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特別展 縄文 1万年の美の鼓動 東京国立博物館

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先に採り上げた「ミケランジェロと理想の身体」展は、このブログにしては珍しく、展覧会の会期中に記事をアップすることができたものであった。そうなるとやはり、今後もなるべく展覧会の記事は早くアップしたいという思いが強くなる。そして、そういえば未だ記事を書いていない展覧会が幾つかあるなと思い、これを採り上げることにした。この展覧会も、未だ会期期間中である・・・但し、今日 (9/2 (日)) までだ。しかも東京展のあと巡回があるわけでもない。そうなると、私はこの記事をご覧頂く方々に対してかなりの不義理をしているように感じてしまう。本当に申し訳ないと思いながら、一方では、この展覧会はかなり宣伝もしていることだし、テレビで紹介されたりもしているので、興味を持たれる方は既に観覧済ではないか。そう開き直り、ここではこの貴重な展覧会を徒然に振り返ってみたい。

これは、縄文時代の出土品を大量に集めた展覧会である。展示品の出土地は北海道から鹿児島に及び、国宝に指定された縄文時代の作品 6点が初めて勢揃いするほか、重要文化財は実に 63点。これだけの規模での開催は、恐らくは初めてのことだろうし、今後もいつまた望めるか分からない。その意味ではなんとも貴重な機会なのである。そもそも縄文時代に対するイメージは、私などが子供の頃は、弥生文化によって稲作が始まる前の原始的な時代というものだったと思うが、その後発見・研究が進み、また、美学的な見地からも様々な価値観が語られるようになったことで、縄文文化自体への認識が変わって来ていると思う。たまたま今日の日経新聞にも、DNA 分析から、縄文人は東南アジアから入ってきたらしいという記事が掲載されていたし、先日 NHK でも同様の番組を放送していた。この国は、東側は大海原なので、南か西か北から人々が入ってきたに違いないのだが、それでも、日本は本当に東の果てにある土地なので、我々の祖先たちは相当苦労をしてやって来たに違いない。そのような、移動の東の終着点で独自に花開いた文化について知ることは、日本の文化の原点を知ることである。上のチラシにある通り、「ニッポンの、美の原点」である。さて、一口に縄文時代と言っても、大変に長く、展覧会の副題にある通り、1万年ほども続いたのである。始まりは約 1万3000年前、氷期が終わって温暖化が進んだ頃。終わりは、弥生時代が始まった、紀元前 400年頃。だから、ちょうど世界各地で最初の文明が現れた頃、日本ではこの縄文文化が栄えたことになる。もちろん、エジプトやメソポタミア、あるいはギリシャなどと比べると、ダイナミズムはないものの、特筆すべきはやはりその美的感覚ではないだろうか。世界のほかの場所にはないユニークなデザインの数々を見ることで、実際に日本における造形感覚の原点を知ることができる。その意味で、縄文の代表選手たちは、この 6点。
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これは何かというと、現時点で国宝に指定されている縄文時代の出土品である。1つだけ火焔型土器、ほかの 5体は土偶である。これらを含む展示品を以下に見て行こう。これが最初の展示品で、縄文時代草創期の「微隆起線文土器」。青森県、津軽半島の六ヶ所村表館遺跡というところからの出土品である。高さ 30cmほど。極めてシンプルだが、きっちりと線で模様をつけようという感性が面白いではないか。実用においては、そんなものはなくてもよいはずなのに。私など、まるで近世の茶碗を見るように、「うーん、景色がいいねぇ」などと言いたくなってしまったものだ。
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これも縄文時代早期の作で、図録には「縄文世界、初めての壺形土器」とある。重要文化財に指定されている。これも東北の出土品と思いきや、全く違っていて、なんと鹿児島県霧島市の上野原遺跡から出土品。つまり、縄文時代の初期から日本列島には、北から南まで人々が暮らしていて、独自の文化を築いていたということである。日本はさほど広くないとはいえ、青森と鹿児島は、現代の感覚でも充分遠い。人間ってすごい。
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さらに驚きは、これである。なんとこれは、漆器なのである。こんな時代から日本では漆工芸の技術があったということである。英語で漆器のことを "Japan" というと昔習ったが、それ自体はあまり実際に使われる用語ではないようだとはいえ、日本の漆工芸の歴史がこれだけ古いと知ることには、大いに意味がある。この「漆塗彩文鉢形土器」は、紀元前 4000~3000年頃、縄文時代前期の作品と見られていて、山形県の押出遺跡という場所から出土した重要文化財である。
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これはそれよりも 1000年ほど後のものかと言われている、群馬県高崎情報団地遺跡出土の、「漆塗彩文浅鉢形土器」。食物を盛った器と言われているらしいが、当時の暮らしは我々が思うよりもカラフルであったようだ。
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これは、縄文時代のポシェットである。木製の編籠で、有名な青森県の三内丸山遺跡から出土した重要文化財。なんと気の利いたことに (?)、中にはクルミの殻が残されていたという。何千年も後世の人間がそんなものを発見するなんて、当時の人は思いもしなかったに違いない。縄文人に対する親近感が沸いてくる。
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装身具をいくつか。これは、埼玉県桶川市の後谷遺跡出土の。漆塗の櫛で、やはり重要文化財。縄文時代の櫛は、もともとは死者を飾るものであったものが、時代とともに櫛歯数が増えて、動いても落ちにくいものとなったことから、生者が髪に差すようになっていったと見られているらしい。
