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ムンク展 共鳴する魂の叫び 東京都美術館

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さて、しばらくぶりに、既に終了してしまった展覧会の記事である。年を越えて、去る 1月20日 (日) まで上野の東京都美術館で開催されていた「ムンク展」。この展覧会は大変な人気で、私がわざわざこのブログで紹介せずとも、美術に関心のある人たちのみならず、幅広い層の人たちが会場に足を運んだことであろう。なにせムンクの「叫び」と言えば、知らない人がいないほど有名だ。上のポスターにある通り、その「叫び」(いくつかある同名・同テーマの作品のうちのひとつ) が来日するとあれば、大人気も無理はない。ノルウェーのオスロにあるムンク美術館がちょうど現在、新たな施設への移転を進めていることから、「叫び」を含むこの展覧会の出品作品 (油彩画 60点、版画など 40点の、合計約 100点) のほとんどは、そのムンク美術館からまとまって来日したわけである。この画家の内面に迫るという意味において、これはなかなかに貴重な機会であったことは確かだろう。

エドヴァルド・ムンク (1863 - 1944) は、一般的な分類では、象徴主義とか表現主義の画家とされることも多い。そのような分類は、画家のタイプを知るという点で意味はあるが、だが、私としてはムンクはやはり、世紀末の画家であると表現したい。もちろん、第二次大戦中まで生き永らえた彼には、いわゆる 19世紀末の文化の爛熟期からも長くこの世にいたわけであるが、近代社会の発展の中で傷ついた自我をさらけ出し、人間の生と死の真実を見つめたこの画家の感性は、やはり世紀末に培われたものであると思うのである。彼は生涯に亘って多くの自画像を描き、この展覧会にもそのうちのいくつかが並んでいたので、少し見てみよう。1895年に制作されたこのリトグラフの「自画像」においては、下部に白骨化した腕が描かれており、32歳にして早くも、死の影を背負った自分を描いているわけである。
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この「地獄の自画像」(1903年作) は、さらに強烈に、不吉なものを背負う自分を描いている。この頃のムンクは、精神的にかなり疲弊した状態であったらしい。ただ、その精神の疲弊を、このような芸術作品として表現できる点に、彼の偉大なる才能がある。それにしても、地獄の自画像とは・・・。
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この「スペイン風邪の後の自画像」(1919年作) は、色使いこそ強烈さはないものの、当時人々に恐れられた (例えばエゴン・シーレはその病で命を落とした) スペイン風邪の不気味な広がりを感じさせる。だが実際には、ムンクがスペイン風邪にかかった否かは、はっきりしていないそうだ。
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次の「家壁の前の自画像」(1926年作) は、いわゆる表現主義調の作品だが、画家は一体何を表現したかったのか。手前の植物も緑なら、頭が溶け込んでいるようにも見える背景にも緑色が漂っている。ここには直接の死への思いはあまり感じられないが、自分の存在そのものの危うさを感じることは、できるように思う。だが、この色調の明るさに、救われる思いもするのである。
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さて、ムンクという人は、幼くして母や姉という家族の何人かを失っていて、それが彼の死生観に影響を与えたことは大いに考えられる。この「死と春」(1893年作) は、モデルは特定する必要のない作品のようで、ただ横たわる女性の亡骸と、それを柔らかく包む春の日差しがテーマである。その対照に、一種の穏やかな諦観を感じることができる。彼の描く題材には陰鬱なものが多い一方で、「叫び」もそうだが、どこかに諧謔的なユーモアも潜んでいることがあると思う。この作品にもそのような感性を感じる。
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この「死せる母とその子」(1901年作) も、物言わぬ横たわる女性は、上とは左右反対であるが、その姿はよく似ている。ただここでは、子供の様子がただならぬ雰囲気である。極度の哀しみであるはずだが、奇妙なユーモアすらも感じさせる点、やはり「叫び」と共通する感性もあるように思う。
