人気ブログランキング |

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 NHK 交響楽団 2018年10年月20日 NHK ホール

e0345320_21364121.jpg
まずはこのコンサートの終演間近の情景の描写から始めよう。そこには、未だ 20代の作曲者が、青春の懊悩を爆発させる音楽が鳴っていた。その血気盛んな音楽は、様々な紆余曲折を経て (その冗長な紆余曲折が若気の至りだとして、この作曲家の作品を積極的に採り上げた指揮者で 93歳まで生きた朝比奈隆も、この曲だけは結局生涯演奏しなかったわけだが)、ついにクライマックスに到達し、ホルン奏者 8人と、そしてトランペット奏者とトロンボーン奏者が各 1人ずつが起立した。そして鳥肌立つ圧倒的な音量の中、彼らは曲が終わるまで起立したままであった。このような若々しい音楽を若々しく指揮した人は、やはり 20代であろうか。いやいや。この人である。
e0345320_22391109.jpg
91歳の指揮者、NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の名誉指揮者である、スウェーデン出身のヘルベルト・ブロムシュテット。今回私が幸いにも聴くことができたのは、この老巨匠が指揮する N 響定期の 2つめのプログラム。内容は以下のようなものであった。
 ハイドン : 交響曲第 104番ニ長調「ロンドン」
 マーラー : 交響曲第 1番ニ長調「巨人」

なるほど面白い。これは、ブロムシュテットと N 響の前回のプログラム、すなわち、モーツァルト 38番「プラハ」とブルックナー 9番という組み合わせと非常に似ている。前半には古典派の 30分程度の曲、後半には後期ロマン派の 1時間程度の曲という点においてである。また、それぞれの初演年を比べてみると、初回プログラムの曲目は、モーツァルトが 1786または 87年 / ブルックナーが 1903年。今回のプログラムでは、ハイドンが1795年 / マーラーが 1889年。それぞれの 1曲目、それぞれの 2曲目は結構近い年代であり、その隔たりは約 100年。さらに面白いのは、モーツァルトはハイドンの弟子筋、マーラーはブルックナーの弟子筋であるにも関わらず、この 2つのプログラムにおいては、年長の作曲家の作品の方が年少の作曲家の作品よりも早く初演されている。さらに考えると、この 2つのプログラムが似て非なるものである理由は以下の通り。
① 今回のプログラムでは、交響曲の基礎を最初に作った作曲家の「最後の」交響曲と、交響曲の概念を最終的に打ち破った作曲家の「最初の」交響曲という、象徴性がある。
② 前回の 2曲はこの指揮者が繰り返し取り上げてきた曲であり、録音もあるのに対し、今回の 2曲は、私の知る限り、この指揮者による録音はない。つまり、90歳を超えてなお、これまでの経験をなぞるという安易な姿勢をこの指揮者は取らない。
③ それゆえであろうか、前回の 2曲は暗譜での指揮であったのに対し、今回はスコアを見ながらの指揮であった。
④ 2曲ともニ長調。

繰り返すが、91歳である。その年にして、ただこれまでの人生の繰り返しでなく、新たな挑戦を行っているこの指揮者は、まさに現代の奇跡以外の何物でもない。そして、鳴り始めたハイドンの「ロンドン」交響曲の冒頭の響きは、一般的な演奏ほど重々しくない。前回の表現と共通するが、強い布をさっと洗ったような新鮮かつ強靭な響き。これこそがブロムシュテットの音楽なのである。ただ、モーツァルトとハイドンもまた、似て非なるもの。前者においてはアポロ的な、喩えて言えば宙を舞うような響きが駆け巡るのに対し、後者にはさらに人間的なユーモアがある。今回聴いてみて分かったことには、ブロムシュテットの場合には、もちろんモーツァルトもハイドンも素晴らしい演奏だが、ハイドンの人間性よりもモーツァルトの天上性の方に、より適性があるかもしれない。だが、先日の記事でご紹介したブロムシュテットの自伝には何度かハイドンの名前が出て来ている。それは例えば、彼がライプツィヒ・ゲヴァントハウス管のカペルマイスターの地位をクルト・マズアから引き継いだとき、オケの音があまりにも重かったので、モーツァルトとともにハイドンも頻繁に演奏することで、表現の幅を広げたという逸話でも理解できる。なるほど。
e0345320_23540621.png
そしてメインの「巨人」であるが、これは実に流れのよい演奏で、老人めいた動脈硬化の一切ない音楽であった。当然ながら奇をてらった箇所は全くなく、マーラーの若書きの傑作を、まさに虚心坦懐に音にして行くイメージだ。スコアを見ながらでもブロムシュテットが真摯に音楽に対峙していることがよく分かったものである。そもそも私の記憶の中にあるブロムシュテットのマーラーは、サンフランシスコ響を指揮した 2番と、N 響を指揮した 4・5・9番くらいである。この 1番「巨人」はいつから彼のレパートリーであるのだろうか。上記の自伝によると、彼は既にドレスデン時代に、マーラーの 1番と 2番を指揮していたという。それは知らなかった。自伝からブロムシュテットのマーラーに関する言葉を引用しよう。

QUOTE
(「屋根の上のバイオリン弾き」の原作「牛乳屋のテヴィエ」を書いたユダヤ人のショーレム・アレイヘムという作家の全集がマーラーへの門を開いたとして) 最初はとくべつにマーラーが好きだったわけではありません。マーラーの音楽は理解できませんでした。(中略) いまでは私は、マーラーの音楽には深い感動があり、それはまったく真実のものだと感じています。マーラーの交響曲でははなはだしく極端なものが一体になっていますが、このようにさまざまな要素を大きな交響曲へと組み込むやりかたは、感嘆に値します。そのようなことは偉大な芸術家にしかできません。
UNQUOTE

なるほど。ユダヤ文化からマーラーに入ったブロムシュテットはしかし、この作曲家をことさらにユダヤ的に表現することはない。今回の「巨人」で聴かれたのは、無類なほど流れのよい音楽であったのだ。もちろん、自然な感情に任せて、ごくわずかテンポが上がったり下がったりすることはあったとしても、これはまさしく、清潔な布のようなピシッとした音楽。これはどう聴いても老人の音楽ではない。ブロムシュテットはまさに現代の奇跡なのである。だから私は、「巨人」のクライマックスに大いに感動した。これこそ東京に住む我々が心して聴くべき音楽であろう。指揮棒を持たない両手で、重量級の音楽を引き出すその手腕は、実に傾聴すべきものなのである。
e0345320_00025907.jpg

by yokohama7474 | 2018-10-21 00:03 | 音楽 (Live)