川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

ディエゴ・マテウス、小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ (Vn : アンネ=ゾフィー・ムター) 2018年12月5日サントリーホール

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このコンサートを知ったのは、つい先月だかの NHK のニュースであった。そこでは小澤征爾が、今年の 3月に大動脈弁狭窄症のための治療を行って以来初めて、本格的に復帰するということが報じられていた。確か曲名は紹介していたとは思うが、「コンサートの最後の曲を振る」という説明しかなかったと記憶している。それだけでは、一体何のコンサートであるのか分からないので、サントリーホールのウェブサイトで調べたところ、クラシックの名門レーベル、ドイツ・グラモフォンの創立 120周年を記念する演奏会と分かった。チケットの売り出しはコンサート当日のわずか 2週間半前。これは普通にはあり得ない直前のスケジュールであるが、誰もが知る小澤の名前と、83という高齢、かつ、最近では病気によるキャンセルがあまりにも多くて、その実演に触れる機会が極めて貴重になっていることから、当然のごとくチケットは完売。その一方で、今回その小澤が指揮するのが、サン=サーンスのたった 10分程度の曲、しかもヴァイオリンの伴奏ということもあって、通常のクラシックファンにとっては、それをもって「本格復帰」というのはいかがかという思いがあったことは、否めないだろう。今年のセイジ・オザワ・フェスティバル松本の演奏会の記事でも触れた通り、小澤は今年 7月に、自らが指導する室内楽セミナーで、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第 16番第 3楽章を予告なしに指揮したことが報じられていて、その曲の方がむしろ今回の曲よりも、聴き甲斐のあるものとも言えるかもしれない。もちろん私とても最初はそういう思いであったのだが、ただ、冷静に考えると、これは小澤の登場がなくても大変に興味深いコンサート。なぜならばまず、オーケストラがあのサイトウ・キネン・オーケストラであるからだ。そして、小澤が伴奏するのは世界ヴァイオリン界の女王、アンネ=ゾフィー・ムターであり、加えて大半の曲目を指揮するのはヴェネズエラの俊英、ディエゴ・マテウスである。これはやはり、聴いておきたいコンサートであろう。実際に現地に行ってみると、小澤の登場する演奏会後半には、天皇・皇后両陛下も客席にお姿を見せられ、記念すべき一夜になったことは間違いない。YouTube では、ごく短いが、このコンサートについて、またムターについて語る小澤の動画も見ることができる。
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サイトウ・キネン・オーケストラは臨時編成のオケであり、ソリストや世界各地のオケの首席クラスが顔を合わせて結成されるので、何年も前からスケジュールを組まないといけないだろうし、あのドイツ・グラモフォンの記念演奏会ともなると、レーベルの威信もあるので、最高の演奏が保証される演奏者が必要だ。ましてや、今や世界でも最重要マーケット (の、少なくともひとつ) である東京での演奏会である。それゆえ、小澤の指揮とサイトウ・キネンの演奏が前提として企画されたものであるのだろうと、私は推測する。だが肝心の小澤が、7月に一度指揮をしてから、8月にはまた軽度の胸椎圧迫骨折を患っていたこともあり、その健康状態に鑑みて、なかなか発表に至らなかったのかもしれない (天覧コンサートが決まっていたならなおさら、万一小澤キャンセルともなるとちょっとまずい事態になるだろうし)。加えて、もともとサイトウ・キネンは旧フィリップス、現在ではデッカから録音を出していて、グラモフォンのイエローレーベルでの録音を見た記憶が、私にはない。それから小澤自身も、グラモフォンとの録音は、かつてはボストン響や、一部ベルリン・フィルとの顔合わせが多くあったものの、近年はほとんどないはず (水戸室内管との最新の第九はグラモフォンだが)。ただ、デッカとグラモフォンは今やともにユニバーサル・ミュージック傘下の会社。その意味では、こんなことに目くじらを立てるのではなく、ともかくコンサートを楽しむべきである。今回の曲目は以下の通り。
 チャイコフスキー : 歌劇「エフゲニ・オネーギン」からポロネーズ
 チャイコフスキー : 交響曲第 5番ホ短調作品64
 バッハ : ヴァイオリン協奏曲第 2番ホ長調BWV.1042
 ベートーヴェン : ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第 1番ト長調作品40
 サン=サーンス : 序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調作品28

