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クリスティアン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル 2019年 2月28日 サントリーホール

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1956年ポーランドに生まれた現代最高のピアニストのひとり、クリスティアン・ツィメルマンを聴く。私は、2015年12月の彼の名古屋でのリサイタルや、昨年 9月のサイモン・ラトル指揮ロンドン響との共演の様子を、以前記事にしたことがある。今回の来日ツアーは、「ポーランド芸術祭 2019 in Japan」の一環と謳われているが、このイヴェントは、日本とポーランドの国交樹立 100年を祝うもので、音楽のみならず映画や演劇、アートや文学の面でも、ポーランド芸術が紹介されるものであるらしい。だが正直なところ、このリサイタルのチケットが発売されたときにそのような知識はなかったし、いやそれどころか、当初は確か曲目未定とされていたと記憶する。それでもさすがにツィメルマン。この日のリサイタルは完売で、急遽 3月 5日に東京オペラシティで追加公演が決定した。会場に着いてあたりを見回すと、普段のクラシックコンサートよりも女性が多いように見受けられた。それを端的に表すのは休憩時間のトイレの列で、よくオーケストラコンサートの場合には (特にブルックナーとかマーラーの場合には) 男性トイレに長蛇の列ができるものだが、今回は女性の方の列の長さに比べて、男性の方は、それはもう空いていたこと (笑)。若い頃は甘いマスクとして知られたこのピアニスト、62歳になった今でも、女性に大人気ということだろうか。因みに若い頃はこんな感じであった。
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ともあれ、音楽は顔で奏でるものではないゆえ、そのような余分なことは置いておいて、今回の演奏について語ろう。当初未定とされた曲目はその後、上のチラシにある通り、ショパンのスケルツォ全曲 (1 - 4番) が発表されたが、結果的には、それにブラームスが組み合わされて、以下の通りとなった。
 ブラームス : ピアノ・ソナタ第 3番ヘ短調作品 5
 ショパン : スケルツォ 第 1番ロ短調作品20、第 2番変ロ短調作品31、第 3番嬰ハ短調作品39、第 4番ホ長調作品54

これはなかなかに充実した内容である。ブラームスのピアノ・ソナタは 3曲あり、この第 3番は最後のものだが、「5」という極めて若い作品番号で分かる通り、これはこの作曲家の若書きの作品。実は、彼の作品 1はピアノ・ソナタ第 1番。作品 2はピアノ・ソナタ第 2番であり、それらと近い時期に書かれたこの第 3番は、弱冠 20歳の頃の作品だ。これはそれほど演奏される曲ではないが、いかにもブラームスらしい重厚さと情熱をもった曲。そして後半は、ツィメルマンの故国ポーランドが生んだ天才、ショパンの残した「スケルツォ」と題する曲、4曲すべてを演奏する。この 4曲はもともとセット物でもなんでもなく、作品番号もつながっているわけではない。また、第 1番、2番の演奏頻度に比べて第 3番、第 4番のそれは少ないのが実態であるが、この 4曲を続けて演奏することで、いかなるショパン像を聴くことができるだろうか。尚、今回のツィメルマンの来日リサイタルは、2/16 (土) の柏崎を皮切りに、1ヶ月の間に全国 8か所で開催される (東京・柏崎以外には、長野、西宮、福岡、熊本、横浜) が、このサントリーホールでのリサイタルまでの 3公演が同じ曲目、そして残る 5公演は、後半のショパンのスケルツォは同じだが、前半にはショパンの 4つのマズルカ作品 24と、ブラームスの 2番のソナタが配されている。

