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パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 2018年 9月22日 NHK ホール

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パーヴォ・ヤルヴィと NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の今月の定期演奏会は、既にウィンナ・ワルツとマーラー 4番を組み合わせたプログラムをご紹介した。その後、サントリーホールを舞台に、シューベルト、ベートーヴェン、ハイドンに R・シュトラウスのホルン協奏曲 (ソロは名手ラデク・バボラーク) という内容の定期公演が開かれ、私はヤルヴィのハイドン (今回は 102番) には大変興味があったが、行くことができなかった。そして 3種類目の定期公演がこれである。最初に総括してしまうと、これは、パーヴォ・ヤルヴィという現代のトップを走る指揮者と N 響の組み合わせの最良の部分が出た、大変意欲的なプログラムであり、また充実した内容であったと思う。N 響の定期公演の場合、普通は独自のチラシが作成されない場合がほとんどだが、今回は上記のようなチラシが作成され、楽団としても宣伝に力を入れていることが分かる。ここであしらわれている白地に青い十字は、フィンランドの国旗であるが、その理由はもちろん、今回の演奏会がフィンランドを代表する作曲家、ジャン・シベリウス (1865 - 1957) の作品だけによるものであったからだ。
 レンミンケイネンの歌作品31-1
 サンデルス作品28
 交響詩「フィンランディア」作品26
 クレルヴォ作品 7

ここで何が注目されるかというと、すべてに男声合唱が入るということで、それをエストニア国立男声合唱団が歌う。もちろんエストニアはヤルヴィの故郷であり、この地の合唱団の力強さはつとに知られるところだ。
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今回演奏されたのはシベリウス初期の作品ばかり (いずれも 19世紀、つまりはフィンランドがロシアの領土であった時代に書かれている) で、有名な「フィンランディア」にも合唱が入るが、すべての歌詞はもちろんフィランド語。それゆえであろう、最初の 2曲は演奏そのものが大変珍しいし、演奏時間 70分を要するメインの「クレルヴォ」も、録音はともかく、実演に触れる機会は決して多くない。これは、世界的な活躍を続けるヤルヴィが、祖国の音楽家たちとともに、近い文化的土壌にある国の音楽を奏でるという、ローカリズムを打ち出した演奏会であるという点で、実に意欲的なプログラムと言えるのだ。だが、その「近い文化的土壌」とは、一口に言えば北欧ということになるが、エストニアを含むバルト三国とフィンランドの位置関係はどのようなものなのか。これが実に近く、それぞれの首都 (ヘルシンキとタリン) はバルト海のフィンランド湾を挟んだ対岸にあり、その距離はたったの 90km!! ほかのサイトから借用してきたこの地図で、その位置関係がよくお分かり頂けよう。またここでは、ロシアのサンクトペテルブルク、スウェーデンのストックホルムがその東西に位置することも分かるが、その事実が、この地域の文化的・軍事的な歴史と深く関わっているのである。
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ヤルヴィによると、エストニア語はフィンランド語の古語に、フィンランド語はエストニア語の古語に似ているというから、エストニアの人たちにとっては、これらフィンランド語の歌唱は親しみやすいものなのであろう。そして実際、その堂々たる歌唱には有無を言わせぬ説得力があって感動した。最初の「レンミンケイネンの歌」とメインの「クレルヴォ」は、フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」に基づくもの。2曲目の「サンデルス」は 19世紀初頭のスウェーデンとの戦争におけるヨハン・サンデルスという将軍の逸話を題材とし、「フィンランディア」はロシア帝国の圧政とそれからの解放をテーマとしている。上で書いた通りの、この地域の複雑な過去を知っていれば、曲のメッセージがより明確に分かろうというものだ。だが、例えば「レンミンケイネンの歌」は、まるでジークフリートの角笛を思わせる音型もあって、神話的なイメージもワーグナー的だし、「クレルヴォ」は、兄妹の姦通という点で「指環」に通じ、また音楽的にはシェーンベルクの「グレの歌」を思わせるようなところもある。もちろん、ワーグナーの「指環」はもともと北欧神話に由来したストーリーであるから、フィンランドの作品と共通点があるのには理由がある。ただそれ以上に思うことは、単に民族的なテーマだけなら、遠く離れた日本の聴衆が感動する理由もあまりないが、やはりこれらの音楽作品には、音楽としての普遍的な力があるからこそ、我々もそれを聴いて感動するのだというだ。ローカリズムが昇華してグローバルな説得力を持つという、好例であるだろう。

