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エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル 2018年11月 6日 サントリーホール

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キーシンのピアノを聴く。これはやはり、現代音楽界のイヴェントとしては、特別なことなのである。・・・ええっと、何やら似たようなフレーズを最近も使ったような気がするが、ともあれ、エフゲニー・キーシンのピアノ・リサイタル。考えてみれば、過去 2ヶ月ほどの間だけでも、ツィメルマン、ポリーニ、内田光子と来て、今度はキーシンと、東京ではまさに世界最高のピアニストたちを立て続けに聴くことができるわけで、さらにこの後も、ラン・ランやユジャ・ワンや、ポゴレリッチがやって来る。今年を振り返ると、アルゲリッチはもちろん来日しているし、ピリスのラスト・リサイタルもあった。もちろんそれ以外にも、来日した名ピアニストを挙げていけばきりがない。なんという音楽都市に、我々は暮らしているのであろうか。

キーシンの名前はクラシックの演奏家としてはかなり知られている方だと思うが、10代の頃に天才と称賛され、世に出て以来 30年以上。今年実に 47歳になる。これは考えてみればすごいことだ。まず、10代の頃からの活躍が異常なレヴェルであり、カラヤンと共演したこの録音の頃の彼は、なんというか、このまま年を取らないのではないかというような、特別なオーラに包まれていたものだ。
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その天才少年が、40代半ば至っても未だに天才であり続けること、これはどのように形容すればよいのだろうか。いや、彼の場合は本当に特別で、別に音楽家が 10代だろうと 20代だろうと 30代、40代だろうと、よい音楽をしてくれれば聴衆としては満足であるところ、今に至るも少年の頃と変わらない天才の輝きを保っていることは、彼以外にはちょっとないのではないだろうか。今でも舞台に立つ容姿は、遠目にはまるで、永遠の天才少年であるかのように見える。もちろん、チラシにも使われているこの最近の写真を見ると、子供であるわけもないのだが (笑)。
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私としては 2011年に彼のリサイタルを聴いて以来であったので、大変楽しみであったのだが、その曲目も大変に意欲的で素晴らしい。
 ショパン : 夜想曲第 15番ヘ短調作品 55-1、夜想曲第 18番ホ長調作品 62-2
 シューマン : ピアノ・ソナタ第 3番ヘ短調作品14
 ラフマニノフ : 10の前奏曲作品23から 第 1、2、3、4、5、6、7番
 ラフマニノフ : 13の前奏曲作品32から 第 10、12、13番

ここに面白い事実がある。実はもともとこの日の前半には、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」ソナタ (第 29番) が予定されていたところ、10月初旬に、上記のようなショパンとシューマンに変更が発表されたのである。実はちょうどその発表があったしばらく後に、たまたま来日中であったポリーニのリサイタルの曲目が変更になり、やはり同じ「ハンマークラヴィーア」が曲目から外された (当該コンサートの記事ご参照)。そしてまた、そのポリーニが東京で最初に行ったリサイタルでは、シューマンのピアノ・ソナタ 3番が演奏された。つまり東京の聴衆は、1ヶ月ほどの間に、ポリーニとキーシンという親子ほど年の離れた名ピアニストによるそれぞれの「ハンマークラヴィーア」を聴く機会が流れてしまい、その代わり、あまりポピュラーではないシューマンの 3番のソナタを、この名人 2人の演奏で聴くということになったわけである。但し、このシューマンの曲は、ポリーニは以前からのこわだりで、3楽章版の初版で演奏したのに対し、キーシンはスケルツォを加えた 4楽章改訂版であったという違いはあったのだが。