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この「病める子」(1894年作) は、いくつかのパターンがあり、油彩画もあるが、有名なテーマである。ここには明らかに姉ソフィエ (15歳で結核で死亡) の影があるだろう。ユーモアは感じられないが、痛切な哀しみというより、何か神秘的なものを感じさせるように思う。下の方は野の風景なのだろうか、未完成に見える。
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これは面白い。「クリスチャニアのボヘミアンたち II」(1895年作)。クリスチャニアとは、現在のオスロのこと。ムンクはこの街でいわゆるボヘミアンとしての生活を送り、画家や作家たちの溜まり場に顔を出していたらしい。この絵の左手前がムンクの自画像だが、これはまたなんと表情のない、仮面のような描き方か。それに比べると、右側の卵型の顔 (笑) をした人物の強烈な存在感はどうだろう。それ以外にも、ここで集まっているのは、一癖も二癖もありそうな人ばっかりですなぁ。
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上の作品などを見ていると、ボヘミアン・ムンクは何やら自分の殻に閉じこもって、他人との干渉を持たなかったようにも思いたくなるが、実はそうでもなく、様々な文化人とつきあいがあったようだ。面白いのは、この時代を代表する感性であったフランスの象徴派詩人、ステファヌ・マラルメとも、パリで面識を持っている。このマラルメの肖像画 (1897年作) は、いかにもムンクのリトグラフ作品らしい陰鬱さと、詩人の透徹した知性をともに感じさせる。
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これは「グラン・カフェのヘンリック・イプセン」(1902年作)。ムンクは、自国ノルウェーの先輩芸術家であるイプセンの戯曲に大きな影響を受けていたらしく、ここではカフェに座っているところを描いているようだが、何やら宙に浮かんだ霊体のようにも見える。そういえばムンクは、隣国スウェーデン出身のやはり劇作家で、心霊研究でも有名なストリンドベリとも親交があったようだ。
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ここからは油彩画を見て行きたい。これは「夏の夜、渚のインゲル」(1889年作)。妹を描いたものであるらしいが、初期の作品ゆえに、未だムンクらしさは完成していない。だがそれにもかかわらず、海辺に佇む人物、そして海自体、その後この画家が繰り返し描くことになるテーマである点は、興味深い。
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これも類似のテーマであるが、この「メランコリー」(1894 - 96年作) は、上の作品から数年にして、既にムンクの個性が横溢している。画面手前でメランコリーに沈む人物の内面を、浜辺と海が心象風景として表しているようだ。
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この奇妙な作品は「幻影」(1892年作) と題されている。水中から首を出す人物と、その背後に浮かぶ数羽の白鳥が描かれていて、自作のテキストにこの絵を思わせるものがあるようだ。だが私が興味を覚えるのは、「サロメ」をはじめとして、頭部切断 / 球形の喪失に象徴される世紀末文化のコンテクストから、この絵を見ることができるという点だ。そもそも水面とは、ある世界と別の世界の境界線である。その境界線を越えて突き出された頭が訴えたいことは、一体何であろうか。
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この「夏の夜、人魚」(1893年作) になると、一層ムンク的だ。彼の作品に繰り返し登場する女性への恐怖が、ここには表れてはいないだろうか。その魔性のものは、世界の境界線を、もはや顔だけではなく体全体で越え、何やらこちらを見つめている。そして画面奥には、これもこの画家独特の表現で、水面に映る月が描かれている。
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これは「星空の下で」(1900 - 05年作)。ここで女はついに男を捕まえてしまうが、その顔は死霊のようで、ただ唇だけが異様に赤い。ただ私には、この世紀末絵画に、どこか人間的な温かみも感じてしまう。ゾッとするような題材を扱いながらも、彼の作品は、絶望だけに満たされてはいないことが多い。そのあたりが万人に愛される秘密ではないだろうか。