このうち、前半のチャイコフスキー 2曲と、後半のベートーヴェンがディエゴ・マテウスの指揮。後半 3曲がムターのヴァイオリン独奏で、バッハは自身の弾き振り。ベートーヴェンはマテウスの指揮。そして最後のサン=サーンスが小澤の指揮であった。私はひそかに、当日サプライズ発表で、冒頭のポロネーズも小澤が指揮してくれるのでは、と勝手に期待していたのだが、それは実現しなかった (笑)。だが、我々聴衆は充分ラッキーだったと言えるだろう。なぜなら指揮のマテウスが今回も素晴らしかったからだ。弱冠 34歳にして、3歳先輩のグスタヴォ・ドゥダメルのあとを追って、世界で活躍している指揮者である。実は、上のポスターでも彼の出演は小さくしか出ていないし、ましてや NHK のニュースでは触れられるわけもない。だが冷静に考えてみると、これはかなりよくできた人選だ。なぜなら、小澤の登場はコンサートのごく一部に留まる中で、演奏会全体の質は保たねばならない。だが、小澤に並ぶようなビッグネームの指揮者では、小澤の影に隠れるのはよしとしないだろう。かと言って、あまりに無名の指揮者では、さすがに集客にも問題が出てこよう。それから、この臨時編成のオケと、今回が初の顔合わせでは、これも困るだろう。その点マテウスなら、未だ若いという点で融通 (?) が効くし、しかもサイトウ・キネンを何度も指揮しているのみならず、今年 8月には松本で、今回のメインであるチャイコフスキー 5番を指揮した実績もある。その意味で、最適な人選なのである。
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最初のポロネーズは、冒頭の管には少し課題もあったものの、曲が熱して行くうちに、演奏自体もノッて行ったと思う。続く 5番は、これはさながら、ロシアではなく南米版チャイコフスキーという趣き。いや、誤解を避けるために言っておくと、冒頭のクラリネットの陰影や、第 2楽章のホルンの抒情に不足したというわけではない。だが、先日サンクトペテルブルク・フィルで同じ曲を聴いた身としては、今回聴かれた音は、やはりロシア的というイメージとは異なると言える。音楽の面白いところは、そうであるからと言って、ロシア的な演奏の方がすべての点で絶対的に面白いかというと、そうでもない点である。マテウスは、開始部分こそゆったりとしたテンポであったが、曲の熱狂に応じてテンポを少し上げ、タメをつくるのももどかしいように、前へ前へと進んで行く。何より好感が持てるのは、その音楽にはただ格好をつけようという態度が皆無で、ひたすら楽譜に書かれた音楽を劇的に再現しようという意志が見えたことであった。いつもの通りサイトウ・キネンは、弦楽器は全員日本人、管楽器は大半が外国人という編成であったが、その弦の凄まじい表現力は、多くの東京のオケのレヴェルを凌いでいよう。一方の管、特に木管は、正直なところ、全体的にもっと突き抜ける響きが欲しかったような気がする。印象に残ったのはヴェテランのティンパニ奏者であったが、彼の名はドン・リウッツィ。フィラデルフィア管弦楽団の首席である。

