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井上章一著 : 南蛮幻想

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前の記事に引き続き、歴史を扱った書物である。ただ実際のところ、この本と、前回ご紹介した本との間にはいくつかの相違点がある。まず、前回のものが、書店で購入した比較的最近の本であったのに対し、こちらの方は、1998年発行の本を、最近古本屋で見つけて購入したものであること。もうひとつの違いは、前回は歴史を独学で学んだ著述家の書物であったのに対し、こちらは学者による書物であるということだ。それから、扱っている時代が違う。この書物は古代史ではなく、題名と、上に掲げた表紙写真からも明らかである通り、南蛮文化、すなわち近世になってから日本に入ってきたヨーロッパ文化を主たるテーマにしたものであるからだ。この南蛮文化は、私としては以前から大いに興味のある分野であり、また、著者があの井上章一ともなると、これはやはり読みたくなる。このブログでも、2016年 7月28日の記事で、彼の「京都ぎらい」という本を採り上げ、またその記事の中で、そもそもこの井上という人の名を知ったきっかけとして、桂離宮を美しいという思い込みは、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトが創り出したものであるという書物を著していることだと書いた。そんな彼が今から 20年前にこんな本を出していたとは知らなかった。Wiki で調べるとこの本は出版当時、芸術選奨文部大臣賞なるものを受賞している由。

この書物においては、日本に存在している、あるいはかつて存在していた建築や演劇、あるいは伝説などの中に、ヨーロッパ起源のものがあるのではないかという言説に対して、そのような論の発生や、それへの反論の歴史的経緯を探ることで、日本における西洋文明との対峙方法の推移が考察される。主として取り上げられる東西文明の交流は以下の通り。
・織田信長が作った安土城は、日本の城郭建築として初めて本格的な高層建築であったが、その設計にはキリスト教の教会に倣う部分が多く、つまりは日本の城郭建築はヨーロッパにその起源がある。一般の城で天守と呼ばれるメインの部分は安土城では「天主」と呼ばれ、これはそのままキリスト教の神のことである点、その証左である。
・日本庭園に時折見られる織部灯籠と呼ばれるスタイルの灯籠には、キリスト教のモチーフが見られる。これは禁教時代にキリシタンがカモフラージュとして作ったものである。
・幸若舞の演目に「百合若大臣 (ゆりわかだいじん)」というものがあるが、その内容は古代ギリシャのホメロスによる「ユリシーズ」と、題名を含めて細部まで類似点があり、これは近世にヨーロッパから日本にもたらされたものである。
・聖徳太子に重用された渡来人、秦河勝 (はたのかわかつ) はネストリウス派キリスト教 (景教) を信仰していたユダヤ人であり、秦氏が住んだ京都の太秦 (うずまさ) にはその痕跡がある。

これら以外にも、聖徳太子が馬小屋に生まれていることはキリストの伝記に由来するものであること、あるいは法隆寺などに見られるエンタシスという中間部の膨らんだ柱の形態が古代ギリシャ由来であること、また、毛利元就が死ぬ前に息子たちに諭した三本の矢の逸話は、実はヨーロッパ起源であること、などの説も言及されている。要するに、ユーラシア大陸の東の端と西の端に遠く離れて存在する日本とヨーロッパに、様々な共通点が見られるということである。ここで井上は、特に安土城の天主の話と百合若大臣の話に多くのページを割いて、それらの論がいついかなるかたちで登場し、また時勢に応じて変貌して行ったかということを詳しく述べている。

