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パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : アレクサンダー・ガヴリリュク) 2019年 2月16日 NHK ホール

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首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィが指揮する今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期公演のうち、これは 2つめのプログラム。このコンビの意欲的な取組は実に瞠目すべきものがあるが、今回のプログラムはロシア音楽である。
 ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 2番ハ短調作品18 (ピアノ : アレクサンダー・ガヴリリュク)
 プロコフィエフ : 交響曲第 6番変ホ短調作品111

いずれもロシアを代表する作曲家であるが、ラフマニノフの方は、作曲家の全創作の頂点をなすと言ってもよい若き日の名作。一方のプロコフィエフの方は、珍しい作品では決してないものの、それほど演奏されない円熟期の作品。その対照の妙も、いかにもプログラム巧者のパーヴォらしい。
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今回のラフマニノフのコンチェルトは当初、ジョージア出身の女流ピアニスト、今人気絶頂のカティア・ブニアティシヴィリが予定されていた。ところが 2月に入ってから発表されたことには、彼女は残念ながら健康上の理由で来日中止。急遽ピンチヒッターに立ったのは、1984年ウクライナ生まれのアレクサンダー・ガヴリリュクである。
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彼はいくつもの国際コンクールの優勝歴を誇るが、そのうちのひとつが 2000年の浜松国際コンクールである。以来頻繁に日本を訪れていて、N 響との共演は 2011年、2015年、2016年に続く 4回目である由。昨年 9月には、東京交響楽団をバックに、一晩でロシアの代表的なピアノ協奏曲を 3曲 (チャイコフスキー 1番、プロコフィエフ 3番と、今回も演奏するラフマニノフ 2番) を弾くという離れ業もやってのけている。ブニアティシヴィリの代役として不足はないだろう。そして今回のラフマニノフの演奏、ある意味では模範的とも言える演奏であったと思う。だが、ともすると感傷に流れがちなこの曲に、しっかりとした流れを与えることで、過度な感傷を避けることに成功していた。彼のピアノは決して粒立ちが絶妙という感じでもないように思うのだが、曲の個性を自らのものとしているゆえに、感傷に走る必要もないということだろうか。ヤルヴィと N 響の伴奏も、実に手慣れたものであり、安定感抜群であった。そしてガヴリリュクがアンコールとして弾いたのは、同じラフマニノフの有名な「ヴォカリーズ」であったが、会場の表記によるとこれはゾルターン・コチシュによる編曲。ここでもガヴリリュクは、淡々と美しいメロディを紡ぎ出して見事であった。ところでこのコチシュ、もともと「ハンガリー三羽烏」のひとりと呼ばれて、未だ 20代であった 1970年代から活躍した人。近年は指揮者としての活動も行っていたが、2016年に惜しくも 64歳の若さで亡くなった。今調べてみると、この自ら編曲した「ヴォカリーズ」を 1984年に録音している。ラフマニノフのピアノ協奏曲全集に付随するもののようで、今回の演奏会と同じ 2番のコンチェルトと組み合わせた盤もある。若いなぁ。
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そしてメインのプロコフィエフ 6番は、彼の代表作のひとつである第 5交響曲が第二次大戦末期に書かれたのに続き、終戦をまたぐ格好で、1945年から 1947年にかけて書かれている。3楽章からなる 40分ほどの曲であるが、曲の雰囲気は決して明るく楽しいものではなく (終楽章は駆け回る音楽なので、これを明るいと言ってもよいかもしれないが、決して一筋縄にはいかない)、前作 5番の人気には遥かに及ばない。私がこの曲を初めて耳にしたのは、1980年代だと思うが、エフゲニ・ムラヴィンスキーと当時のレニングラード・フィルによるライヴ演奏の FM 放送であった。当時は知らなかったのだが、実はムラヴィンスキーは、この曲の初演者なのである。ムラヴィンスキーと言えば、ショスタコーヴィチの交響曲の多くを初演したことで知られるが、プロコフィエフ作品を採り上げることは、決して多くなかったはずである。しかもバリバリの共産党員であった彼は、ショスタコーヴィチのシンフォニーにおいても、国の方針に鑑みて問題作とみなされそうなものはうまく避けていたように思われるのだが、このプロコフィエフ 6番はどうだろう。音響的には決して体制から支持されそうには思えない。実際、1948年の「ジダーノフ批判」で、この曲は形式主義的として非難されている。その批判はスターリン死後の 1958年に事実上撤回されたため、その後もムラヴィンスキーは折に触れこの曲を指揮した。だが、現在に至るもこの曲の演奏頻度はあまり高くないのが実情である。しかしながら、ここ東京では、先月もこの交響曲が、大野和士と東京都交響楽団によって演奏されている (残念ながら私は聴けなかったが)。例によって、そんなことは世界にもなかなかない、東京ならではの現象と言ってもよいだろう。これは 1940年、ということは未だ独ソ戦も始まっていない頃に撮られた写真で、左からプロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、そしてハチャトゥリアン。
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今回のヤルヴィと N 響の演奏は、期待通り、非常に見通しのよい充実した演奏であったと思う。この曲には晦渋な要素がついて回り、第 1楽章では威圧的な雰囲気もある一方で、音楽は持続的な盛り上がりを見せることがない。第 2楽章で歌われるのは、歌劇「戦争と平和」の「ナターシャとアンドレイの愛の主題」に類似するテーマであるそうだが、例えば 5番の緩徐楽章のような緊張感に満ちた美しさはない。そして、スケルツォを欠いているこの交響曲、終楽章のはしゃぎぶりにスケルツォ的な要素を兼ねているのかもしれないが、ここでも音響の統一感はあまり感じられない。このような曲でありながら、しかしヤルヴィと N 響は、まるで手慣れた曲であるかのように楽々と先へと進んで行くのである。いつものことながら、ヤルヴィの指揮の美点は、楽員たちの力をうまく束ねて解き放つ点にある。およそ不得意というレパートリーのない彼のことだから、この曲でも大変に力感に満ちた指揮ぶりで、実に安心感を持って聴いていることができた。上質な音楽体験である。

