人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ミラクル エッシャー展 上野の森美術館

ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_12305190.jpg
エッシャーの名前は、いわゆる美術ファンにとどまらず、一般の人たちに広く知られている。上のポスターにあるような、上がっているのか下がっているのか、前なのか後ろなのか、表なのか裏なのか分からない階段や水の流れには、誰でも不思議な思いにとらわれる。あるいは鳥や魚などが連なって行くうちにかたちが変容して行くような図像は、現代の目で見ても大変に注意を引く。もちろん私自身も、子供の頃から彼の不思議なイメージの数々を本で見て、面白いと思っていた。だが、彼が西洋美術の中のどこに位置づけられるのか、あるいはもっと単純に、生没年がいつで、国籍はどこで、ファーストネームは何だとか、そんなことにも知識がないのである。もちろん西洋美術には「トロンプ・ルイユ」と呼ばれるだまし絵の手法は昔からあるし、エッシャー以外にもその種の作品は多い。だがこの人の作り出すイメージは本当にユニークで、唯一無二のものなのである。その割には、その人生についてはあまり知られていないのではないだろうか。この展覧会は、そのように人気のエッシャーの展覧会であったので、会場の上野の森美術館は大混雑。私も一度行こうとして、90分待ちと聞いて諦めた。そしてなんとか最終日の朝から並んでようやく見ることができた (私の場合、展覧会最終日に見に行くケースが最近多い)。東京では既に終了してしまったが、大阪のあべのハルカス美術館では、11/16 (金) から年越えで同じ展覧会が開催されるので、混雑はそちらの方が幾分かましかもしれない。

マウリッツ・コルネリス・エッシャー (1898 - 1972) は、生涯を通して専ら版画を制作したオランダの人。今年が生誕 120年ということになる。この展覧会も、生誕 120年記念ということで、エッシャーの作品を実に 330点も所蔵するエルサレムのイスラエル博物館から、その半数近い 152点が初来日するというもの。実はこの博物館を訪れても、エッシャー作品を常設展示しているわけではなく、保存の理由から、まとめて作品が公開される機会はないらしい。この展覧会は、2004/05年のスペイン、2014/15年の台湾に続き、三度目の大量公開であるとのこと。これが晩年のエッシャー。作品のイメージらしく、知的で物静かな人のように見受けられる。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_15342378.jpg
彼の作品は、「視る」ということの意味を考え直させるようなものが多いのだが、そこには生々しい人間の姿はまず出て来ることはなく、道化師のように作られた表情の人物、魚や鳥などのデザイン化された動物、建造物や風景が描かれており、時には数学的な要素も持ち合わせている。このような展覧会ではもしかすると手書きのメモや試行錯誤したデッサンなどが出展されているかと期待したが、一部、版画の習作としての下絵があったくらいで、創作の生みの苦しみを感じさせるようなものは何もなかった。やはりエッシャーは、その完成された世界を楽しめばよいと、ここは一旦割り切るとして、個々の作品を通して可能な限り彼の思いに迫ることとしよう。この展覧会で最も初期の作品はこの「貝殻」(1919/20年作) である。ハールレムという街の建築装飾美術学校に入学して建築を学び始めた頃の作品。その硬質な視覚イメージは、ただ対象を観察して忠実に再現するのではなく、自らの目というフィルターを通して対象を見ていることは明らかだ。またこれは、レンブラントの同名の版画 (1650年作) が着想源になっているらしい。これも下に画像を掲げておこう。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_15445387.jpg
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_15575910.jpg
デッサンなどは展示されていなかったと書いたが、それでもこれだけの数の作品を見ることで、エッシャーの画業の発展を辿ることはできる。時代順の展示ではなかったので、ここで採り上げる作品には時代の前後もあるが、その点はご承知願いたい。さて、19世紀の終わり頃に生を受けたエッシャーであるが、よく知られている錯視という分野で洗練された作品を作り出したのは、第二次大戦後である。この「バルコニー」という作品は 1945年の作。エッシャーは何度かイタリアを訪れているらしく、これもアマルフィ海岸で見た光景に触発されているようだ。だがこの、水滴によって歪んだような建物を思い立つきっかけは何であったのだろう。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_15590958.jpg
エッシャーの興味は、人間の暮らしというよりは、幾何学的なものや静かでいて神秘的なものに存在したことは明らかであるが、この 1946年作の「画廊」で彼はさらに大胆な視覚の冒険を行っている。彼の作品にしばしば登場するペルシャ神話の人面鳥 (シームルグというらしい) が上下左右にとまっているが、さてこれは、どちらが上でどちらが下なのか。ありえない空間を演出する人面鳥は、なんとも神秘的。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_20521060.jpg
これは 1950年作の「対照『秩序と混沌』」。作者自身の言葉によると、「一分の隙もなくただ秩序だった美しい星型十二面体がシャボン玉のような透明な球体と合体し、その周りを廃物やくしゃくしゃのオブジェのような無用なものの集合で囲った絵画」とのこと。その通りなのだが、硬質で無機的な物体の周りを、何やら人間の活動の結果のような物体 (但し主体としての人間の姿は皆無) が囲んでいるというのは、ちょっとシュールな感じがする。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_20570816.jpg
立体と立体が組み合わさるタイプの作品も、エッシャーには多い。これは 1949年作の「二重の惑星」。無機的な構造物の中に爬虫類が何匹かいるのはすぐ分かるが、よくよく見ると、数ヶ所では人々が集まったり眺望を見ていたり、談笑していたりする。爬虫類の顔は描かれているのに、人の顔は描かれていない。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21031985.jpg
