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エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団 (チェロ : ガブリエル・リプキン) 2019年 3月26日 東京文化会館

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東京都交響楽団 (通称「都響」) の桂冠指揮者、イスラエル生まれのエリアフ・インバルは、日本でも長くおなじみの指揮者である。1936年生まれであるから今年実に 83歳なのであるが、その活動は未だ非常に精力的である。最近も、今年の 8月から台湾の台北市立交響楽団の首席指揮者に就任すると発表された。日本でポストを持っているのだから、ちょっと台湾まで足を延ばせばよいという考えもあるかもしれないが (笑)、それにしても、ヨーロッパの指揮者が日本と台湾でポストを持つということの物理的なハードルも大変なものだと思うのだが、若い指揮者ならいざしらず、それを 83歳にしてやってしまうこの人は、やはり何か怪物めいた活力の持ち主であると思うのである。ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチなどの大作交響曲をレパートリーの中心に据えているのも相変わらずであり、過去に同じ曲の演奏を聴いていても、この人が指揮するとなると、やはりまた聴きたくなってしまう。独特の魔力を持った指揮者である。今回インバルが東京で指揮するプログラムは 3種類。そのうち最も注目が高かったであろうブルックナー 8番 (しかも、これまで彼が採り上げてきた第 1稿 1887年版ではなく、第 2稿 1890年版による演奏) を聴けなかった私は、そのことを大変残念には思っているが、ここは気を取り直して、それ以外のプログラムを楽しみにしよう。そして私が出掛けたこの東京文化会館での定期公演のプログラムは、以下の通り。
 ブラームス : 悲劇的序曲作品81
 ブロッホ : ヘブライ狂詩曲「シェロモ」(チェロ : ガブリエル・リプキン)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 5番ニ短調作品47

これは全体的に悲劇的トーンの漂う、引き締まったプログラム。しかも、作曲者の出身国はドイツ、スイス、ロシアと別々ながら、序曲・協奏曲・交響曲という、伝統的なコンサートスタイルになっている。実は今回、インバルと都響は、東京での公演に加えて、福岡と名古屋でも公演を行っていて、その 2都市では、このプログラムの真ん中の曲を、よりポピュラーなチャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」に入れ替えられていた。なので、「シェロモ」はこの東京での定期においてのみ演奏されたことになる。
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冒頭の「悲劇的序曲」はいかにも都響らしいズシリとした音を、インバルの、決して器用ではないがはったりもない指揮が、うまくかき混ぜる (表現としては適当でないかもしれないが、私のイメージはそんな感じ)。名曲を聴いて、あぁいい曲だなぁと思うことは、音楽の醍醐味であると思うのだが、まさにそんな印象のブラームスであった。

2曲目の「シェロモ」は、スイス出身のユダヤ人作曲家、エルネスト・ブロッホ (1880 - 1959) の代表作である。この作曲家はジュネーヴに生まれ、ブリュッセルやフランクフルトで教育を受けたが、36歳で米国に渡り、そこで生涯を終えた人。作品としてはこの「シェロモ」以外はほとんど知られていないが、ユダヤ色豊かな作品群を残した人で、この「シェロモ」も例外ではない。そもそもこの題名はソロモン王のヘブライ語読みであり、ここでは独奏チェロがそのソロモン王の呟きを奏する。そこで聴かれる音響は、まさに古代イスラエル王国の栄華と、ソロモン王の孤独を思わせる大変にドラマティックなもので、文句なしの名曲と言ってもよいだろう。私の場合は、若い頃にロストロポーヴィチとバーンスタインの録音で親しんだが、それよりも前に、ストコスフキーがシンフォニー・オヴ・ジ・エアを指揮したレコード (チェロはジョージ・ナイクルグという人) を聴いていた。だが実はこのストコフスキーは、その録音よりも前、1940年にフィラデルフィア管を指揮してこの「シェロモ」を世界初録音した人で、そのときのチェロは、伝説的チェリスト、フォイアマンであった。聴いてみたいなぁ・・・。とまぁ、昔の録音の話はさておいて、今回の演奏に戻ろう。チェロ独奏は 1977年イスラエル生まれのガブリエル・リプキン。15歳でズービン・メータ指揮イスラエル・フィルと共演し、世界に活躍の場を広げたが、2000年から 3年間、小村に居を移し、自身の精神を高めるためのサヴァティカル休暇に入ったという。活動再開後は、通常の演奏活動に加え、現代作曲家との共同作業など、チェロの新たな可能性を追求しているようだ。その外見も、どこかストイックなイメージの人である。
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この「シェロモ」というユダヤ的作品を、ユダヤ人でないと共感を持って演奏できないというものでもないと思うが、今回のように、指揮者、ソリストともにユダヤ人の演奏を聴くと、やはり何か特別なものを感じてしまう。このリプキンのチェロの響きは非常に神秘的かつ思索的であり、弱音から大きなうねりまで、全く教科書的ではない自由度を持って弾きこなすので、そこから立ち昇る音楽の実在感に、心を打たれるのである。そのチェロに触発されたのか、情熱的な主題で盛り上がる箇所での都響の響きは、実に劇的で、鳥肌立つほどだ。眼前に古代ユダヤ神殿が立ち現れるかのような思いに囚われる。これを機会に、もっとブロッホの音楽を聴いてみたいと思わせるような演奏であった。これは、英国のエドワード・ジョン・ポインターというラファエル前派の画家による、ソロモン王に謁見するシバの女王。
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メインのショスタコーヴィチ 5番は、ちょうど前日にウルバンスキ指揮東響の演奏で聴いた 4番と異なり、この作曲家の代表作にして、誰もが認める 20世紀の交響曲の一大傑作である。もともとインバルという、音楽に内在するある種の狂気を解き放つような指揮をする人には、このショスタコーヴィチの屈折した音楽はよく合っていると思うのであるが、別に何か変わったことや特別気の利いたことをするわけでもないのに、聴くたびにその音楽の説得力に打たれてしまう。第 1楽章と第 2楽章の間では指揮棒を下ろすことなく続けて演奏し、第 3楽章と第 4楽章はもちろんアタッカであるから、全曲は大きく 2部に分かれたように演奏された。悲劇の予感をはらんで徐々に盛り上がる第 1楽章後半の悠揚迫らざるテンポ、第 2楽章冒頭のド迫力に代表される、ギスギスした音の耳障りなこと、第 3楽章の静謐な透明感の表出、そして第 4楽章の「強制された歓喜」(これもヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」にある、衝撃的なこの曲の解説だ) の白日夢のような不気味な熱狂。かなり以前に聴いたこのコンビでのこの曲の演奏も、確かこんな印象ではなかったか。インバルには、中途半端な円熟よりも、ひたすら音楽の力を解き放つことを期待したいし、今回の演奏はその期待に見事に応えてくれたものだったと思う。恐るべき 83歳である。

4月から始まる都響の来シーズンの予定 (小冊子の見開き 2ページにすべて収まってしまう) を眺めていると、音楽監督大野和士、首席客演指揮者アラン・ギルバート、終身名誉指揮者小泉和裕に加えて、このインバルの名前もある。次回来日は 11月で、またショスタコーヴィチの 11番、12番や、チャイコフスキーの管弦楽曲などが含まれている。加えて、マルク・ミンコフスキの再登場と、フランソワ=クサヴィエ・ロトの登場があり、これらは今から興奮を禁じ得ない。東京の音楽界はいよいよ熾烈な競争に入って行くわけである。

by yokohama7474 | 2019-03-27 22:21 | 音楽 (Live)