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吉村芳生 超絶技巧を超えて 東京ステーションギャラリー

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重要文化財である東京駅の駅舎の一部を利用した美術館、東京ステーションギャラリーについては、その企画力の高さを、過去に何度もこのブログで称賛して来た。つい先頃も、知られざる江戸時代の画家、横山華山の展覧会をご紹介したばかりだが、その次に開かれているこの展覧会も、その内容のユニークさにかけては優るとも劣らないもの。会期は 1/20 (日) までと、既に残り僅かとなってしまってはいるが、もしこの記事で興味を持たれた場合には、是非現地に足を運んでみて頂きたいと思う。

吉村芳生 (よしお、1950 - 2013) の名前は一般にはあまり知られておらず、かく申す私も知らなかった。山口県の出身で、2007年に森美術館で開かれた「六本木クロッシング 2007」(3年に一度開かれている現代美術の展覧会。2007年に開かれたということは、今年 2019年にも「六本木クロッシング」は開かれるわけだ) で注目されたが、病を得て 2013年に死去してしまったという。このブログでも、頻度は多くないが、時折現代美術をご紹介することがある。私自身は古今東西、どんな美術作品でも興味があるので、自分の知らない作家の作品に触れることは、本当に大きな喜びなのである。だがそもそも、現代美術なるものをいかに評価すべきかについての自分なりの問題意識は常に存在していて、どんな現代アートも面白いという感覚は全くないどころか、むしろ批判的に見てしまうことが多い。だがこの吉村芳生の作品には、そんな私でも大いに感銘を受けるだけの内容が存在している。以下、この展覧会の概要の紹介を通じて、そのあたりの感覚を述べてみたい。展覧会の副題に「超絶技巧を超えて」とあるが、その意味が少しでも伝わればよいと思う。尚、以下の写真は、最後の 1枚を除き、いつもの通り図録から撮影しているのであるが、この展覧会の展示方法自体に興味のある方は、是非「美術手帖」のサイトをご覧頂きたい。多くの会場風景が写真で紹介されていて、大変に分かりやすい。

さてこの吉村、どのような顔であったかは、展覧会入ってすぐのこれを見れば分かる。
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これは「365日の自画像」という作品で、1981年 7月24日から 1982年 7月 23日までの、文字通り 365日の間、毎日自分の顔のポートレートを撮影したもの。あ、いや。違うのだ。近くに寄ってみて初めて分かることには、これは写真ではなく、写真をもとに描いた、鉛筆画なのである!! 1年間に過ぎていった時間を描くのに、9年 (リアルタイムの 1981年に始めて 1990年まで) かかったという。うーむなるほど。これは超絶技巧である。そして顕著であるのは、この 365枚、描かれている画家の顔には、あまり豊かな表情はない。この点をまず覚えておこう。
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そして会場で次に目にするのは、このような長い紙。
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これは 1977年の「ドローイング」という作品。全長 17mの紙に、延々と金網の模様が描かれている。これは、ケント紙と金網を重ねて銅版画のプレス機にかけ、紙に写ったデコボコの痕跡に鉛筆で立体の陰影を描いているもの。網目の数は実に 18,000個。70日間の作業であったという。これは一種のミニマルアートのようだが、上でご紹介した自画像の連続と同じく、ただ同じように続く時間や形態を淡々と描くことで、禅の修行にも似た境地に達するようなことが、あったのではないだろうか。異様なまでの根気が必要な作業で、なかなかできることではないと思う。その淡々としたモノクロームの長い時間が、画家吉村の才能の開花に大きな意味があったことは、追って分かってくることになる。いやしかし、この細部はまさに驚嘆すべきテクニックである。
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吉村はまた、何気ない風景の写真を、升目を使って拡大して鉛筆で描く「ドローイング写真」というシリーズも手掛けている。こんな感じ (1978年作「A Street Scene No.16」) だが、近づいて眺めてみると、小さな升目のひとつひとつの陰影を描いていて、それが集まって図柄を成していることが分かる。これは、完成作を見て「なるほど」と思うのは簡単だが、無から作り出すことは、ちょっと想像できないほど難しいことではないか。
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同様のシリーズから、「ROAD No.10」(1978年作) と「Fly」(1979年作)。前者はエッチング、後者はフィルムにインクと、異なる技法による作品であるが、吉村の目指したイメージのために、複数の技法が試されたことに、創作にかける彼の執念を感じる。
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さて、吉村のモノクロの世界はもう少し続く。例えばこれは、「友達シリーズ」(1981年作)。その名の通り友人たちを描いた鉛筆画であるが、最初の自画像シリーズ同様、写真そのものかのように見える。スーパーリアリズムである。
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そして、吉村のその後の活動にも直接つながる作品がこれだ。
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ん? 英字新聞か??? それはそうなのであるが、これは「ドローイング 新聞 ジャパンタイムズ」というれっきとした作品 (1979 - 80年作)。吉村は若い頃、郷里の山口県で広告代理店のデザイナーとして働いていたが、26歳で上京、版画を学びながらスタイルを模索していたという。その頃、たまたま手元の新聞が、未だインクが乾ききっていない状態であったのを見て、その紙面に薄いアルミ板を当ててプレス機で圧着。それを原版として紙を当て、再度プレスをかけ、紙に転写された薄いインクを頼りに、紙面の文章や写真を、鉛筆を使った手書きで写し始めたという。上の作品はその手法で、1979年11月 8日から 21日間分のジャパンタイムズの一面を、2年がかりで描いたものである。細部をアップで見ると、確かに手で書いてある。気の遠くなるような作業ではないか。
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これは 1984年作の「ジーンズ」。やはり写真を引き伸ばし、細かい升目に分けて、それぞれの升の色の濃さを数字でまず表し、その色を置いていったもの。これもまた、実に気の遠くなる作業である。会場には、この作品の制作過程が分かる、細かい升目の番号を示した紙が置かれていた。
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吉村は 1980年に以下のような言葉を残している。