この 1952年作の「重力」になると、さらに大胆でダイナミックな構図になっている。様々な角度に顔や足を突き出す爬虫類は、ユーモラスでグロテスクで生命力がある。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21082237.jpg
この 1956年作の「版画画廊」になると、エッシャーのスタイルが完全に確立しているように見える。歪んだ空間を挟んで、左側では室内の額の中に収まっている版画は、右側ではギャラリーの屋外の風景になっている。中にいるのか外にいるのか分からない、不思議な空間のねじれ。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21103217.jpg
だがエッシャーの作品には、何か不思議な宗教性があるような気がしてならない。実際に若い頃には聖書を題材とした作品を制作していて興味深い。これは 1922年作の「小鳥に説教する聖フランチェスコ」。ちょっとドイツ表現主義を思わせるところがある。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21154588.jpg
また彼は 1925年に、天地創造の 7日間を描いた連作を発表している。これは第二日。ダイナミズムよりも、雨や海の形状の面白さを感じさせると思う。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21184574.jpg
これは天地創造の第五日。鳥と魚というモチーフは、彼が後年も頻繁に使用したものだが、ここでは変容する気配は未だない。海から陸にかけて横線が描かれているのも、水と空気の差異を認めていないようで面白い。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21245506.jpg
これは 1938年作の「バベルの塔」。ここでは未だエッシャー特有のねじれた空間は現出していないが、彼の指向する建物の形態や、版画の技術は充分に理解することができる。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21270497.jpg
この 1935年作の「地獄」は、若干変わった作品。もちろんこれは、奇想の画家ヒエロニムス・ボスの「地上の楽園」に登場する樹木人間。エッシャーがボスを模写していたとは知らなかったが、上記のレンブラント同様、自国オランダの生んだ偉大なる先輩画家に対する敬意も、そこにはあるだろう。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21293122.jpg
上述の通り、エッシャーはイタリア旅行で数々の作品を制作しているが、これは 1927年作の「ローマ、ボルゲーゼの聖獣」。前景の怪物と後景の雨降る街並みの間には何ら交互関係はないが、その点が面白い。彼が多くの作品で爬虫類やドラゴンのようなキャラクターを登場させるのは、ヨーロッパ文明の古い記憶によるものであろうか。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21321452.jpg
街を見下ろすのは不思議な存在の生き物かもしれないが、街中を歩き回って風景をエッシャーが捉えるときには、その風景はシュールなまでに無人。これは 1930年作の「スカンノの街路、アブルッツィ地方」だが、実はこの絵は全くの無人ではなく、真ん中奥と手前右側に、それぞれ腰かけた人物たちが見える。手前右側の人物は編み物をしているようだが、そこには人間的なものを感じさせる要素はほとんどない。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21381690.jpg
彼がものを「視る」目には、幾何学的な興味とともに、時に何か、人智を超えた存在への意識があるように思う。この 1931年作の「アトラニ、アマルフィ海岸」を見ていても、そんな思いを抱くのである。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21411284.jpg
この 1937年作の「静物と街路」は、手前の方が室内から見た窓際に置かれた静物かと思いきや、よく見ると前景と後景の間には切れ目がなく、つながっている。これもエッシャー特有のあり得ない空間なのだ。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21525464.jpg
これまで見てきた通り、エッシャーが人物を描くことは非常に稀なのであるが、若い頃には例外が結構ある。これは、左が「子供の頭部」(1916年作)、右が「赤ん坊」(1917年作)。未だ 10代の作であるので、描かれているのは息子ではない。もしかすると弟なのであろうか。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21554645.jpg
これが「自画像」(1917年作)。シルエットがスタイリッシュである。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_21593681.jpg
こちらも自らを描いたもので、「椅子に座っている自画像」(1920年作)。建築学を学ぶ学生であった彼は、ド・メスキータという師の影響で木版画を作り始めた。ここでの自画像は、何やら思いにふけっているが、それは自らの将来なのであろうか。エッシャーとしては異色の作品である。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22010516.jpg
これは「妻イエッタの肖像」(1925年作)。前年に結婚したばかりの妻の肖像であるが、浮かれたところのない作品であるのがエッシャーらしい。ほつれ毛やメランコリックな表情は、新婚のイメージとは程遠いものである。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22044650.jpg
その自分と妻をモデルにしたシュールな作品が、この「婚姻の絆」(1956年作) である。これ、リンゴの皮をむいたような構造であるが、よく見ると右の顔と左の顔は一本の帯でできている。なるほど、これが婚姻の絆であるのか。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22071749.jpg
