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シェーンベルク : グレの歌 シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2019年 3月14日 サントリーホール

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アルノルト・シェーンベルク (1874 - 1951) の超大作「グレの歌」を聴きに行って、ホール入り口でもらったチラシの束を覗く。そうすると、最初が別の演奏による「グレの歌」のチラシ、2枚目も、これまた違った演奏による「グレの歌」のチラシである。一体、これってどういうことだろう。西洋音楽史において、マーラー 8番と並んで破格の大編成を必要とするために、世界のどんな街でも、普通、まあ多くても数年に一度演奏されればよい方のこの曲 (世界の大都市でも、未だ演奏されたことがない場所も結構あるのでは?) を、今年の東京ではなんと、3回も聴くことができるのである!! 因みにほかの 2回とは、4月の大野和士指揮東京都交響楽団と、10月のジョナサン・ノット指揮東京交響楽団によるものだが、今回私が出掛けたのは、読売日本交響楽団 (通称「読響」) とその常任指揮者シルヴァン・カンブルランによるもの。いずれも現在の東京音楽界における顔であり、お互いにしのぎを削っている演奏家たちである。

カンブルランと読響の演奏については、このブログでも過去に沢山採り上げてきた。現在 70歳のフランス人指揮者カンブルランは、2010年からこの読響の常任指揮者を務めてきたが、この 3月までのシーズン終了とともに、その地位から勇退する。それゆえ今月の彼らの演奏会は、この実り多き 9年間の総決算ということになるのである。
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今回彼らが組んだプログラムは 4種類であるが、現代音楽を含め、フランス物のレパートリーが多くを占める中で、この日だけはちょっと特別な内容なのである。上記の通り、その異常なまでに巨大な編成によって、なかなか演奏されることのない「グレの歌」、作曲者はオーストリア生まれのユダヤ人であるが、十二音技法を生み出し、20世紀におけるいわゆる現代音楽の元祖となったシェーンベルクがここで描いた巨大な音響世界は、実は後期ロマン派の衣装をまとっている。まさに時代のはざまに生まれた特殊作品だと言ってもよいだろう。このような曲の選択は、楽団にとっては大きなチャレンジのはずだが、数々の先鋭的なプログラムで聴衆を刺激してきたカンブルランと読響の活動における一区切りとしては、ふさわしい選択だとも言えるだろう。そして会場にはこのような写真が展示されている。今から 52年前の 1967年に、当時の常任指揮者、若杉弘のもとでこの曲を日本初演したのは、ほかならぬこの読響であったのだ。
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若杉については過去の記事でも何度かその名前を出しているが、果敢に日本のオケのレパートリーを拡充した指揮者であり、私も若い頃から随分と彼の活動の恩恵にあずかったものである。1995年に彼が N 響を指揮した「グレの歌」は、私が初めてこの曲の実演に接した機会であり (その前、1987年に彼が藝大オケでこの曲採り上げた際には、チケットが売り切れで涙を呑んだ)、その思い出は鮮烈だ。今では Youtube でこの演奏も全曲視聴できるとは、なんと便利な時代になったことか。そもそもこの「グレの歌」と言う曲、なかなか演奏できないこともあって、決してポピュラー名曲ではない。私の場合は、1980年代前半、高校時代に小澤征爾指揮ボストン響のアナログレコードで最初に接し、その後は、ストコフスキーとフィラデルフィア管による世界初録音 (1932年!!) やブーレーズの録音を聴いていたが、世界的名声のある指揮者たちが続々と録音するという状況ではなかった。もちろん 1990年代以降、アバド、ヤンソンス、ラトル、シノポリ、シャイーらの録音も出たし、レヴァインと MET オーケストラは、なんと来日公演で採り上げたりもした (私は聴いていない)。だが、例えばカラヤンも 1960年代には実演で採り上げたのに、私の知る限り録音は残っていないし、やはり歴史的に見てメジャーな指揮者たちが軒並み手掛けてきたということではないゆえ、どうしても特殊作品というイメージがついて回る (クーベリックが 1960年代に録音していたことは、比較的最近まで知らなかった)。そう、今回カンブルランと読響が演奏したのは、そのような曲なのである。

