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ダン・エッティンガー指揮 東京交響楽団 2018年10月20日 サントリーホール

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本当は指揮者のことから書き始めようと思っていた。だが、このコンサートを聴いてしまった者としては、この日のメインの曲目、ベルリオーズの幻想交響曲の演奏について、興奮とともに真っ先に語らずにはいられない。この演奏会にはあれこれのユニークな点があったので、まずは思い出すままに、それらを列挙して行こう。
① 原点主義流行りの今日この頃、楽譜に指定のある反復を励行することが多いが、今回の演奏では、第 4楽章はもちろんのこと、第 1楽章でも反復はされていなかった。

ええっと、このくらいならそれほどユニークではないな。では、次はどうか。
② 終楽章で不気味に打ち鳴らされる大小の鐘は、本格的な西洋の寺院にあるようなタイプのもの (カリヨン) であり、舞台裏ではなく舞台上で朗々と打ち鳴らされた (以下はほかの演奏会の記事からお借りしてきたイメージ写真)。
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まあこれも、取り立てて言うほど珍しいことではない。ではこれはどうだろう。
③ 第 2楽章において、コルネット (小型のトランペット) が入っていた。
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いやいやこれも、最近ではあまりないかもしれないが、驚くには値しない。これはどうだろうか。
④ 全 5楽章のこの曲で、第 4楽章が終わったとき (曲の主人公が死刑宣告を受けたとき)、客席からひとりの人が大声でブラヴォーを叫んだこと。

うーむ、これも突発的な出来事だと整理できようか。よし、そうなると、以下のようなことは果たしてどうだろうか。
④ 第 2楽章冒頭で呼び交わすコールアングレ 2本のうち 1本は、通常は舞台裏での演奏であるが、今回はサントリーホールの 2階席奥の右側で演奏されていた。
⑤ この曲においてトロンボーンやチューバは、音楽が熱狂的に盛り上がる第 4楽章、第 5楽章でのみ使用されているので、最初の頃はステージにはおらず、第 2楽章終了時に初めて登場した。
⑥ 舞台前面の左右に 2台ずつ、計 4台のハープが並んでいて、まるで協奏曲のソロ楽器のよう。しかも奏者は、第 2楽章開始前にステージに現れ、その楽章終了後には下がっていった。

なんという大胆な演出であろうか。こんな凝りに凝った演奏を指揮したのは、1971年生まれで今年 47歳のイスラエルの指揮者、ダン・エッティンガーである。
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このツンツン頭の指揮者は、既に日本でもおなじみである。2010年から東京フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者を務め、2015年からは桂冠指揮者を務めているからだ。だが正直なところ私は、この指揮者と東フィルの相性についてはよく分かっていない。過去に私が経験した何度かのこのコンビの演奏には、諸手を挙げて大感動ということではなかったからだ。また、普通あるオケの常任がそのポストを離れた場合、またそれなりの頻度でそのオケの指揮台に還ってくるものだろう。ましてや桂冠指揮者ならなおさらだと思うのだが、少なくともこの数年の東フィルにエッティンガーが登場したようには思えない。そんな中、今回彼が指揮するのは別のオーケストラ、東京交響楽団 (通称「東響」) である。エッティンガーはこのオケとは、2016年の新国立劇場での「サロメ」で共演しているというが、このオケのコンサートを指揮するのは初めてのようである。今回、興味深いことに、彼が以前常任を務めた東フィルのコンサートマスターである三浦章宏の姿を見掛けたが、彼はどのようにこのコンサートを聴いたであろうか。