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私の作品は
誰にでも出来る単純作業である。
・・・私は小手先で描く。
上っ面だけを写す。
自分の手を、目を
ただ機械のように動かす。
あとはえんえんと
作業が続くだけである。
UNQUOTE

この言葉をどう捉えよう。もちろん、ある意味では文字通りに捉えてもよいのだろうが、私はここに、彼の秘めたる画家としての情熱と矜持を見る。淡々とした作業の奥に何かが見えてくるのを、彼はずっと待っていたのではないだろうか。例えばこの 1987年作の「徳地・冬の幻影」という作品は、色鉛筆で描かれているが、それは飽くまで白黒の世界。「徳地」とは、当時彼が住んでいた山口市内の地名であるという。
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ところがこの作品、吉村としては極めて珍しく、ただ見える風景を再現したものではない。細部をよく見ると、森の精霊のようなものが、そこここに描かれているのである。まるで「もののけ姫」のこだまのようであるが、吉村にはこのようなものが見えたのであろうか。
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そして吉村は、2000年代、つまり年齢的には 50代に入って、新たな境地に達する。恐ろしいまでに鮮やかな色彩の世界である。描いたのはもっぱら植物であるのだが、そこには、目に見える精霊は登場しない。だが、それらの作品は、見る人をしてその場に凍り付かせるほどの強烈な存在感がある。これは 2004年作の「コスモス」。これが色鉛筆によって描かれているなんて、どうやって信じられようか。全体と、一部のアップである。
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これも「コスモス」(2005年作) の全体とアップである。鳥肌立ちませんか。
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「タンポポ」(2004年作)。しつこいようだが写真ではない。色鉛筆で描かれている。
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このような作品群を見ていると、上でも述べた通り、この画家がモノクロの世界に潜んで淡々と作業に勤しんでいたのは、いつか来るこのような色彩の乱舞に備えてのことだったのだと思われてくる。そして 60代に入り、晩年に差し掛かる頃に吉村はさらにその画題を推し進め、いわば「神の宿る風景」のようなものを描き出した。この「未知なる世界からの視点」(2010年作) は、山口県の川べりを描いているが、その題名は、初期の頃の無機質な響きとは全く異なる、意味深いものである。全長 10.22m という、彼の最大の作品である。
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興味深いのは、吉村は、川辺の花やそれを写す水面を色鉛筆で精緻に描き、そして最後に上下を逆転させて完成としたという。つまり、最初は水面に反射しているという状態で描かれた花は、結果的には反転して、川辺で見える花そのものに変わってしまったことになる。以下、少し分かりにくいかもしれないが、一部のアップを、完成版と、それを試みに上下さかさまにしたもので見てみたい。確かに下の方 (つまり、もともと予定されていた方) が、花の黄色が鮮やかでリアルなのだが、多分吉村は、題名の通り、リアルなものよりも「未知の世界」を描きたいと考えて、上下を逆さまにしてしまったのだろう。
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これは「世界の輝く生命に捧ぐ」(2011 - 13年作)。やはり色鉛筆で描かれた大変な労作であるが、制作年で分かる通り、東日本大震災に触発されたものである。花のひとつひとつが亡くなった人の魂だと思って描いたという。間近で見ると、その精緻さはまさに神業であり、そして、そこから感じられる圧倒的な花の存在感に、身震いするほどだ。まさに展覧会の副題の通り、超絶技巧を超えて吉村が見ていたものを想像することができる。彼は実際に、命を削って創作活動を行ったのであると思う。
