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関裕二著 : 闇に葬られた古代史

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文化に興味を持つと、自然な流れで、歴史にも興味が出て来るものである。というのも、連綿と続いてきた人間の営みの結晶が文化であるならば、その文化を生み出した歴史的背景を知ることで、理解が深まり、そのことによってまた一層、文化への興味が増すからである。なので、私もこれまで、硬軟取り混ぜて、歴史に関するあれこれの書物を読んできたものである。だが、私はもちろん歴史の専門家ではないし、あまり小難しい書物を読む根気も時間もないので、書店 (最近では数は減ってしまったが、それでも大型書店で書物との偶然の出会いを持つことは未だ可能である) で目についた面白そうな歴史についての本を、興味の赴くままに購入するというのが、せいぜいである。あるいは、時には古本屋で、それまで存在を知らなかった同種の本との出会いを持つというのも、学生時代から今に至るも変わらぬ、私の大きな喜びなのである。ここでご紹介するのは、2016年に発行された比較的新しい本である。

私がこの本に興味を持った理由はふたつ。まずひとつは、この関裕二 (1959年生まれ) という著者。私は過去にも、この人の書物を何冊か読んでいる。それについてはあとでまた触れるとして、もうひとつの理由を書いておくと、表紙や帯に踊るコピーを見る限り、この本は、どうしても西日本中心に考えられがちな日本の古代史において、東日本にスポットを当てているようであること。たまたま自分が東京に暮らしていて、東京の文化イヴェントに日々触れる中で、東日本にある歴史的な場所の探訪も、私の大きな興味の対象である。それゆえ、古代における東日本の位置づけには、最近ちょっと敏感なのである。だが、どうだろう。一般的に言って、日本の古代史の舞台はもっぱら近畿か北九州、あるいは出雲といった西日本というイメージがあることは確かである。もちろん、ヤマト政権は現在の奈良県にあったわけだし、邪馬台国だって、伝統的に近畿説か北九州説のいずれかと相場が決まっている。だが、関東をはじめ東日本には、実は大変多くの古墳があって、古代において既に大きな勢力があったことを示している。そして、これは以前も書いたことがあるが (2017年 3月 4日の、東京国立博物館における春日大社の展覧会の記事において)、藤原氏の氏神として大変に古い歴史を誇るあの春日大社の祭神は、なんと、現在の茨城県にある鹿島から、奈良の地に降り立ったというのである。これはつまり、奈良よりも茨城の方が、歴史が古いということを意味しているのでは? なんと意外なことだろう。そもそも茨城県が日本史に出て来るのは、あの平将門が 940年に反乱を起こすのが最初ではなかったのか。これは国貞描くところの将門。
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さて、この関裕二の「闇に葬られた古代史」も、まさに将門のことから話は始まる。なぜに将門は乱を起こし、そしてその祟りが今でも恐れられているのか、といった点から、古代の歴史において「東」は、「西」に対する恨みがあるのだと、著者は話を進めて行く。その内容をここで要約するのは容易ではないし、それこそこのブログがいつも避けているネタバレになってしまうので (笑)、それはしないこととするが、要するに、「東」はヤマト政権確立に貢献があったが、何らかの事情でその存在を歴史から抹殺されてしまった。それゆえに将門に象徴される「東」の復讐を「西」は非常に恐れたのである、というのが関の主張である。本書の中においては、邪馬台国ではないかという説もあながち信憑性がないではない纏向遺跡の発掘における発見や、以前は明確であった縄文時代と弥生時代の区別が曖昧になってきていること、あるいは日本人の祖先を探る DNA 調査など、最近の研究成果も取り入れられていて、その点はなかなか面白い。そもそも日本の古代史には謎が多すぎて、最近でこそ上記のような研究が進んできたとはいえ、やはり古代史の闇は依然として深いと思うのである。それゆえ、様々な仮説が (たとえそれが荒唐無稽なものであっても) 成り立つ余地があるのではないか。よく日本の歴史学は文献偏重であり、書かれていることを妄信していて、イマジネーションを欠いているという批判を耳にするが、確かに伝統的な歴史研究は、「古事記」「日本書紀」等の書物に書いてあることをまず正として行われてきた、というイメージがある。関裕二という人はその点、独学で歴史を学んだ人だけあって、非常に豊かなイマジネーションを駆使して、自由な発想で古代史の闇に斬り込んでいる印象だ。実はこの人の著作は、1991年の「聖徳太子は蘇我入鹿である」というデビュー作以来、大変に多い。実は私もそのデビュー作を、発表後 10年以上を経てから、その題名のインパクト (笑) におおっと思って、買ってしまった口なのだが、古代史についての著作ばかりこれだけ多く執筆しているということは、結構な数の読者に支持されているということだろう。それにしても、聖徳太子の正体やいかにいう疑問は、確かに古代史における大きな検討ポイントではあるだろう。
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ネット上でこの著者の名前を検索すると、かなり否定的なトーンの言説も多く目にすることになる。だが私が面白いと思うのは、きっと専門の歴史学者からは相手にされないであろう大胆な仮説を、これだけ手を変え品を変えて世に問うという度胸である。もちろん学問の世界になれば、仮説の論拠にはかなりの厳密性が求められるので、我々が文庫や新書で気楽に読む本とは、それは別次元の厳しい目にさらされるであろう。だがその一方で、我々一般人にとっては、古代史の闇が深ければ深いほど、この関裕二のように、平易な言葉で面白い仮説を立ててくれる人の本に興味を抱くことになるのである。いやもちろん、その私とて、例えばこの本を読んでいて、すべて納得、目から鱗、全部信じます!! ということには正直ならないが、それでも、「なるほど、そういうことがあったら面白いなぁ。意外とそれが真相かも」と感じる瞬間が沢山ある。だからこそ私は、この人の本を何冊も読んでいるのである。専門の歴史家の方々は、彼の説を荒唐無稽と否定する、あるいは無視するのではなく、是非、古代史の闇を取り払って真実を明らかにすることで、本格的な学問の意義を主張して頂きたい。

そういえば、日本有数のパワースポットとして有名な将門の首塚は大手町にあるが、隣接する三井物産本社のビルが現在建て替え中である。首塚はどうなっているのだろうと思って調べてみると、やはりこの地区の再開発の対象外となっている。つまりは、そのまま維持されるということであろう。というわけで、これは芳年描くところの将門。「東」を代表する荒ぶる魂は、神田明神の祭神でもある。これからも東京を守護してくれるであろうか。
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by yokohama7474 | 2019-03-18 21:46 | 書物