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沼尻竜典指揮 日本フィル (ソプラノ : エディット・ハラー) 2018年12月 7日 サントリーホール

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12月も半ばに近くなると、東京の音楽界ではそろそろ第九の気配が漂ってくる。サントリーホールの 2階通路には、その月と翌月のコンサートのチラシがズラリと貼ってあるが、今月は第九、来月はニューイヤーコンサートの類がほとんどである。だが、密度の高い東京の音楽シーズンは未だ終わったわけではない。今回の日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「日フィル」) の定期演奏会の曲目は、以下の通り。
 ベルク : 歌劇「ヴォツェック」より 3つの断章 (ソプラノ : エディット・ハラー)
 マーラー : 交響曲第 1番ニ長調「巨人」

音楽ファンならすぐに分かる通り、この組み合わせは、ウィーン世紀末とその系譜として、大いに筋の通ったもの。この演奏を指揮するのは、1964年生まれの沼尻竜典である。1990年のブザンソン国際指揮者コンクール (小澤征爾、佐渡裕をはじめ、多くの日本人優勝者を出している) での優勝をきっかけに世に出て、国内外で活躍している。現在はびわ湖ホールの芸術監督として意欲的な活動を展開しているほか、昨年まではドイツ、リューベック歌劇場の総監督でもあった。
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彼が今回指揮をする日フィルは、2008年まで正指揮者を務めていた関係であるから、それから 10年経っているとはいえ、気心は知れているだろう。このブログでは東京のオーケストラ演奏会を多くご紹介しているが、そこに登場する百花繚乱の指揮者陣において、日本人指揮者の占める割合は、実はあまり高くない。そんな中、中堅日本人指揮者としてこの沼尻あたりが存在感を見せてくれることで、東京の音楽シーンが大いに盛り上がることは間違いないだろう。今回私が期待したのは、この人はもともとこの世紀末からの系譜につながるレパートリーに真摯に取り組んでいるのを知っているからで、マルカンドレ・アムランとともにブゾーニの大作、ピアノ協奏曲を日本初演したのは 2001年。そして、天羽明惠らを主役にベルクのオペラ「ルル」をやはり日本初演したのは 2003年。また来年には新国立劇場で、「ジャンニ・スキッキ」と同時上演でツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」を指揮するなど、明確な路線を維持している。だが私も彼の演奏はかなり久しぶり。一体いかなる音楽を聴かせてくれるであろうか。

久しぶりといえば、最初の曲目であるベルクの「ヴォツェック」を、最近実演で見ていないなぁと思う。以前は、若杉弘や小澤征爾が採り上げたり、アバドやバレンボイムも来日公演でこの演目を披露してくれた。だが最近接した上演として今私が思い出せるのは、2009年に新国立劇場で見たハルトムート・ヘンヒェン指揮のものくらいである。聴いていてワクワクウキウキする曲では全くなく、むしろその暗さ、悲惨さ (ストーリー、音楽とも) に、聴いていて段々つらくなるような曲なのであるが、幸い (?) 演奏時間があまり長くないので、その凝縮性に救われる点もある。今回演奏された「3つの断章」では、作曲者自身によって、全曲の中の 3曲が選択されていて、主役ヴォツェックの内縁の妻マリーの歌が、それぞれの断章に入る。今回歌ったのはエディット・ハラーというソプラノ歌手。2010年にティーレマンのもとで「ワルキューレ」のジークリンデを歌って主役デビュー、来年はメトロポリタン歌劇場で「神々の黄昏」のグートルーネを歌うという。この「ヴォツェック」のマリーも、既にバーゼル歌劇場で歌った経験があるらしい。未だ若手であるが、ワーグナー歌いとしての実績を積みつつあって、今回の役柄には大いに適性ありだ。
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このハラーの歌唱は、確かに強い表現力を持ったものであったと思う。但し、この曲においては、歌で魂を揺さぶられるということにはあまりならず、やはりオーケストラが織りなす、なんというか、黒い水が延々と流れて行くような、そんな退廃的な人間ドラマこそが聴き物である。沼尻と日フィルの演奏は、充分劇的ではあったものの、さらにえぐるような音があればもっとよかったかもしれないと思ったものだ。大変な難曲である。

そして、そのハラーも客席に座って鑑賞した後半の「巨人」であるが、このブログで見てきた通り、このところ何度も実演に接している曲。日本人指揮者と日本のオケによって、独特の感性を聴かせて欲しいと思ったものだが、ここでも、技術的にはほとんど難はないにも関わらず、どういうわけか、終始感動に酔いしれるということには、残念ながらならなかった。ひとつの原因は、過去 2ヶ月ほどの間に世界最高クラスのオケを立て続けに聴いてきたので、どうしてもその音が耳に残っていて、比較してしまうということであろうか。例えば弦楽器の千変万化する多彩な表情や、木管の自己主張ぶり、金管のパワーと美感の両立、といった点において、やはり世界の超一流と比べると分が悪い (ゲストコンマスは今回も白井圭であったが)。繰り返しだが、技術的な破綻はなく、いやそれどころか、美しいと思う瞬間も何度もあったにも関わらず、全体を思い返してみて、端的に言うと、少し彫りが浅い演奏であったように感じてしまうのである。それには多分沼尻の指揮も関係していて、オケを統率して音響をまとめる手腕に疑問の余地はないものの、音のドラマ性や、ここぞというときの踏み込みに、今一歩の感が残ってしまった。尚今回の演奏、ホルンは通常の 7本から 1本増やして 8本。終楽章の大詰めでは、そのホルンと、両脇のトロンボーンとトランペット 1人ずつが起立し、曲の終了まで立ったまま演奏する方法が取られていた。それにより、最後の最後では大音響による盛り上がりが聴かれたので、気分よく聴き終えることができたのはよかった。

私は思うのであるが、東京においてはこれだけ頻繁に世界のトップクラスのオーケストラを聴くことができるがゆえに、やはりそれを受けて立つ日本のオケにも、大いなる刺激があるはずである。今回の客席の入りは半分以下であるかに見えて淋しかったが、私としては、在京主要オケのひとつである日フィルの健闘を期待するがゆえに、会場に足を運んだわけである。だからこそ、私個人としては課題の残る演奏と聴いたこの演奏会も、また次へのステップとして期待を継続する要素になろうというものだ。来年にはヨーロッパ公演も控える日フィル、その大舞台では、個性を充分に発揮できることを期待したいと思う。また、最近は作曲までしてしまうマエストロ沼尻には、また次の機会に、違う一面を見せて欲しい。
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by yokohama7474 | 2018-12-08 00:27 | 音楽 (Live)