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ボヘミアン・ラプソディ (ブライアン・シンガー監督 / 原題 : Bohemian Rhapsody)

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さて、川沿いの自宅でラプソディックなブログを細々と書いている身としては、まずはその題名によってだけでも、現在大ヒット中のこの映画を採り上げないわけにはいかない。ラプソディって何ですかと訊かれることは、稀にないではないけれど、そういう人には、「まずクイーンの曲を聴いて下さい」と答えるようにしている・・・というのはもちろん嘘だが (笑)、私とても、中学生の頃からクイーンの音楽にはそれなりに親しんできた世代。ただ、リーダーであったフレディ・マーキュリーが AIDS で亡くなってから (それは 1991年のこと)、何やら禁断の香りをそこにかいでしまうようになったことは、否めない。そう、もちろん、ロバート・メイプルソープ、キース・ヘリング、デレク・ジャーマン、ジョルジュ・ドン、ルドルフ・ヌレエフ、あるいはさらにマイナーかもしれないが、スカラッティの鍵盤曲全集録音 (もちろん私もその 34枚組を所有している) という気の遠くなるような偉業を達成したチェンバロ奏者スコット・ロス、あるいは自らエイズ患者を演じた「野性の夜に」(もちろん封切の際に劇場で見た) を監督したシリル・コラールなど、その前後に同じ病気で世を去った偉大なるアーティストたちには枚挙に暇がない。それから時も流れ、当時あった偏見は確実に減ってきているとは思うものの、道半ばにして AIDS で世を去った人たちの無念には、やはり胸に迫るものがある。フレディ・マーキュリーにはある種の殉教者的イメージがついて回り、そこにはもしかすると真実が美化されてしまっている面もあるかもしれない。なので、フレディの死後四半世紀以上経ってからこの映画を見ることには、様々な意味があると思うのである。これは本物のクイーンで、フレディ・マーキュリーは右前の人物。
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私が中学生の頃に彼らの曲を聴いて強烈に印象に残ったのは、そのハモリの美しさである。ロックについて何か詳しかったわけではないが、当時は邦楽・洋楽それぞれにヒット曲というものがあって、それらは人並みに聴いていたのだが、今にして思うと、街中やラジオで耳にして「なんときれいなハーモニーか!!」と思った曲は、ほとんどクイーンであったような気がする。美化かもしれませんが (笑)。だが、ここでいきなり方向転換してしまうと、この映画は別にクイーンに詳しい人だけが楽しめるという内容ではなく、見る人誰もが感情移入し、時には落ち込み、時には気持ちが高揚する、そんな映画であると思う。というのも、ここにはフレディ・マーキュリーとクイーンの歴史は事細かに描かれているものの、フレディの内面には過剰に深入りすることはなく、死の場面も描かれていない。彼の同性愛志向についてのストレートな描写はあるが、それについて何か大きなメッセージが託されているということでもない。主人公が自らの同性愛志向に気づく場面と言えば、私のようなオッサンはどうしても、ルキノ・ヴィスコンティの名作映画「ルートヴィヒ 神々の黄昏」の中で、ヘルムート・バーガー演じるルートヴィヒ 2世が動揺する、あの美しくも退廃的なシーンを思い出してしまうのだが、時代はもはや、そんな大仰なシーンを必要とはしていないのであろう。なのでここで観客は、フレディの生い立ちを辿りながら、彼がその才能を開花させ、リーダーシップを発揮し、そして天狗になって行き、挫折して信頼する者たちのもとへと戻る過程をつぶさに追って行くことで、人間には、夢を実現するすごい潜在力もあれば、名誉や富の前には自己中心的になり、あっけなく築いたものを壊してしまう、もろい面があるのだということを実感する。つまりこれは、人間を深く掘り下げて描いた映画と言えるのである。

