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ファースト・マン (デミアン・チャゼル監督 / 原題 : First Man)

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前作「ラ・ラ・ランド」で世界を席巻したデミアン・チャゼルが、その「ラ・ラ・ランド」主演コンビのひとりであったライアン・ゴズリングを主役に据えて、前作とは全く異なる映画を監督した。そもそもこの監督、1985年生まれというから、今年 34歳という若手でありながら、前作、そして前々作「セッション」(原題 : Whiplash) で、一躍世界の耳目を集める存在となった。だが調べてみると、その「セッション」は、監督としての 2本目の長編作品であったらしく、ということは、今回の「ファースト・マン」を含めても、長編はわずか 4本しか監督していないということになる。異例の才能と言ってよいだろう。
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さてこの映画、タイトルの通り、初めて何かを成し遂げた男の物語。主人公の名前はニール・アームストロング。そう、アポロ 11号によって、人類で初めて月面に降り立った宇宙飛行士である。チャゼルはこの企画を「セッション」を完成させた後に製作者から打診を受け、宇宙に強い思い入れはなかったために、最初は躊躇したものの、原作小説を読んでイメージが沸いたとのこと。それは、単なる伝記映画ではなく、月面着陸を彼の目線から描いたものにしたいということだったらしい。つまり、英雄的行動を称揚するというよりは、人間アームストロングが、家族とともにいかなる苦しみや悲しみを乗り越えたかという点に、本作の主眼があるということだろう。これが1969年、人類最初の月面到着。
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さてここでひとつ、やはり書いておきたいことがある。私のような陰謀論好き、与太話好きにとっては、どうしても無視できないことなのだが、「アポロ 11号は本当は月に行っておらず、月面到着の映像は、ハリウッドのスタジオで撮影されたものである」という説が、世の中にはかなり根強くあるということだ。この捏造説の詳細や、それへの反論など、ネット検索すれば多くの情報を得ることができるので、ここでは詳細は割愛するとして、ひとつだけ例として挙げておきたいのは、クリストファー・ノーラン監督の「インターステラー」という映画においては、近未来が舞台となっているが、学校で教師が生徒たちに、「アポロは月に行っていないという真実を教えている」という設定で、主人公の少女は、その教育を頑なに拒むということが、物語のひとつのキーになっていた。当時の米ソの宇宙開発合戦の苛烈さや、月面の映像の不自然な鮮明さ、その時以来人類は月面に降り立っていないことなどが、この「説」の根拠になっているし、やれコーラの缶が月面に転がっているのが写っているだ、風が吹いているはずがないのに旗が揺れているだ、キューブリックが監督したのであるという話まであるわけで、お話しとしては面白い。だが、あれこれの情報を参照してみると、やはりそんな捏造は無理で、実際にアポロは月に行ったのであろうと、私は思っている。

もちろん、そんなことは、この映画を見る上では全く関係ない。ただ、実際のところ、尋常ならざる鋭い感性を備えたチャゼルともあろう監督が、米国の歴史的快挙をただ盲目的に称賛することはないだろうと思って劇場に行ってみたのだが、案の定と言うべきか、少し複雑な情緒の映画になっている。物語は、1961年にアームストロングが幼い娘を失うシーンに始まり、彼がジェミニ計画 (アポロ計画の前段階) に志願。仲間の宇宙飛行士たちにもいい奴悪い奴がいて、そのうちの何人かは訓練中に命を落としてしまう。そして 1969年、ついにアポロ 11号で月に向かう・・・という流れを、セミ・ドキュメンタリー・タッチで描いている。なので、その大きな流れの中には「情緒」はあまりないのだが、寡黙なアームストロングの内面には、常に亡くなった娘への思いが渦巻いていて、そこに「情緒」が生まれている。人類史上の快挙を成し遂げた男は、その内面において、自らの栄光よりも、幼い娘への愛の方が重要であったということであろうか。
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このようなメッセージは、上で触れたチャゼルの意図をそのまま表現しているように思われる。だが、これがどこまで観客の支持を得られるか、私には若干疑問である。ネタバレできないので詳細は書けないが、クライマックスの過剰なまでの静謐さ、そしてラストシーンのカタルシスのなさ、これらは、見る者に対して、少し距離を感じさせるものになってしまっているのではないだろうか。ある種謎めいていると言ってもよいだろう。まさかこの手法で、アポロ 11号の月面着陸は捏造だった、ということを表現しているのではないだろうが (笑)。

興味深かったのは、舞台となっている時代の雰囲気を、細部に至るまで克明に描いていたことで、このあたりの手腕は、さすがのものだと思った。1960年代というと、ヴェトナム戦争がありヒッピー文化があり、米国の中でも、戦費や無駄な宇宙開発に膨大な資金を浪費するのではなく、貧しい人たちを救済せよという運動があったわけである。そんな中、実際に命を賭けて宇宙に乗り出して行った人たちの勇気は、称賛される一方で、必ずしも米国の人たち全員がその快挙を祝福したわけでもなかったのかもしれない。そのような事情が、上記の通りの、月面着陸捏造説の根強さの背景にあるのかもしれないな、と思った次第。そうすると、やはり複雑な情緒の作品にもなってしまおうというものだ。
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このように、私としてはこの作品、デミアン・チャゼルという若き俊英が、その手腕を発揮した点と、狙いに少し無理があった点と、両方があったように思われるのである。もちろん、これからもまだまだその作品に期待できる人であるだけに、また何作か撮ったあとでこの作品を思い出すことで、見えてくることもあるかもしれない。

by yokohama7474 | 2019-03-10 17:06 | 映画