川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ 東京オペラシティ アートギャラリー

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この展覧会は、既に終了してから 1ヶ月以上経過しているもので、しかも、東京展の前に大分と香川を巡回して、東京が最後であったので、今さらここでその内容を絶賛しても、時既に遅し。だがまぁ、開き直ってしまえば、このブログの本来の趣旨は、いかなる文化イヴェントが東京で起こっているかを記録し、またそれをご覧頂く方に認識頂くということであるので、毎度のことながら、終了済の展覧会の紹介もあながち意味がないものでもないと思うので、できるだけ現場に行ったときの生の感想をお伝えしたいと思う。なお、一部は私が会場で撮影した写真である。

この記事は前回の記事、つまり日本古来の建築と現代の日本の建築家の作品との間に、いかに脈々と流れる美意識があるかという趣旨と、幾分関連するものである (そう言えば、ポスターの色合いも近い。笑)。ここで採り上げる芸術家は、イサム・ノグチ (1904 - 88)。展覧会の副題にある通り、「20世紀の総合芸術家」という表現にはそれなりの意味があるのだが、一般的にはやはり、彼を彫刻家と呼ぶのが妥当なような気がする。詩人の野口米次郎を父に、米国人のレオニー・ギルモアという作家を母に (そういえば、「レオニー」という映画もありましたね)、米国に生を受け、幼時を日本で過ごした。彼の生涯は太平洋戦争の期間をその中に含み、その間日本と米国は敵国となったがゆえに、彼は運命に翻弄される。米国人であるという批判によって、戦後実現しなかった原爆慰霊碑という痛ましい例もあり、2つの国に引き裂かれた人生であったとも言えようが、だが私が彼の作品を好きなのは、個人としてのつらい経験や悲惨な思いを超えて、どこか超然とした無機質性を感じさせる点にある。もちろん、ある場合には沈黙による悲痛さを感じさせることもあるし、屈折した心理を思わせる場合もある。だが、やはりノグチの発想には、政治的な要素は一切なく、日本人の血が大きく影響しているであろう Simplicity こそがその創作の源泉ではないだろうか。これは老年のノグチ。
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ここで彼のことを総合芸術家と呼んでいる理由は、人間の身体を絵画として描いたり、彫刻で表現して行くうちに、舞台装置をてがけたり、さらにはインテリア、庭園などの空間造営に活動を広げて行ったことであろう。展覧会の最初の方には、このような、大きな紙にインクで描いた「スタンディング・ヌード・ユース」という作品 (1930年作) が。彼は日本に渡る前、シベリア鉄道で大陸を横断して北京に到着し、そこに 7ヶ月滞在した。そのときに描いたこの種の作品は「北京ドローイング」と呼ばれ、100点以上現存しているという。
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このほかにも「北京ドローイング」の何点かが展示されていたが、身体の彫塑性への興味が、そこでは明らかだ。つまり、描かれている人間の内面を描くよりも、かたちの面白さを線の面白さで表現することに興味があるように見える。これは「うつむく僧」と「座る男」(ともに 1930年作)。
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このブロンズ彫刻は、空洞の眼窩と、長く延びた髪のような棒状の持ち手が、極めて印象的である。ニューヨークで 1925-26年に制作された、伊藤道郎という舞踏家の肖像。
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この伊藤道郎というダンサーは、1911年に渡欧し、アイルランドの詩人イェイツ (ノーベル文学賞を受賞している) とともに能の研究をしたり、あの「惑星」で有名なグスタフ・ホルストに「日本組曲」を委嘱したりしている。またノグチに、あのマーサ・グラハムを紹介した人物であるという。100年も前に、大した人物もいたものだが、調べてみると彼は、千田是也の兄であるという。また、かつてジェリー伊藤という俳優がいたが、彼はこの伊藤道郎の次男であるそうだ。これが伊藤道郎の若い頃の写真。
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初期のノグチの彫刻作品も幾つかあるが、ある意味でノグチらしくなく、人の顔を比較的忠実に再現した「ジョエラ・レヴィの肖像」(1929年作) は、彼の素直な感性を思わせて、これが実はノグチの作品に通底する感性かとも思わせるのである。