さて、この日の曲目は以下の通り。
 ワーグナー : ヴェーゼンドンク歌曲集 (メゾソプラノ : エドナ・プロホニク)
 ベルリオーズ : 幻想交響曲作品14a

ワーグナーとベルリオーズの間には共通点があり、それはオーケストラを効果的に鳴らすということである。だが、面白いことに今回の前半の曲目、5曲からなるヴェーゼンドンク歌曲集には大音響の箇所はほとんどなく、その音色の微妙な移ろいと退廃的な響きは、滴るような情緒がある。それもそのはず、この曲は、ワーグナーが人妻マティルデ・ヴェーゼンドンクの詩を歌詞としながら、彼女との恋愛感情を作品に昇華したものであるからだ。このワーグナーという人は、人間的には最低であったとよく言われるが、ひとつのエピソードとしては、革命に身を投じて追われる身となった彼に救いの手をさしのべたスイスの富豪、オットー・ヴェーゼンドンクにかくまってもらいながら、その恩人の妻と恋愛関係に陥ってしまったことがある。全くひどい話だが (笑)、ミューズの神はよくそれを見ていて、その恋愛から音楽史上有数の革命的傑作「トリスタンとイゾルデ」が生まれ、またその副産物として、このヴェーゼンドンク歌曲集が生まれたのであるから。これがヴェーゼンドンク夫人の写真。ワーグナーより 15歳下である。
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今回この歌曲集を歌ったのは、やはりイスラエル出身のメゾソプラノ、エドナ・プロホニクである。ワーグナーを得意としているらしく、また新国立劇場でも、「こうもり」のオルロフスキー侯爵を歌ったこともあるようだ。
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さすがワーグナーに実績のある人だけあって、深々とした声が感動的。また、エッティンガーはもともとベルリン国立歌劇場でダニエル・バレンボイムの助手を務めていたので、ワーグナーに関しては隅から隅まで知悉していることだろう。オケへの指示も非常に細かく、実に繊細な起伏に富んだ音を東響から引き出していた。東響の弦も見事であったが、木管楽器も素晴らしいニュアンスで、今回もまた、首席オーボエの荒木奏美の音に惚れ惚れすることとなった。そしてプロホニクとエッティンガーは、アンコールを 2曲演奏した。最初は、これはそう来るでしょうという曲で、リヒャルト・シュトラウスの「献呈」。2曲めはシューベルトの「音楽に寄す」であったが、オーケストラへの編曲は、マックス・レーガーであった。いずれも深い感動を湛えた歌唱であった。

そして後半の幻想交響曲は、上に述べたような数々の珍しい趣向が凝らされた演奏であったが、何より素晴らしかったのはその演奏内容である。エッティンガーの指揮ぶりは、緩急と強弱を自由自在に操るもので、今どきこんなロマン的な解釈も珍しいだろう。東響も、冒頭の木管こそ、もうひとつ指揮者と呼吸が合わなかったきらいがあるが、それもほんの一瞬。エッティンガーの自在な指揮ぶりを見事に音として放射していたと思う。いやそれにしても、遅い部分はチェリビダッケばり、速い部分はミュンシュばり (笑) のエッティンガーは、なんという奔放な指揮者なのだろう。昨今の演奏では、ロマン派でも初期の音楽は、古典的な規律の中で演奏されることが多いと思うが、このエッティンガーの演奏は、まさにロマン的で、全く優等生風ではないのである。日本でも繰り返し繰り返し演奏されているこの曲であるが、これだけ強烈な表現力を持った演奏に巡り合うことは、そうそうないように思う。東響の現在の音楽監督であるジョナサン・ノットは、卓越した指揮者ではあるが、今回のエッティンガーの演奏のような悪童ぶりとは無縁である。これはこれで、オケの表現の幅を広げるという意味で、東響にとっても意味のある演奏であったと思う。両者の相性は結構よいと思ったので、また是非次の共演を期待したい。東響の来シーズン (2019年 4月から 2020年 3月) の演奏予定には彼の名前はないようであるが・・・。

このエッティンガー、現在はシュトゥットガルト・フィルというオケ (コマーシャリズムにはさほど乗っていないが、過去には数々の巨匠を客演指揮者として迎えた歴史があるようだ) の音楽監督を務めているので、いずれ来日公演も期待したい。最近の録音では、モーツァルトの 25番と 40番の組み合わせが出ているが、一体どんな演奏なのか興味がある。終演後のサイン会には参加できなかったので、次回は間近にこの「悪童」指揮者に接してみたいと思うのである。
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by yokohama7474 | 2018-10-21 01:53 | 音楽 (Live)