ところでプロコフィエフという作曲家、有名な曲とそうでない曲がかなり極端に分かれているように思う。ロシア革命の際に国を出て、日本にも滞在したのは有名な話だが、1935年に祖国ソ連に還り、1953年の死 (奇しくもスターリンの死と同じ日!!) まで留まった。初期のアヴァンギャルドな作風 (極端な例はやはり「炎の天使」か) から、帰国後に書いた革命賛辞のカンタータ類、エイゼンシュテインの作品に作曲した映画音楽、絶対的な名作バレエ「ロメオとジュリエット」と、それに次ぐ「シンデレラ」、一連の先鋭的なピアノ曲に、各種協奏曲、室内楽曲、あの大小説を原作とする大作オペラ「戦争と平和」まで、実に様々だ。交響曲でも、若き日の人気作、第 1番「古典交響曲」のあと、名作 5番までは傑作とは評価されておらず、4番などは、改訂して別の作品番号を与えられたリしているし、最後の 7番でも、異なるエンディングの版があるなど、かなりとっつきにくさがあることは事実。なので、もう一度この 6番などをじっくり聴くことで、この作曲家のまだまだ未知な部分への足掛かりとなるような気がするのである。それから、これは全くの余談だが、彼の孫はガブリエル・プロコフィエフと言って、1975年ロンドン生まれの作曲家なのである。私は弦楽四重奏曲を聴いたことがあるが、ミニマル風の面白い曲である。例えばこの CD。これを聴いたからと言って、彼の偉大なる祖父の音楽の深淵への理解が深まるわけではないにせよ、何かそこに流れるものがあるのではないかと考えるのも、結構楽しいことである。
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by yokohama7474 | 2019-02-17 00:49 | 音楽 (Live)