ナチス第三の男 (セドリック・ヒメネス監督 / 原題 : The Man with the Iron Heart)

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このブログでは過去に何本ものナチスに関連した映画をご紹介して来た。それは、私自身がいろんな意味でナチ時代のドイツや、それに対する諸外国の反応に興味を持っているという事情もあるが、それよりも何よりも、ナチスを題材にした映画が、戦後 70年以上を経た現在になっても、ひっきりなしに作られているということだろう。そんな中、フランス・英国・ベルギー合作によるこの映画、その題名の通り、ヒトラー、ヒムラーに次ぐナチス第三の男と評されることもあるラインハルト・ハイドリヒを主人公にしたものである。このハイドリヒ、ナチ高官の中で唯一、暗殺された人物であるが、それは 1942年 5月、現在のチェコ共和国の首都プラハでの出来事。今この記事をご覧頂いている方で、「あれ? それってどこかに同じ題材の映画がなかったっけ?」と思って頂ける方が果たしてどのくらいおられるか、大変に心もとないのだが (笑)、それは 2017年 9月 6日付の記事で、その映画の題名は、「ハイドリヒを撃て! 『ナチの野獣』暗殺作戦」という、よりストレートなものであった。そして実際、この 2本の映画は、ハイドリヒ暗殺という同じ史実を映画化しているのである。その映画について自分の書いたことを読み返してみると、要するに、映画全体としての出来には保留をつけながらも、ラスト 30分の壮絶なシーンに身震いしたことを書き、この事件と関連する芸術作品、つまりフリッツ・ラングの「死刑執行人もまた死す」や、作曲家、マルティヌーの「リディツェへの追悼」に言及している。ご参考までにその映画のポスターをここに掲げておこう。
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同じ史実を描きながらも、今回の映画が前回の映画と大きく異なる点は、ハイドリヒ自身の生活について、かなり踏み込んで描いていることである。つまり、占領下のチェコスロヴァキアにおけるレジスタンス活動の英雄的行為と、それへの報復としてナチの行った残虐行為のみに焦点を当てるのではなく、襲った方襲われた方、双方を描いているのみならず、むしろ襲われたハイドリヒの人間性や日常生活、38歳で暗殺されるまでに歩んだ人生の点景の数々が描かれているのである。なるほど、いかに鬼畜のようなナチ高官であっても、人間であったことは事実。家族への愛や出世意欲、また人間的な弱さもあったであろう。それを描くことで、人間が人間を殺戮するというナチス時代における異常な事態の深刻さを、一層深く感じることができることは確かである。そしてもう一点、この映画の美点は、その映像の美しさである。「ハイドリヒを撃て!」の場合には、どうにも映像が汚くて閉口したことを思い出したが、それに比べるとこの映画では、あらゆるシーンが大変に巧妙に設計されていて、その一方で、1942年の出来事という点のリアリズムも、ある種のドキュメンタリータッチで見事に描かれている (35mmフィルムでの撮影ということだ)。それらを総合して一言で要約すれば、これは大変に優れた映画であると思う。これは主役のハイドリヒを演じるジェイソン・クラーク。過去の出演作リストを見ていて思い出したが、「ターミネーター : 新起動 / ジェネシス」でジョン・コナーを演じていた俳優だ。悪役がよく似合う (笑)。
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だがこの映画では、ハイドリヒは最初から「ナチの野獣」であったわけではない。愛人問題で海軍から除名され、必死になってナチ党に所属。ヒトラーの思想に心酔する元貴族の家系出身の妻に背中を押され、また、ヒムラーに気に入られて、出世階段を駆け上る。子供たちの前ではよき父親だが、任務に関しては極めて勤勉で、血も涙もない。プラハには「保護領」チェコスロヴァキアの副総督として赴任するが、その頃から、家族との時間を犠牲にするハイドリヒから、妻の心は離れがちになる。そのような家庭事情も抱えてイライラしているハイドリヒ。そんな中で運命の日を迎えるのだが、さてこのようなハイドリヒの人間性の描写によって観客は、このハイドリヒという男に感情移入するであろうか。答えは否であろう。人間的な要素を描くことで物語の陰影は濃くなっているが、この映画がよくできているのは、だからといってハイドリヒにも立場がある、などという考えにはならないようにできている点である。例えば性的シーンの描き方も、レジスタンス側が若者のイチャイチャくらいでしかないのに対し、このハイドリヒさんの場合は、うーん、かなり Brutal である (笑)。ま、これはひとつの例だが、ハイドリヒに感情移入させないのは、演出としては妥当であろうと思う。

