川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

横尾忠則 画家の肖像 横尾忠則現代美術館

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このブログでも採り上げた、佐渡裕が西宮で上演したウェーバーの歌劇「魔弾の射手」を鑑賞するために関西に赴いた際、是非見に行きたい場所があった。それは、神戸市にある横尾忠則現代美術館。今年 82歳という年齢でありながら精力的な活動を続けるアーティスト、横尾忠則については、今さらここでご紹介するまでもないだろう。いかにも昭和なイメージのキッチュなポスターの数々でイラストレーターとして名を上げた彼は、1980年代に画家宣言をして、さらにその活動の幅を広げたのである。その作品には、様々な過去の偉大な画家たちの作風のエコーがあったり、精神世界に入って行く雰囲気も濃厚で、誰もが一目見れば彼の作品と分かる点、明確な個性を持った創造活動を行っているわけである。これは「芸術新潮」誌の今年の 3月号の特集に関して撮られた、香取慎吾との写真。
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私自身の横尾芸術へのこだわりは、実のところさほど熱狂的なものとも言えないのであるが、それでも彼の作品に漂う雰囲気には、いつも何か気になるものがある。もし記憶が正しければ、もう 20年ほども前だろうか、ラフォーレ原宿だったと思うが、横尾の展覧会を見たときに、鮮烈に感じたことがある。それは、この画家の場合、他人の作品を交えずに、単独の展示を行う場が恒常的にできれば面白いだろうな、ということであった。さらに言うならば、それは普通の美術館ではなく、横尾教の信者のみが入ることを許される、神殿のような施設であるべきだ。私がなぜにこのような思いを抱いたのか分からないが、彼の作品の数々を見て行くうちにそう思ったことは鮮明に覚えている。そして、2012年、実際に彼の作品だけを展示する横尾忠則現代美術館がオープンしたのである。もちろんここは宗教施設ではないが (笑)、ある意味では私がぼんやりとイメージしていたものに近い存在であるように思う。横尾は兵庫県西脇市というところ (海沿いの神戸からは随分と北上した、兵庫県中部) の出身であるが、神戸新聞勤務の時代があるというゆかりによって、この美術館は神戸に作られた。実はこの建物、1982年竣工の、兵庫県立美術館の分館を改修したものだというが、設計はあの村野藤吾である。
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私がこの美術館を訪れた際には、ちょうど「画家の肖像」という展覧会が開かれていた。横尾は多くの作品に自分の顔を入れていて、この展覧会では、そのような作品を中心にした展示であったが、まあ、特にテーマがあるようにも感じられず、要するに横尾のアートを堪能する場であったと割り切ればよいものと思う。これは、1965年という若い頃の作品で、「TADANORI YOKOO」と題されている。クライアントのいない、自分自身のための自主制作であるらしいが、真ん中で首を吊っているのは横尾自身。また、左下の赤ん坊もきっと彼だろう。その意味で、横尾の自画像の出発点と言える作品である。これはもう既に横尾忠則以外の何物でもない。
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これは 1969年制作の「オペラ横尾忠則をうたう」というアナログレコードである。私はやはりアナログレコードで音楽に親しんだ世代なので、このような昭和の雰囲気のレコード (そう、デジタルは未だなかったので、「アナログレコード」とは呼んでいなかった!!) には、心震えるものがあるのである。この写真の左下で横尾の右側に写っているのが高倉健であることはすぐに分かろうが、私が興味を持ったことには、この「オペラ」の作曲者は、あの一柳慧なのである!! オノ・ヨーコと別れた 7年後である。
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横尾の作品には、過去の芸術家へのオマージュというか、その作品のコラージュというか、ある場合には剽窃すれすれとも思われかねないものが時折あるが、これは時代が下って2001年の「ロシアの芸術家、アレクサンドル・ロトチェンコ」。最近ではあまり見かけないが、私が若い頃には、いわゆるロシア・アヴァンギャルドや構成主義の展覧会が何度か開かれ、ロトチェンコはその中では結構メジャーなアーティストであったので、この YokoOOOOO さんの作品には大変親近感を覚えるのである。
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これは横尾の自画像をテーマにした展覧会であるゆえ、これまでに掲げた 3作品はいずれも自画像を含むものであったが、この 1982年の「画家の自画像」はその題名通り、画家宣言をした横尾の、ある種の決意を感じさせるものである。この赤は上の作品のいずれにも見られる横尾のシグニチャーと言える色であり、その中に描かれた自身の顔は、宙に浮かんだようにも見える。そう、あの霊的存在であるエクトプラズムを思わせるではないか。
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そのものズバリ、「Ectoplasm」と題された 1985年の作品がこちら。明らかに上の自画像と同系統の作品であるが、ここでは横尾自身がエクトプラズムを鼻から出している。このヘタウマ感覚が、その後の「画家」横尾忠則の作品を貫くトーンとなって行く。
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尚、私のような怪奇好きには常識であるが、この作品の元ネタは、メアリー・アン・マーシャルという霊媒が鼻から出したエクトプラズムの写真。真ん中に写っているのは、自身心霊研究にのめり込んだ、シャーロック・ホームズの生みの親、アーサー・コナン・ドイルであるとされている。うーん (笑)。
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ちょっと毛色の違う作品もあって、これは 1982年の「ヤレヤレ」。画家宣言後の最初の個展に展示した大作の下絵であるらしい。完成作品は存在しないらしいが、鏡を使って複数の自画像を描く試みである。この細い線と寒色系の色に依拠した作品は、下絵ゆえのユニークさなのかもしれない。
