凍るホラーな狼谷です(笑)ウェーバーが作曲した当時は、ホラーが流行ったそうですね(怖)
Commented by yokohama7474 at 2018-07-24 23:53
> michelangeloさん
そうでしたか。今回、コンヴィチュニーの講演があるのは知っていましたが、何分平日でもあり、参加を断念しました。舞台下手側に設置されたエレベーターについては、確かに何度か昇降していることが表示で分かりましたが、私の鑑賞した最安席では、そこまでの細かい設定があることは皆目分かりませんでした (笑)。そうですね、これはホラーオペラ。何を隠そう、私が自他ともに認めるホラー好きなので、別の「魔弾の射手」公演を見ることができたなら、その点もばっちりチェックする所存です (笑)。ところでティーレマンの来日まであと 3ヶ月ですね。これも楽しみです。
Commented by 吉村 at 2018-07-25 21:57 x
22日におられたんですね。私もその日に観ておりました!
マックスはちょっと弱いと思いましたが、他の歌手、特に女性陣はよかったですね。
大和悠河さんの登用は少しディストラクティングでしたが、彼女のファンも動員できて良かったですね。彼女は宝塚のトップスター経験者としては少し変わり者で通っているようですが、美形でしたね。オペラ好きでおられるようですね。
エンディングがとってつけたような感じのオペラであることを逆手にとった演出も面白かったです。まあ、資本主義的なものが人間の共同体的な営みを壊したのは事実ですから、神と惡魔の交流は、ヨーロッパ的な演出では通奏低音のようなテーマですね。
Commented by yokohama7474 at 2018-07-27 00:36
> 吉村さん
そうでしたか。ご挨拶できずに失礼致しました。あとから思い出してみて、あれこれ考えてしまうような演出でした。やはりどんなに高尚な演出でも、興行成績が悪くては話になりませんから、今回のような方法は、これからのオペラ演出において、参考となる例かもしれませんね。
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