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ワーグナー : 歌劇「タンホイザー」(指揮 : アッシャー・フィッシュ / 演出 : ハンス=ペーター・レーマン) 2019年 2月 2日 新国立劇場

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今から 3ヶ月ほど前、大野和士指揮の東京都交響楽団によるワーグナー作品の演奏会の記事 (2018年10月28日付) において、「タンホイザー」序曲を聴いて、この曲の全曲上演を見たくなってきたと騒いだ私であるが、その「タンホイザー」の全曲公演である。しかも、その大野がオペラ部門の芸術監督を務める、初台の新国立劇場での上演だ。この東京では、見たい演目、聴きたい曲目を唱えると、遠からぬうちに実現するという、魔術的な事態が発生するということだろうか (笑)。

ともあれ、「さまよえるオランダ人」と「ローエングリン」の間に書かれたこの作品は、ワーグナーの主要 10作のうちでは 2作目。未だ若い頃の作品である。と書いてここで、唐突に話題を変えるとしよう。昨年の 12月22日の記事でご紹介した、米国人ご夫妻を案内しての鎌倉訪問の際の話。そのとき私は、建長寺の本尊地蔵菩薩坐像を前に、その仏像の特性について説明した。「ええっと、いわゆるオリジナルの、悟りを開いた仏陀 (= つまり釈迦である) のあと、次の仏陀 (= つまり弥勒である) がこの世に登場するまでに、56億 7000万年かかる。その長い期間の間、本来は自ら修行中のこの方が、民衆を救って下さるのです」という説明をしたところ、ご夫婦のうち奥さんの方が、「誰を救うの? 悪い人だけ?」とおっしゃる。私は慌てて、「いえいえ、誰でもみんな、救うんですよ」と言ったのだが、その奥さん (米国籍だが実はドイツ人) は含み笑いを見せながら、「だっていい人は放っておいても天国に行くから、救う必要ないでしょ。悪い人こそ救わないと」とおっしゃる。おぉ、それって親鸞の悪人正機説ではないか。あの、「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人においてをや」というあれである。親鸞の独創ではないともされるこの説、だが一方で、その親鸞がどこかでキリスト教の教義を知って、それを取り入れたのであると読んだことがある。以前から書いていることであるが、ヨーロッパと日本は、遠く離れた文化を持っているようでいて、実は広大なユーラシア大陸の両端。実は両者の文化には、根底で共通する部分もあるのである。このような極めて唐突な話をここで出すのは、この「タンホイザー」というオペラ、まさに悪いことをした奴が往生する話であるからで、その意味ではキリスト教の「救済」の概念について、改めて思いを巡らせるきっかけになる作品と言えるだろう。そしてこのオペラには、ワーグナー最後の作品で、まさに宗教色の強い「パルシファル」を先取りするような音響も一部聴くことができる。実はワーグナーは「パルシファル」のあと、仏陀をテーマにした作品を構想していたとも言われる。そう思うと、ワーグナーがこれだけ日本人に人気があるのは、そのユーラシア的なスケールによるものかもしれないと考えたくもなるではないか。
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今回の新国立劇場での「タンホイザー」は、ドイツの演出家、ハンス=ペーター・レーマンを迎えて、2007年 (劇場オープン 10周年記念として) に制作され、その後 2013年にも再演。今回が 3回目の上演であるが、こうして見ると、6年ごとに上演されていることになる。なお、このレーマンはもともと 1960年から 73年まで、バイロイト祝祭劇場にて、ヴィーラントとウォルフガンクのワーグナー兄弟の下で助手を務めたという。1934年生まれというから、今年 85歳になる人。新国では既に、この「タンホイザー」以外にも「ナクソス島のアリアドネ」「エレクトラ」というシュトラウス作品も演出している。
ワーグナー : 歌劇「タンホイザー」(指揮 : アッシャー・フィッシュ / 演出 : ハンス=ペーター・レーマン) 2019年 2月 2日 新国立劇場_e0345320_23493612.jpg
今回のプログラム冊子に、この演出家が 2007年の新制作時点で述べた言葉が載っているが、ここではタンホイザーという、罪を犯す人間が作品の中心であり、彼を取り巻く中世の社会の掟を描かないと、彼が何に違反したのか分からないとのこと。また、作品の今日的意義を強調するために「人物をジーンズ姿で登場させたり、キャンピング場に置いてみたりはいたしません」と。もっとも、新国立劇場の持つ最新鋭の設備は充分に活用し、例えばダンサーたちを上下左右からカメラでとらえてその映像を様々に加工して呈示する、とある。それから、版については、ワーグナー自身が最後に関わったウィーン版 (初演されたドレスデン版と異なり、序曲からそのままヴェーヌスベルクの情景につながって、バレエが入る。いわゆる「パリ版」のドイツ語ヴァージョンと考えれば、ほぼよいはず) を採用する必要があるが、それは、ヴェーヌスベルクとヴァルトブルクの対比を明確にするためだという。確かにこの演出、一時期のドイツの劇場での演出で流行ったような「読み替え」とは一線を画していて、シンプルで音楽を邪魔しない点は、なかなかよくできている。まず見事だと思ったのは冒頭で、あの強烈な序曲を背景に、何もない舞台の下から、次々と巨大な氷柱のようなものがせり上がってきて、それが快楽の楽園ヴェーヌスベルクになり、その後は少し手を加えるだけで、登場人物たちが暮らすヴァルトブルクにもなる。この柱はまた、あちこち移動するという便利な特性も持っていて、空間の創造は自由自在だ。
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この「タンホイザー」は、初期の作品だけあって、ワーグナーとしては短いものである。25分の休憩を 2回挟んで、上演時間はたったの (?) 4時間 15分 (14時開演、18時15分終演)。3幕のそれぞれに聴きどころがあって、親しみやすいオペラであるが、とは言っても、第 1幕のヴェーヌスとタンホイザーのやりとりなどは冗長感があるし、その一方、第 3幕で、エリーザベトの犠牲的な死と、それを受けてのタンホイザーの昇天には、ドラマの流れというものがまるでないほど唐突だ。いかに第 2幕の大行進曲や第 3幕の「夕星の歌」が有名でも、全体がカッチリと凝縮した感じが少ないとも感じられる。ワーグナー自身は最晩年に、「未だ世界に対して『タンホイザー』という借りがある」と発言したらしく、その真意は不明ではあるもの、この作品には充分な魅力と、粗削りな箇所が同居しているという意味と解釈しても、おかしくないと思う。だが、それこそがこの作品の持ち味なのだろう。

