川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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パンク侍、斬られて候 (石井岳龍監督)

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町田康原作、宮藤官九郎脚本、石井岳龍監督で、主演が綾野剛。なんと癖の強い人々による映画であろうか。映画の宣伝コピーのひとつは、「宇宙が砕けますよ」というもの。この映画に全くイメージのない人もおられようから、チラシから引用しよう。

QUOTE
町田康によって 2004年に記された小説「パンク侍、斬られて候」は、この世界の縮図であり、そして予言書であった。それはつまり、人間が起こすことができる破壊の臨界点と、人間がかすかに保てる希望の可能性であった。映画「パンク侍、斬られて候」はその恐るべきディストピア小説を可視化する。アニメーションではなく、実写でた。(中略) これは映画という名の劇薬だ。この映画に一千万人が共鳴したら、日本は終わるかもしれない。いや、この上ない幸福が訪れるかもしれない。それは、この劇薬を服するあなたが今、何を感じて生きているかによるだろう。
UNQUOTE
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なんとも大げさな物言いであるが、まあ確かに、このように仰々しく言いたくなる気持ちも分かる。ストーリーのひねくり回し方だけでなく、セリフや語りも、衣装や美術も、かなりパンク。そして出演している役者たちがまたすごい。豊川悦司、東出昌大、染谷将太、國村準、浅野忠信、北川景子、永瀬正敏など。これは只事ではない。ただ、既にこの映画は都内の 1軒の劇場で 1日に 1回上映されているだけなので、大ヒットした様子はなく、「一千万人が共鳴する」事態には、幸か不幸か達していないようだ。少なくともこの映画、万人が面白いと思うタイプでは全くなく、そもそもこれを見に行きたいと思うかどうかで、既に観客にふるいがかけられる。そして実際に見に行った人も、文句なしに面白いと諸手を挙げて喜ぶ人が、さてどのくらいいるだろうか。私個人の感想としては、この映画の意気込みは買うものの、その出来栄えには、少しクエスチョンマークなのである。

町田康もクドカンもよいのだが、やはり私の第一の興味は監督であった。石田岳龍。私などの世代では、石井聰互 (本当はこの「互」という字は旧字体? のようだが) という名前で親しみがある。「狂い咲きサンダーロード」「逆噴射家族」などで、若い頃からまさにパンクなイメージをもった人だが、2010年にこの岳龍に改名したらしい。現在 61歳。
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この映画で石井が描いてみせる世界は、それは大変混沌としていながら、大変にエネルギッシュなもの。ストーリーは、綾野剛演じる浪人が、ある新興宗教を敵視し、その宗教の信者とおぼしき怪しい者を切り捨てて、ある藩に入ってくる。その剣の腕前を見込まれて藩の中枢部に見込まれる浪人であるが、件の新興宗教への対処を巡ってお家の中の勢力争いが起こり、あらゆる策略が巡らされる中、その新興宗教が予想外の異常な盛り上がりを見せるというもの。大変に極端な内容ではあるが、人間社会の様々な要素が、グチャグチャにかき混ぜられて観客に提示される。そこには大小いろいろなレヴェルで、そしてあの手この手で、人間の弱さや可笑しみというものが表現されていて、思い返してみると、よくできていると思われる箇所も多々ある。だが、正直なところ私は、これでは少し詰め込み過ぎではないかと思うのである。原作を読んでいないので、これが町田の小説にそもそもある要素なのか、それともクドカンの脚本が、シャレではないがクドいのか、よく分からないが、これは見る者を置き去りにする映画である。せっかくこれだけの役者たちを使っていながら、こんなにあちこちでぶちまけてしまうと、ドラマが収れんしないので、ちょっともったいないことになっていると思う。好例がこの役者だ。
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若手俳優として大活躍の染谷将太だが、ここでは弱気な侍から、熱狂の伝道師 (?) への華麗なる転身が描かれるが、ちょっと表現過剰ではないか。これなら染谷でなくてもできる俳優がいるように思う。それから、この人は誰だろう。
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実は私は最後まで分からなかったのだが、これは浅野忠信。正体のよく分からない新興宗教の親玉 (なのかな? それもよく分からない) であり、自身ではほとんど言葉を発しない。わざわざ浅野にこんなメイクをさせてセリフをほとんど与えないという遊びは面白いとも言えるものの、ではこのキャラクターが見る者に大きな衝撃を与えるかと言えば、そうでもない。だからこれも、もったいない使い方だなぁと思うのである。それでは、これは誰でしょう。
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この等身大の猿は実は口もきけ、映画の語りも彼によるものだ。終盤では大きな役割を果たし、人間と猿の関係に関する人々の既成概念 (ってなんだ。笑) を打ち破る活躍を見せる。この猿を演じるのは実は永瀬正敏。彼の場合には語りが多いので、映画への貢献はそれなりにあるとは思うものの、まあこれも、普通に考えればもったいない使い方と言えるだろう。そんな中、私が感心したのはこの人だ。
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北川景子が演じるのは新興宗教に属する謎の女性であるが、ラストに至って彼女の演技は牙を剥く。これはなかなかに素晴らしい。彼女はきっと器用な人なのではないかと思うが、この極端が支配する映画の中では、人としての感情をストレートに表すという異例のシーンで、その才能の一端を明らかにしていると思う。シリアスな心理劇など、今後活動の幅がより広がることを期待したい。

そう書いていて思ったのだが、この映画のひとつの特徴はコミカルであること。セリフの脱線ぶりが甚だしく、役者の演技も概してコミカル。もちろん、コミカルは大いに結構で、気の利いた箇所もあるにはあるのだが、でも例えば私が先日の記事で絶賛した「デッドプール 2」などを思い出すと、そのコミカルぶりがより大人であり、たとえ品のないギャグであっても、全体の中にうまくはまっていることで、過剰感が抑えられていた。シリアスさとコミカルさとは、ある面で表裏一体とも言えると思うが、光が強いほど影も濃いように、脱線しすぎの過剰なコミカルシーンがあるからこそ、ごく限られたシリアスシーンが強く印象に残るもの。私の見るところ、そのシリアスシーンは、北川景子の貢献で印象に残るものになったが、ここがもし成功しなければ、ただバカ騒ぎだけをうるさく思う観客が増えてしまうだろう。パンクするということは、既成概念を打ち破ることであるとは思うのだが、でも、そのパンクに共感してくれる人々がいないと、パンクの意味がない (つまり、一人で実践するパンクは、パンクではないのではないか)。その意味で、わざわざパンクパンクと高らかに喧伝せずとも、既成概念を打ち破る強い表現力を持つ文化活動は、すべからくパンクであると思うのである。

by yokohama7474 | 2018-08-11 11:54 | 映画 | Comments(0)
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