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トゥガン・ソヒエフ指揮 NHK 交響楽団 2019年 1月17日 サントリーホール

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このブログでは過去の演奏を何度も激賞してきた北オセチア出身の名指揮者、トゥガン・ソヒエフが、NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の指揮台に還ってきた。この指揮者がこのところ毎年 N 響を指揮するのを鑑賞できることは、東京の聴衆の持つ特権であるとすら言ってもよいと思う。ソヒエフは 1977年生まれの 41歳。長らくフランスのトゥールーズ・キャピトル管の音楽監督を務めているほか、現在はモスクワのボリショイ劇場の音楽監督でもある。
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私は昨年 (2018年) 彼がトゥールーズ・キャピタル管と来日した際、3月15日の演奏会について記事を書き (記事の日付は 2018年 3月16日)、そこには、終演後のパーティーで私が厚かましくもソヒエフに単独突撃インタビューを行ったことを書いたので、ご興味おありの場合は是非ご覧頂きたいのだが、ひとつだけそこから引用しておきたい。N 響についての印象を尋ねてみたのである。

QUOTE
私「NHK 交響楽団はどうですか」
ソヒエフ「(真剣な顔つきになって) NHK の素晴らしいところは、過去の楽団の歴史をそこに残しているところです」
私「それは、例えばドイツ音楽の伝統があって、そこにフランスの味が加わり、そしてさらにグローバルになっているということですか?」
ソヒエフ「(うなずいて) その通りなんです。実はそのような、楽団の歴史が音に残っているような例は、ヨーロッパでは減っています。N 響はその点、技術が高いだけではなく、自らの伝統に敏感である点、素晴らしいと思うのです」
UNQUOTE

うーん、なんと示唆に富んだ言葉であろうか。まさに今世界の最前線で活躍しているマエストロが言うのだから、重みのある言葉であり、我々東京の聴衆こそ、その言葉に耳を傾けるべきだと思うのである。そんなソヒエフが今回指揮したのは、以下のような曲目であった。
 フォーレ : 組曲「ペレアスとメリザンド」組曲
 ブリテン : シンプル・シンフォニー作品 4
 リムスキー=コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」

もともとソヒエフのこれまでのレパートリーの中心は、なんと言ってもフランス音楽とロシア音楽。その点今回も、最初がフランス音楽で最後がロシア音楽。だが真ん中のブリテンは英国音楽で、ここに少しひねりがあるとも言えようが、順番に感想を書いて行こう。まず最初のフォーレの「ペレアスとメリザンド」。これは有名な「シチリア舞曲」を含む、なんとも美しい音楽 4曲から成っているのであるが、今回指揮棒を持たずに指揮をした (これは 3曲ともそうであった) ソヒエフの、まさに魔術的手腕が聴き物であった。彼の指揮を見ながら、響いて来る音に耳を澄ませると、音楽においては呼吸がいかに大切かという当たり前のことを、改めて実感することになる。その身振りに応じて実にしなやかに音がうねり、また伸びて行く。これはまた、指揮者とオケの意思疎通が相当にうまく言っていないと、不可能なことではないだろうか。N 響の奏でる音の密度も濃く、表情が千変万化するので、ほんの 20分くらいの曲が、その倍くらいあるように錯覚するほど、聴きごたえのある演奏であった。

表情の千変万化と言えば、次のベンジャミン・ブリテンのシンプル・シンフォニーもそうである。これは、4という若い作品番号が示す通り、1934年、音楽大学卒業の前に書かれた弦楽合奏用の曲で、実はその素材は、9歳から 12歳までの頃に書かれたピアノ曲や歌曲などであるらしい。これが少年時代のブリテン。利発さに加え、ちょっと斜に構えた様子を見て取りたくなりませんか (笑)。
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このシンプル・シンフォニーという曲、いわばクラシック音楽の入門曲のひとつのようでありながら、実際には、実演で耳にすることはあまり多くないと思う。私も今回、録音/実演を通じて、かなり久しぶりに耳にした。この曲は、シンプルと名付けられている通り、実際にシンプルに響くとも言えるのだが、例えばプロコフィエフの「古典交響曲」に比べると、全体を通して一貫したトーンというものがあまりなく、実はそれほど「単純」な曲ではない。ブリテン後年の作品の数々を知っていると、一見古典的でありそうで、実は複雑な要素を持っているこの曲には、既にしてこの作曲家の持ち味が充分に表れていることが理解できる。それがゆえに、この曲をもったいぶって指揮する指揮者はあまりいないだろうし (笑)、飽くまでシンプルに響かせながら、様々に変わる表情をうまく聴かせる必要がある。そのように思うと今回のソヒエフと N 響の演奏は、実にあっけに取られるほど、素晴らしいものだったのではないだろうか。ここでは弦楽器だけであることもあってか、ソヒエフの身振りがストレートに音になっているのが随所に感じられ、やはり音楽の「呼吸」に感動を覚える演奏であった。プログラム最初のフランス音楽と、最後のロシア音楽、しかもいずれも 19世紀に書かれた音楽の間に、20世紀英国の作品が入ることで、演奏会の陰影が深くなったと思う。同じ英国音楽でも、もしこれが同じブリテンの「青少年のための管弦楽入門」なら、ちょっと華やかすぎて後半の「シェラザード」がかすんだかもしれないし、かといってエルガーの「エニグマ変奏曲」でも、やはりちょっと重すぎる。絶妙の選択であったと思う。

