川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

「ウエスト・サイド物語」シネマティック・フルオーケストラ・コンサート 佐渡裕指揮 東京フィル 2018年 8月 4日 東京国際フォーラム ホールA

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先週末の日曜日 (7/29) まで西宮でウェーバーの歌劇「魔弾の射手」を 8回に亘り指揮していた人気指揮者、佐渡裕が、その閉幕から 1週間も経たないうちに、またまた大きな企画を手掛けることとなった。それは、映画「ウエスト・サイド物語」を巨大スクリーンに全編に亘って投影しながら、その音楽の部分を生のオーケストラが演奏するというもの。このスタイルは昨今流行となっているようで、このブログでも、「犬神家の一族」をはじめとする角川映画に関する同様コンサートをご紹介した。その後、「スターウォーズ」シリーズでも同様の企画があったが、私はそれには出掛けなかった。なので、このコンサートを楽しみにしていたのである。57歳。指揮者としては脂の乗り切った世代である佐渡。
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ミュージカルとして歴史に残る存在であり、今回上映された 1961年の映画 (ロバート・ワイズ & ジェローム・ロビンズ監督) でもよく知られている「ウエスト・サイド物語」であるが、その作曲者は言わずと知れた、20世紀最高の指揮者のひとりであった、レナード・バーンスタイン (1918 - 1990) である。そしてこれもよく知られている通り、佐渡はそのバーンスタイン晩年の愛弟子。これが師弟の写真である。
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今年はバースタイン生誕 100周年ということで、様々なコンサートで彼の作品が採り上げられているが、やはり佐渡ほどバーンスタインに近かった人は、このような大掛かりなイヴェントで師匠への尊敬を表すのだなと納得できる。今回の会場は、東京国際フォーラムで最も大きいホール A (収容 5,012人) であったが、見渡す限り座席はほぼ埋まっているようであった。舞台奥に巨大スクリーンを据え、東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) が佐渡のもとで演奏する。この公演は東京で 3回、大阪で 1回行われるが、私が見たのはその最初のもの。この 8/4 (土) はなんと、12時からと 17時からの 2公演というハードスケジュールだ。1階客席真ん中あたりには、なにやら様々な装置 (映画の映像をモニターする PC など) と、それを操作する数人のスタッフがおり、このプロジェクトの難易度を実感できる。
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それから、ホールのロビーには、バーンスタインゆかりの品々が展示してあって、大変興味深い。若い日から老年までのバーンスタインの写真。1990年の最後の来日時にバーンスタイン本人が着ていたジャンパー。スコアに書き込みをするときと作曲をするときに使っていた鉛筆 (興味深いことに、前者は色付、後者はただの黒色だ)。ニューヨークの有名マンション、ダコタ・ハウス内にある彼の住居の写真。
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開演直前に佐渡がひとりで登場し、トークを始めた。それは彼とバーンスタインとの関係に関するもの。彼は小学生の頃からクラシックが好きであったが、幼い頃はステレオセットに触ることを許されず、4歳上の兄のレコードコレクションを羨ましく眺めていたが、数十枚あったそのコレクションは、すべてカラヤン指揮のものであった。1970年の大阪万博の際に、そのカラヤン / ベルリン・フィルとバーンスタイン / ニューヨーク・フィルがともに来日し、前者はベートーヴェン・ツィクルス、後者はマーラー 9番を演奏した。佐渡はその生演奏は聴けなかったが、世の中にカラヤンとバーンスタインというすごい指揮者がいて、ライバル同士であることを知ったという。そして小学校 5年生のとき、小遣いはたいて購入した最初のレコードが、バーンスタインとニューヨーク・フィルによるマーラーの「巨人」であった。彼は箸を指揮棒代わりにして、その「ウルトラマン対怪獣」のような音楽を夢中に指揮していたという。そして、1985年のイスラエル・フィルとの来日公演によって、初めてバーンスタインの実演に触れる。それからわずか 2年後、1987年に小澤征爾が総監督を務めるタングルウッド音楽祭に参加。そこで認められ、バーンスタインとウィーン・フィルの共演にアシスタントとしてかかわる。その後は 1990年に札幌でパシフィック・ミュージック・フェスティバル (PMF) が始まり、それがバーンスタインの来日の最後であった。このような歴史を語った佐渡は、この映画が 57年も前のものであり、そこに音楽をつけるのは大変な職人技を必要とするので、バーンスタイン本人ならきっとこんな仕事は請け負わなかっただろうと発言して、客席を笑わせた。そして、バーンスタインの偉大さを称え、数々の教えに加えて、指揮者としてメシを食っていけるか否か分からなかった自分の背中を押してくれたことに心から感謝している。ゆえに彼の作品の偉大さを後世に伝えて行くのが自分たちの役割である、と述べてスピーチを終了した。これを聞いて私が思ったことはふたつ。ひとつめは、この「ウエスト・サイド物語」が制作されたのは佐渡の生年と同じ 1961年ということ。つまり佐渡としては、自分が生まれた頃に、師が既にこんな仕事をしていたと実感する機会になったのではないか。ふたつめは、あの佐渡にしてからが、初めてバーンスタインを生で聴いたのが、私と同じ 1985年であるということ。因みにバーンスタインの初来日は 1961年 (お、またしても佐渡の生年である)。その次が上記の 1970年。それから 1974年、1979年。その次が 1985年で、最後が 1990年ということになる。