それにしても、ヤルヴィと N 響は相変わらず好調だ。例えば「フィンランディア」はもちろんシベリウスの全作品の中でも最も一般に知られたものであるが、後半の賛歌の部分に国を称える内容の歌詞が入ることで、その作品の持つ本来の力が自然に沸き起こるように感じる。それは、冒頭の暗い色調から勇壮な音楽を経てこの賛歌に辿り着く過程に、強い表現力が漲っているからだろう。素晴らしい演奏であったと思う。
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だがやはり圧巻はメインの「クレルヴォ」であったろう。私などはこの曲を「クレルヴォ交響曲」と呼びならわしているが、今回のプログラムにはその表記はなく、ただ「クレルヴォ」という題名だけになっている。作曲者自身も譜面の題名には「交響曲」という言葉は使用せず、「独唱者と合唱、管弦楽のための交響詩」としているというので、それが適切な表記なのだろう。大規模な編成で、しかも歌唱がフィンランド語ということもあって、実演を聴く機会はなかなかないが、興味深いことに東京では、昨年 11月にハンヌ・リントゥ指揮東京都交響楽団が演奏している。こんなことが起こる都市は、やはりここ東京だけであろう (但し私自身は、もう 30年以上前に渡邊暁雄指揮日本フィルで聴いて以来、実演を聴いた記憶がない)。録音でも、シベリウスの交響曲全集を録音した指揮者以外でこの曲を録音した人は、ほとんどいないのではないかと思うが、パーヴォは既に 1997年にロイヤル・ストックホルム・フィルを指揮して録音している。
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さすが 20年以上前からのレパートリーだけあって、その指揮ぶりから、作品の隅々までを熟知していることは、充分に知ることができた。いつもの通り長い腕を効果的に使ってオケの緩急を巧みにコントロールしていたが、曲に対する思い入れ、あるいは祖国の合唱団との共演といった要素が、その指揮を後押ししたと思われてならない。あらゆる曲想を鮮やかに描き出し、若き日のシベリウスの野心までをも明らかにした演奏であった。そして、合唱団もすごいが、独唱パートを受け持ったソプラノとバリトン歌手もすごい。全 5楽章のうち独唱が入るのは第 3楽章と第 5楽章であるが、独唱者たちは、第 3楽章で歌が始まる前に、ソプラノは下手から、バリトンは上手からそれぞれ舞台に登場し、暗譜で歌い切ったのである。そんなことができるのはフィンランドの歌手だけであろうが、確かにこの二人はフィンランド人で、国内外で活躍している。ソプラノはヨハンナ・ルサネン、バリトンはヴィッレ・ルサネンといい、あれ、同じ苗字だと思ったら、なんとなんと、姉と弟らしい。
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実はこの曲、1892年に作曲者自身によって初演されたあと、数回演奏されてから、封印されてしまったという経緯がある。理由は未だに謎だが、再演も出版も自分の存命中は禁じるという措置に出たという。従って作品の存在自体が幻になってしまい、作曲者の死の翌年、1958年になってようやく蘇演されたという。そもそもこのシベリウスという人、1957年に 91歳という長寿を全うしたにもかかわらず、その創作活動は 1925年頃以降、ほぼ途絶えてしまった。つまり人生最後の 30年ほどの間は、沈黙を保ったままであったわけである。若い頃の愛国的で熱狂的な作風は、年を重ねるとともに徐々に抽象化して行ったことは確かで、その先にはまだまだ前衛化の可能性があったかと思われるだけに、その沈黙は謎である。そんな謎めいたシベリウスの、愛国的で熱狂的な初期の作品、今回の演奏では充分に堪能することができた。作曲者がこんな演奏を聴いたら、「クレルヴォ」を封印することはなかったかもしれないと思う。これは「沈黙」の晩年、バッハ作品の楽譜を見るシベリウス。
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ヤルヴィの N 響への次回の登場は、来年 2月。ストラヴィンスキーシリーズの続きや、もしかすると世紀末ウィーンシリーズの続きかと思われる演奏会もある。楽しみに待つこととしたいが、実はその前に、もうひとつの手兵であるドイツ・カンマー・フィルとの来日もあって、この指揮者の持つ底知れない表現力に、これだけ触れることのできる東京の聴衆は、なんと恵まれていることだろうか。

by yokohama7474 | 2018-09-23 18:00 | 音楽 (Live)