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リッカルド・ムーティ指揮 シカゴ交響楽団 2019年 1月30日 東京文化会館

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1月の最後に来て、大物指揮者とオーケストラの組み合わせである。イタリアのナポリ生まれ、現在 77歳のリッカルド・ムーティと、歴史から言っても実力から言っても世界のオーケストラの雄のひとつ、シガゴ交響楽団。ムーティが 2010年にこのオケの音楽監督に就任して以来、今回が 2度目の来日であり、上のチラシにある通り、「最後の巨匠」だの「最強のヴィルトゥオーゾ・オーケストラ」だのという宣伝文句も華々しい。それは、このコンビには、そのような強力な売り込みが可能なネームヴァリューがあるということだろう。

さて、ふと冷静に考えてみると、私がシカゴ響の実演に触れるのはかなり久しぶりだ。というのも、前回 2016年のこのコンビの来日は、やはり 1月であったが、折悪しく出張と重なって、聴けなかったからだ。その後、現地シカゴに飛んでこのコンビを聴いてみたいと何度か画策しかかったものの、結局果たせず、実は今回初めてムーティ / シカゴの実演に接することになる (CDは何枚か聴いているが)。シカゴ響自体は、今手元で調べたところ、来日公演という意味では 2003年のダニエル・バレンボイム指揮の演奏以来、私は聴いていない。海外も含めると、2008年にベルナルト・ハイティンク指揮で、ロンドンのプロムスにおいてシカゴ響を聴いているが、それからでも既に 10年以上が経ってしまっている。私の世代は何と言っても、ゲオルク・ショルティ時代のシカゴ響の圧倒的なサウンドによってクラシック音楽の醍醐味を知った人も多いはず (好き嫌いは別として)。その意味で、久しぶりに聴くその世界最高峰オケの響きに、期待が高まらないわけがない。今回の彼らの来日公演は、3つのプログラムによって、東京で 4公演、大阪で 1公演を行う。今回はその初日で、曲目は以下の通り。
 ブラームス : 交響曲第 1番ハ短調作品68
 ブラームス : 交響曲第 2番ニ長調作品73

さて、この曲目をいかに評価しようか。ムーティのコンサートレパートリーにはある種のこだわりがあり、若い頃のフィルハーモニア時代 / フィラデルフィア時代と、スカラ座時代、またそれ以降と、一貫して採り上げている若干変化球のレパートリーもあれば、もちろん王道を行くレパートリーもあり、また、ブルックナーやマーラーではかなり選別的な採り上げ方をしている。その意味ではブラームスの交響曲などは、まさに王道ではあり、かつて全集も録音しているものの、これぞムーティというイメージでもない。それから、そのブラームスの 1番・2番を一晩のコンサートで採り上げることなど、そうそうあるものではない。それは、双方ともに、一晩のコンサートのメインディッシュになるだけの内容と盛り上がりを持っているからである。そもそも、天下の名曲ブラームス 1番を「前座」に持ってくるとは!! と驚く向きもあるかもしれない (昔マタチッチがそれをやっているが、メインはベートーヴェン 7番であった)。これには恐らく主催者側の要請もあるだろうが、このムーティという人は、自分が納得しないことは絶対にしない人だろうから、何か理由があるはず。
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もちろん音楽の話であるから、聴く人がそれぞれの感想を抱けばよいわけであるが、私が今回の演奏を聴いて感じたのは、この 2曲の、共通点と相違点である。これは音楽史の常識であろうが、ブラームスは最初の交響曲を書くのに呻吟し、20歳から 40歳までの 20年間を要したのに対し、続く第 2番の方は、避暑地のリラックスした雰囲気の中で、数ヶ月で書き上げられている (それは作品番号の近さにも表れている)。およそ駄作というもののないブラームスの作品であるから、いずれも大変な名曲であることは間違いないのだが、この 2曲の対照こそ、この作曲家の本質を知るには恰好のものであると思うである。

1番の演奏は、ある意味で巨匠風の堂々たるものであったと言えると思う。だがその一方で、押し出しが強すぎるということでもなく、また、情熱に任せて荒れ狂う (若い頃のムーティは、一部でそのように見られていたと思う) 演奏でもない。昔のドイツの巨匠なら、もっと重い音で滔々とした流れを生み出しただろうし、冒頭のティンパニなどには、さらに強いアクセントを求めたであろう。だが、今回のムーティとシカゴの演奏では、弦楽器には常に美感を感じることができ、木管楽器もこれ見よがしに飛び出したりはしない、その意味での中庸の美徳はあったように思う (第 2楽章のオーボエなど、もっと目立つ演奏をすることもできるはず)。しかしながら、ただ淡々と流れて行く演奏ではなく、時にはわずかながらタメを作ってみせる場面もあって、勝手な先入観を持って予測しながら聴いていると、おっとと思うような箇所もあった。素晴らしいと思ったのは、そのような細部の彫琢がありながら、聴き終わったあとには、上で書いたような巨匠風の風格を感じさせたことである。あえて誤解を承知で言えば、これは「前座」としての美しい 1番であったと言えるのではないだろうか。