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これは耳飾り。しばらく前に千葉県の加曾利貝塚でも同様の出土品を見たが、これは耳たぶに穴を開けて、徐々に大きなものをつけられるようにして行ったと考えられている。縄文人は大変におしゃれであったわけである。左上の複雑な模様のものは東京都調布市の下布田遺跡、その他は群馬県茅野遺跡からの出土品で、いずれも重要文化財である。
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少し縄文土器を見てみよう。これは、山梨県甲州市の安道寺遺跡出土の「深鉢形土器」。縄文中期、紀元前 3000~2000年頃の作と見られている。それにしても、この曲線の異様なうねりは、一体どこから来たものであろうか。
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そもそも、いわゆる美術史以前のこの時代の土器を文化財指定するようになったのは比較的最近のことである。実は以下が、縄文土器としての重要文化財指定第 1号。なんとそれは、1953年のこと。「注口土器」2件のうち、これは茨城県稲敷市の椎塚貝塚からの出土品で、現在では兵庫県西宮市の辰馬考古資料館の所蔵。落ち着いた色といい、不思議な模様といい、存在感がありますな。
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これは長野県の川原田遺跡出土の、重要文化財「焼町土器」のひとつ。焼町 (やけまち) 土器とは、群馬県西部から長野県東部にかけての千曲川流域に分布する縄文中期の土器群で、粘土紐の貼り付けによる立体装飾を特徴とする。この展覧会では、世界のほかの地域の土器も参考資料としてあれこれ展示されていたが、このような手の込んだ形態のものは日本にしかない。まさに縄文の炎の芸術である。
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そしてそのような縄文土器の究極の美を見ることができるのがこれだ。新潟県十日町市の笹山遺跡出土の「火焔型土器」。冒頭に掲げた、縄文土器として唯一の国宝である。周囲を何度も回って飽かず眺めてしまったが、なんという素晴らしい造形であろうか。堂々たる風格の土器である。
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それではここから、国宝土偶 5体を見て行くこととしよう。それぞれにあだ名がついていて面白い。まず最初は、国宝土偶第 1号 (1995年指定) で、長野県茅野市の棚畑遺跡出土の「縄文のビーナス」。どうやら妊婦を表したようであるが、そのモデリングのユニークなこと。安産とか子孫繁栄という思いはもともと込められているのだろうが、作り手は、かたちとしての面白さを知っていたとしか思えない。
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次の国宝は、山形県舟形町の西ノ前遺跡出土の「縄文の女神」。高さ 45cmは、現在までに発掘されている土偶で最も高いものだという。ここでは顔も手も抽象化されており、安定感のある両足には、横じまの装飾が施されている。なにか、芸術の芽生えを感じさせる土偶ではないだろうか。
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3つめの国宝土偶はこちら。これも長野県茅野市、中ッ原遺跡出土の「仮面の女神」。これはまた思い切った足の表現であり、顔には仮面をつけていて、呪術的な雰囲気を持っている。何かの儀式に使われたようなことでもあったのだろうか。
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4つめの国宝土偶は、青森県八戸市、風張 1遺跡出土の「合掌土偶」。うーん、この時代に既に祈りがあったということだろうか。股間には性器が刻まれているらしく、もしかするとこれはお産の様子なのでは、という気もするが、それにしてもこの顔。ここには、人間の顔をリアルに写し取るという感覚はなく、やはり何か呪術的なものを感じさせる。
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そうして、国宝土偶の最後は、北海道函館市、著保内野遺跡出土の「中空土偶」。その名の通り、頭から足先まで、内部が空洞になっているタイプの土偶である.肩が張っていて、なかなかに凛々しい。北海道唯一の国宝であるらしく、その顔も誇らしげに見えるではないか。
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このような国宝土偶を見ていると、日本人特有の「人のかたち」への根源的な興味を感じる。常々このブログでも唱えている通り、日本は古代から素晴らしい彫刻の数々を作り出してきた。もちろん、建築とか絵画とか工芸でも、日本独特の高い技術はそれぞれに存在すると思うが、彫刻の場合には、なんらかの理由で人間の似姿を表現するわけで、そこにはやはり、人々の日常生活と一体化した祈りの感情が関係して来るものと思う。その意味で、これら、世界に例を見ない土偶の数々は、もしかすると其の後の日本の宗教彫刻の流れにつながっていく要素を持っているのではないかと思う。ひいてはそれが日本人のフィギュア好き、アニメ好きという感覚とも通底しているのではないか。そのような観点でほかの展示品を見て行きたい。これは青森県の三内丸山遺跡出土の重要文化財「板状土偶」。まんまるに口を開いた十字架型の土偶である。一体何を叫んでいるのだろうか。実は帰宅してから気づいたことには、私は 15年ほど前に三内丸山遺跡を訪れたとき、この土偶をもとにしたフィギュアを購入。今でも我が家の特別展示コーナー (?) に鎮座ましましている。