フレディ・マーキュリーの生まれは、もともとペルシャからインドに移住したゾロアスター教徒の末裔である、パールシーと呼ばれる人たちの家である。お、パールシーと言えばもうひとり、有名な音楽がいますね。もちろん、名指揮者ズービン・メータである。私はそのことを、彼がニューヨーク・フィルを指揮したリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラ (つまり、ゾロアスターのこと) はこう語った」のレコードが販売されたとき、つまり 1980年頃に知ったのであるが、もしフレディ・マーキュリーが長生きすれば、この 2人は共演したかも、という夢想はさておいて、映画に戻ろう (笑)。いやそれにしてもこの映画、大変な労力をかけて作られたことがよく分かる。なにせ、フレディ役を演じる主演のラミ・マレックをはじめとするメンバーたちの、それはよく似ていること。ここではただ似ているだけではダメで、もちろん演技がよくないといけないし、シーンによっては楽器ができるふりくらいはできないといけない。これが劇中のメンバーたち。上の写真と比べられたし。
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ドラマーであるロジャー・テイラー役を演じたベン・ハーディ (上の写真で左から 2人目) は、「生まれてから一度もドラムを叩いたことなんかなかったのに、オーディションでできると言ってしまった」らしい (笑)。その後、毎日 10時間という猛特訓を積んだという。因みにこの役者さん、「X-MEN アポカリプス」(本作と同じブライアン・シンガー監督) でアーク・エンジェルを演じていた上、つい先ごろ記事を書いたばかりの「メアリーの総て」で、医師ポリドリを演じていたという。うぉー、そんなこととは知りませんでした。あと、主役のラミ・マレックにしてからが、そもそも別にフレディの大ファンでもなんでもなかったようで、その彼が本作において一部歌も披露し (大部分はフレディ本人によるものらしいが)、なんとクイーンのほかのメンバーを前にして演技をする羽目に陥った (?) という。やはり役者は度胸であり、役柄に対する深い思い入れこそが大事なのである。もともと上顎の歯の数が多かったというフレディ・マーキュリー。前半では歯を隠す仕草が多かった彼が、最後には大勢の観客の前で歯を見せてシャウトする。この写真の右側が本物。左側がこの映画のシーン。
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そう、このシーンは、1985年にロンドン郊外のウェンブリースタジアム (と、調べてみて知ったのは、米国フィラデルフィアでも) で行われた超巨大チャリティーコンサート、ライヴエイドにおけるクイーンのステージを再現したシーン。それに先立つ部分では、フレディとメンバーたちの確執が描かれたり、同性愛であることを自ら認めながら、家族にもそれを伝えるといった人生の曲折があるが、それらを超え、大観衆の前に立ったクイーンの演奏が、ラスト 21分に完全に再現されている。このセットは英国の空軍基地に作られたものらしいが、舞台そのものの様子もさることながら、アンプやペダル、煙草の吸殻や灰皿、コーラのカップといった細部まで、寸分違わぬ再現ぶりであったらしい。こんな感じ。
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当時の本物の映像は YouTube でも簡単に見ることができるが、いやはや、本当にそのまま再現している。もし映画本編をあまり面白くないという人がいたとしても、このシーンを見るだけでも価値があろうというものだ。それにしてもこの大群衆 (映画ではさすがに CG を使用しているものと思うが) の熱狂、凄まじい。たかだか 2000人収容のホールで聴くクラシック音楽には、このような凄まじい熱狂の群衆が集まることなど、まずありえないと思うと、ちょっと複雑な思いを抱いたこともまた事実。

このように大変見ごたえがあり、かつ、考えさせる点も多々ある映画であったが、キャストの中で面白い人発見。名曲「ボヘミアン・ラプソディ」を含むアルバムの内容に反対するレコード会社の重役である。若き日の大林宣彦ではありません。
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この人はマイク・マイヤーズ。もちろんあの「オースティン・パワーズ」シリーズで知られる人である。これはなかなかに異色のキャストで、よかったと思う。そう言えば、あとで知ったことには、もともとこの映画の主役には当初、あのコメディアン、「ボラート」で知られるサシャ・バロン・コーエンが予定されていたらしい。うーん、そう言えば、髭がフレディ・マーキュリーに似ていると言えば似ているものの・・・(笑)。
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主役の変更だけではなく、製作期間 (なんと 8年かかっているそうだ) には様々な困難があったはず。そんなことを感じながら、「ボヘミアン・ラプソディ」の物騒で謎めいた歌詞と 1970年代の英国の状況に思いを馳せつつ、「ビスミラ!!」などと叫んでみるのもよいと思う。
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by yokohama7474 | 2019-01-08 00:48 | 映画