以前から思うのだが、このキーシンのピアノには、輝きと重厚感がともに存在していて、得も言われぬ凄みがある。軽薄にならず、重すぎず。充分ロマンティックでありながら陶酔的すぎず、繊細でありながら音量も大きい。そしてどの曲にも、これしかないという確信を抱かせるようなスタイルをもって接しているように思われる。最初のショパンの 2曲は、もう絶品のロマンをたたえた感傷的な音楽で、これはショパン以外の何物でもない。続くシューマンは、先のポリーニの演奏よりも歌謡的で、バリバリ弾くのではなく、自然に沸いてくるような感じと言えばよいだろうか。これはなかなかに複雑な曲で、メロディラインも入り組んでいるのだが、よく聴くと壮大なものでもあり、一方では抒情も随所に見られるという厄介な作品だ。ただきれいに堂々と弾いても、なかなか曲の流れがつかみにくいと思うのだが、いかなる魔術的な手腕によるものか、キーシンの演奏を聴いていると、飽きることがない。なんでもこの曲は彼が、今年 7月のヴェルビエ音楽祭で初めて披露したものだという。一方、「ハンマークラーヴィア」は昨年集中的に採り上げたらしく、今回の曲目変更は、キーシン自身が現時点で深くコミットしている作品を披露するという意味であったものだろう。彼ほどの才能があれば、どんな曲でも弾き飛ばして行けるわけだろうが、それをしない点に、芸術家としての真摯な姿勢を見ることができるし、本当に非凡な自己抑制能力を持っているのだと思う。もちろん後半のラフマニノフの 10曲の前奏曲も、透明な抒情感から、ホールを揺るがすかと思われる強い音まで、キーシンの持つ音のパレットが全開で、圧倒的な名演奏であった。

そして、拍手に応えて演奏された最初のアンコールは、シューマンの「トロイメライ」。同じ作曲家のソナタ 3番での目くるめく世界から一転した、一本の美しい旋律。そこには、作り物めいた抒情性は皆無であり、きっとシューマンの心の中に響いていたのはこのようなピュアな音楽だったのではないだろうか。そして、客席から何人かの女性がプレゼントを贈呈。2曲目のアンコールは、これはまた意表をつく刺激的なリズムである。ジャズでもないし、プロコフィエフではないし、一体なんだろうと思って帰りに確認すると、これはなんと、キーシン自身の作で、「タンゴ・ドゥ・ドデカフォニック」という曲。Dodecaphonic とは、ドデカい音という意味ではなく (笑)、いわゆる無調、あるいは十二音技法のこと。なるほど、タンゴと十二音技法の出会いであったか。諧謔味溢れる曲調は、真摯な芸術家であるキーシンのイメージとはかけ離れていて、なんとも興味深かった。そしてその後、さらに 2つのプレゼントを受け取り、それらをピアノの端に置いて弾き始めたのは、驚いたことに、ショパンの「英雄」ポロネーズ!! その高揚感には心から脱帽である。考えてみれば、ピアノ音楽として誰もが知る 2曲の間に自作を挟んだアンコールであったわけで、聴衆に対するサービスを心掛けながらも媚びることのない彼の姿勢が伺われるものであった。
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以前ポリーニについて書いたときに、演奏中の姿に感じる孤独について触れた。だが、このキーシンの場合には、不思議と孤独感というものを感じることはないのである。もちろん年齢的なこともあるだろうし、芸術家のテンペラメントの違いもあるだろうが、演奏において常に聴衆と結ばれていること、あるいは、演奏の喜びを感じていること。そういった要素が彼の演奏をあれだけ感動的なものにしているのかもしれないと、今回改めて思ったものだ。そのキーシンのリサイタル、今回は 11/2 (金) の横浜を皮切りに、4日おきに開かれる。11/10 (土) には大阪のザ・シンフォニーホールで、そして 11/14 (水) には東京芸術劇場でそれぞれ予定されているが、東京芸術劇場での演奏会は、どうやらまだチケットが余っている気配である。これだけのピアノを聴ける機会はそれほどはない。迷っておられる方には、是非お出かけ下さいと申し上げておこうと思う。


by yokohama7474 | 2018-11-07 01:46 | 音楽 (Live)