川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

茨城県旅行 その 1 那珂市 (那珂総合公園、一乗院毘沙門堂)、五浦 (天心遺跡、天心記念五浦美術館)

8月下旬のある日、家人とともに茨城県に出掛けた。我が家ではこれまでも、水戸に音楽や美術を楽しみに行ったり、あるいは偕楽園を見に行ったり、あるいは大洗海岸、あるいは袋田の滝、そしてこのブログでも採り上げて、なぜか今でも沢山アクセスのある桜川市の即身成仏などを見に出掛けたりはしていた。だが今回はちょっと趣向が異なる。家人と私がそれぞれに興味ある分野を出し合って妥結した今回の行き先は以下の通り。
1. 那珂市のひまわり群生地
2. 五浦 (いずら) の岡倉天心関連遺跡
3. 牛久大仏及び牛久シャトー

まぁ、冷静にこのリストを見ると、なんじゃこりゃと思うようなものかもしれないが (笑)、それぞれに文化的興味を引く要素があるのである。その小旅行の内容を、2回に分けてご報告したい。ということで、まず何はともあれ、ひまわりである。
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今回私たちが訪れたのは、那珂市の総合公園という場所。ひまわりという植物は、ゴッホを例に挙げるまでもなく、暑い夏の盛りにその顔をかっと空に上げて、生命力を存分に発揮する。そのひまわりの群生地が、茨城県那珂市というところにあると聞いて、そこに向かったのである。但し、現地のひまわり開花情報があるようでなかなかなく、いつ訪れるのかについては若干検討を要したのである。その結果、この那珂市総合公園でひまわり祭なるものが開かれる翌日がよいだろうということになった。期待を込めて訪れた現地の様子はこんな感じ。
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何万本ものひまわりが植えられた一角が、「ひまわり迷路」と名付けられていて、訪問者は無料でこのひまわりの大群と出会うことができる。・・・ただ、どういうわけであろうか、期待に反してひまわりたちのほとんどは下を向いている。
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その後ひまわりの生育について調べてみたのだが、これが、既に上を向いてからうつむいたのか、あるいはこれからようやく上を向くのであるか、判然としない。もしかすると今年の夏は暑すぎて、ひまわりと言えども上を向く気力がなかったのか??? とも思ったのであるが、真相は不明である。だが、やはりこれだけのひまわりを見ることができるのは圧巻だし、そして何より、周りがうつむいていてもひとり毅然として正面を向いている奴もいて、やはり私も、社会の中でそんな人間でありたいと、決意を新たにしたものであった (?)。
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ひまわりを鑑賞したあと、高速に戻ろうとすると、何やら気になる看板が目に入った。そこには「日本一の毘沙門天」とある。全く知識はないが、これは面白そうだと思って近づいてみると、こんなお寺である。
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おぉ、これは新しいものであることは明らかだが、巨大な毘沙門天像が脇侍を従えて聳え立っておられる。高さ 16mという威容を誇り、晴れた空をバックにして凛々しいお姿である。これは、一乗院というお寺で、もともとは水戸城の鬼門よけとして佐竹氏、水戸徳川氏の篤い信仰を集めたところであるらしい。また、毘沙門天のみならず、不動明王の信仰も集めているようだ。
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ちょうどこの日は蚤の市が開かれていて、その出店を冷やかすのが好きな私たちは、あーだこーだと言いながら、気がつくと毘沙門堂の前に。お賽銭を入れて堂内に入ると、お、これはなかなか古い毘沙門天とその脇侍 (吉祥天と善尼師童子) がおられるではないか。「文化財指定」とあったので、県指定文化財なのであろうか。毘沙門さんは鎌倉時代の作とされているらしく、それなりに説得力がある。
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そう、屋外に立つ毘沙門天とその脇侍は、この古い仏様をモデルにしたもの。改めて正面に回ってみると大変堂々としているし、踏みつけられている邪鬼も愛嬌がある。また、毘沙門様の足元のお堂の中で、暗闇を辿って悟りの世界を至るというイヴェント感も、なかなかに捨てがたい。
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さて、那珂市を辞して次に向かった先は、北茨城市である。ここの五浦 (いずら) という場所には以前から行きたかったのだが、なにせ茨城県の北端、福島県との県境に近い場所であり、水戸からも 60kmほど離れているので、これまで果たせなかったのである。私がここに行きたかった理由はただひとつ。深く尊敬するこの人にゆかりの土地であるからだ。
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この人は岡倉天心 (1863 - 1913)。近代日本において、日本の美術とはなんたるかを、歴史的なものの評価と新しい芸術の創造の両面で打ち立てた人。アーネスト・フェノロサとともに日本の古美術の調査に乗り出し、また、東京美術学校 (現在の東京藝術大学美術学科) の初代校長として、横山大観、下村観山、菱田春草らを育てた人。だが彼には敵も多く、結局東京美術学校を追い出され、弟子たちとともに日本美術院を創設、数年後にはここ五浦に本拠地を移したのである。フランスの芸術村にちなんで、「日本のバルビゾン」とも呼ばれたらしい。現在では「天心遺跡」と名付けられた場所は、茨城大学の管理になっている。海沿いの風光明媚な場所であり、茨城百景のひとつに数えられている。
