大野和士指揮 東京都交響楽団 (ヴァイオリン : パトリツィア・コパチンスカヤ) 2019年 1月10日 サントリーホール

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東京都交響楽団 (通称「都響」) の今月の定期演奏会は、音楽監督の大野和志の指揮で、2種類のプログラムが 1度ずつ開かれる。このオケのスケジュールを見ると、東京のほかのメジャーオケよりも全般的に演奏会の回数が少ないように思われるが、それは取りも直さず、一回一回の演奏会が大事だということであろう。来月には、大野がオペラ部門の芸術監督として初お目見えする新国立劇場で新作上演があって、そこでの演奏も都響だから、当然その準備も既に始まっている中での、今月の定期公演であろう。年明け早々とは言いながら、その 2度とも、かなり力の入った選曲である。今回のプログラムは以下の通り。
 シェーンベルク : ヴァイオリン協奏曲作品36 (ヴァイオリン : パトリツィア・コパチンスカヤ)
 ブルックナー : 交響曲第 6番イ長調 (ノヴァーク版)

これは、ウィンナ・ワルツや「新世界」とは異なって、新年に誰もが絶対聴きたいと思う曲目ではないと思うが (笑)、さすがは大野と都響、また、もちろんソリストへの期待もあってだろう。会場のサントリーホールはほぼ満員である。このコンビを強く支持して来た者としては、大変に嬉しい状況である。そんなわけで、まずはシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲。私がこの曲を実演で聴くのは何年ぶりだろう。ちょっと思い出せないが、それだけなかなか演奏される機会の少ない曲である。内容もかなりハードであるから、奏者を選ぶ曲でもあるのだが、今回のソロは、モルドヴァ共和国出身の女流、パトリツィア・コパチンスカヤであるから、確かに期待できる。
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私がこの人を聴くのは、随分以前にリゲティだったかを、クリスティアン・アルミンク指揮の新日本フィルで聴いて以来 (今調べるとそれは 2010年のこと) だと思う。その頃よりも現在の方が、その野性的とも言える演奏で、日本での知名度は上がっているだろうか。上の写真に見る通り、彼女はステージで靴を履かずに裸足で演奏するのである。もちろん、裸足であるという話題だけでは世界的な活躍などできるわけもない。やはりこの人のヴァオイリンの表現力こそが、世界の聴衆を魅了しているわけである。実は彼女、ちょうど 1ヶ月ほど先にも日本で話題の公演に出演することは、音楽ファンなら誰しも知るところであるので、詳細は割愛するが、そちらの曲目は天下の名曲、チャイコフスキーのコンチェルト。それとはまさに好対照であるシェーンベルクのコンチェルトを、しかも大野 / 都響で今回採り上げるとは、なんとも意欲的と評価できる。このシェーンベルクのコンチェルトは、作曲者が米国に亡命した後、1934年に書き始めたもの。この作曲家はウィーン生まれのユダヤ人で、ウィーン世紀末文化をその根っこに持っているわけだが、その後、世の中で「現代音楽」と呼ばれることとなるタイプの音楽は、実質的にはこの人から始まると言えば、乱暴かもしれないがさほど外れてはいないはず。厳密なルールを持つ十二音技法という新たな音楽を生み出した人だが、その厳密なルールは、いかんせん、ただ耳で聴いているだけではさっぱり分からないものであるゆえ、音楽における感情と形式、あるいは表現力と美感という対立項 (本来対立する必要のなかったものだが) を作り出してしまった点には、功罪はあるだろう。正直なところ、このヴァイオリン協奏曲にしても、誰もが感動する名曲とは、とても言えないと思う。その点、弟子であるアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲 (こちらも決してなじみやすい曲想が全曲続くわけではないが) との違いがあるだろう。興味深いことに、そのベルクのコンチェルトとこのシェーンベルクのコンチェルトを初演したのは、実は同じヴァイオリニストで、ルイス・クラスナーというウクライナ出身の人。晩年はニューイングランド音楽院で教鞭を取り、1995年に 91歳でボストンで没している。
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因みに、シェーンベルクのコンチェルトは上記の通り 1934年に書き始められているが、完成は 1936年。初演はさらに 4年後の 1940年。伴奏はレオポルド・ストコフスキー指揮のフィラデルフィア管弦楽団であった。一方のベルクのコンチェルトは、作曲者が急逝した 1935年に遺作として完成。初演は翌 1936年、バルセロナにて、ヘルマン・シェルヘン指揮の伴奏で行われている。つまりこの師弟は、たまたま同じ時期にヴァイオリン協奏曲を作曲していて、それらを同じヴァイオリニストが初演したわけであるが、後から書き始められた弟子の作品が (作曲者の死後)、先に初演されたということになる。このあたりにもこの 2曲のポピュラリティの違いが、端的に表れているようにも思われる。だがこのシェーンベルクのコンチェルト、今回のコパチンスカヤの演奏を聴くと、やはり CD で聴いているよりも曲想の移り変わりを実感できて、大変興味深かった。もちろん、口ずさめる箇所はやはりないのであるが (笑)、その抽象的な「音」から、聴き手は自由にイマジネーションを膨らませることはできるだろう。裸足で繰り出すコパチンスカヤの千変万化のヴァイオリンに負けじと、明確な音像を作り出す大野の伴奏も見事。35分間の音の抽象画、かなり高度な音楽的イヴェントを体験できたものと思う。その充実感によって、アンコールがなくとも充分であった。

