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アレクサンダー・リープライヒ指揮 日本フィル 2019年 3月15日 サントリーホール

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日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「日フィル」) の今月の定期には、ドイツ人指揮者アレクサンダー・リープライヒが登場する。日フィルとは初共演で、私自身もこの指揮者についてあまりイメージがないが、調べてみると、既に NHK 響や読売日本響、また紀尾井シンフォニエッタ (現・紀尾井ホール室内管) を指揮したこともあるほか、大阪フィルや京都市響とも共演経験がある。1968年レーゲンスブルク生まれというから、既に 50歳ということで、決して若手と言える年齢ではないが、その経歴を見ると、かつてはミュンヘン室内管の首席指揮者を 10年間務めており、現在はポーランド国立放送響の首席指揮者であり、また昨年からはプラハ放送響の首席も兼任している。また、ウォルフガンク・サヴァリッシュが創設したリヒャルト・シュトラス音楽祭 (開催地はシュトラウスが暮らしたガルミッシュ = パルテンキルヒェン) の第 3代音楽監督も務めており、これまでに指揮したオケは、コンセルトヘボウやバイエルン放送響、ミュンヘン・フィル、BBC 響、ドレスデン・フィルなど。既にレコーディングも幾つかあり、着実にその活動を広げているという印象だ。また、師事した指揮者として、クラウディオ・アバドと、先日惜しくも 91歳で亡くなった鬼才ミヒャエル・ギーレンの名が見える。これはプラハでの指揮姿であるが、今回の演奏会でも、同様の丈の長いジャケットに細いネクタイで登場した。
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未知の指揮者の演奏に触れることは、音楽ファンにとって大きな喜びである。案の定、客席はかなり空席の目立つ状況ではあったが、これはなかなかに爽快な演奏会となった。まず、曲目が面白い。
 ロッシーニ : 歌劇「泥棒かささぎ」序曲
 ルトスワフスキ : 交響曲第 3番
 ベートーヴェン : 交響曲第 8番ヘ長調作品93

コンサートのチラシには、「古典・ロマン・現代」とあるが、それではベートーヴェンはロマン派かという話になって、多少違和感がある。彼は飽くまで古典派の時代にあって、誰も想像すらしなかった破天荒な試みによってロマン派への道を切り拓いたのであって、ロマン派の作曲家に分類してしまうのはいかがなものか。ただ、真ん中のルトスワフスキは、現在ポーランドで重要なポジションにある指揮者の採り上げるレパートリーとしての興味を引くものであり、これによってコンサート全体が非常にユニークな色合いを帯びている。なので、ここではルトスワフスキがコンサートの中心であることは確かだろう。聴いてみて思ったことには、このコンサート、その複雑な音響のルトスワフスキを挟んで、イタリアとドイツの愉悦感溢れる音楽を配することによって、ある種の中和作用がもたらされていたように思う。

最初のロッシーニと最後のベートーヴェンは、弦楽器の編成が、第 1ヴァイオリン 12 : 第 2ヴァイオリン 10 : ヴィオラ 8 : チェロ 7 : コントラバス 5というもの。リープライヒはすべてきっちりと譜面を見ながら、指揮棒を持って指揮をし、ヴァイオリン左右対抗配置も取らず、弦楽器奏者にはヴィブラートをかけさせての演奏であったが、その指揮姿は颯爽としており、音楽の疾走感を巧みに引き出しつつ、要所要所で微妙な表情づけも怠らない。非常に誠実な音楽を聴かせる人だと思った。このような音楽を聴いていると、演奏には呼吸が大変に重要なのだということを、改めて実感する。ロッシーニの軽妙洒脱なクレッシェンドと、ベートーヴェンの逞しい推進力とは、全く別物でありながら、やはり、奏者同士がお互いを聴き合って呼吸を合わせて行くことが、音楽の極意なのであると知る。特にベートーヴェン 8番は、よく古典的な作品と言われるが、私としては、これはやはり堂々たる大シンフォニーの要素を持つ、しかし、ベートーヴェンとしては異例なほどの遊び心のある、充分に「ロマン性」溢れる作品であると思っている。なので、今回のように、水際立ったアンサンブルに依拠しながら、奇抜なことは何もせずとも、音楽を聴く喜びを感じさせる演奏に触れると、「いやぁ、いい曲だなぁ」という素朴な感想を抱くことになる。実はこれは、意外と貴重な経験ではないだろうか。

