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テオドール・クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ (ヴァイオリン : パトリツィア・コパチンスカヤ) 2019年 2月10日 Bunkamura オーチャードホール

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私がクラシック音楽を聴き始めた 40年ほど前は、世界の音楽界には中心と辺境があった。例えばカラヤンとベルリン・フィル、あるいはショルティとシカゴ響、あるいはベームやバーンスタインというスター指揮者たちは毎月のように新譜を出し、音楽ファンはその新譜を楽しみにしていた。それこそが世界音楽界の、押しも押されぬ中心であった。もちろん、期待の新人というものは時々出て来たが、それが指揮者であれば、名の知れた一流オーケストラとの共演で活躍の場を広げて行ったものだ。そう書きながら、例えばサイモン・ラトルはバーミンガム市交響楽団という、誰もが認める世界の超一流というわけではないオケの音楽監督として頭角を現したが、そのオケはしかし、ラトル以前にもメディアではある程度はその名を知られたオケであった。また、レナード・スラットキンがセントルイス交響楽団とともに名を馳せたことは珍しい快進撃であったと評価できようが、それにはやはり、米国においてショルティとシカゴ響が持っていた絶対的な優位性が、前提としてあったものと思う。しかしながら 21世紀に入ってからは、今まで誰も知らなかった指揮者が、今まで誰も知らなかったオーケストラとともに音楽界に激震を与えるということが起きている。それも、ウィーンやベルリンや、その他世界の大都市に本拠地を置くのではなく、「えっ、そんなところにオケがあるの?」と思われるような意外な場所から。これは、誰もが認める音楽界の中心というイメージが徐々になくなってきていて、本来辺境であった地域も、今や成果さえ挙げれば、中心のひとつになりうるということではないだろうか。例えばグスターボ・ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラなどはその好例であるが、ここでご紹介するテオドール・クルレンツィスとムジカエテルナの活動も、実に 21世紀的な先鋭性を持っている。このコンビは今回が初来日だが、拠点としているロシアと、ヨーロッパの都市以外への演奏旅行は、今回が初めてだという。
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まずはこの楽団であるが、日本語で「ムジカ・エテルナ」ではなく「ムジカエテルナ」と、間の点を入れずに記載されるには理由があって、それは、英文での名称が "musicAeterna" と一続きの表記になっているからである。"Aeterna" とは「永遠の」という意味。レクイエムの歌詞として使われるラテン語の典礼文に、"Lux Aeterna" (ルクス・エテルナ = 永遠の光) というものがあるが、その Aeterna である。このオケの設立は 2004年。音楽監督クルレンツィスによって、ロシアのノヴォシビルスクにおいて活動を開始した。その後 2011年にはやはりロシアのペルミという場所に移転し、同地の歌劇場のオーケストラとなった。もうここまでで、かつて音楽界に中心があった時代には考えられないような歴史であることが分かる。ノヴォシビルスクはシベリアの都市であることくらいは知っているが、その場所はよく知らないし、ましてや、ペルミってどこ? 失礼ながら、とても伝統的なヨーロッパのオーケストラ文化が深く根付いている場所とは思えないのであるが、事実として、このクルレンツィスとムジカエテルナの名声は、現代クラシック界において、既に最上級のものになっている。例えば日本でも、2018年のレコードアカデミー大賞はこのコンビのマーラー 6番であったし、2017年の大賞も、やはりこのコンビによる「悲愴」であった。ついでにもう 1年前の 2016年には、今回の来日公演と同じコパチンスカヤをソリストに迎えてのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が、レコードアカデミー賞の協奏曲部門を受賞している。その意味では、既に日本でも盛名を馳せているこのコンビ、大きな期待を背負っての初来日であるのである。指揮者テオドール・クルレンツィスは、1972年生まれで、今月 47歳になる。ギリシャ人だが、アテネで音楽を学んだ後、サンクトペテルブルクで名教師イリヤ・ムーシンに師事。サンクトペテルブルク・フィルで名指揮者テミルカーノフの助手を務めたあと、上記の通りノヴォシビルスクに移り住んだ。年齢的には若手というよりも既に中堅だが、彼の登場によって、21世紀のクラシック音楽界には激震が走ったことは疑いがない。私もこれまで何枚か彼の録音を聴いていて、その優等生的な表現とは程遠いカリスマ性に震撼する思いである。人類史上初の豊かな演劇文化を産んだ古代ギリシャのイメージを、このような写真が発散している。
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そのようなクルレンツィスとムジカエテルナは今回、東京で 3回、大阪で 1回の公演を行う。東京公演はどうやらすべて完売のようだが、興味深いのはその曲目。すべてのプログラムがチャイコフスキーの作品から成っている。私が今回聴いた初日の公演の曲目は、以下の通り。
 チャイコフスキー : ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35 (ヴァイオリン : パトリツィア・コパチンスカヤ)
 チャイコフスキー : 交響曲第 6番ロ短調作品74「悲愴」