以前も書いたことであるが、このツィメルマンというピアニスト、その音の深さによって、ピアノという楽器の表現力すら広げてしまったようにすら思われる、真に偉大な存在である。音が深いと言っても、孤独感にこもるとか、過度に神経質になることはなく、音楽自体を飛翔させるような、ある種の軽やかさも持っていると言えばよいだろうか。技巧が際立って聴こえるタイプではないのだが、曲想によっては、まさに圧倒的な打鍵の強さと、強音でも決して濁ることのないクリアな音質によって、聴く者を文字通り圧倒する。今回、3年数ヶ月ぶりのリサイタルを聴き、彼がますます高い境地に達しているように思われて、大変に感動した。例えば最初のブラームスなどは、若書きの弱点を巧妙に隠して、さらに聴きやすい音楽として演奏するピアニストもいるだろう。だがここでツィメルマンが紡ぎ出したのは、天才の若書きの音楽そのものであり、そこにはたっぷりのロマン性と、将来を見据える若き作曲家の情熱が横溢していた。5楽章からなる 40分ほどの曲であるが、第 1楽章の力強さ、第 2楽章の抒情、第 3楽章スケルツォの生命力、そして「回顧」と題された、再び抒情性に満ちた第 4楽章 (20歳にして「回顧」とは、いかにもブラームスらしい。笑)、そしてロンド形式の第 5楽章は、いずれも誠実に再現され、様々な曲想の対比も見事なら、常に底光りのするような音、そのひとつひとつの揺るぎない存在感も、素晴らしいものであった。多少の誤解を恐れずに言ってしまうと、ここには音のドラマがあったと表現してもよいのではないだろうか。たまたま上で「ロマン性」という言葉を使用したが、ツィメルマンの音楽には、ただそこで鳴っている音を超えて、何か聴く者の想像力を刺激するようなものがあり、それこそロマン派の音楽に必要なものではないだろうか。因みに今回彼は、横長の譜面を舞台に携えてきて、譜めくりの助手は使わず、自分で譜面をめくりながらの演奏であった。
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だがやはり圧巻であったのは、後半のショパンであろう。もちろん彼はポーランド人であるから、祖国の誇るこの作曲家をレパートリーの中心に置いている。と、そんなことを言ってみても、この日のツィメルマンの演奏のイメージを伝えることにはならないだろう。そもそもこのショパンという作曲家、パリのサロンで人気を博した優雅な音楽と、なんとも情熱的で白熱的な音楽 (時によってはそれは、離れてしまった祖国への思いがストレートに表現されているわけだが) との双方を書いた人だが、今回のスケルツォという曲は、4曲による持ち味の違いは多少あるにせよ、やはり後者のタイプの音楽だ。今回のツィメルマンは、第 1番の冒頭の和音から気合充分で、サントリーホールの隅々にまで、その力強い響きは届いたことであろう。それから始まる、まさに目のくらむような音の渦と、ふと郷愁に駆られるような抒情性。情熱が迸るからこそ、ふと顔を覗かせる抒情性に、聴く者の心を強くとらえるものがある。圧倒的であった。上記の通りこのスケルツォの 4曲は、もともとセットとして作曲されたものではなく、別々の機会に作曲されている。そして 1曲 1曲に多大なエネルギーを要するので、演奏も 1曲終わるごとにツィメルマンは立ち上がって拍手を受け、毎回ステージ袖に引っ込んでいた。興味深かったのは、この後半でも彼は横長の譜面を見ながらの演奏であったが、1番と 2番に関しては、演奏中に譜面を見ることもなく、次の曲の演奏に入る前に、パラパラとまとめてページをめくっていたが、3番と 4番については、譜面をめくりながらの演奏であった。もちろんこれは、有名な 1番・2番と、さほどでもない 3番・4番との間に、ツィメルマンと言えどもなじみ方の違いがあったということかと思うが、だが、それはもちろん、暗譜で全部演奏しようとすればできるはずである。それなのに、このように譜面を見ながら演奏するという誠実さこそ、彼の音楽の一面を表しているようにも思われる。それにしても、今でも耳の底に残っている、あの輝かしい音色!! 第 4番には、まるでリヒャルト・シュトラウスかと思うような伸びやかな音楽が響く箇所もあるのだが、ロマン性溢れるツィメルマンの演奏で聴くと、そのことを余計感じてしまう。考えてみれば、同じロマン派に分類されるショパンとブラームスの間には、何か交流があったのだろうか。ショパンはブラームスより 23歳年上で、死去したときにはブラームスは未だ 16歳であったし、両者は活躍の舞台も違うので、この 2人の間に直接面識があったとは思えない。また、その音楽には大きな違いがあるのだが、それでも、ここには西洋音楽の歴史の継承があることは確かだろう。ショパンとブラームス。これらのロマン派音楽は、そのような継承を経て今日まで残っている、かけがえのない人類の遺産なのであると、改めて認識する。

アンコールにも、ブラームス、そしてショパンが演奏された。後半でショパンのスケルツォ用にステージに携えてきた一連の譜面の中に、それらの譜面も入っていたわけで、即興ではなく、最初から周到に考えられたアンコールであったわけだ。最初のアンコールでは、ピアノの前に腰かけ、客席に向かって「ブラームス」と言ってから、しばし沈思黙考。演奏前の集中かと思いきや、その後「オーパス、ジュウノ、イチ」と言った。Opusとはもちろん作品番号のこと。4つのバラードから第 1番作品10-1である。もちろん、ここにもブラームスのロマン性が漂う。そして、その後演奏されたのは、ショパンの 4つのマズルカ作品24から、第 17番と 14番。この 2曲は、別の日のプログラムに入っているのだが、ここでもきっちりと譜面を見ながらの演奏であった。このマズルカは、今回のプログラムにおける強烈なロマン性を和らげる効果があったと思う。素晴らしいリサイタルであった。

帰宅して改めて、このツィマーマンのレパートリーを考えてみた。彼は 1975年のショパン・コンクール優勝者 (最年少、18歳) であり、カラヤンやジュリーニやバーンスタインとコンチェルトを録音している人であるから、その経歴は既に長いものであるのだが、こと録音に関して言うと、レパートリーはかなり限定的だ。例えばコンチェルトでは、ベートーヴェン、ブラームス、シューマン、リストといったドイツ系の主要なところを録音している一方で、ロシア物は、ラフマニノフはあるがチャイコフスキーはない。近現代では、ルトスワフスキ (彼もポーランドの作曲家である) のコンチェルトを 2度録音しているにもかかわらず、プロコフィエフやバルトークはない。また、ソロにおいても、ショパンも実はそれほど広範には録音しておらず、シューベルトやリストは少しあるが、例えばモーツァルトも、そしてなんと、ベートーヴェンのソナタもないようだ。実際の演奏会では (今回の曲目もそうだが)、録音していないレパートリーを採り上げることは多いようだが、それらを記録として世に問うということには、あまり興味がないのかもしれない。こうして振り返ってみても、彼の録音レパートリーは、やはりロマン派が中心になっているが、でも例えば、バッハなど演奏してくれたら、きっと素晴らしいのではないかと、勝手に想像する。彼は日本にも特別な思い入れをもってくれているようなので、また新たなレパートリーを聴けることを期待したいと思う。あ、そうそう、ポーランド芸術祭 2019 in Japan のほかのイヴェントにも、注目したい。
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by yokohama7474 | 2019-03-01 06:04 | 音楽 (Live)