川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

検察側の罪人 (原田眞人監督)

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奇妙な題名である。悪、それも時には巨悪に立ち向かい、正義を実現すべき検察の人間に、罪人? 予告編から察するにこの映画の内容は、木村拓哉と二宮和也が先輩後輩の検事であり、凶悪犯の自白を採ろうとしながらも、二人の間に考えの相違があって対立が起こるというもの。容疑者は一見して異常な人物でありながら、そこには冤罪の匂いも漂っている。なかなかに社会派の内容である。見終わってみると、なるほど大変に重い内容の映画であることは間違いない。だが、最初に私の言いたいことを言ってしまうと、(原作は読んでいないのでそちらは知らず、映画に限って話だが) この作品のラストはどうにも頂けない。以前「三度目の殺人」に関しても似たようなことを書いたが、文化に携わり、社会に対して発信をしようとするクリエーターなら、自身で劇中の白黒をつけるべし、というのが私の持論である。よく、「結論は見た人が考えればよい」という言い方があるが、それは往々にして作り手側の言い訳になってしまいかねない発想である。この映画の登場人物の中で、誰が正しくて誰が間違っているのか、もちろんそんなことは簡単に結論が出る話ではないが、それでも、その判断を観客に提示するのでなければ、本当に訴える力を持った作品にはならないだろう。はっきり提示せずとも、ほのめかすだけでもよい。だがこの映画のラストにはそれすら見られない。この点が評価の分かれ目になるものと思う。
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もちろん、プロのやっていることだから、作り手には作り手の決意があるだろう。それを否定するつもりはないのだが、それでもやはり私は、この映画におけるあれこれの意欲的な試みが、肝心のラストで強いメッセージに結実するのを見たかったと思うのである。今「意欲的な試み」と書いたが、上のチラシの宣伝文句にもある通り、これは「一線を越える」話。率直に言えば、そこにはリアリティはない。現実世界において検察の不祥事は、過去に結構発生しているが、さすがにこの映画で描かれているような事態は、起こる可能性はゼロだろう。そうであるからこそ、意欲的に映画ならではの嘘を織り上げて行くべきだし、そうして嘘を織り上げたなら、作り手による結論を提示しないといけないのではないだろうか。それがなければ、ただ荒唐無稽なお話に対して、「さぁ、あなたはどう判断しますか」という質問がなされ、「いやいや、そんなの答えられないし、関係ないよ」という回答になってしまうのだ (笑)。つまり、ここでの「検察側の罪人」は、自ら描いたシナリオを信じて一線を越えてしまうのだが、そのシナリオは客観的に見てリスクのあるもの。思わぬ要素によってシナリオが変わってしまいかねないものなのだ。実際ここではそのような思わぬことが起こるのだが、その検察側の罪人はさすがの知恵者で、いくつかのリスクは瀬戸際で見事に回避してしまう。だが、そのリスク回避行動が行き詰ってこそ、その罪人の人間性を描くことができる。だからやはり、「一線を越えた」リスクは顕現化し、罪人に報いを与えるべきなのだと思う。

もうひとつ私の違和感を述べておくと、インパール作戦という歴史的な出来事を、ストーリーの背後に流れる要因と位置付けていることだ。これもいかにも唐突でリアリティがないし、ストーリーを徒に複雑にしているだけだ。この映画のセリフの端々に、現代の日本という国に対する絶望が垣間見えるが、もしかするとインパール作戦が、今に変わらぬ日本のダメさの象徴であるという意味なのかもしれない。だが私に言わせれば、インパール作戦の何たるかを知らない人たちにとっては、残念ながらこの設定は何らの意味も持たない。ただ唯一、この設定が映画に貢献した点があるとすると、それによってこの人、松重豊の登場場面が多かったことくらいではないか (笑)。相変わらずいい味出している。
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この映画においては、この松重以外にも、かなりインパクトの大きな俳優が何人も出演しているが、インパクトという意味では、この人、松倉役を演じた酒向芳 (さこう よし) がなんと言ってもダントツだろう。
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彼が本当に劇中で殺人を犯したのか否かはともかく、その言動の異常ぶりには、演技とはいえ、かなり胸が悪くなること請け合いだ。この役者さんは、長らく舞台で演技をして来た人らしい。このような役を映画で演じると、同じような役の依頼しか来なくなるかもしれず、それはそれでなかなかに厄介なことであろう。ま、私が心配することではないのだが (笑)。主役の二人だが、まず木村は、以前の記事でも書いたことがある通り、以前からもっと本格的な俳優業を行うべきであったと思う。今回の演技は、悪いとは思わないし、彼流のクールな演技が決まっているところもあるが、さらに内面の葛藤がじわりと出て来るような表情が欲しかったと思う。その点二宮は、より本格的な映画俳優としてのキャリアを持つだけあって、そのストレートな演技には共感が持てる。童顔であり、決して器用な役者ではないと思うのだが、予告編でも一部流れていた、松倉の取り調べでキレるあたりは迫真の出来。これからまだ伸びる俳優であろう。
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この二人のチームに所属しているのか否か分からない事務員を演じる吉高由里子は、のらりくらりしながらもいざという時には行動力を見せる役柄で、彼女らしい、つかみどころのない演技が興味深かった。このように前髪を垂らし、内向的に見えながら、「冤罪ってこんなところから始まって行くんじゃないんですか」などと呟いて独自の正義感を見せる女性は、現実にはあまりいないと思いつつも (笑)。
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繰り返しだが、この映画の題材は極めて重い。そのような重いテーマに取り組んだことについては、脚本・監督の原田眞人を大いに評価したい。それだけではなく、面白いシーンも沢山ある。例えば、「罪人」が本当に罪を犯す深夜の別荘地のシーンはかなり衝撃的であり、先行きが読めない。それから、結構ユーモラスな小ネタも多く入っている点も、好感が持てる。それらの要素を面白く見ることができるゆえに、やはりラストが残念な気がしてならない。映画の嘘が嘘として機能し、人々を不愉快にさせるのではなく、悲劇の中にも希望を抱かせる、そんな映画に、私はより心を引かれるのである。

by yokohama7474 | 2018-10-06 00:42 | 映画 | Comments(0)
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