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これは 1985年作の「Greco's Madonna」。元ネタはエル・グレコの「オルガス伯の埋葬」。スペイン・トレドのサント・トメ教会に展示されており、この画家の紛れもない最高傑作のひとつだと私は思っている。私はもう 20年ほども前になるが、実物をトレドまで見に行き、その前で、しばらく動けないほどの感動を味わったものだ。原画と比較してみて下さい。私の解釈では、ここで (あるいはほかの同系列の作品で) 横尾が表現したいのは、美術の持つ力をキッチュなかたちに翻案して現代の人々に指し示すことではないだろうか。一方でそこには、過去の巨匠たちの時代のように純粋な態度で絵画作品を描くことができなくなっている現代の様相も、リアルに表れているように思う。
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同系統の作品で、1991年作の「受胎された霊感」。もちろん、あの有名なフラ・アンジェリコの「受胎告知」が元ネタである。私も書斎に、この絵画の写真を額に入れて飾っているのである。
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横尾が題材として使っているのは西洋絵画ばかりではない。この 1994年作の「ニューオーリンズからの使者」には、曽我蕭白からの引用がある。松阪市の継松寺所蔵の「雪山童子図」。蕭白は狂気を孕んだ奇想の画家で、私も大好きだが、それにしてもこのニューオーリンズからの使者たちは、ジャズ発祥の地ニューオーリーンズというよりは、太平洋の島あたりから旅立って "TOKYO" まで行進しているようで、それこそ蕭白の狂気を集団で具現しているかのようだ。
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かと思うとこれは、おっと黒澤映画である。1994年作の「わが青春に悔いなし」で、この題名は黒沢明の戦後初 (1946年) の作品から来ているし、この女性は誰がどう見ても原節子なのであるが、横たわっている藤田進の顔は、まるで素人が描いた人形のように (笑) 手抜きである。
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コラージュ系の作品にはほかにも、ピカビアやコクトー、デュシャンやマン・レイ等々、私としてもいろいろと語りたくて仕方がない芸術家たちの作品が題材になっているが、きりがないので、少し違ったタイプの作品を採り上げよう。1998年作の「想い出と現実の一致」。大きな座敷の向こうに景色が広がっているという構図は、浮世絵にもよくあるが、ここでは、呉服商を営んでいた横尾の養父の行商先の風景を描いているらしい。リアルな昔の日本人の姿が生々しく立ち現れているだけでなく、中空には地球とおぼしき星が浮かび、右端にはバルテュス風の若い女性がいて、なんともシュール。縁側に立っている少年は、4歳頃の横尾自身の写真から描き起こされている。
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自画像を頻繁に描く画家には、何か自分の存在を記録したいという欲求があって、その反動で自らの存在を否定したくなる瞬間があるのだろうか、と考える。例えばこの 2000年の作品「お出かけは自転車で」には、夥しい枚数の写真が左側に貼り付けてあるのだが、それはことごとく自分の写真。アトリエに向かう姿 (自転車に乗ることが多い) を毎日記録したらしい。ある種の偏執狂的な遊びであり、毎日の記録という行為が芸術家を惹きつけているものと思う。
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これは 2003年作の「友の不在を思う」。故郷の西脇市を通る線路の上空に、亡くなった同級生たちの顔が浮かんでいる。不気味なようでいて、またどこか平和で静謐な風景ではないか。横尾自身の顔は、線路脇の塀に赤い色で描かれている。
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これは同じく 2003年作の「いつか観た時代劇映画」。これには元ネタがあるのか否か分からないが、妙にリアルな真ん中の親子は、横尾とその父親だろうか。手前の侍の顔が落書きのようになっているのも、上の「わが青春に悔いなし」と通じる雰囲気で、なぜかしら懐かしい。
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これは 2007年作の「想い出劇場」。山梨県の石和温泉の光景であるらしい。手前右側には三島由紀夫文学館のポスターがあり、またよく見ると、真ん中の建物のバルコニーには、切腹前の演説姿の三島がいる。面白いのは手前に見える救急車で、これは実際に横尾が旅行中に救急車で搬送された思い出に基づくもの。運転しているのは、横尾が敬愛するシュールの画家、キリコである。なるほどこの作品はキリコ風である。
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若い頃からの横尾の作品の数々を見てきたが、会場には近年の作品も展示されていた。これは、2015年作の「Self-portrait」。展覧会のポスターにもなっている作品だ。この年横尾は、原因不明の難聴を起こしたらしい。不思議に印象に残る作品。
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さて最後は、今年 2018年の作品で、「T + Y 自画像」。その名も Tadanori + Yokoo の自画像であろうし、ここにはどこか、画家としての矜持が見られると言っていいような気迫すら感じる。80を過ぎてなお旺盛な制作意欲を維持している横尾らしい作品だと思う。その一方、面白いのは、顔の左側に、首つり用の紐が見えることだ。この記事で最初にご紹介した作品は、今から 50年以上前に、横尾自身がやはり首を吊っている姿をモチーフにしていた。この自死への意識は、芸術家には珍しくないとは思うが、横尾の場合はそれを創作の原動力としているのであろうか。自らが作品の中で一貫して描いてきた登場人物である自分自身と深く向き合い、いつかその対決に終わりの来る日を見つめているのかもしれない。
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そんなわけで、初めて訪れた横尾忠則現代美術館は、私がかつて夢想したような、神殿としての個人美術館というものではなかったにせよ、ひとりのアーティストの活動の変遷を知ることのできる興味深い場所であった。実は後で知ったことには、横尾の出身地である西脇市にも、彼の美術館があるらしい。それは岡之山美術館といって、1984年開館というから、この神戸の美術館よりもずっと古い。設計は磯崎新で、ここには瞑想ルームもあるというから、より神殿に近い存在なのかもしれない。是非一度訪れてみたいものだと思っている。

by yokohama7474 | 2018-09-15 00:40 | 美術・旅行 | Comments(0)
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