川沿いのラプソディ


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大野和士指揮 東京都交響楽団 (ヴィオラ : タベア・ツィンマーマン & アントワン・タメスティ) 2018年10月19日 サントリーホール

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東京都交響楽団 (通常「都響」) とその音楽監督、大野和士による、今月 2つめのフランス音楽プログラムである。1つめは、以前にこのブログでも採り上げた、ジャン・フルネ没後 10周年を記念する演奏会であった。今回はそのような能書きはないが、これまた興味深い内容だ。
 マントヴァーニ : 2つのヴィオラと管弦楽のための協奏曲 (日本初演)
 サン=サーンス : 交響曲第 3番ハ短調作品78「オルガン付」
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このうち、後半のサン=サーンスは、私は聴き損ねてしまったが、つい 2週間ほど前にも、チョン・ミョンフン指揮東京フィルが演奏した曲目。サントリーホールのようなオルガンのあるホールでは、壮麗に鳴り響く名曲である。だが、前半の曲はなんだろう? マントヴァーニ??? あの、「魅惑の宵」などのムード音楽のマントヴァーニか??? いや、恥ずかしながら私も知らなかったのだが、これはブルーノ・マントヴァーニという現代フランスの作曲家。1974年生まれというから未だ 44歳だが、パリのコンセルヴァトワール、いわゆる高等音楽院の院長を務めているという人だ。
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今回演奏されたのは、2つのヴィオラと管弦楽のための協奏曲という、もったいぶらない名前の (笑) 作品で、今回が日本初演。これは大変に貴重な機会であったのだが、その理由は、曲もさることながら、2人のソリストによる。ひとりは現在最高のヴィオラ奏者であるタベア・ツィマーマン。もうひとりは、最近世界的な活躍をしているというアントワン・タメスティ。
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この作品は 2009年にこの 2人のソリストによって世界初演されている (共演はパスカル・ロフェ指揮フランス放送フィル) 上、作品自体がこの 2人に捧げられている。従ってこの日本初演は、この曲の神髄を聴くべきオーセンティックなものであったと言えるだろう。35分ほどの曲であるが、冒頭はこの 2人のソロが呼応しあい、それが結構長く続く。多くの部分で、オケはかなり遠慮がちにしか入って来ないのであるが、途中何度もドドドドンという打楽器群の炸裂があり、最後の方ではオケもかなり咆哮する場面が見られる。今回改めて思ったことには、ヴィオラという楽器は、名手が弾くと本当にいい音がするのだなということ。正直なところ、曲の内容はどうであっても、この 2人がこのように丁々発止と渡り合うだけで、なんともスリリングな音空間が生まれるだろうと思ったものである。そして今回、大変に珍しいシーンを目にすることとなった。曲も終わりに近づき、オケも相当な緊張感を持って潮の満ち引きのような流れが作り出されたとき、突然タベア・ツィマーマンが演奏を止め、スタスタとステージ袖に引き上げて行ったのである。その瞬間は見逃したものの、どうやら弦が切れたようであった。私は過去に、ヴァイオリン・リサイタル (ヴェンゲーロフとかヒラリー・ハーンとか) で弦が切れた瞬間を目撃したことはあるが、このような大編成のオケをバックにした、しかも現代音楽で、途中で演奏が停まってしまうという事態は記憶がない。だがさすが東京の聴衆である。聴き慣れない曲の演奏の途中であっても、じっと静かにツィマーマンが弦を張り替えて帰ってくるのを待った。その間、かなり長く感じたが、3-4分というところであったろうか。しんと静まり返ったホール内には均一な空気が流れ、ハープがその機会に小さな音でチューニングしているのが、あたかも音楽の一部であるかのように聞こえたものだ。大野と都響、そしてもうひとりのソリスト、タメスティも、集中力を持続しているように見えたが、どこから再開するかは決めておかなくてはならない。大野の判断でそれが決まり、楽員にも小声と手振りで伝えられた。そしてようやくツィマーマンがステージに登場したが、誰も拍手はしない (ヴァオリン奏者の何人かは、弓で無音の拍手を送っていたが)。そうして、再開場所を確認したツィマーマンも含めて、再び音の激流が流れ出したのであった。私はこのトラブルに、日本の聴衆の音楽への理解が現れていると思う。そして 2人のヴィオラ奏者がアンコールを演奏したのだが、2人でチューニングして調子が合わなかったのか、タメスティが自分の楽器と、都響の首席ヴィオラである鈴木学のそれとを取り換えた。始まった曲は私の知らないものだったが、暗く絡み合う 2本の音の線が強く印象に残った。この曲はバルトークの「44の二重奏曲」Sz.98 より第 28番「悲嘆」というもの。なるほどバルトークには遺作である未完のヴィオラ協奏曲もあり、この楽器のイメージにぴったりの作曲家である。この 44の二重奏曲は、もともとヴァイオリン 2本のために書かれており、パールマンとズーカーマンのコンビによる録音もあるらしい。いやいや、世の中にはまだまだ知らない名曲があるものですなぁ。ところで演奏後、タメスティが鈴木とヴィオラを元通り交換しようとすると、鈴木が一瞬ふざけて拒否するふりをしたのが面白かった。このあたりの洒脱な呼吸も、文化イヴェントとしてのコンサートの楽しみを増していたと思う。因みにこのタメスティ、オルガン奏者で指揮者の鈴木優人と親しいらしいが、今回客席に彼の姿が見えたと思ったのは、やはりそのような理由であったわけである (「オルガン付」のほかの人の演奏を聴きに来たのではなく。笑)。

後半、サン=サーンスの「オルガン付」も、大野と都響のコンビとして想像する通りの演奏。この曲はフランスのシンフォニーであるが、近代のドビュッシーやラヴェルのようなキラキラした音ではなく、かなりギシギシと鳴る箇所が多い。ドラマティックではあるが、さほど深刻な内容でもなければ、超絶技巧的でもない。だが私はこの曲のそんなところが大好きで、冒頭の灯りがぼぅっとともるような神秘的な箇所から、最後のオルガンとオケの盛り上がりの中でトランペットが叫び、ティンパニが鳴り渡る箇所まで、およそ退屈することがない。今の大野と都響であれば、その表現の幅を駆使して、文字通り面白い演奏を聴かせてくれるだろうと思ったが、まさにその通りであった。曲は大きく 2部に分かれるが、それぞれの前半と後半が 2つの性格を持っていて、実質的には 4楽章制のシンフォニーに近い。その第 1楽章に相当する部分の、まさにギシギシとうねり上がるところはこの上ない迫力であったし、第 2楽章に相当する部分の、オルガンを含めた静かな祈り、第 3楽章に相当する部分の荒々しい推進力、そして終楽章に相当する部分では、力が全開。実に面白く聴かせて頂いた。これがサントリーホールのオルガンである。
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今月の大野と都響による定期演奏会はあと 1つ。それ以外に特別コンサートもあって、楽しみだ。

by yokohama7474 | 2018-10-20 02:43 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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