このブログでは既に、安土城も太秦も採り上げている (2016年 7月22日の記事と、2018年 2月 4日の記事)。せっかくなので、それぞれの記事から、安土城の想像復元模型 (吹き抜け構造がヨーロッパの教会の模倣か?!) と、太秦の蚕の社にある三柱の鳥居 (三位一体を表すのか?!) の写真を再録しておこう。
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私自身は、以前もどこかの記事で書いたことがあるが、日本とヨーロッパは遠く隔たってはいても、ユーラシア大陸という巨大な土地でつながっていて (まぁ、厳密には日本に来るにはどのみち最後は船が必要だが)、実は文明の根底のところで共通するところがあってもおかしくない、どころか、その方が自然であると思っている。ただ、時代が下るにつれ、キリスト教ならキリスト教、仏教なら仏教が、それぞれに巨大宗教としての発展を遂げたことに加え、社会の成り立ちや気候風土によって、東西の違いがより大きくなって行ったわけであろう。この「南蛮幻想」においては、20世紀初頭の頃、つまり日本が近代国家として先進国に追いつこうとしていた頃に、安土城や百合若大臣という題目を通して、日本とヨーロッパとの過去の交流についての論説が盛んになったことが、詳細に述べられている。つまり、ユーラシア大陸の東の果ての島国である日本にも、ちゃんとヨーロッパの文明がもたらされていたという事実を認識したいという欲求があったということだろう。これは私の大好きな (?) 日ユ同祖論 (日本人の祖先がユダヤ人であるという説) などと同様の心情によるものだろう。日本は遅れた三流国ではなく、ちゃんと先進地域であるヨーロッパと根幹でつながっているのだという思いである。この書物においては、柳田邦男や折口信夫、坪内逍遥や新村出といった、よく知られた名前から、歴史学の専門家なら知っているであろう学者の名前、あるいは無名な地方の歴史研究者の著作まで、様々な人たちの名前が出て来る。そして、日本の近代化時代から戦争に向かう時代、敗戦、復興という歴史の中で、この種の議論の主流が移り変わって行ったことが述べられている。そこから学ぶことができるのは、学者とても人間であり、時流におもねて忖度する人もいれば、「こうあるべし」という自分のイメージから逃れられない人もいる一方で、学問的真実を探求する気概の人もいる、ということだ。私がそれを読んで感じたのは、学問であってもやはり、何らかのファンタジーとかイマジネーションが研究の動機づけになる場合もある、ということだ。だが、真実の探求には厳密さが求められ、そこには果たしてロマンが必要か、という観点も重要であり、この書物における井上は、あちこちに目線を飛ばして、様々な論者たちの立場を慮っているのである。そのロジックの運びはかなり目まぐるしいが、考えさせられる点は多い。ところでこれが、織部灯籠と言われるもの。果たしてキリシタンの手になるものだろうか?
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この本に書いてあることから少し離れるが、東西の文明の影響関係について、私が知識として知っている例を挙げておこう。例えば仏像の起源。ガンダーラ地方で仏像が初めて作られたという説をよく聞くが、ここで作られた仏像は、明らかにギリシャ彫刻の影響を受けたもの。その一方で、マトゥーラという土地こそ仏像発祥の地だという説もあり、そこでの作風は純粋にアジア的だ。ヨーロッパの学者は前者の説を、アジアの学者は後者の説を支持するのが通例だという。あるいは、こんな話はどうだろう。なぜ中国にラーメンがあり、イタリアにスパゲティがあるのか。中国人は、自分たちが発明した麺がヨーロッパに伝播したのだと言い、イタリア人は、もちろんイタリア人が麺を中国に伝えた (具体的にマルコ・ポーロの名前が出るときもある) のだと言う。自国の文明の正当性や優位性を唱えたいのは、どの国民も同じということだろう。これらを通じて私が面白いと感じるのはやはり、この巨大なユーラシア大陸における文明の広がりという点、そこに尽きる。実際の伝播の時期や手段については謎はつきまとうし、類似はただの偶然ということもあるだろう。だが、重要なのは、人間の営みには、時代も場所も越えた共通性があるということではないだろうか。ここに歴史のロマンがあり、文明のダイナミズムがある。この本によって、そのようなことを考えさせられた。

ただ、この本にも難点はある。2段組構成で 400ページを超える本だが、実のところ、大変に読みにくいところがあるのだ。それは、安土城なり百合若大臣なりについて、過去の言説をあれこれ紹介してくれるのはよいのだが、同じ説明が何度も何度も出て来るし、時間軸もかなり柔軟に前後する (上記で「目まぐるしい」と書いたのはこの意味だ)。同じ名前、同じ論説、同じ背景説明が何度も繰り返されるが、その先の続き方が違っている、そんな箇所が実に多く出て来るのだ。これでは、読者は混乱してしまう。正直、この本に書いてある内容は、さらに切り詰めて、時間軸を明確にし、反復を取り除いて記述することができるだろう。そうすると、こんな立派な本ではなく、新書 1冊に収まるくらいの分量になるのではないか。その方が、読む方としては有難い。それから、ここで紹介されているのは過去の言説の流れであり、著者の井上はそれに対する評価を都度書いてはいるのだが、その書き方に遠慮があったり、「〇〇と取れなくもない」とか「〇〇ではないかもしれないが△△かもしれない」という、なんとも曖昧な表現が多くて、正直その点には、読んでいるうちに苛立ちを覚えてくる。また、他人の考えを評価してはいても、自分自身の考えを書いていないケースがほとんどである点も、その苛立ちを助長するケースがある。もっとも最後の点については、この本は他者の考えの評価が主眼であるので、自分の考えを書いていないという批判は甘んじて受ける、という内容のことを明確に記載している。

こんな具合に、その表現方法にはいろいろと疑問もあるものの、ユーラシア大陸の雄大さを思い、人間の営みの歴史を感じる材料を沢山含む本であることは確かであると思う。ロマンなしには、学問の発達もないと、やはり考えてしまう私であった。

Commented at 2019-03-20 15:48
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yokohama7474 at 2019-03-20 22:12
> カギコメさん
壮大な歴史のドラマも、ご家族にまつわる逸話も、人生にとってはともに大事なものだと思います。人の営みのつながりが、大きな歴史の流れになるわけですから。
by yokohama7474 | 2019-03-19 22:52 | 書物 | Comments(2)