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かと思うと、この 1937年作の「ラジオ・ナース」はどうだろう。これはノグチが初めて手掛けた大量生産の工業デザインであり、離れた場所から子供部屋の音を聞き、子供の様子を知るという用途で作られたものらしい。すぐ上で見た手作りの具象的な人の顔は、数年の間にこのように抽象化され、工業デザインとなった (笑)。
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これは、1931年作の「玉錦 (力士)」。相撲観戦 (連れて行ったのは、新渡戸稲造と、貴族院議長徳川家達であったという!!) のあと、当時の大関で、後に横綱になる玉錦という力士の像をテラコッタで作ったもの。身体表現への興味と、どこかユーモラスな雰囲気が感じられる。
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これは 1955年、上でも名前の出たマーサ・グラハム振付の「セラフィック・ダイアローグ」という舞台の装置である。ジャンヌ・ダルクを主人公としており、この真鍮の管で造形されているのは大聖堂であるとのこと。空間を切る感性は、のちに庭園の設計に向かうノグチの指向を表していると思う。
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いくつか、ノグチらしい造形の彫刻作品を。「化身」(1947年作)、「私の無」(1950年作)、「かぶと」(1952年作)。抽象性と、日本的な感性による造形である。
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そうそう、日本的と言えば、「あかり」という照明シリーズが有名だ。前回の記事でも、丹下健三が自宅でノグチの「あかり」を使用したと書いたが、このシンプルでスタイリッシュでありながら、どこかほっとする造形は、上記の彫刻作品と共通する。この 2枚は私が会場で撮影。
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そしてノグチはついに、地面を「彫刻」し始める。以下、モノクロ写真がまさにシンプルでスタイリッシュだが、イェール大学の図書館の中庭 (1963年頃) と、ウォール街のチェイス・マンハッタン銀行 (現在は JP モルガン) プラザの庭 (1961 - 64年)。
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この 2枚も会場での私の撮影で、「ミラージュ」(1968年頃作)。花崗岩でテーブルのような板を作っているが、そこに 2つの隆起がある。ノグチ自身はこれを、蜃気楼が出現した砂漠の風景と言っているらしいが、具体的な情景を思わせるものは何もない。だが見ている者を不安にする要素もなく、抽象性も適度で、いわゆる思わせぶりな現代アートとは全く異なるものだと思う。
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これは晩年の作品で、「アーケイック」(1981年作)。古代をテーマにしているが、やはり抽象性が心地よい。もちろん人為的に作られたものだが、自然界の一部を切り取って来た、つまり、大地に彫刻を施したような作品であると思う。私が会場で撮影したもの。
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改めて、ノグチの創作における日本的感性と、コスモポリタンとしての芸術家の創作活動の接点が感じられる展覧会であったと思う。そういえばノグチの美術館と言えば、ニューヨークのクイーンズにあるイサム・ノグチ庭園美術館には何度も行ったことがあるが、高松市牟礼町 (ノグチのアトリエのあったところ) にある同じ名前の美術館には、残念ながら未だ行ったことがない。今年は久しぶりに高松に出掛ける機会があったのに、見逃してしまった。実は高松空港の玄関口には、このようなモニュメントがあるらしいが、「タイム・アンド・スペース」と名付けられたこのモニュメントは、最期の年である 1988年にノグチが制作したブロンズの模型に基づいて作られたもの。いわば彼の遺言が、高松では人々を出迎え、また見送っているのである。
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彫刻から身体・庭へ --- イサム・ノグチの芸術を身をもって体験することで、気持ちが前向きになると思うのである。

by yokohama7474 | 2018-11-09 01:28 | 美術・旅行 | Comments(0)
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