さて、後半にはヴァイオリンのアンネ=ゾフィー・ムターが登場し、3曲を弾いた。私は彼女を、まさに現代のヴァイオリンの女王と考えているが、実演に触れるのは、2年ほど前に、サントリーホール 30周年を記念して開かれた演奏会で、やはり小澤の指揮するウィーン・フィルをバックに、武満徹の「ノスタルジア」を聴いて以来である。少女時代にカラヤンに見出されて世に出た彼女は、その後小澤とも数々の共演を重ねてきて、長年に亘って気心の知れた仲である。
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最初のバッハでは指揮者を置かず、ソロを弾きながら、必要に応じて指揮もするスタイル。オケは弦楽器だけだが、当然チェンバロも参加する。そのチェンバロは、私の尊敬する作曲家・ピアニストである野平一郎が弾いていた。このバッハ、コントラバス 1本の小編成ながら、響いてくる音はいわゆる古楽器的な線の細いものではなく、ムターのヴァイオリンも、彼女の個性である朗々たる響きを基本とするもの。それは、教条的なバッハではなくて、ある種人間的な感情を湛えたものであったと言えるのではないか。その一方で、リズムに乗るまでには少しオケとの探り合いのような雰囲気も聴かれたように思う。ところでこの人によるバッハの 2番のコンチェルトというと、1984年のベルリン・フィルとのジルヴェスターコンサートがあった。そこではカラヤン自身がチェンバロを弾き、今回聴いたよりもふくよかなバッハが鳴っていた (オケはコントラバス 4本)。これも YouTube で見ることができるが、当時 21歳のムター自身も、かなりふくよかだ (笑)。
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2曲目のベートーヴェンは、2つある「ロマンス」のうち第 1番。2番ほど旋律美はないかもしれないが、名曲である。ここでのムターは、再登場したマテウスの指揮のもと、自由な音楽を聴かせたと思う。だが、ちょっと疑問に思ったことがあるとすると、彼女本来のヴァイオリンなら、さらにさらに強い音で深々と歌ってもよいような気がする。古典から現代曲までなんでもこなせるムターのことだから、自らの芸術性においては確固たる信念があるはずだが、もしかすると、50代も半ばに差し掛かって、少しスタイルが変わっているのかもしれないとも思ったが、いかがであろうか。

ところで今回私の席からは、ステージドアがよく見えたのであるが、ムターが最初に登場したバッハの演奏時、袖ではマエストロ小澤が、上着を着ない白いシャツ姿で、ムターを大きな拍手で送り出していて、興味深かった。そして、最後のサン=サーンスに向けてステージ上の準備が進んでいる間は、既に上着を着て準備を整え、袖にある椅子に座って待機していた。そうして演奏開始時には、いつもの、木 (この場合はステージドア) を 3回叩くゲン担ぎも高らかに、ムターとともに元気にステージに登場したのであった。指揮台の上には、オフィスデスクにあるようなタイプの、だが結構ゆったり座れる形状の椅子が置いてある。小澤はそれに腰かけ、指揮棒は使わないがスコアを見ながら、10分間の演奏を指揮した。体はまた一回り小さくなったような気がする。そして指揮ぶりもかなり小さいもの。だが、それにも関わらず、この緩急の微妙な呼吸を必要とする曲を、実にうまく捌いていたと思う。もちろんオケとの相性もあるだろうが、小さな身振りでもリズムはしっかりと刻まれ、ティンパニの一撃が入る箇所や、オケ全体で盛り上がる部分では立ち上がっての指揮で、そのメリハリたるや、やはり小澤の小澤たるゆえんである。ここではムターも、劇的な曲調に自らの表現力を発散し、聴衆を興奮させる音楽を奏でていた。報道写真では既に今回の演奏の写真が見つかるので、勝手ながらここで借用してご紹介したい。
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演奏を終えた小澤は、おどけたような仕草もあり、またステージから引き上げる際には小走りを見せるなど元気な様子で、安心した。既に通常よりも長めのコンサートになっており、アンコールはなかったが、客席はすぐにスタンディングオベーションとなり、天皇・皇后両陛下も、立ち上がって長く拍手をしておられた。今回はラストの曲が短く、しかも大シンフォニーほどの熱狂を巻き起こしたわけではなかったので、客席からのブラヴォーの声はほとんどなかったが、みんなが愛してやまないマエストロの復帰に、温かい拍手が送られていた。オケの楽員も、一旦引き上げたが何度もステージに登場し、また、小澤とムターだけではなくマテウスも再度登場し、記念すべき公演は終了した。

さて、今後の小澤の予定であるが、3月には小澤征爾音楽塾でまた「カルメン」を採り上げる (京都 2回、横須賀 1回、東京 1回)。指揮はクリスティアン・アルミンクとの分担だが、一部でもよいから、降板することなく、是非指揮して欲しいものである。それから、夏の松本にも、来年は出演予定である。これは会場で配布していたチラシ。曲目の詳細は未だ発表されていないようだが、また内田光子とのコンチェルトがある様子。そして、ファビオ・ルイージが還ってきて、小澤のオハコでもある「エフゲニ・オネーギン」を指揮する。これも楽しみである。
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by yokohama7474 | 2018-12-06 01:40 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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