これだけ見れば、よくある名曲コンサートであるかに思われるが、その内容は期待に違わぬ、実に強烈なもので、これらの聴き慣れた曲たちが、なんとも異様な色彩を放つところに、満員の聴衆は立ち会うこととなった。まず最初のコンチェルトであるが、つい先日、大野和士と東京都交響楽団との共演でシェーンベルクのコンチェルトを弾いたばかりのコパチンスカヤが、今度はこのポピュラーなコンチェルトにおいて、まさにその野性を炸裂させ、実にやりたい放題の離れ業の連続である。
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彼女が裸足で演奏することはよく知られているが、クルレンツィスとともに、通常と異なりステージ上手側から姿を現わした彼女は、赤いエナメル製かと見えるスリッパを履いていた。そして演奏前にそれをきっちり脱いで裸足となった。オケの配置は、もちろんヴァイオリンは左右対称だが、コントラバスはひな壇の上に乗って、ステージ下手奥にずらりと一列で陣取っている。その後ろにステージドアがあり、人が通れる狭いスペースはあるものの、指揮者とソリストの登場する場所としては、まるで裏口のようだからか (笑)、今回の演奏会では上手が出入りに使われていた。さて、演奏に戻ると、なんと表現すればよいのだろう。冒頭から音楽は実に丁寧に、強弱豊かに演奏され、ルーティーン的な惰性は全く聴かれない。ヴァイオリンの入りも実に極端な表情づけがされていて、美麗に弾くことよりも、この音楽の持つ生命力を表現することに主眼があったに違いない。指揮棒はもちろん、指揮台すら使わず、体をほとんどソリストと第 1ヴァイオリンの方に向けて指揮するクルレンツィスは、何かが憑りついたかのような集中ぶりである。例えば第 1楽章のカデンツァ (このあと楽章最後までソリストは弾きっぱなしになるのだが) 手前でオケが盛り上がるところは、何かガサガサしたものすら感じられるような、ささくれだった凄まじい音響。対照的に第 2楽章では、木管が実にきれいに抒情を表現したが、そこには何か、常に音の底にマグマが眠っているような印象だ。そして終楽章の熱狂は言うまでもない。こんな演奏で聴くと、この曲が本来持っている生命力を実感することができて、改めてチャイコフスキーの音楽のドラマ性に打ちのめされるのである。そしてコパチンスカヤは 3曲のアンコールを演奏したのだが、まずは聴衆に向かって英語で「日本で演奏できるのはいつも喜び (joy と pleasure という 2種類の言葉で表現) であり、名誉です。このオケは特別な存在で、ひとりひとりがソリストのようです。私は彼らのうち何人かと一緒に演奏します」と語りかけた。そして演奏したのは以下の 3曲。
 ダリウス・ミヨー : ヴァイオリン、クラリネットとピアノのための組曲作品157b (クラリネットとの共演)
 ジェルジ・リゲティ : バラードとダンスからアンダンテ (コンサートマスターとの共演)
 ホルヘ・サンチェス=チョン (ベネズエラ) : クリン (ソロ)

