川沿いのラプソディ


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シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子) 2018年 9月28日 サントリーホール

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読売日本交響楽団 (通称「読響」) の常任指揮者、フランスの名指揮者であるシルヴァン・カンブルランは、今シーズン一杯で退任することになっている。読響のシーズンは 4月からなので、今下期に入ったばかりであるが、今月 3つのプログラムを振り、残るはいよいよ来年 3月の公演だけになる。そう思うとこのコンビの演奏の一回一回が貴重に思われてくるのだが、これは、今月彼が読響を指揮した 3つめのプログラム。ほかの 2つ (ひとつはオール・チャイコフスキーで、4番がメイン、もうひとつはモーツァルトと、ブルックナー 4番) も聴きたかったが、ほかのコンサートとの兼ね合いで果たせず、なんとか今月最後の公演のみを聴くことができたのである。読響はいつもしゃれたチラシを作成するのであるが、今回は通常のサイズよりも縦長で、コピーは「ラ・ヴァルス 破滅の円舞曲」とある。もちろん、ラヴェルの名曲「ラ・ヴァルス」を知る人は、その退廃性を知っているであろうから、このコピーにはそれほど驚かない。だが、楽団作成によるこの演奏会の案内チラシが別にあって、それによると、カンブルランが読響でこの「ラ・ヴァルス」を採り上げるのは初めてとのこと。それは、カンブルランがこの曲を極めて特別であると考えていて、いわゆる「名曲プログラム」に入れるのではなく、「生と死を見つめるようなシリアスなプログラムの中で、メインとして演奏しなければ意味がないという強い思いがあった」とのことである。そのような考えに基づいて構成された今回のプログラムは、以下のようなもの。
 ペンデレツキ : 広島の犠牲者に捧げる哀歌
 シマノフスキ : ヴァイオリン協奏曲第 1番作品35 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 ハース : 静物
 ラヴェル : ラ・ヴァルス

なるほど、このプログラミングの妙はカンブルランならではだ。前半にはポーランドの作品を並べているし、いわゆる現代音楽という分野は、前半と後半のそれぞれ 1曲目。一方、前半と後半のそれぞれ 2曲目は、いずれも 1920年代に世に出た曲だ。そして、まさに「生と死をみつめるようなシリアスなプログラム」である。このバランスはかなり微妙なもので、演奏するオケの人たちにとってはなかなかに負担の多い内容だと思うが、聴き手としては大変に聴きごたえのある演奏会であったと、最初に言っておこう。
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最初のペンデレツキの作品は、いわゆる現代曲としては抜群の知名度を誇る弦楽合奏のための曲で、1961年に初演されている。この「広島の犠牲者に捧げる哀歌」という題名が、曲の持つ悲劇的な響きにふわさしいことが、その知名度の高さの一因であることは間違いないと思う。だが、これも音楽好きには常識であると思うが、この曲は最初から反戦とかあるいは何か政治的なメッセージを込めて作曲されたものではないのである。その証拠として、初演されたときの題名は「8分37秒」。つまりはこの曲の想定演奏時間という無機的な題名であったのである。ともあれ、いわゆるトーンクラスター (通常楽譜に書かれる 1オクターブ内の 12の音の間の音を密集させる・・・いやつまり、耳にはキュンキュンギュルギュルという音の塊が聴こえると言えばよいか 笑) という手法の代表作とみなされていて、いわゆる前衛音楽が前衛の衣をまとっていた頃の雰囲気が濃厚なので、その意味で既に歴史的な作品であるが、確かに、未だに耳に刺激を与える音楽ではある。作曲者ペンデレツキはこの後保守的なスタイルへと変わり、もうすぐ 85歳になる現在でも高い名声を誇っている。
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2曲目のシマノフスキも、ポーランドの作曲家であるが、1882年生まれであるから、いわゆる現代音楽の作曲家とはみなされていない。ヴァイオリン協奏曲は 2曲書いていて、いずれもそれなりの知名度があるが、この 1番の方が演奏頻度は高いと思う。30分足らずの単一楽章による協奏曲で、初演は 1922年。シマノフスキはポーランドの民俗的な要素を持ちながらも、大変夢幻的な音楽を書いた人だが、この協奏曲も実に美しく抒情的。今回はソリストとして諏訪内晶子が登場した。
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諏訪内のシマノフスキと言えば、随分以前に「神話」という曲を録音していたし、後になって思い出したことには、2011年にはクシシトフ・ウルバンスキ指揮東京交響楽団との共演で、ヴァイオリン協奏曲第 2番を演奏したのを聴いている。彼女の最近の活動は、このブログでも採り上げたことがある国際音楽祭 NIPPON の主催など、一般的な知名度や人気に溺れることのない真摯なもので、このシマノフスキのような若干の変化球 (つまり、チャイコフスキーとかシベリウスではない) でも、自らの音楽を堂々と主張している点に好感が持てる。今回の演奏も、変化する曲想の中に浮かび上がる抒情を十全に表現していたと思うし、終わり近くに出て来るカデンツァも、美しく厳しいものであった。そして、アンコールはバッハかと思いきや、イザイの無伴奏ソナタ第 2番の第 1楽章だ。この曲、冒頭はバッハの引用になっていて、徐々に変容して行き、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」が現れてくるという、まさに「生と死をみつめるような」曲である。最後に「怒りの日」の旋律が大きなボウイングで表現されるのを聴いて、改めて恐ろしい曲だと思った。諏訪内のヴァイオリンは、この日のプログラムのテーマに沿って見事な歌を奏でたと思う。

