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長野県 諏訪湖近辺 その 2 諏訪大社下社春宮 (万治の石仏)、おんばしら館よいさ、諏訪大社下社秋宮

前項に続く長野県岡谷市とその周辺の散策である。前回は近代製糸産業の遺産を見たが、実はこの地域には、太古から文明が存在していた。この地域は要するに諏訪湖の周辺ということになるが、このあたりには何やら、通常の日本的な古代文化と違う匂いがする。つまりは狩猟民族の匂いである。私は随分以前に、茅野市にある神長官守矢史料館というところに行ったことがあり、藤森照信設計のその建物に、古代人の野性の声を感じたものだが、今回はそこの再訪はならなかったのでここでの紹介は割愛する。またこの茅野市では、先に東京国立博物館で開催された縄文展に出展されていた国宝指定の縄文時代の土偶 5点のうち 2点が出土している。ここには何やら我々の未だ知らない壮大な古代史が眠っているように思う。・・・と書いて思ったが、岡谷だ諏訪だ茅野だと言っても、その位置関係が分からない人もおられようから、以下の地図を拝借しよう。ここに「四社」と書いているのは、総称して諏訪大社と呼ばれる神社のこと。実はこの神社、上社と下社があり、上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれていて、合計で 4つの社が存在するのである。この地図の通り、岡谷市は諏訪湖の北西の方角で、諏訪大社の下社はそのすぐ東隣。一方上社の方は諏訪湖の南東で、茅野市の近く。
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私は以前 4社ともお参りしたことがあるが、今回は時間の関係で下社のみの参拝とした。それには少し付随的な理由もあるが、それは追って説明することとして、まずは最初に訪れた諏訪大社下社春宮である。
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この諏訪大社の創建は不明だが、日本最古の神社のひとつと言われているらしい。このあたりも、畿内の神社や、あるいは関東でも香取神宮や鹿島大社なら古い伝承や記録がもう少しあろうものだが、この諏訪大社の場合はあまりそれもなさそうだ。このあたりの謎めいた感じについては、この神社と古代史を語る書物もあれこれあるので、それによって想像力を広げることが可能である。例えば、私の手元にあるのはこんな本。あながち荒唐無稽な本ではないように思うが、もちろん学術的に証明されるか否かはまた別の話。
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この場所の古代史の真実がどうであったにせよ、今我々がこの神社に詣でて感じるのは、聖なる場所に対する敬意であろう。拝殿と門を兼ねたような幣拝殿と、その左右にある片拝殿が、重要文化財指定。
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そして、その建物群の左右に聳える 2本の柱は、枝を取り払い、皮も剥いてある。なぜに加工した柱を立ててあるのか。
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そう。もちろんこれらは、この地方に伝わり、6年ごと (寅年と申年、数えでは 7年に 1回) 開催される天下の奇祭、御柱 (おんばしら) 祭で曳かれた柱なのである。前面の 2本以外に、どうやら裏にも 2本あるようだ。御柱祭は、この諏訪大社 4社の宝殿の建て替えとともに行われるようであり、すべての社に 4本ずつ、合計 16本の柱が立てられる。この御柱祭ではかなりの頻度で過去に死者も出ており、その荒々しさは本当に凄まじいものだ。クライマックスの木落としはこんな感じ。次回の開催は 4年後の 2022年である。
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この祭の荒々しさを思って御柱を見ると、何やら身震いしてくる。死者を出してまでも人々をこの祭の熱狂に駆り立てるものは、一体何なのだろうか。
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さてここで、この諏訪大社下社春宮を訪ねたひとつの大きな理由について書いてしまおう。これは、私が今回岡谷近辺に立ち寄ろうと思った大きな理由。20年ほど前に一度訪れて、再訪したいと強く思っていた場所なのである。当時私たちは、未だ赤ん坊であった愛犬 (3年前に天国に行ってしまったビーグル犬、ルル) を連れてここに来たのだが、その際の記憶の通り、この春宮の横手に小川があって、こんな赤い橋が架かっている。
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そのとき私たちのビーグル犬は、この橋を怖がって渡れなかったことを昨日のことのように覚えている。足元から下の川が見えていたからかと思ったが、そこは鉄板であり、実際には川は見えない。だが、川の流れの音は聞こえてくるので、動物は本能的にそれを恐れるのであろうか。・・・と、亡き愛犬を偲んでいると、こんな注意書きが。人のノスタルジーに水を差さないで欲しいが、まあこれも切実な問題なのであろうか (笑)。
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さてこの橋の先に私のお目当てがある。これだ。
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これは一体何かというと、万治の石仏である。万治 3 (1660) 年に作られたと刻まれている、高さ 2.7mの石仏。日本には様々な石仏があって、中には国宝指定されているものもあるが、これは文化財指定はない。それは、一見すると素人が彫ったとしか思えないその素朴さが、いわゆる美的な価値に乏しいと学術的には判断されうるからだろう。だがこの石仏、一度見たら絶対忘れないインパクトがある。巨石には申し訳程度 (?) の仏の体が浅い線で刻まれ、その上に単純な造形の顔がチョコンと乗っている。そして、顔の中にデンと構える三角形の鼻は、なんとも異国的。
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年号である万治ならぬ「卍」が彫られているが、よく見るとこれはかぎ型が逆で、ちょうどナチスのハーケンクロイツと同じである。よく見ると「万治」の文字も見えるが、写真に撮るとちょっと分かりにくいか。
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ぐるりを回ってみると、より一層奇異な感じがする。これはどう見ても、巨石に頭が生えている感じだ。
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この強烈な仏さまには、我々現代人が普段忘れているような生命力があるように思う。この奇妙な石仏の存在感を 1970年代に絶賛した人がいて、その人の名は岡本太郎。そう、彼はまた、縄文土器の生命力を見出した人でもある。数々の貴重な縄文時代の遺跡が残るこのエリアに、こんなに破天荒で面白いものが作られたのも、その土地の精霊のなせるわざか。このような岡本太郎の手になる石碑も建てられている。それにしてもこの字、太郎の絵画そのままの躍動感ではないか。
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万治の石仏と 20年ぶりの再会を果たし、駐車場に戻ろうとすると、こんな建物が目に入った。
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その名の通り (「よいさ」とは祭のときの掛け声か?)、御柱祭に関する資料館である。規模はさほど大きなものではなく、比較的最近できたものであろうと思って調べると、2016年のオープン。中には、木落としを体験できるアトラクションや、祭の様子を再現したミニチュアなどがあって興味深い。今回は時間がなくて、駆け足の見学になってしまって残念。
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そして最後に向かったのは、諏訪大社下社秋宮。ここの駐車場はこんなだだっ広いが、実はこの場所、昔は武士の居城のあったところらしい。霞ヶ城 (別名手塚城) といい、木曽義仲の家臣であった、手塚太郎光盛の居城であったという。この光盛は義仲に従って源氏方として戦い、平家方の斎藤実盛を討ったが、実は実盛はもともと源氏方で、義仲の命の恩人であったという話が、平家物語のひとつのエピソードとしてあるらしく、能の「実盛」にもなっている。
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さてこの秋宮も、春宮と佇まいはよく似ている。ここでは、巨大なしめ縄を持つ神楽殿、そして、春宮と同じ幣拝殿と左右片拝殿が重要文化財。
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そしてここにも、御柱が屹立している。
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この諏訪湖近辺の土地は、日本の中でも有数の謎めいた場所であるように思われる。また機会があればさらに探訪してみたい。

by yokohama7474 | 2018-09-22 23:57 | 美術・旅行