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そして、今回の目玉、「叫び」(1910年? 作) である。現存しているムンクの「叫び」は 5点あり、最初のものは 1893年の油彩画。その後、2点のパステル画、1点のリトグラフを経て、最後に描かれたのが、ムンク美術館所蔵のこの作品である。技法は、テンペラと油彩の混合であるようだ。ところで私は、この絵ではなくて、オスロ国立美術館所蔵の「叫び」(1893年の油彩画) が盗まれ、その後奪回されたという事件は明確に記憶にあるのだが、調べてみると、この 1910年頃の作品も、一度ムンク美術館から盗まれている。発見された際には損傷があったので、その後修復が必要であったという。この極めて有名な作品、まさにこの人物の通り、叫びを上げたくなるような災難に遭っているわけである (笑)。やはりこれは、卓越した人間心理の表現であることは間違いなく、ただ単に精神の安定を欠いているといった陰惨な作風ではなくて、やはり人間的な諧謔味もそこにあるからこそ、人々に訴えかけるのであろうと思う。
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この作品は、「叫び」とは似て非なるもの。「絶望」(1894年作)。つまりは、最初の「叫び」の翌年の作品であるが、これは面白い。というのも、背景はほとんど同じであるのに、前景の人物だけが違っているからだ。この人物にはちゃんと目鼻があり (笑)、流れてとろける背景とは無関係であるかのように、目を伏せている。「叫び」では、もちろん叫んでいるのは前景の人物であり、むしろ、彼の叫びによってこそ、自身の身体も、あるいは背景も、ぐにゃりと歪んでしまったように見える。一方この「絶望」は、上で見た「メランコリー」と同種の発想でできていて、叫びを発することなく、崩壊する世界の中に身を置いている。美術好きにとっては常識であるが、この「メランコリー」という主題は、デューラーに代表されるように、西洋美術史においては伝統的なテーマであるわけで、極めて独創的な「叫び」に続いてこのような作品を描いたムンクは、表現方法の試行錯誤をしながらも、結構したたかなところがある画家ではないかと思うのである。
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さて、ここからはいくつか、ムンクの画業について回ったテーマのひとつ、女性の魔性を扱った作品を見てみよう。彼にまつわる有名な逸話として、結婚を迫る恋人がピストルを持ち出し、もみ合ううちにピストルが暴発して左手中指の一部を失ったという話がある。そのせいか彼は生涯独身を貫き、女性の魔性を描き続けた、と言われている。だが、そのピストル暴発事件のときムンクは既に 39歳 (1902年)。さほど若い頃の話ではない。なので、その逸話に必要以上に囚われる必要もないように思うが、いかがであろうか。この「月明かり、浜辺の接吻」は 1914年の作。接吻する男女の顔が一体化しているのは、背景の水面に映る月 (いつも思うのだが、観光案内のマーク、"i" に似ている。笑) と同様、彼の常套手段である。ここには陰鬱な退廃は見られない。
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ところがこの作品の退廃には、恐ろしいものがある。有名な「吸血鬼」(1916 - 18年作) で、いくつもの同じ構図の作品がある。画家としてのムンクの、鮮烈なイメージを作り出す力に驚嘆する。ここに描かれた男の、無個性と無力ぶり。
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退廃といえば、やはりこの作品だろう。「マドンナ」(1895 / 1902年作)。恍惚のマドンナの周りに、精子と胎児が見える。画家自身の言葉によると、このマドンナには地上のすべての美と苦痛が表れているが、それは、彼女に死が迫っていて、一本の鎖が、過去の何千世代と将来の何千世代を結びつけるからだそうである。うーん、詩情のある説明ではあるが、この作品のヴィジュアルには、そんな言葉が吹っ飛んでしまうインパクトがある。ただ、よく見ると胎児の顔に、退廃を越えたユーモアがあるようにも思われ、そこにこの画家の個性が表れているとも言えようか。
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これは「目の中の目」(1899 - 1900年作)。題名の通り、向かい合う見つめ合う男女であるが、男の顔は真っ白で、口がなく、目にも何か恐怖が浮かんでいるように見える。一方の女の方は、やはり表情は分からないが、その髪が男に向かって伸びて行っているようだ。少なくともこれは、愛の賛歌ではないだろう (笑)。
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こうなってくるともう少し分かりやすい。1896年作の「別離」。かわいそうに、血まみれの右手を心臓に当てるこの男性は、このエクトプラズムのようになってしまった女性に、騙されたのだろうか。ところでこの男性、上で見た「メランコリー」に登場する人物と同一であるようにも見える。世界苦は失恋から?