さて、後半の 1曲目は、オーストリアの作曲家、ゲオルク・フリードリヒ・ハース (1953年生まれ) の「静物」である。このハースという作曲家、確か以前にウィーン・フィルが演奏した作品があったような気がしたのだが、経歴を見てみると、まさにウィーンで学んだ人。あのフリードリヒ・ツェルハの弟子である。ツェルハはよく知られている通り、アルバン・ベルクの未完のオペラ「ルル」を補筆完成させた人。なのでこのハースは、ウィーンの 20世紀音楽の流れを引く作曲家なのであろう。今回演奏された「静物」は、25分ほどの曲であるが、2003年に、今回の指揮者カンブルランが、当時の手兵バーデンバーデン & フライブルク SWR 交響楽団とどもに、ドナウエッシンゲン音楽祭において世界初演している。これがハース。
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そういえば、昨年のサントリー国際委嘱シリーズはこの人の作品であった。その新作初演に行けなかったことを今更のように後悔する。というのも、今回の「静物」が、かなり面白い曲であったからだ。弦楽器の動きと、それとは無関係に聞こえる管楽器の膨張する音響が混じり合うところから始まり、途中にはまるでフィリップ・グラスかジョン・アダムズの作品のようなミニマル風のリズムの反復があり、気がつくと音楽がうねっているというもの。25分でも長すぎると感じるほどの密度の音楽であった。カンブルランと読響は、この曲の解釈者としては最高の部類に入るのではないか。21世紀に入ってから書かれたこのような新鮮な音楽の初演者が、日本で彼のオケとともにその音楽を演奏することの意義を、よく理解したいものだと思う。また、ウィーンという街の持つ深部、つまり、お菓子や優美な宮廷音楽ではない、まさに「生と死をみつめる」ような強烈なタイプの芸術を生み出した街だということを思い出してもよいだろう。美術で言えば、クリムトやシーレはそのような例として分かりやすいが、さらに時代が下って、ウィーン幻想派を代表するルドルフ・ハウズナー (1914 - 1995) など、どうだろう。私はこのハースの作品の精神と通じるものがあるように思うのだが、いかがだろうか。「オデュッセウスの方舟」という作品。
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と、ここまで書いてから気が付いた。そうだ、最後のラヴェルの「ラ・ヴァルス」こそ、そのウィーンに捧げられたオマージュではなかったか。ここにも、もうひとつプログラミングの妙があった!! 今回の「ラ・ヴァルス」の演奏は一貫して遅めのテンポが取られ、明晰ではありながらも、華麗さよりは重厚で運命的な不気味さが強調されていた。これこそが、カンブルランがこの曲に見て取った真価なのであろう。聴き慣れた曲でも、一定のコンテクストのもとで聴くと、イメージが変わってしまうことがある。いや、より正確には、上に書いた通り、「ラ・ヴァルス」が深遠でかつ退廃的な音楽であることは知っていたつもりだが、実際にそれまでの 3曲を耳で受け止めたあとであったがゆえに、より一層切実に心に響いてきたものである。カンブルランの場合には、ただアイデアだけではなく、実際に鳴らしてみせる音が、彼の感性を充分に反映しているものになるので、説得力の大きいものになるのであろう。

終演後にはサイン会があったので、指揮者とソリストのサインを頂いた。カンブルランは以前にもサインをもらったことがあるが、諏訪内さんは初めてだと思う。高尚なプログラムのあとでミーハーなことを言うようではあるが (笑)、やはり実演を聴いたあと、そのアーティストを目の当たりにすることには、何とも言えない高揚感を覚える貴重な機会だと思う。
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読響でのカンブルランのラスト・シーズン、来年 3月には、なんといっても超大作「グレの歌」が演奏されるのが楽しみである。

by yokohama7474 | 2018-09-29 11:51 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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