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第九 小林研一郎指揮 日本フィル 2018年12月22日 横浜みなとみらいホール

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日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「日フィル」) の今年の第九は、2人の指揮者による 7公演。上のチラシで見る通り、いずれも 70代の、井上道義と小林研一郎である。正直なところ、このところずっと好調を保ってきている井上の第九を聴いてみたいと思ったのだが、既に予定しているほかのコンサートや演劇鑑賞のために、それは果たせなかった。だが、既に 78歳という年齢を考えれば驚異的な活躍ぶりのコバケン = 小林研一郎の指揮する第九にも大いに興味があったので、横浜まで聴きに出かけることとした。
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このブログでも何度か採り上げてきた通り、コバケンは現代日本を代表する、大変な人気指揮者なのであるが、そのレパートリーは既にかなりの期間、ポピュラー名曲が中心なのである。だがその指揮ぶりを侮ることはできない。炎のコバケンなどと称されているが、もちろん情熱的な部分が目立つとは言え、彼の持ち味である情熱の裏には、人間に対する信頼がある。それゆえにこそ、音楽が激しく高揚する部分以外でも、彼がいつも言うところの「魂」のこもった音楽を聴くことができるのであると思っている。私が彼の実演に接した高校生の頃から 35年以上一貫して変わらないその真摯な指揮ぶりには、素直に感動できるものがあるのである。

では、「川沿いのラプソディ」恒例の第九シートから。
・第九以外の演奏曲
  あり (石丸由佳のオルガン独奏で、バッハ : 前奏曲ト長調BWV.568 / 新年のコラール「神の恵みを共にたたえん」BWV.613 / トッカータとフーガ ニ短調BWV.565
・コントラバス本数
  8本
・ヴァイオリン左右対抗配置
  なし
・譜面使用の有無
  指揮者 : なし
  独唱者 : なし
  合唱団 : なし
・指揮棒の有無
  あり
・独唱者たちの入場
  第 2楽章と第 3楽章の間 (ティンパニ以外の打楽器奏者も)
・独唱者たちの位置
  ステージ奥中央 (合唱団は P ブロック)
・第 2楽章提示部反復
  なし
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
  あり

第九の前座でオルガン独奏が演奏されることはたまにあるが、クリスマスの時期にはこのようなクリスチャンな雰囲気に浸るのもよいだろう。実際、キリスト教徒が国民の大多数を占めているわけでは決してない日本において、多くのコンサートホールに立派なオルガンが設置されているのは驚きだ。このみなとみらいホールにも、ステージ奥に素晴らしいオルガンがあって、このような機会にそのオルガンが大音響で響き渡るのを聴くのは、本当に心地よいことである。今回オルガンを弾いた石丸由佳は、東京藝大を出てからデンマークやドイツで学び、2010年にはシャルトルのオルガンコンクールで優勝している。このように華奢な人だが、巨大なオルガンという楽器を響かせ、疾走感まで感じさせる演奏を聴かせてくれた。最初の前奏曲BWV.568の最後の部分では、トライアングルか鈴のような、キラキラした音が聴かれたが、あれはオルガンから出た音とはちょっと思えなかったのであるが、一体何であったのだろう。帰宅してから、バッハ作品全集 172枚組からこの曲の CD を引っ張り出して聴いてみたが、普通にオルガンだけの演奏であった。
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さて、コバケンの第九、どのように表現したらよいだろうか。スタイル自体はある意味では想像通りでありながら、だが想像を超える丁寧な指揮ぶりで、この作品の持つ破天荒さよりはヒューマニズムに焦点を当てた演奏だったと言えばよいだろうか。例えば冒頭の、霧の中から稲妻が現れるような箇所は、多くの演奏よりもテンポは遅め。だがその指揮棒はきっちりとリズムを刻んでいて、どこで力を解き放つべきかをオケに伝えている。結論を言ってしまうと、この曲で力を解き放つべきは、終楽章の「歓喜の歌」なのである。第 1楽章はよく闘争の音楽と言われ、私自身もそう思っているのだが、今回の演奏では、比較的緩やかなテンポで重厚感を漂わせ、浮足立ったところは全くない。つまり、何かを敵として挑みかかっている雰囲気は感じられず、すべての音が充分に鳴るように配慮された演奏であったように思う。第 2楽章スケルツォでは、昨今の演奏では珍しく、提示部の反復は省略されていたが、これもコバケンのベートーヴェンのひとつの特色であろう。流行りの古楽風には一切目もくれず、ひたすら人間的な要素を重要視しながら進んで行く音楽である。そこには横溢する生命力がある。そして、第 3楽章はまるでマーラーのアダージョのような粘りのある音楽。日フィルの音はそれほど粘りがあるわけではないので、このようなスタイルでも胃もたれすることなく聴くことができる。小林という指揮者の「魂」がここに込められていると言ってもよいであろうし、彼特有の唸りがここで聞かれたのも偶然ではないだろう。そして、続けて演奏された終楽章も、随所にユニークな聴きどころがあった。最初の乱痴気騒ぎはどこか冷静な視線を感じさせるもので、先行楽章のテーマが順番に現れる箇所では、実に丁寧な表現が聴かれた。そして、通常よりも長い休止を経てから「歓喜の歌」が低弦に現れるあたりで、音楽は前に進むことを固辞するかのごとく、揺蕩いを見せる。その後、「歓喜の歌」のテーマで盛り上がっている最中に、指揮者は合唱団 (東京音楽大学。小林はこの大学の名誉教授である) を立たせたのだが、これも異例。通常なら、バリトンが「おお友よ」と呼びかける直前で立ち上がるのであるが、それに先立って立たせた指揮者の意図は、合唱団が歌い出す前にオケによる「歓喜の歌」を若い合唱団に浴びさせようということであったのではないか。そしてバリトン・ソロも、通常よりも格段にドラマティックな味付けをしたもの。そうしてこの曲の中心に入って行き、貯められた力が発散されたのだが、もうひとつ印象に残ったのは、ソリストが入らず合唱団だけが薄いオケをバックに歌う抒情的な箇所。ここでもまた聴衆は、人間的なものを聴き取ったに違いない。ただ盛り上がりで声を張り上げるだけではない第九。素晴らしいではないか。また、4人の独唱者は、ソプラノの安藤赴美子、アルトの山下牧子、テノールの錦織健、バリトンの青戸知と、充実の顔ぶれ。この曲ではソプラノ・パートの聴かせどころはほとんどないのであるが、このブログでも過去何度かその名に言及したソプラノの安藤には、やはり今回も非凡なものを感じた。
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終演後の拍手に応えて、歌手、指揮者、合唱指揮者、そしてコンサートマスターの木野雅之を交えて、オペラのカーテンコールよろしく、手をつないでの客席への礼が何度か繰り返され、小林は、ステージ上で声を上げて、合唱団とオケの各パートを起立させた。そして最後には、いつものようにスピーチがあったのだが、「魂」をこめた演奏ができたことについての聴衆への謝意表明、今回のコンサートのスポンサーへの謝意表明があり、「また来年も再来年もその先も、是非いらして下さい!!」と発言して挨拶を終えたのであった。ご本人からの要請を待つまでもなく、聴衆は、これから 80代に向かう小林の音楽に「魂」を聴き取るために、コンサートホールに向かい続けるであろうと思うのである。

by yokohama7474 | 2018-12-23 00:22 | 音楽 (Live)