さて今回の映画上映付演奏であるが、私たちはそのような企画があるを聞いても、まあ長丁場 (映画本編だけで 2時間半である。今回は途中に 20分の休憩あり) ご苦労様ですとしか思わない。なぜなら、この映画の原作であるミュージカルは様々なところで上演されているし (私もこのブログで採り上げたことがある)、作曲者自身によるものを含め、全曲盤の録音もいくつもあるからだ。その全曲スコアを演奏すればよいだけではないのか。だが実は、このような上演に漕ぎつけるには、関係者の大変な努力が必要であったことを、当日会場で購入したプログラムで知った。要するに、映画音楽のオリジナルのスコアなど、映画会社 (MGM) には保管されておらず、それを復元する必要があったのである。それから、ブロードウェイでこの作品が初演されたとき (1957年)、劇場のオーケストラ・ピット (これはブロードウェイに行ったことのある人なら誰でも知っているが、通常大変狭いスペースである) の関係で、わずか 28名の編成で書かれていたという。それに対して映画の場合はふんだんな予算を使い、100名近い編成でサウンドトラックが録音されたという。だが、失われた楽譜を復元するために、バーンスタイン事務所のメンバーが、米国中の図書館や個人コレクションを捜索し、断片的な手掛かりがいくつか見つかる。そして最終的に、映画のサウンドトラックに合わせるために細部に至るまで修正して、ようやくスコアが完成したという。それは 2011年のことで、今回の日本公演の前に既に同様スタイルでの上映 / 上演は、海外では行われている模様である。

