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山田和樹指揮 読売日本交響楽団 (ピアノ : ホアキン・アチュカロ) 2019年 1月13日 東京芸術劇場

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このブログでその演奏会を何度も採り上げてきている指揮者、山田和樹は今月、読売日本交響楽団 (通称「読響」) で 3種類のプログラムによる 4回の演奏会を指揮する。かつてこのブログでは、このマエストロ山田についての否定的なコメントが何度か書き込まれたことがあるし、また、とある全く別の演奏家のコンサートの休憩時間に、聴衆 2人が、彼が日本フィルと行ったマーラー・シリーズの悪口を言い合っているのを聞いたこともある。もちろん音楽は、聴く人それぞれの感想があるべきなので、演奏家の悪口を言うこと自体は誰にも止める権利はない。だが、もしその悪口が無知に基づくものであればどうなるか。その場合は、本当なら見えているべきものが見えていないということになり、これはなんとももったいないことだと思うのである。私にとって山田和樹は、その童顔にも似合わない硬骨漢であり、音楽への情熱に溢れ、その情熱を演奏に反映することで、聴衆を啓蒙する、そんな指揮者なのである。
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山田は現在、この読響の首席客演指揮者。それゆえ、プログラムも自ら選択できる立場であろう。今回の 3回の演奏会、順を追ってその内容がハードになると言ってしまうと、1回目 (私は聴けなかったが) の曲目、サン・サーンス 3番、ラロのチェロ協奏曲、そしてレスピーギの「ローマの祭」という内容はハードではないのかという話になってしまうが、それでもやはり、今回私が聴くことができた 2回目のコンサートの曲目は、それ以上にハードだと言っても間違いではないように思う。
 ラヴェル : 優雅で感傷的なワルツ
 ラヴェル : ピアノ協奏曲ト長調 (ピアノ : ホアキン・アチュカロ)
 リムスキー=コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」作品35

ここで、年が明けてからの音楽の記事で何度か書いてきた謎かけへの答えを記しておこう。今年の年頭に東京で頻繁に演奏されるのは、ロシアの作曲家 R=コルサコフの「シェエラザード」なのである。今回の山田 / 読響以外にも、トゥガン・ソヒエフ / N 響、アンドレア・バッティストーニ / 東フィルによっても今月演奏され、そしてとどめのように、月をまたいだ 2月 3日には、リッカルド・ムーティ指揮のシカゴ響によっても演奏される。この曲はアラビアンナイトを題材とした華麗な曲であり、上のポスターにある通り、まさに絢爛豪華な音楽絵巻。年初に演奏頻度が高いのは、たまたまなのかもしれないが、それでは面白くないので、終楽章に海の描写が出て来るので、新たな航海を始める新年にふさわしい、とこじつけておきますか (笑)。これは、この曲の超名演として知られる、キリル・コンドラシン指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管による録音のジャケットから。曲の雰囲気をよく表している。
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さてこの演奏会、前半にはラヴェルの 2曲が演奏された。最初は「優雅 (今回の演奏会では「高雅」とあるが、それは日本語として特殊だと思う) で感傷的なワルツ」。8曲のワルツからなる 15分ほどの曲であるが、題名の通り優雅に鳴る必要があるし、その一方で、様々な曲調の中に、そこはかとない退廃も聴き取りたい。その意味でかなりの難曲だと思うのだが、童顔の山田は極めて的確にオケを操り、大変に洒落た演奏であったと思う。何気ないふりをしてこれを達成してしまうのは、かなりの手腕であると言わねばなるまい。