少し曲の内容について書いてみたい。この曲は、デンマークの作家・詩人であるイェンス・ペーター・ヤコブセン (1847 - 1885) の詩に基づくもの。その内容自体は古くから伝わる伝説であるようだが、12世紀デンマークに実在したヴァルデマルという王が、グレ城の侍従の娘であるトーヴェという若い娘と恋に落ちるが、それを嫉妬した妃によってトーヴェは毒殺されてしまう。荒ぶるヴァルデマルは、神を呪うが、その罰で命を落とし、それでもなお、亡霊となった兵士軍団とともにグレの地で狩をして駆け巡る。だが最後には太陽が昇り、救済が暗示されて終わるというもの。作曲は 1900年から始まり、中断を挟んで 1913年に完成しているが、その間にシェーンベルクの作風が変わってしまったので (= 前衛化したので)、前半の究極の後期ロマン派風のスタイルに比し、後半には語りの使用など、その後のこの作曲家のスタイルにつながる要素が見られる。音響的には、ワーグナーやシュトラウスを思わせる箇所もあるが、それらの作曲家ほど手練手管を感じさせないゆえに、誰もが親しみやすい曲にはなっていない。何に似ているかと言われれば、私なら、やはりシェーンベルクの初期の作品、交響詩「ペレアスとメリザンド」を挙げたい。なんのことはない、この「グレの歌」と「ペレアス」は、この元祖現代音楽作曲家が大オーケストラを使って書いた濃厚なる後期ロマン派的作品として、ほかに例を見ないものなのである (「浄夜」もロマン的だが、弦楽器のための曲である)。この濃厚な音響が、シェーンベルクという作曲家の奥底で鳴っていた響きなのであろう。これは、作曲者自身による自画像。彼の絵画の師であったリヒャルト・ゲルストルのことなど書き出すときりがないのでやめておくが、「グレの歌」のストーリーとは異なるものの、少なくとも若い頃のシェーンベルクの人生においては、それと通底する極めてドロドロした要素もある、とだけ言っておこう。
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さて、今回のカンブルランと読響の演奏、その輝かしくもまた繊細な表現は、まさにこのコンビの 9年間の蜜月を反映した素晴らしいものであったと言ってよいであろう。この曲は、夕焼けに始まり日の出に終わるのであるが、冒頭は繊細で、これから始まる過剰なまでの感情の奔流を奥底に潜ませたようなキラキラした音響。その一方で終結部は、これはもう光に満ちた輝く空気感を醸し出し、浄化を強く印象づけるもの。この両端部に、この曲のエッセンスがあると思うだが、冒頭部分を注意深く見ていると、第 1・第 2ヴァイオリンのかすかな音がどこから出ているかというと、後列の奏者たちの一部であった。人数さえ指定すれば、別に前列の奏者が弾いてもよいと思うのだが (笑)、そうでないあたりの変化球ぶりに、作曲者のこだわりが見える。また終結部では、そのような複雑なこだわりを一切忘れて、ただ輝かしく力を解き放つことで、ホール全体を揺り動かすような音響が生じていた。この曲の構成はかなりユニークで、長さとしては第 1部だけで 1時間ほどあり、5分ほどの短い第 2部を挟んで、45分ほどの第 3部となる。第 1部では、ヴァルデマル王とトーヴェが交互に歌い、トリスタン的な陶酔の世界が展開するが、最後には森鳩がトーヴェの死を歌う。第 2部は神を呪うヴァルデマル王、第 3部は、王と死霊軍団の狩を中心に、農夫が出てきたり、道化師が出てきたり、語り手が出てくるという趣向。延々と描かれる音響には、かなりの表現の幅が必要であるし、集中力も不可欠。今回のカンブルランと読響は、技術的にも完璧であり、強い集中力が持続していて、決してとっつきやすくないこの曲に、明快な道筋を作り出していたと思う。ただひとつ不思議であったのは、休憩の入る箇所。通常、CD でも実演でも、第 1部で森鳩の歌が不吉な感じで終わったところで一旦切れることがほとんどであると思うが、今回は、短い第 2部まで通して演奏してから休憩に入り、後半は第 3部のみであった。この意図は何であろうか。第 3部において描かれる荒々しい狩の情景から、農夫と道化師と語り手が出て来るという目まぐるしさにスポットを当てることで、この第 3部の持つ音楽的多様性 (= 後期ロマン派的にとどまらない、その後のシェーンベルクの作風へのつなぎとしてのこの曲の持ち味) を強調したかったということか、とも推測しうると思う。

また、歌手たちも万全で、ワーグナー歌いとして有名なロバート・ディーン・スミスのヴァルデマル王 (唯一暗譜での歌唱) は、ただ輝かしいだけの声ではなく、彼の加齢がいい感じにこの王の執念を表していたし、一方のトーヴェは、2015年のカンブルラン / 読響による「トリスタンとイゾルデ」でトリスタンを歌ったレイチェル・ニコルズであり、やはり曲想に合った声のコントロールが素晴らしい。森鳩のクラウディア・マーンケ、農夫と語りのディートリヒ・ヘンシェル、道化師クラウスのユルゲン・ザッヒャーらはいずれも世界的キャリアを持っていることを納得させる出来であり、それからまた、新国立歌劇場合唱団の熱演も圧巻であった。

カンブルランと読響のコンビが東京の音楽界に果たした貢献を思うと、このコンビでの数々の録音は、広く海外に紹介されるべきだと思う。今回の「グレの歌」も録音・録画されていたので、今後人々の耳目に触れる機会も増えて行けばよいと思う。

ところで、この記事を書くために、1995年の若杉 / N 響の演奏会のプログラム冊子を引っ張り出してきて見ていたら、若杉のインタビューが掲載されていて、そこに「以前、コペンハーゲンの放送局の音楽部長さんが、グレ城に連れていってくださったことがあるんです」とあるのを発見。コペンハーゲンから車で向かったとのことだが、現地では、「ウィットに富んだ音楽部長さんが、近くの岸辺から見える湖の中洲を指さして、『山鳩はあの中洲からこちらに飛んできて、お城での悲劇を報告したんだよ』と。その瞬間、僕のなかでパーッと、目の前の風景が音楽のイメージと重なり合いました」とある。こうして書き写していても、あの柔らかい若杉さんの口調が思い出されて懐かしいが、それはともかく、調べてみると、確かに中世の城の廃墟として、グレ城跡は未だに存在しているらしい。廃墟とはいえ、後世の文学作品・音楽作品によって、その土地の持つ不思議な力を感じることができる場所であるのだろう。一度行ってみたいものだ。
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by yokohama7474 | 2019-03-15 12:01 | 音楽 (Live)