後半、私服に着替え、ちゃんと靴も履いて客席に座ったコパチンスカヤを聴衆のひとりとして迎えて、ブルックナー 6番が演奏された。この曲は、4番・5番という個性的な作品と、7番以降の至高の作品群との間に書かれているわけで、ブルックナーの交響曲としてはあまり人気のない方であるが、この作曲者らしくドラマティックな要素は強く、やはり名曲であると私は思っている。全曲暗譜で指揮した大野は、いつもの通り充分にメリハリをつけたリードぶりであったとは思うものの、ただ私自身のコンディションの問題もあってか、残念ながら私は、あまり今回の演奏に乗ることはできなかった。冒頭のひきつるようなテンポは若干早めで、そこから低弦が唸るあたりの導入はなかなかであったが、第 1楽章全体を通して、都響にしては音の緊密度に少し課題があったような気がした。第 1楽章と第 2楽章との間で大野が指揮台から、「もっと力を込めて」とも解釈できそうな仕草をオケに見せていたが、第 2楽章アダージョの、特に後半は、ぐいっと伸びる音が聴かれて、充実感を感じることができた。だが、第 3楽章スケルツォはさらに推進力があってもよかったし、終楽章も、炸裂する音のドラマという点では、もう一歩踏み込んで欲しいようにも思われた。力演であったとは思いながら、昨年後半に立て続けに聴いた世界のトップオケの音が未だに耳に残っていると、都響ならそのような音に迫る高次元の音楽を展開してもらいたいという期待がある。今回はたまたま、私個人の感想としては、課題も残る演奏だと思ったにせよ、その意欲的な試みには大いなる敬意を表したいし、今後もこのコンビへの期待は続くのである。
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2015年 4月に始まったこのコンビ、当初の 5年契約が昨年 11月に延長されて、2023年 3月までの任期となった。つまりは、東京オリンピック・パラリンピック開催時期をカバーするわけで、その国際的大イヴェントにおいて、音楽面において東京都を代表するのは、この大野と都響になるということだろう。もちろん、ほかの東京のメジャーオケのそれぞれも、今からオリンピックまでの間にシェフが替わるところは、ないかもしれない(既に発表されている読響を除き)。その意味では、まさにそれぞれのオケの活動から目を離せない状況は、しばらく続くということだろう。そうそう、大野と都響は、4月の「東京・春・音楽祭」では超大曲を演奏するが、その超大曲は、そのちょうど 1ヶ月前にも、ほかのオケが演奏することになる。そのあたり、またこのブログでご報告できればと思うが、いやそれにしても、そんな街、世界に東京しかありませんよ!!

by yokohama7474 | 2019-01-11 00:22 | 音楽 (Live) | Comments(0)