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門内に入ると、すぐ右側に、天心の彫像をいくつも作った大彫刻家、平櫛田中 (ひらくちでんちゅう) 手植えの椿がある。また、天心ゆかりの品を展示する記念館もあり、その前には、第二次大戦の際に京都・奈良を爆撃から守れと主張したとされる (最近では異なる評価もあるようだが・・・) ラングドン・ウォーナーの彫像もある。
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実は天心はこの場所の海に面した場所に、六角堂という小さな庵を立て、そこで接客をしたり瞑想にふけったりしていたそうであるが、2011年の東日本大震災のときに、その建物は無惨にも津波にさらわれ、跡形もなくなってしまった。天心記念館にはその復興を記録した写真展示がある。また、六角堂近くの屋外展示には、実に生々しい津波直後の写真が掲示されている。
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だが、この六角堂は流失のわずか 1年後、もと通りに再建された。これは、いかに天心を慕う人たちが多くいるかの証拠であろう。
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この場所に立ってあたりを見回すと、浅い岩場に面していて、水はきれいに澄んでいるが、浸蝕された崖はかなりダイナミックに見える。まさかこの場所が津波に襲われるとは。
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平地には天心が暮らした家が残されているのだが、その前にある案内板に、「津波到達点」の表示があって、自然の猛威を思わせる。ただ、平屋建てのその家屋は、昔の佇まいを今に伝えている。
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そしてその横には、このような大きな石碑が立っている。「亜細亜ハ一なり」と書いてある。私はこれを本で見たときに、「アジア、ハーッ!! ナリ」かと思って、なんでここでため息をつくのだろうと真面目に考えてしまったが、これは「アジアはいつ (=ひとつ) なり」という意味だ。でも実際、我々の隣にいた中年女性は、「『ハーッ!! ナリ』ってなんだろうね」と大きな声でおっしゃっていて、やはり誰しも思うことは一緒なのだと理解した次第でした (笑)。
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さて、この場所からほど遠からぬところに、天心の墓所がある。彼が葬られたのは東京の染井霊園であるが、ここ五浦の地に分骨されたらしい。だが行ってみてびっくり。このような土饅頭があるだけだ。何やら無常感を覚える。調べてみると染井霊園の一族の墓も、かなり質素なものであるようだ。潔さがある。
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さて、その後は、昔日本美術院が設置されたあたりにある、茨城県天心記念五浦美術館へ。
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ここには岡倉天心記念室なる場所があって、天心ゆかりの品があれこれ展示されていて、大変に興味深い。彼はもともと横浜生まれで、英語教育を受けて育った関係で、ボストン美術館 (国外の日本美術コレクションとしては世界有数を誇る) にも勤務して、美術における日本と米国の間の架け橋としての役割を果たしたわけである。日本が近代化に乗り出してすぐの頃にそのような人材に恵まれたことは、この国の美術界にとっては大変大きな意義があったものだと思う。ところでこの天心記念五浦美術館では、特別展も開催されているらしく、私たちが訪れたときにはこの展覧会が開催されていた。
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スズキコージの名はなんとなく聞いたことがあったような気がしたが、実際にその作品に接すると、その生命力に圧倒される。彼は 1948年生まれなので今年 70歳。正規の美術教育を受けておらず、歌舞伎町の路上でアート活動を始めたという人。日本の美術教育の創始者である岡倉天心とスズキコージの接点はあまりないようにも思うが、この場所で彼の個展が開かれているとはなんとも面白い。しかも「大千世界宇宙大爆裂展」とは (笑)。
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実はこのスズキコージ、絵本の挿絵やポスターなども多く手掛けている。私が見覚えがあるのは、エド・ウッドの特集上演のポスター。ちょっとマニアックかもしれないが、エド・ウッドとは、信じられない B級 SF 映画を沢山撮った監督で、ティム・バートンの映画もあった。
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それから面白いエピソードがひとつ。現地に向かう車の中で、チャイコフスキーの「雪娘」を聴いていた。これはロシア民話に基づく劇付随音楽だが、チャイコフスキーの作品としては人気がない。なるほど、こんな曲もあるわけね、と思っていたら、なんとスズキはその民話の挿絵を描いているではないか!! これも何かのご縁と思い、この絵本を買ってしまいました。
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そんなわけで、既にしてなかなかに盛りだくさんな文化の旅になっているが、この後に訪れた場所がまたすごいので、次の記事でそれを採り上げることとします。

by yokohama7474 | 2018-09-19 00:35 | 美術・旅行 | Comments(0)
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