そして最後の「シェエラザード」。先日の山田和樹と読響の同曲の演奏 (それは素晴らしいものであったわけだが) を思い出すと、音楽の表情だけ取れば、今回の方が相当に濃厚だ。だが、ソヒエフの持ち味は、濃厚だからと言って鈍重になるわけではない点である。あえて言ってしまえば、そんなソヒエフの演奏は、ロシア圏出身の指揮者でありながら、いわゆるロシア的な演奏ということにはならず、音楽の持ち味を素直に引き出していると表現すべきもの。それにしてもやはり、彼の両手には魔法が籠っているようで、冒頭のアラブの王の重々しいテーマには、何か風がぐわーっと吹いてくるような感じがあったし (つまり、ここでもキーは「呼吸」である)、その後始まる航海の情景は、まさに海がうねっているような、ダイナミズムときらきらしい美感が両立するような、素晴らしいものであった。つまり、ここでソヒエフが N 響から引き出した音には、最初から最後まで、かなり理性的な統御があるのであり、大音量で暴力的に聴衆を圧倒しようという意図は、全く見受けられなかった。それゆえ、第 2楽章の揺蕩いには落ち着きがあったし、第 3楽章の抒情は、隅々まで神経の行き届いた見事な彫琢がなされていて、そして終楽章の祭や船の難破のシーンにしても、熱狂に我を忘れるということにはならず、ましてや、いわゆるロシア風の野性的咆哮ということでもない、音楽としての美しさが常に感じられた。そのような音楽作りには、おなじみのコンサートマスター、篠崎史紀のヴァイオリンがぴったりで、濃厚な表情と美感の両立が、そこには聴かれたと思うのである。期待通り、聴きごたえ充分の演奏であった。

ところで、よく知られている通り、「シェエラザード」の作曲者、ニコライ・リムスキー=コルサコフは、もともと軍人の家に生まれ、若い頃は海軍の士官候補生であった。これがその頃の写真。髭を蓄えてはいるものの、1866年の撮影だから、弱冠 22歳。代表作「シェエラザード」作曲の 22年前である。
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彼の海軍での経験が、この「シェエラザード」の海の描写に表れているという解説をよく聞くが、しかし、同じ海軍にいても、こんな音楽を書いた人は彼ひとりであろうし、また一方で、ただ海軍の経験があればこんな曲を書けたわけではあるまい。さらに言うとこの作曲家は、別に海の音楽ばかりを書いたわけではないのである (笑)。ここで私が思い出すのは、この R=コルサコフの生きた時代に描かれたロシア絵画の数々。そう、これも先般記事を書いたが、現在 Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されている「ロマンティック・ロシア」展に展示されているような絵画の感性である。ロシアでは、これらの絵画や R=コルサコフの作品を特徴づける写実やドラマ性を伴う芸術活動の後、芸術は過激に前衛化するし、社会主義革命が起こるわけである。そのようなコンテクストで、この「シェエラザード」を改めて聴いてみると、爛熟した時代性が感じられるのである。そして、これもよく知られたことながら、「春の祭典」で音楽史に衝撃を与えたストラヴィンスキーは、この R=コルサコフの弟子なのである!! そうそう、「ロマンティック・ロシア」展の記事に触れたけれども写真をお見せできなかった (同展覧会には出展されていない)、アイヴァゾフスキーという画家の「第九の怒涛」という作品をご紹介したい。描かれたのは 1848年。R=コルサコフ 4歳の頃であるが、どうだろう、「シェエラザード」に通じる要素がありはしないだろうか。
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さて、ソヒエフは来週、もうひとつのプログラムで N 響定期公演を指揮し、次にはまた、今年 10月に N 響の指揮台に還ってくる。是非共演を重ねて、取り上げるレパートリーも広げて行って欲しいものである。

by yokohama7474 | 2019-01-18 00:47 | 音楽 (Live)