これらはいずれも一般的な知名度の低い曲であり、3曲目に至っては、これまで名前も聞いたことのない作曲家である。だがコパチンスカヤの演奏には一貫するものがあり、例えばそれは 1曲目ではユダヤのクレッツマー音楽のような雰囲気であり、2曲目では、リゲティとしては異例なほど明確な旋律線による民俗性であり、そして 3曲目では、呟きや雄叫びを上げながら、超絶技巧による熱狂を巻き起こした。なお、1曲目のミヨーは、「荷物を持たない旅行者」という劇音楽からの編曲。2曲目のリゲティは、1950年作というから、作曲者弱冠 27歳の頃の、2つのヴァイオリンのための作品。そして 3曲目のサンチェス=チョンは、1996年にコパチンスカヤのために書かれた曲で、2014年のアシュケナージ指揮 NHK 交響楽団の演奏会でもアンコールとして演奏している (YouTube でも見ることができる)。モルドヴァ出身の彼女は、父が有名なツィンバロン奏者とのことであり、このような東欧の雰囲気が、その演奏活動の土台になっているようである。

さて、メインの「悲愴」であるが、これはまたなんとも強烈な演奏で、クルレンツィスとムジカエテルナのコンビは、現代において他の追随を許さないほどの独自性をもった活動をしていることを、生の音で思い知ることとなった。もうこれまで何度聴いてきたか分からないこの曲を聴いて、あちこちで鳥肌立つ経験をするなんて、信じられない (笑)。まずはステージを見て気づいたことがいくつか。ひとつは、全員が起立したまま演奏することだ。もちろん、構造上座って演奏する必要のあるチェロや、楽器の大きいチューバとバスクラリネットは座ったままだったし、登場機会があまり多くない管楽器奏者たちは、時折座っていた。だが、ヴァイオリンとヴィオラは、椅子すらも取り払われて、ずっと立ちっぱなしだ。私の過去の経験では、ジョン・エリオット・ガーディナーが指揮するオルケストル・レヴォリューショネール・エ・ロマンティークの演奏会をロンドンで聴いたときに、確か弦楽器だけは同様に起立しての演奏であったことを覚えているが、どうやらこれがムジカエテルナのスタイルであるようだ。そして、例によってコントラバスを数えてみると、前半のコンチェルトでは 6本であったところ、「悲愴」では 9本。そうするとチェロは 10本か、もしかすると 11本かしらんと思って数えてみると、これがなんと、13本!! 極めて異例である。そこで、すべての弦楽器を数えてみたが (いや、数え甲斐ありました。笑)、第 1ヴァイオリン : 17、第 2ヴァイオリン : 15、ヴィオラ : 14、チェロ : 13、コントラバス 9 といった具合。なんとも特殊である。だが、ここで書いておきたいのは、彼らの奏でる音楽自体にエキセントリックなところは全くなく、「悲愴」の演奏としては、むしろオーソドックスであったと言えると思う。凡百の演奏と異なるのは、そのパートパートの音の明晰さに加え、全体で音のドラマを練り上げて行く一体感、そして、底知れぬ情熱ということであろう。死を前にしたチャイコフスキーが見ていた世界は、こんなにも激しく、こんなにも絶望に満ちたものだったのだ。いや、「悲愴」という曲を演奏する限り、誰でもそのことを表現しようとするわけだが、彼らの演奏には、上にも書いた通り、ルーティーン性は皆無。その意味では、冒頭に書いたような、かつて存在したクラシック音楽界の「中心」において繰り返し行われていた演奏活動と比べ、ロシアの小都市で厳しい練習を重ねて、乾坤一擲の演奏を披露することを目指すこのオケの活動には、聴き飽きた有名曲に新たな光を差すという結果がついてきているという意味であろう。演奏終了後、クルレンツィスは身じろぎもせず、あたかも追悼のような雰囲気で指揮台に立ち尽くし、永遠のようにすら思われる時間が経過してから、ようやく聴衆の拍手が沸き起こった。クルレンツィスは今回、「素晴らしいコンサートホールと成熟した聴衆が待っている」日本にやって来るのを楽しみにしていたとのことだが、我々日本の聴衆は、そのことを誇りに思うともに、まさに全身全霊での演奏に対し、最大限の敬意を払いたいと思う。

このクルレンツィスとムジカエテルナの演奏、私はもう一度楽しむことができる予定だが、今回の一連の演奏会は恐らく、この演奏家と日本との、今後長く続くことになるだろう緊密な関係の、記念すべき出発点になることだろう。我々は、そんな体験ができる幸運な立場にあることを、肝に銘じたいと思う。

by yokohama7474 | 2019-02-11 01:20 | 音楽 (Live)