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川村湊著 : 闇の摩多羅神

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摩多羅神 (またらじん) という神様の名前を聞いて、「あぁ、あれか」と思う人はどのくらいいるだろう。八幡神とか天神とか、あるいは七福神 (全部言える人はあまり多くないかもしれないものの) なら、知らない人の方が少ないだろうが、さて、マタラジンとなると、その知名度は非常に低いに違いない。この書物はそのマイナーな神様の正体に迫ろうという内容である。まあ、正体も何も、この神が謎の神であると知らなければ、そもそもその正体にも興味を持つわけがないので、この本を手に取る人の数は、正直それほど多いとは思われない (笑)。だが、この本の副題は「変幻する異神の謎を追う」とあり、オビには「究極の絶対秘神!」などとセンセーショナルな文字が踊っていて、このあたりがもしかすると、知的好奇心旺盛な人にはアピールするポイントになるかもしれない。かく申す私は、このブログで既に、記憶にある限り 2回、この神の名前に触れている。一度は、京都・太秦の広隆寺及び大酒神社を訪れたときの記事。もう一度は、島根県安来市の清水寺を訪れたときの記事。後者において私は、この本の表紙の写真を掲げて、「私はちょうど今、この本を読みかけであるので、この神について何か分かったらまた報告します」と書いている (今年の 7月 4日の記事)。そう、私は約束を守る男なので (?)、しばらく前に読み終えたこの本を、このあたりでご紹介したいと思い立った次第である。

さて、私がこの謎の神の名を初めて聞いたのは学生時代。それは、この祭に関しての記述であった。
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これは、京都・太秦の大酒神社 (もともと広隆寺に属していた) の奇祭、牛祭りである。私は実際に見たことはないが、上の写真のごとく、奇妙な紙の面をつけた摩多羅神が牛に乗って練り歩くというものらしい。その由来ははっきりしていないらしく、それゆえこの摩多羅神は謎に包まれた神なのであると、私の中では整理された。その後、「怪」という雑誌 (いかがわしいものではなく、水木しげるや荒俣宏、京極夏彦といった錚々たる面々が執筆していた立派な「怪」に関する雑誌) でこの祭が特集されていて、誰の書いた記事であるかは記憶がないが、「摩多羅神、マダラシンは、ミトラ神だったのだ!!」と書いてあったのが鮮烈に印象に残っている。ミトラ神はゾロアスター教の神であり、このペルシャの拝火教が日本にまで伝播しているという壮大なイメージは、なんともワクワクするようなものだ。もちろん、調べてみるとこのミトラ (ミスラ) 神は中東に発してインドや、ギリシャ・ローマにも伝えられているようなので、いかにユーラシア大陸が広いとはいえ、東の果ての日本にまで伝播していたとしても、あながち荒唐無稽な話ではない。このゾロアスター教と古代日本の関係については、松本清張も仮説として唱えていたし、世界史的なダイナミズムのある話なので、私のお気に入りの話題なのである。もちろん史実であるか否かは、学問的な研究が必要であり、現在の歴史研究でそのあたりがどう評価されているのかは分からないが、さしずめこの本などは、専門的な歴史書ではなく、一般書なので、人間の歴史のダイナミズムへのイメージを膨らませるための読み物と割り切って読むべきだと思う。

ここで展開されている論説は、あれこれの引用や実地調査によってちょっと複雑になっており、とてもここに要約することはできないし、そもそもそれがこのブログの使命であるとは認識していない。ただ、私が以前、牛祭りを巡って抱くことになった「謎の神」というイメージよりは、この摩多羅神の正体を考える材料は意外と多いのだなということが分かった。つまり、牛祭りに登場する以外にも、この神の名前は様々な古文書にて言及されていて、かつ、祀られているケースもそれなりにあるのである。彫像としては、まず、私が先に対面した安来市清水寺のもの (10年ほど前に発見。1329年作) が大変に貴重。
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実は摩多羅神の彫像としては、これ以外にも平泉の毛越寺や奈良の談山神社 (こちらは面のみか?) に祀られているらしい。いやいや、それだけではない。久能山東照宮 (お、ここも以前訪問して記事を書きましたな) は、現在でこそ祭神は徳川家康のみであるが、神仏分離前の祭神は三柱で、それを東照三所権現といったらしい。その三所権現とは、東照大権現、山王権現、そしてなんと、摩多羅神であったのだという!! これはなんとも意外ではないか。つまり、徳川幕府が信仰を奨励した三人の神のうちのひとりが、謎に包まれたこの摩多羅神であったとは。実は日光の輪王寺には、やはりこの神が祀られているという。
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これは常識に属することだと思うが、徳川幕府が強く結びついていた仏教の宗派は、天台宗。実はこの摩多羅神はもともと、天台宗第 3代座主 (ざす) であった慈覚大師円仁 (794 - 864) が唐からもたらしたものだという。そして、阿弥陀経の守護神とされ、念仏を唱える道場である常行三昧堂の裏側に祀られ、「後戸の神」と呼ばれたという。このような、踊る童子たちを引き連れ、快活に笑っている画像例はいくつかあるようだ。
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さぁ、こうなると、江戸時代にはそれなりの認知度のあったはずの神様が、なぜに「謎の神」となってしまったのか、不思議である。上記の通り、「後戸の神」として人の目に触れないうちに、本当にその存在が忘れられていったのかもしれない。本書においては、そのような存在が忘れられて行った神の記録を様々に調べることで、ほかの神との混淆などにも踏み入って行く。正直なところ、そのあたりの論説は理路整然というよりは、材料を見つけたら好奇心に駆られて深追いしているようにも思われ、すべての説に読者がついて行くことは、なかなか難しいだろう。古い文章の引用も、そのままではなかなか意味が分からない点も多く、そのあたりは少し残念にも思われた。ただその一方で、よくあるトンデモ本のようなこじつけや論理の飛躍はなく、飽くまでも著者が真摯に謎の神の実像に迫ろうとしている点には、好感が持てる。読み終わっても、摩羅羅神がミトラ神なのか否かは、ついに判明しなかったが (笑)、歴史の中では神様にも栄枯盛衰があるということは実感できて、大変面白かった。日本の歴史にはまだまだ、埋もれた興味深いネタが沢山あるように思う。

作者の川村湊は、歴史学者や宗教学者ではなく、文芸評論家である。1951年生まれなので、今年 67歳。古典文学や日本の伝承をテーマにした作品だけではなく、最近では原発を巡る著作もあるようだ。あるいは、「村上春樹はノーベル賞をとれるのか?」という新書もあるらしい。だが私としては、本書の流れで、次はこんな本を読みたいなぁと思っている次第。読み終わったら、また報告します!
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by yokohama7474 | 2018-09-06 00:40 | 書物