その一方で、残念な点もあって、それは、主役以外の役者陣に、飛び抜けたものがないことである。特に妻リナを演じるロザムンド・パイクは、もっとウブであるか、もっとしたたかであった方がよかったのではないか。マクベス夫人である必要はないが、もっと突き詰めたものを見たかった。レジスタンス側の主要な 2人、英国政府から支援を受けた亡命チェコ政府から送られてきたヤン・クビシュとヨゼフ・ガブチークを演じたのは、それぞれジャック・オコンネルとジャック・レイナー。彼らはいくつかのシーンでは悪くはないものの、せっかく映画的なシーンが様々作られているのだから、もっとキャラクターの違いを出してもよかったように思う。同じジャックで紛らわしいが、奥がオコンネル (「マネーモンスター」でスタジオに乱入する犯人役を演じた)、手前がレイナー (「トランスフォーマー / ロストエイジ」で準主役を演じた)。
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レジスタンス側に、思わぬ女優が出ている。それは、ミア・ワシコウスカ。ティム・バートンの「アリス・イン・ワンダーランド」で一躍有名になった女優だが、その後もちょっと毛色の変わった映画に出ている。米国人だがその名前からして東欧系かと思ったら、母親はポーランド人であるそうだ。ここでは素朴なチェコの娘 (レジスタンスを支持する家庭の娘) を素直に演じてはいるが、忘れがたいほどの印象とまでは言えないような気がする。
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それから、これはあまり本質的ではないかもしれないが、使用言語が、ドイツ人もチェコ人もみな英語であることは、やはり少し気になった。ハイドリヒを単純に冷血漢として描くことを避け、ナチス側もレジスタンス側も同じ人間として英語に統一するという意図なのかもしれないが、ここまで映像にリアリティがあるなら、ハイドリヒはドイツ語を喋るべきだったようにも思う。

このように、映画全体としての出来は悪くないものの、細部に少し課題があるように思われる作品である。原作は世界 25ヶ国語に翻訳され、日本でも 2014年に本屋大賞の翻訳部門を受賞しているという「HHhHプラハ 1942」という作品。この原作もドキュメンタリータッチで描かれているらしく、大変面白いと評判だ。時間があれば読んでみたい。作者はローラン・ビネという 1972年生まれのフランス人作家。
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また、本作の監督も、セドリック・ヒメネスというフランス人であり、もともとドキュメンタリーでキャリアを始めた人で、1979年生まれ。さすがにそのキャリアが本作で活かされているということだろう。
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ひとつ書き忘れたが、本作のラストシーンは、「ハインリヒを撃て!」と同じ内容。先の記事では明言を避けたが、それは、レジスタンスたちが立て籠もった教会での激しい銃撃戦なのである。「ハインリヒを撃て!」と同じく、今回も大変に仮借ないシーンの連続で、神聖なる教会でも容赦せず銃撃するナチスの野蛮さに、憤りを超えて、人間の哀しみを感じる。カトリックやプロテスタントではなく、ロシア正教の教会だったから抵抗なかったわけではあるまい。ナチス側も必死であり、兵士たちはただ命令に従って銃撃したまでである。戦争が人間を殺人機械に変えてしまったのだろう。ところで、この恐ろしい銃撃戦の舞台となった教会は、きっと未だプラハに存在しているのだろうと思って調べてみると、ありましたありました。聖キリル & 聖メトディウス教会 (または聖ツィリル・メトデイ教会) という、2人の聖人を祀った教会であるようだ。現地には銃弾の跡も残っており、レジスタンスたちの隠れ家を見ることもできるらしい。私は過去にプラハには何度か行っているが、ここは見たことがないので、次回、是非訪れるようにしたい。
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by yokohama7474 | 2019-02-11 23:12 | 映画 | Comments(0)