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展覧会には彼の遺作も展示されている。2013年作の「コスモス」。右端が白いまま残されている。この部分、ご覧のように下書きは一切なく、ただの余白である。だがよく見ると、鉛筆で薄く、升目が書き込まれている。作品全体の下絵を描くのではなく、ひと升ひと升、緻密に埋めて行くという制作方法であったことが分かる。
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さて、展覧会の最後には、新聞紙と自画像という、彼の以前の画業を思わせる夥しい数の作品が展示されている。
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これらは、実際の新聞紙の一面を拡大コピーし、それを転写して、紙面を自らの手で再現。そこに鉛筆やペンで自らの顔を描き込んだもの。この顔は、一面の記事を読んだあとに自ら撮影した写真がもとになっているとのことだ。つまり、それぞれの吉村の顔は、その時々の社会の動きに対するヴィヴィッドな反応を表していると言える。以下はすべて 2008年の出来事。
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2009年には元旦から近所のコンビニエンスストアで新聞を購入 (様々な全国紙もあり、地方紙もあり)、その一面に、やはり毎日、自らの顔を描いて行った。1月2日だけは休刊日であったので、364枚のシリーズになったらしい。つまりここでは紙面自体は本物の新聞を使っているわけである。だがそれにしても、これらの自画像の表情豊かなことはどうだろう。冒頭でご紹介した 1981年から 82年のシリーズに比べると、その点の違いが顕著である。超絶技巧の向こうに何かが見えてきた画家には、やはり人間の千差万別の表情が大きな意味を持ってきたということだろうか。
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吉村は 2011年12月から 1年間、パリに滞在したそうだが、そのときにも、パリの新聞紙の上に自画像を描き続けた。慣れない環境がつらかったらしく、ここではまた表情のヴァラエティは減っているが、世界のどこにいても自分と向き合うという画家の姿勢が伺われよう。1年間の滞在で 1,000作を仕上げたという。
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さて、このような内容の展覧会、ちょっとなかなかないと思うので、もし未だご覧になっていない方は、残りの会期中に足を運ばれることをお薦めしたい。解説によると、吉村は恐らく世界で最も多くの自画像を描いた画家だろうとのことだが、確かにこの人の顔には、なんとも言えない味がある。これは、2010年に山口県立美術館で開かれた展覧会の写真だが、当時 60歳、残された命は僅か 3年であったわけであるが、とてもそのようには見えず、充実した自らの画業への自負がにじみ出ていると思う。また、あのような精密な作業を行う神経質さはあまり感じさせず、むしろ人間らしさを感じさせる表情である。因みに画家がその前に立っているこの作品、今回の図録と照らし合わせてみると、多分 2008年作の「コスモス」(出展 No. 56) であろうと思われる。
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63歳での死は早すぎ、本当に惜しいことであったが、せめてこのような機会に、現代美術の在り方に一石を投じるこの画家の渾身の画業に思いを馳せてみたい。

by yokohama7474 | 2019-01-14 23:05 | 美術・旅行