そして、真ん中に置かれたルトスワフスキの交響曲第 3番である。この曲は、昨年 9月 6日のアントニ・ヴィト指揮東京都交響楽団の演奏会でも聴いていて、その演奏会の記事にも、私のこの曲との出会いを書いたが、既に 30年以上前、作曲者自身が指揮するベルリン・フィルの録音で聴いたのが最初であった。作曲者のヴィトルト・ルトスワフスキ (1913 - 1994) は、20世紀ポーランドを代表する作曲家であり、この交響曲 3番は、彼の代表作のひとつに数えられる。
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この曲は、シカゴ交響楽団の委嘱を受けて 1972年から作曲されたが、途中で挫折しかかるようなこともあり、結局初演は 1983年にまでずれ込んでしまったという経緯を持つ。かなりの艱難辛苦を経て生み出された曲ということになる。切れ目なく演奏される 2楽章からなる 30分強のシンフォニーだが、全曲を通して、ベートーヴェン 5番風の「ダダダダン」という音型が出て来て、それがまた、曲想が変化するきっかけにもなっている。私はこの作曲家に対して、特に強い思い入れがあるというわけでもないが、ただ、これまでに結構な数の CD を聴いてきている。この作曲家の活動は、東西冷戦の枠組が明確であった時代をすっぽりカバーしており、その創作活動はなかなかに複雑なものにならざるを得なかったであろう。ポーランドの首都ワルシャワでは、1956年以降「ワルシャワの秋」という現代音楽専門の音楽祭が開かれており、その音楽祭の一環としてルトスワフスキは一時期、自身の名を冠した作曲コンクールの審査委員長も務めていた。世界の秩序を決めている政治体制、ショパンを筆頭とした自国の音楽文化の遺産、大国の間で国土を蹂躙されてきた悲劇的な国の歴史、そして、第二次世界大戦後の前衛音楽の世界的な流行とその後の保守化。このような様々な環境の要素が、彼の生涯の中で少しずつ変化して行ったわけである。この曲が、1970年代から 80年代にかけて生みの苦しみを経験したのも、そのような事情と関係しているかもしれない。だが我々は、そんなことを一旦忘れて、この曲に坦懐に耳を傾けてみよう。これは、「泥棒かささぎ」序曲やベートーヴェン 8番のような、楽しくてついその旋律を口ずさむような曲ではないが (笑)、しかしそれでも、あたかも不気味な存在が世界を跋扈するような様子とともに、時には諧謔的であったり、結構愉悦的な要素もそこには聴き取ることができるように思われる。ここでは、一定の時間内、奏者が自由なリズムで音を奏するという「管理された偶然性」という手法が使われているが、そこにおけるガサガサした音響と、通常のハーモニーとの対比は極めて鮮やかで、ちょっと大げさに言ってしまえば、世界の多様性が、そこには厳然と立ち現れるという印象だ。リープライヒの指揮ぶりはここでも、基本的にロッシーニやベートーヴェンに対するものと変わらない。丁寧にスコアを追いながら、楽員に任せるところは任せ、引き締めるところは引き締める。彼の手腕によって日フィルは、その持てる能力を充分に発揮したと言えるであろう。実に密度の濃い 30分であった。

このように、全体を聴いてみて、実に爽快感のある演奏会であった。同じプログラムでの演奏会は、今日 3/16 (土) も、14時からサントリーホールで開かれるので、ご興味おありの方は、是非足を運んでみられてはいかがだろう。なおこのリープライヒ、来シーズンの日フィルの定期公演にも再登場が予定されているが、それは今年 12月で、再びルトスワフスキの、これもかなり有名な作品、管弦楽のための「書」と、R・シュトラウスの「英雄の生涯」を含むプログラム。これも面白そうだ。それまでに、彼がミュンヘン室内管と演奏したモーツァルトのレクイエムや、メンデルスゾーン「イタリア」、細川俊夫作品集などの CD を、聴いてみたいと思っている。ここでは、モーツァルトのレクイエムのジャケットを掲げておこう。
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by yokohama7474 | 2019-03-16 09:51 | 音楽 (Live) | Comments(0)