川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

上岡敏之指揮 新日本フィル (ピアノ : 田部京子) 2018年10月 6日 すみだトリフォニーホール

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クラシック音楽の記事を目当てにこのブログを覗いて頂いている方は、あれっと思われるかもしれない。このコンサートが開かれる前、すなわち 10/4 (木)・ 5 (金) の 2晩に亘って開かれた演奏会の記事ではないからだ。それは、チョン・ミョンフン指揮東京フィルのコンサートで、ソリストとしてヴァイオリンのチョン・キョンファが登場した。私は 10/5 (金) のチケットを持っていて、その演奏会の記事の冒頭まで既に決めていたのである。それは、「競争が増す一方の東京のオーケストラ界において、ついに東京フィルが切り札を切る。間違いなくこれは、今年いちばんの聴き物のひとつだろう。チョン姉弟の共演である」というもの。だがなんとも残念なことに、仕事が立て込んでしまって、そのコンサートに行くことはできなかった。なので、その件に関してはご免をこうむって、私としても気を取り直してこれからの人生を歩んで行くこととした (笑)。そんなわけで、このコンサートである。最近好調の上岡敏之と、彼が音楽監督を務める新日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「新日本フィル」) による、オール・ベートーヴェン・プログラム。
 交響曲第 4番変ホ長調作品60
 ピアノ協奏曲第 2番変ロ長調作品19 (ピアノ : 田部京子)
 交響曲第 7番イ長調作品92

ドイツで長く活躍している上岡であるから、そのレパートリーもドイツ物がかなり多い。だがそんな彼のベートーヴェンを聴く機会は、これまであまりあったとは思われない。このブログでも様々な実例を採り上げてきた通り、今日ベートーヴェンを演奏するのは多少厄介な事情がある。ちょうど古典派からロマン派に移行する時期の作曲家であるベートーヴェンは、昔ながらのロマン的アプローチを取るのか、あるいは古楽的アプローチを取るのかを指揮者が決める必要があり、しかもその折衷型も様々にありうるのである。さて、上岡のアプローチやいかに。
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まず交響曲 2曲の演奏であるが、編成はコントラバス 6本で、木管楽器はオリジナル通りの 2本ずつ。そしてヴァイオリンは左右対抗配置を取らず、上岡は暗譜での指揮である。これは納得できるスタイルであると思う。だがこの上岡という指揮者、本当に指揮をするまで何が起こるか分からないスリルがあって、私がこの指揮者の演奏になるべく触れたいと思うのはその点によるのであるが、今回もひとつの発見があった。それは、この 2曲の交響曲のすべての楽章において、叩きつけるような終結音は皆無で、すぅっと宙に消えて行くような音になっていたこと。例えば 4番の第 1楽章とか、7番の第 4楽章では、多くの演奏で指揮者は渾身の力でドンと着地するものだが、その方が気持ちよいに決まっている。だが上岡と新日本フィルは、その誘惑に打ち克って、実に美しくすべての楽章を締めくくった。そう、この演奏は実に美しいものであったのだ。最近のこのコンビが、本拠地すみだトリフォニーホールで行う演奏の最大の特色はこの美しさであって、それはこのコンビならではの個性なのである。それから今回の演奏で際立っていたのは、音の流れの均一さである。管と弦はお互いをよく聴き合って、どの箇所においてもどの楽器も飛び出すことがなく、ただひたすら調和の取れた音となっていた。テンポは全体的に速めであったが、そこには性急さは皆無。安定していて、しかも演奏者の個性がくっきりと刻印されているベートーヴェンは、そうそう聴けるものではないと思う。これは実に非凡な演奏であった。そして、この 2曲の交響曲の間で演奏されたピアノ協奏曲第 2番が、これまた惚れ惚れするような演奏であったのである。ソロは田部京子。
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私は以前の記事で彼女の演奏を採り上げた際、「いつまで経ってもお嬢さんのような外見で損をしている、素晴らしいピアニスト」と書いたものだが、実際にその通りで、これだけ粒立ちのよいタッチでベートーヴェン初期の傑作コンチェルトを弾くことができる日本のピアニストが、一体何人いるいだろう。ステージマナーも実に丁寧で、笑顔がそのままこの人の素直な音楽性を表していると思う。いつもの通りアンコールをねだる聴衆に対して礼儀正しく接しながらも、結局アンコールを演奏しなかったことも好感が持てる。素晴らしいベートーヴェン・コンサートに立ち会うことができて、本当に嬉しい。田部さんのリサイタルにも、いつか行かないといけないですな、これは。

新日本フィルのプログラム冊子は、先に行われた上岡指揮のリヒャルト・シュトラウスとか、ペトル・アルトリヒテル指揮の「わが祖国」と同じもの。だから私はこの冊子を手にするのは 3回目なのであるが、今回初めて気づいたことには、新たなシーズンを開始するにあたってのマエストロ上岡の言葉が掲載されている。いわく、現代社会においては、先進国におけるテクノロジーの進化と、途上国における厳しい現実 (彼はウガンダに関わりがあるとのことで、その地の 12歳の少女が最近英語を学んで、彼に手紙を送ってくるというエピソードが紹介されている) には大きな差異がある。だが、人間の内面の世界は、環境によって左右されるものではなく、文化・芸術というものは、もっと社会で大切な役割を果たさないといけない。彼が新日本フィルとともに行っている演奏活動は、聴衆から愛されるものでなくてはならず、彼にとっていちばん大切なことは、音楽的なクオリティを追求すること。彼らの演奏が聴衆の内なる世界に光を差し込むような存在でありたい。そして最後に「そう、たとえばレンブラントの絵画には、常にどこかに光があるように」と締めくくられている。なるほど、レンブラントの代表作「夜警」は、夜の光景でありながら確かにどこかに光がある。この絵の実物は私も見たことがあるが、まさに圧倒的な作品だ。上岡と新日本フィルの目指すところは、この絵のように、繊細でいて全体像が明確な音楽なのであろう。
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演奏終了後に奏者の譜面を見ていると、どうやらアンコールがあるようだ。オール・ベートーヴェン・プログラムであるから、ベートーヴェンの序曲のどれかであろうかと思いきや、鳴り始めたのは、メンデルスゾーンの交響曲第 4番「イタリア」の終楽章、熱狂的なサルタレロ舞曲である。この曲をアンコールに選んだ上岡の意図は何であったろうか。メインの曲目であったベートーヴェン 7番の終楽章と同様の熱狂的な音楽における美を表現したかったのかもしれない。

終演後にはサイン会があったので参加した。最初に田部が、その後上岡が現れ、ファンと語らいながらの和気あいあいとした雰囲気であった。それにしても田部京子は、ステージマナーそのままに、実に丁寧な応対ぶりで、ひとりひとりに日付まで書いている。それに触発されたのか (?)、上岡さんも今回は日付を入れてくれた。
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因みに私が今回購入した CD は、上岡と新日本フィルによる昨年のライブ (2つの演奏会による) で、ツェムリンスキーの「人魚姫」をメインとするもの。私は残念ながらこのコンサートを聴き逃してしまったが、この CD を聴いてみると、彼らの演奏の美感が充分に伝わってくる。そう言えば上岡は、「人魚姫」の原作者であるアンデルセンの祖国デンマークのオケ、コパンハーゲン・フィルの首席指揮者も務めている。すべてのオーケストラ・ファンにお薦めしておこう。
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by yokohama7474 | 2018-10-06 23:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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