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次の絵になると、ちょっと残虐性を帯びてくる。1907年作の「マラーの死」。ここで殺されているのはもちろん、ダントン、ロビスピエールと並んで知られるフランス革命時の革命家、ジャン=ポール・マラーであり、もちろん西洋美術史においては、新古典主義の巨匠ダヴィッドの作品によってよく知られるテーマである。この作品では、入浴中のマラーを刺殺した犯人の女性 (シャルロット・コルデー) が立ち尽くしている。ここでのマラーは、ムンク自身を象徴するとも考えられているらしい。
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これもムンクの代表作のひとつ、「生命のダンス」(1925年作)。描かれた人物たちにはそれぞれ意味があるらしいが、それはそれとして、地面の緑と補色関係にある真っ赤なドレスを着た女性が中心にいて、何やら生霊と死霊が緩やかに交流しているような、そんなイメージである。ところで、昔コリン・デイヴィスとボストン交響楽団によるシベリウスの交響曲のレコードのシリーズでは、ジャケットにムンクの作品を使っていたが、この「生命のダンス」は、交響曲第 4番のジャケットであったことをはっきり覚えている。あの陰鬱なシンフォニーに相応しいイメージだと思ったものだ。
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だがここでも、ただ退廃だけでないムンクの感性を、細部に読み取りたい。右端の青いドレスの女性の左手で踊る男女。その男の顔はどうだろう。この場合はどう考えても、吸血鬼は女ではなく、男ではないか (笑)。一目見たら忘れない顔である。
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ムンクはまた、肖像画も多く描いている。これは誰あろう、フリードリヒ・ニーチェ (1906年作)。縦 201cm、横 130cmの大作で、ニーチェの妹の委嘱により、この哲学者の没後に、写真をもとに描かれたものであるらしい。ちょうど「叫び」を反転させたような背景とも言えるが、顔をしかめながら立っているニーチェには、叫ぶことなく世界の様相を察知する知性があるものと解される。
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この画家が意外にしたたかだと思うのは、このような背景の使いまわしからヴァリエーションを生み出していることである。その一方で、時に驚くほどパターン化から遠い作品も描く。この「疾駆する馬」(1910 - 12年作) は、私が実物を初めて見たのは今から 30年以上前だが、自分の中では「世紀末の画家」という整理をつけていたムンクに、こんな躍動的な作品があると知って、驚いたものだ。解説によるとムンクは、写真や映画といった当時の新しいメディアに興味を持っていたとのこと。意外と言えば意外である。
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この「太陽」(1910 - 13年作) も近い時代の作品であるが、実にダイナミックな自然の描き方である。クリスチャニア大学 (現オスロ大学) の講堂の装飾画としてもともと注文を受けたものらしい。さて、クラシック音楽ファンとしては、これも見覚えのある絵である。そう、小澤征爾指揮ボストン交響楽団によるシェーンベルクの「グレの歌」のジャケットだ。たまたま最近の記事で、この「グレの歌」について書いた中に、この小澤盤についても触れたばかりだが、実は、手元にその CD を持ってきて比べてみると、ちょっと違う。奇異に思って調べてみると、そのジャケットに使われているのは、同じムンクの「フィヨルドに昇る太陽」という作品で、そちらは実際に現在でもオスロ大学の壁面を飾っているという。うーん、現地に行ってみたい。
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この作品は「星月夜」(1922 - 24年作)。ファン・ゴッホの作品と同じく、英題では "Starry Night" である。オスロ郊外のムンクの自宅から見た風景らしい。イプセンの戯曲と関係があるらしく、画面手前右側に見えるシルエットは、雪の中で死亡する登場人物になぞらえた自身の像であるとのこと。大自然の営みを雄大に描いた上の「太陽」とは異なり、やはり夜の光景ともなると、どうしても自分自身と向き合うという感性が、この画家の中にムクムクと沸き起こるのであろうか。
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さてこれは最晩年の作品、「自画像、時計とベッドの間」(1940 - 43年作)。老境に至っても鮮やかな色使いを続けていたムンクであるが、だがやはり、そこには画業を全うしたという達観が見られないだろうか。ただ、亡くなったのは 1944年と、戦時中であり、ナチスは彼の作品に退廃芸術のレッテルを貼っていたこともあって、心穏やかな老年であったということではないかもしれない。それでも私は、この画家の中に政治的な興味があったとは思われないし、生と死を見つめ、自らの内面と向かい合いながらも、一方では画家としての処世術も身に着けた彼としては、もはや世界苦を叫ぶ必要もなく、ただ柱時計と競い合うかのようにしっかりと立ってみせることが、後世へのメッセージであったのではないだろうか。
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不幸な少年時代を送りながら、30にして代表作を制作。その後半世紀を生き延びるうちに、世紀末は遠い過去となってしまった。だから、冒頭に書いたように、この画家を「世紀末の画家」として片づけてしまうことは、本当はよくないのかもしれない。だが、やはりなんといっても「叫び」は世紀末芸術。30歳でその作品を生み出したからこそ、その後のムンクの画業があったのだと思う。知れば知るほどに面白いこの画家、オスロのムンク美術館が再オープンしたら、また現地でじっくり作品と対峙してみたいものだと思っている。

by yokohama7474 | 2019-03-17 18:20 | 美術・旅行