人と人の出会いを描いたという点では、この「出会い」(1944年作) も同様。だが、ここでは黒い悪魔のような姿と、白い放心状態の人の姿が、球状の深淵から浮かび上がってきて、左右に回りながら交錯しあう。戦争がその創作活動に一切影響しなかったと見えるエッシャーであるが、ここには何か、形態の面白さ以上のメッセージがあるように思う。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22064648.jpg
エッシャーはまた、数々の広告も手掛けている。ただ、考えてみれば、1970年代まで生きた彼であれば、もっと大規模でモダンな広告への関与があってもよかったのに、ここ展示されていたのは、1930 - 40年代の小規模なものだけだ。これは 1944年作の「レストラン『インシュリンデ』のためのエンブレム」。漢字もあしらわれているが、これはハーグにあった中国・インド料理レストランのためにデザインされたもの。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22094561.jpg
これは 1920年作の「西部劇」。西部劇に見入る群衆がなんともユーモラスで、エッシャーのある一面を見ることができる。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22170434.jpg
この「水没した聖堂」(1929年作) はまた全く異なるタイプの作品で、抒情的であり空想的であり神秘的。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22181802.jpg
これは 1935年作の「写真球体を持つ手 (球面体の自画像)」。なんという視覚の冒険であろう!! 彼は本作の中央に位置する自分について、「彼がいくらよじったりひっくり返ったりしても、その中心点から逃れられない。彼のエゴはゆるぎなく彼の世界の核であり続ける」と語っている。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22195602.jpg
このような宿命論は、この「眼」という作品 (1946年作) にも如実に表れている。精密に描き写された右目の、その瞳の中には、なんとドクロが写っている。制作年を見ても、戦争の影響があると考えるのが自然であろう。彼に木版画を教えた師であるド・メスキータはユダヤ人であったため、家族とともにアウシュヴィッツに送られ、そこで亡くなったという。感情的なものをほとんど感じさせないエッシャーの作品には、人類が起こした悲劇への恐怖や怒りが秘められているということだろうか。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22235047.jpg
これは 1952年作の「水たまり」。同じ反射をテーマとしていても、上の作品たちとはまた違っていて、現実にありそうな、でもちょっと不思議な光景を描いている。濡れた地面にタイヤと靴の跡がつき、そこに溜まった水に木が反射している。丸く見えるのはもしかしたら月だろうか。もしそうなら満月だ。これは、満月に照らされた夜の光景ということになる。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22305719.jpg
さて、展覧会ではこの後はエッシャーの代表的な「錯視」を描いた作品の数々が展示されていた。もうあまり余分な感想は必要ないだろう。これは 1941年作の「トカゲモチーフの平面正則分割」。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22344639.jpg
これは「空と水 I」(1938年作)。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22363354.jpg
「循環」(1938年作)。うーん、面白い。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22371868.jpg
これは「階段の家」(1951年作)。この室内空間の捻じれは実に圧倒的なのであるが、ここで縦横無尽に歩き回っている六本足の虫は、Curl-up (日本語で「でんぐりでんぐり」とされている)。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22382410.jpg
この後は戦後に描かれたエッシャーの代表作群である。「描く手」(1948年作)。「相対性」(1953年作)。「ベルヴェデーレ (物見の塔)」(1958年作)。「上昇と下降」(1960年作)。「滝」(1961年作)。いずれもよく知られている。
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22410181.jpg
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22415705.jpg
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22424247.jpg
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22440905.jpg
ミラクル エッシャー展 上野の森美術館_e0345320_22450093.jpg
このように、上がっているのか下がっているのか、前なのか後ろなのか、表なのか裏なのか分からない階段や水の流れには、誰もが興味を引かれる。これだけユニークなスタイルを突き詰めた画家も、そうはいないであろう。だがその裏に、自分のスタイルを求めて試行錯誤する人間的な悩みや、戦争に対する怒りもあったものと思う。数々の作品を目にすることで、そのようなことを感じられたのは、実に貴重なことであった。それから、実はエッシャーは、意外な日本との縁があるのである。彼自身は来日したことはないはずだが、実は彼の父、ヘオルフ・アルノルト・エッシャーは 1873年から 5年間、日本に滞在していたことがあるという。明治政府が日本の港や水路を近代化するために招聘した「オランダの土木技師」のひとりであった。彼は日本での記憶を詳細に書き留め、息子とも共有したという。それをもってエッシャーの作品が日本的であると言う気はないが、高い版画技術を持っていた我が国の美意識が、どこかでエッシャーに影響を与えていたとしても、決しておかしくはない。そう考えると、日本でのこの展覧会には、さらに深い意味があると思われてくるのである。少なくとも、エッシャーがオランダ人であるということくらいは、これを機会に覚えておきたいものだ (笑)。

by yokohama7474 | 2018-08-19 22:56 | 美術・旅行