そのような、音楽を邪魔しない要領のよい演出のもと、外国人と日本人の混成キャストはなかなかに聴きごたえのあるものであり、あえて言ってしまえば、粗削りな箇所も、充分な誠意をもって歌われていたと思う。題名訳のトルステン・ケールはもともとオーボエ奏者としてキャリアを始めたという変わり種だが、現代を代表するワーグナー・テノールである。この「タンホイザー」は既にバイロイトでも歌っている。もう少し強い声であってもよい箇所もあったものの、安定感は素晴らしいと思った。
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親友ヴォルフラムを歌ったローマン・トレーケルも、同じく世界的な歌手。オペラだけでなくリートも得意なバリトンである。彼も、あまり圧倒的という感じはなかったものの、役柄が必要とする落ち着きという点では、さすがと思ったものである。
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女性ふたり、つまり、ヴェーヌスとエリーザベトも外国人で、前者がドイツ人のアレクサンドラ・ペーターザマー、後者がラトヴィア人のリエネ・キンチャ。そして日本人歌手としては、領主ヘルマンを歌ったバスの妻屋秀和が、いつものように強い存在感であった。そして指揮はアッシャー・フィッシュ。イスラエル生まれの 60歳。私などは、以前のウィーン・フォルクス・オーパーの指揮者というイメージがあるが、もちろんそれだけではなく、世界各地で活躍する名指揮者で、来日も多い。もともとダニエル・バレンボイムのアシスタントであったというから、ワーグナーなどお手のものだろう。今回は、美しい巡礼の合唱から、歌合戦のあとでタンホイザーが糾弾される、オケがガサガサと鳴る箇所まで、幅広い表現力を発揮。信頼できる指揮者であると思ったものである。
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書き漏れてしまったが、今回のオケは東京交響楽団。冒頭は少し緊密さが課題かなと思ったものの、全体を思い返してみると、随所に色彩感豊かな音響を聴かせてくれて、熱演であった。特に第 2幕と第 3幕でのオーボエ。このオケのオーボエ演奏 (今回は荒絵理子) にいつも格別な美感があることは、何度もこのブログで書いている通り。

そんなわけで、悪いことをした奴が、女性の自己犠牲によって救われるという、現代ではちょっと作ることのできないほど男性の視点に依拠する作劇法 (笑) によってワーグナーの世界を味わうこのオペラ、高いレヴェルでの上演がこの常打ち小屋でなされることの意義は大きい。今シーズンはほかにも意欲的な試みがいくつかあるので、それらを楽しみにしたい。来シーズン (本年 9月以降) のプログラムも既に発表されていて、芸術監督大野和士の指揮が 1回だけとは淋しいが、それは新演出の「ニュルンベルクのマイスタジンガー」(2020年 6月) なのである。未だ 1年半も先だが、また東京のワーグナー・ファンたちが大喜びすることは間違いないだろう。あ、そう言えば「マイスタジンガー」では、悪い奴は救われないので、ワーグナーのユーラシア的スケールにも、後年は少し変化が生じていたということかもしれないが、それはまた改めて考えることとしましょう。

by yokohama7474 | 2019-02-03 01:01 | 音楽 (Live)