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これは山梨県南アルプス市、鋳物師屋遺跡出土の重要文化財「ポーズ土偶」。顔の特異な表現も印象的だが、左手の巨大な指 (三本?) のデフォルメぶりは、マンガ風ですらある。
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これは有名な「ハート形土偶」。群馬県東吾妻町出土の重要文化財である (右下の小さい写真は、同じ土偶を斜め後ろから写したもの)。これはもうどう見ても、アートとして作られたとしか思えない。なぜに顔がハート形 (笑)。戦時中の道路工事で偶然に発見されたもので、石組遺構の中に納められたかたちで発見されたという。やはり何かの呪術と関係しているのだろう。が、それにしても可愛らしい。
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これはもしかすると、日本で最も有名な土偶ではないか。青森県つがる市の亀ヶ岡出土で、現在は東京国立博物館所蔵の重要文化財「遮光器土偶」。よく、宇宙人来訪の証しなどという説を耳にしたが、そう思いたくなるほど、人間の姿をリアルに写そうという姿勢が感じられない。実に謎めいている。
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これは、その遮光器土偶のあとの時代に東北で作られた「刺突文土偶」。秋田県湯沢市の出土品である。何やら、ラテンアメリカの彫刻を思い出させるようなイメージではないか。
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これは弥生時代に入ってからのものであるらしいが、茨城県筑西市の女方遺跡出土の「顔面付壺形土器」。土偶の系統を継ぎながら、これは死者の骨を収める容器であると見られているらしい。こうなると今度はメソポタミア風と言いたくなるではないか。なんともユニーク。
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これは土器ではなく、石を刻んだもので、岩偶と呼ばれるものらしい。秋田県の白坂遺跡出土の、その岩偶頭部であるが、これは明らかに笑った顔である。
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ところで歴史好きならこれを見て、何かを思い出さないだろうか。そう、奈良・飛鳥に数々残る謎の石造物、特に、吉備王姫墓にある猿石である。これら飛鳥の石造物の数々は、製作年代も由来も皆目分からない謎だらけの造形物なのであるが、もしかすると縄文時代晩期の石造彫刻にヒントを得て作られた・・・などということはないだろうか。下の写真がその猿石。またいずれ、飛鳥謎の石造物回りをして、記事を書いてみたい。
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さて、「縄文」展に戻ろう。これも衝撃の造形で、「人頭形土製品」。千葉県成田市の南羽鳥中岫 (みなみはどりなかのごき) 遺跡出土の重要文化財である。何が衝撃かというと、これは明らかに死者の顔を模したもの。これまでに散々見てきた、リアリズムを離れたデフォルメされた人間表現とは全く正反対で、見ていてぞっとするような、死という逃れられない運命がただそこに黙して存在しているようだ。縄文時代前期の古いものであるというが、その時代にもやはり、何かの神秘に打たれてこのような特異を造形をする、天才的な人物がいたということか。
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上で見た通り、土偶には仮面をつけたものもあるので、何か仮面を着用して行う儀式は当時からあったのであろうが、以下に見るのは、その仮面の耳や鼻や口といった粘土製のパーツである。岩手県北上市の八天遺跡出土の重要文化財。なぜ人間は、仮面をつけて儀式を行うのだろうか。人の顔の構成要素のパーツには、それだけで呪術性が伴って見える。
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縄文の人たちが残した造形は、人間だけではない。世界のほかの土地でもそうであるが、動物たちを表した土製品が出土していて、面白い。以下、犬 (栃木県藤岡神社出土の重要文化財)、鳥形把手付鉢形土器 (石川県能登町、真脇遺跡出土の重要文化財)、猪 (青森県弘前市、十腰内 2遺跡出土の需要文化財)。
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ところで、会場で見かけたこの土偶 (横浜市稲荷山貝塚出土)、何かを思い出させないだろうか。
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そう、もちろんこれ、1970年大阪万博の際に作られた、太陽の塔である。
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誰もが知る通り、この太陽の塔は、洋画家岡本太郎の設計になるもの。実は、これもよく知られていることだが、縄文土器の凄まじくも逞しい表現力を高く評価したのは、岡本であった。彼が縄文土器と出会ったのは 1951年、場所はこの東京国立博物館であったそうだ。今回の展覧会の出口近くには、そのときに実際に太郎が目にした土器・土偶と、彼がそれを撮影したモノクロ写真とが並べて展示されていた。そのコーナーのみは来訪者も写真撮影が認められていたので、私がスマホで撮影したのが以下の写真。
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岡本太郎が衝撃を受けてから既に 70年近い歳月が経とうとしているわけで、その間に縄文時代について様々なことが分かってきているわけであるが、分かれば分かるほどに、その衝撃は深まるとも言えるだろう。これだけの数の縄文時代の遺品が一堂に会したからこそ、これまで見えなかった日本人の美意識の源流といった要素に気がつくことのできる、大変貴重な機会となる展覧会であった。

by yokohama7474 | 2018-09-02 15:45 | 美術・旅行