翻って 2番であるが、これはまたなんと、深く孤独な歌に満ちた音楽として響いたことか!! 第 1楽章は、ほとんどの部分がブラームスらしからぬ明朗な音楽になっているところ、実は、時にメランコリーに沈んで行く場面もあることに、改めて気づかされた。第 2楽章では抒情が支配するが、冒頭のチェロをはじめ、過剰な歌い方は避けられ、音楽としての美感からの逸脱はない。第 3楽章もおざなりではない丁寧な表現で、終楽章でも、力任せの加速はない。音が隅々まで鳴っていて、そこには余分な感傷の入り込む隙はないのである。さらに聴衆を激しく興奮させる演奏というものもあるだろう。だが私はこの 2番の演奏の随所において、決してこれ見よがしな演出はされていないのに、その響きに感動するという経験をした。これこそまさに音楽の醍醐味というものではないだろうか。1番のあとに 2番を聴いたことで、初めて実感できたことも多々あったように思う。尚、ムーティだから当然であるが、両曲とも第 1楽章の反復は実行していた。

指揮者の円熟という表現をよく目にする。だが、その意味するところは様々で、ただ年老いて身振りが小さくなったことで、結果的に円熟味が出て来る指揮者もいる。ムーティの場合はそうではなく、さすがに若い頃の精悍さはそのままではないにせよ、77歳としては充分若く見える彼が、現在の手兵を相手に、このように練りに練った音楽を聴かせてくれることには、ただ「円熟」などという言葉に代替できない、やはり大いに感動的なものがあると思うのである。そして、シカゴ交響楽団。久しぶりに聴いたこのオケには、まさに「今」の音楽があった。ショルティ時代のようなド迫力とは異なる美感は、今まさに、ムーティとの共同作業でさらにそのレヴェルを高められているものだと思う。尚、演奏中にステージを見ていると、ティンパニの横に空いている打楽器の席があるので、それがトライアングルかシンバルかによって、アンコールはあれかこれだな、と思っていたのだが、シンバルなら既にそこに置いてあるはずが、楽器が見当たらない。そう思って 2番の演奏終了後に見ていると、案の定トライアングルと、それからピッコロ奏者が登場して始まったアンコールは、もちろん、同じブラームスの、ハンガリー舞曲第 1番であった。これもまた、深いところに情熱を秘めた聴きごたえのある演奏であり、シカゴ響の「今」を感じる演奏であった。

さて今回、特定の CD を購入すれば終演後にムーティのサインがもらえるとのことで、CD 売り場は大変なことになっていたが、私もヴェルディのレクイエム (2009年録音) を購入。サインを頂いた。普通終演後のサインは、指揮者が出て来るまでにかなり待たされることが多いが、ムーティはほんの 10分程度で、着替えもせずに出て来て、長蛇の列に応対していた。写真撮影は許可されなかったが、ともすれば気難しいと思われがちなマエストロが、かなり上機嫌でサインしている姿を見て、今回の演奏に満足していることが伺い知れたものだ。
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さて、せっかくムーティの今回のサインをご披露したのであるから、もうひとつ、古いものをお目にかけたい。実は以前も記事で書いたことがあるように思うだが、私の手元にあるもうひとつのムーティのサインがこれである。
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実はこれ、1981年 6月に、今回の会場と同じ東京文化会館で頂いたもの。それは、フィラデルフィア管弦楽団の来日公演でのことであり、ムーティは当時このオケの音楽監督に就任したばかりだった。だが実は、この時のムーティは、東京文化会館では指揮をしていない。私がこのサインをもらったのは、当時の桂冠指揮者、ユージン・オーマンディ指揮のコンサートであった (内容は、今でも思い出すと鳥肌立つほどすごいものだった)。実はそのとき、休憩時間に客席にムーティの姿を見掛け、なんとも厚かましいことに、サインを求めに行ったのである。厚かましい少年の依頼に、笑顔こそ見せなかったものの (笑)、こんなにしっかりサインをしてくれたムーティは、やはりファンを大事にする人であると思うのである。そんな個人的な思いもあるので、今回、実に 38年ぶりにサインを頂き、感無量である。これまでずっと聴き続けてきたこの指揮者、これからも聴き続けたいのはもちろんだが、まずはあと 2つのシカゴとの演奏会を楽しみにしたい。


by yokohama7474 | 2019-01-31 00:54 | 音楽 (Live)