2曲目のラヴェルのピアノ・コンチェルトにはお楽しみがある。それは、ソリストが、1932年生まれ、現在実に 86歳のスペインのピアニスト、ホアキン・アチュカロであることだ。
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スペインのピアニストというと、かつてアリシア・デ・ラローチャという女流がいたが、彼女はスペイン物も多く弾いたが、その活動は実にグローバルであった。それに比べるとアチュカロの場合、私のイメージでは、さながらスペインの人間国宝といった感じであろうか。いや、もちろん、このアチュカロもこれまで、コリン・デイヴィス、アバド、メータ、小澤、シャイー、ラトルらと共演した実績のある国際的なピアニストであるのだが、よい意味でのスペインらしさ (構築的なドイツでもなく、感性に依存するフランスでもなく、ヨーロッパの端で異文化にさらされてきた土地の個性) のようなものが、彼の長年の活動を支えてきたのではないだろうか。この読響とは、1990、2016年に続く 3度目の共演であるそうだが、今回の曲目は、精緻なガラス細工のようであり、またジャズのイディオムを盛り込んだラヴェルのコンチェルト。フランス音楽であると同時に、また世界の名曲である。高齢ゆえに、指が回るだろうかなどと考えていたのだが、ステージに登場したピアニストの姿はなかなかにダンディで、その年齢を感じさせないような活力に満ちている。そして、鞭の一撃で始まったコンチェルトは、やはりテンポは若干遅めで、若手ピアニストのような指の回転はない。だが私は聴いているうちに思ったのだ。第 2主題が出て来てからの抒情的な部分が、本当に美しい。そこには、さながら彼が重ねてきた人生が反映されているように思われる。ということは、あの超絶的に美しい第 2楽章こそが、聴きどころではないのか。そしてその予想は当たったと思う。心に沁みる第 2楽章。この楽章では冒頭から延々とピアノ・ソロが続くのであるが、音がきれいとか正確という次元を超えた、孤独を感じながらも前を向く、そんな音楽を聴くことができた。そして、演奏開始時から不振に思ったのは、ピアノの左隣、ということは指揮者にとってもすぐ左隣なのだが、その場所に椅子と譜面台が置いてある。はて、譜めくりもいないし、一体何だろう。答えは、第 2楽章後半で、これもまた心に沁みるソロを聴かせるイングリッシュ・ホルンが、その場所で演奏されたのだ。奏者 (北村貴子という若い女性) は、第 2楽章開始前にその位置まで移動し、終わったら、またもとの場所に帰って第 3楽章を演奏した (よって、第 2楽章と第 3楽章は続けては演奏されなかった)。これには本当に感動したし、北村の演奏時の表情も、実にいいものであった。奏者にとっても忘れられない経験になっただろう。その後アチュカロはアンコールを 2曲披露したのだが、まずは客席に向かって、「ドビュッシー、月の光」とフランス語で語り掛け、その美しい名曲を演奏した。これはラヴェルの第 2楽章と共通点のある、穏やかでありながらきらきらしい音でできている音楽。そうして、アチュカロの年齢に慮ってか、オケが退場しようかとしたとき、アチュカロはやおらピアノに向かい、ショパンの前奏曲第 16番変ロ短調を弾き出した。これは大変激烈な音楽であるのだが、ここでは、全く年齢を感じさせない炎を聴くことができて、驚いた。このアチュカロは、1/21 (月) に東京文化会館で開くリサイタルで、そのショパンの 24の前奏曲全曲を弾く。それは多分、大変素晴らしい演奏会になるだろう。

そしてメインの「シェエラザード」は、実に堂々たる演奏で、山田と読響の相性のよさを聴き取ることができた。印象的であったのは、実に抒情的な第 3楽章。ここでは通常よりも遅めのテンポが取られ、しかも音楽はたっぷりとタメを作る。静かな場面でクラリネットが弱音でありながら目まぐるしく動く箇所などは、ちょっと聴いたことのないような緊張感と抒情感の両立が聴かれた。今回、コンサートマスターとしてソロを弾いたのは小森谷巧であったが、華麗な技巧をひけらかすタイプの演奏ではなく、どちらかというと淡々とした鳴り方で、賢い王妃シェラザードの話しぶりを表現した。これは実に個性的であったと思う。荒れ狂う第 4楽章でも山田のリードは危なげなく、新年早々、荒波を超えてカタルシスに至る過程 (?) を体験できたので、今年も頑張って暮らせそうだ (笑)。

ステージ上を見ていると、どうやらアンコールがあるらしいので何だろうと思うと、私が聴いたことのない、ちょっとおセンチなほどの抒情的な小品であった。これは、ヴァージャ・アザラシヴィリ (1936年生まれ) の「ノクターン」という曲。この作曲家の生まれは、かつてグルジアと呼ばれていたジョージア共和国。そのことは名前から分かるのだが、なぜなら、同国出身のヴァイオリンのリサ・バティアシヴィリや、ピアノのカティア・ブニアティシヴィリと共通する響きであるからだ (もっとも私は、この二人の苗字をどうしても覚えられないのだが。笑)。帰宅して調べたところ、このアザラシヴィリの「無言歌」という曲が、山田が指揮者を志すきっかけになったということだ。この作曲家の作品を聴ける機会は多くないが、昨年 2月に山田は手兵である横浜シンフォニエッタと、彼の作品による演奏会を開いた由。寡聞にして、知りませんでした・・・。このような大柄の作曲家である。
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これだけ多彩な演目をこなすだけでも大変だと思うのだが、本当に山田の活動からは目を離せない。そして、読響との次のコンサートはまた、さらに驚愕の内容なのである。もしそれに行くことができれば、またレポートしてみたいと思う。

by yokohama7474 | 2019-01-14 00:49 | 音楽 (Live)