今回の上映 / 上演を見て / 聴いていると、まさに関係者の苦労が偲ばれる上、特に指揮者の負担は大変なものであると思われた。というのも、音楽をつける相手は、既にフィルムに固定された映像である。もしこれが歌手なら、オケを聴きながらの歌唱となり、またオケも歌手に耳を傾けながらの演奏になるので、多少テンポがずれたりしても修正可能である。だが、今回の場合には、音と映像がずれてしまうと回復が大変である。それから、セリフだけの部分ではオケは沈黙するが、音楽を再開するタイミングをスコアに記すのは困難だ。それゆえだろう、佐渡は左耳にイヤホン (キューが出されているのか、あるいは映画のサウンドトラックが流れているのか) をし、スコアと、その先にある手元の映像を終始見ながらの指揮であった。だがそこで鳴っていた音は、いかにも佐渡らしい明快なものであり、師の代表作を演奏するという気合に溢れたもの。東フィルも、つややかな弦やノリのよい管が大健闘であった。その演奏の安定感に、ジョージ・チャキリスも思わず足が上がる上がる (笑)。
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この映画を久しぶりに見て気づいたのは、最近舞台で見たミュージカルと、一部曲順が異なることだ。もちろんそれ以外にも、ある意味で当然ながら、映画特有のシーンや短い音楽もある。曲順の変更はいくつかあるが、私が特に気になったのは、このミュージカルで最も軽妙なナンバーである「はいはい、クラプキー巡査」である。映画の中ではこれは、決闘による悲劇が起こる前に歌われて、悪ふざけであることがはっきりする。ところが舞台で見たときには、これは後半、悲劇のあとに歌われるのである。正直私には、悲劇のあとにこのナンバーが来るのにはもともと違和感があったので、映画ではそうなっていないことで、ちょっと嬉しい気がした。ところが帰宅して、例えば作曲者自身による録音を確認してみると、やはり悲劇のあとで歌われている。ということは、それはバーンスタイン自身の選択ということになって、少し意外であった。せっかくなのでここで、その作曲者自身の指揮、ホセ・カレーラスとキリ・テ・カナワが主演カップルを演じた CD のジャケットをご紹介しておこう。
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それにしてもこの作品に描かれた、元気であったはずの 1950年代の米国の内部における深刻な貧困問題、差別問題、そして移民問題は、極めて現代的なテーマでもある。そのような社会的なテーマを、「ロメオとジュリエット」という古典劇の翻案として構成した作り手たち (音楽のバーンスタイン以外に、脚本のアーサー・ロレンツ、作詞のスティーヴン・ソンダイム、そして振付のジェローム・ロビンズ) の才気煥発ぶりには、本当に脱帽だ。これは、ユーモアと悲惨な現実の両方を振り子のように揺れ動く作品で、そこに悲劇の恋愛が加わって、ただ深刻なだけでもなく、ただ甘美なだけでもない、永遠の名作が出来上がったわけである。実は私の手元に積み上がっている、購入済だが未だ読めていない本の中に、津野海太郎という人の「ジェローム・ロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り」という本がある。1950年代にはハリウッドでも赤狩りが横行したわけだが、ミュージカルの世界にもそれがあったとしても、驚かない。ちょっと面白そうな本なので、早く読んでみたい。
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今回の上映 / 上演が終わったとき、振り返った佐渡の顔は、汗と涙でクシャクシャであった。もちろん映画のクライマックスは大変感動的であるので、涙が出ても不思議ではない。だが私の想像では、やはり佐渡は、この複雑だがなんとも美しい抒情を湛えた音楽を指揮して、きっと師のことを思い出していたのではないかと思う。バーンスタインの音楽はこれからも聴かれ続けるであろうが、実際に彼本人と親しく接した人たちには、まさに佐渡自身が言う通り、この偉大な人物について語って行って欲しいものである。

by yokohama7474 | 2018-08-04 23:13 | 音楽 (Live) | Comments(2)
Commented by 吉村 at 2018-08-05 19:53 x
本日5日の公演に行って来ました。聴取の感じがサントリーホールとは違うことに、ミュージカルというものの受容の度合いの高さを感じていました。
フルオーケストラで聴くとバーンスタインの音楽の精妙さがより明確に伝わりますね。でも、フルオーケストラスコアが失われていた、というのは驚きでした。記録はちゃんと残さないといけませんね。
あと、ナタリーウッドとかジョージチャキリスの若い頃は本当にかっこよかったんだな、と感服しました。ララランドなんかにはもう無い世界ですね。
Commented by yokohama7474 at 2018-08-05 21:14
> 吉村さん
この作品がオペラではなくミュージカルとして世に出たことは、大いに意味のあることだと思います。そして、5,000人収容のホールが満席になるのだから、いかにこの映画が、そしてバーンスタインの書いた音楽が、人々から愛されているか分かりますよね。銀幕における俳優たちの輝きも、時代とともに移り変わるものだと思います。
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