それにしても、ヤルヴィと N 響は相変わらず好調だ。例えば「フィンランディア」はもちろんシベリウスの全作品の中でも最も一般に知られたものであるが、後半の賛歌の部分に国を称える内容の歌詞が入ることで、その作品の持つ本来の力が自然に沸き起こるように感じる。それは、冒頭の暗い色調から勇壮な音楽を経てこの賛歌に辿り着く過程に、強い表現力が漲っているからだろう。素晴らしい演奏であったと思う。
ヤルヴィの N 響への次回の登場は、来年 2月。ストラヴィンスキーシリーズの続きや、もしかすると世紀末ウィーンシリーズの続きかと思われる演奏会もある。楽しみに待つこととしたいが、実はその前に、もうひとつの手兵であるドイツ・カンマー・フィルとの来日もあって、この指揮者の持つ底知れない表現力に、これだけ触れることのできる東京の聴衆は、なんと恵まれていることだろうか。