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グリーンブック (ピーター・ファレリー監督 / 原題 : Green Book)

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以前も何度か述べたことがあるが、私の場合、ある映画がどこかで賞を取ったということは、事前情報としては有用でも、見に行く映画の選定にはあまり関係がない。見たい気が起こらない映画には出掛けないので、そこで見損なっている面白いものもきっとあるだろうと思いつつ、この発想は変えられようもない。そんなわけで、今年のアカデミー賞で作品賞、助演男優賞、脚本賞を取ったこの映画も、受賞作だから見に行ったのではなく、何か私の気を引くものがあったから、見に行ったのである。ストーリーは予告編で充分明らかだ。1960年代、ニューヨークに暮らす黒人ピアニストが、人種差別が色濃く残る米国南部への演奏旅行に出るにあたり、がさつなイタリア系男性を運転手兼ボディガードとしてつける。2人が旅先で経験することは・・・というもの。題名のグリーンブックとは、黒人が利用できる宿や店などを記載した黒人向けガイドブックで、1936年から 1966年まで発行されていたという。因みに本作の設定は (このピアニストと運転手が南部にツアーに出たという事実に基づき) 1962年。作中では、2人は確かにこのようなガイドブックを見ながら旅をしている。
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最近のアカデミー賞では、マイノリティ擁護の風潮が強く、実はこの映画で助演男優賞を受賞した黒人俳優マハーシャラ・アリは、2年前にも「ムーンライト」で同じ賞を受賞しているが、そちらも (私は見ていないが) やはりマイノリティを題材にした映画であった。ただ、世の中はそれほど単純ではない。この「グリーンブック」の作品賞受賞には、様々な異論があるようだ。例えば、黒人映画をひたすら撮り続けてきたスパイク・リーは、彼自身の作品 (現在日本でも公開中の「ブラック・クランズマン」) も作品賞にノミネートされていたが、この「グリーンブック」の受賞がアナウンスされたときに、人種差別に一石を投じる、いわば共通の視点を持つこの映画が認められたことを祝福するどころか、席を蹴って会場を後にしたという。どうもこの映画、人種を超えた男たちの友情とか信頼関係とかいうものへのポジティブな評価と同じほど、やはり白人の視線で描かれている、という非難を受けているようだ。最近の造語で "Whitesplaining" というものがあるようだが、これは「白人が (上から目線で偉そうに) 説明する」という意味で、この映画などまさにそのようなものだというトーンの非難があるらしい。これが作品賞受賞の際の写真。高々とオスカー像を掲げるのは、監督のピーター・ファレリーであろう。
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さて、このような事情は正直我々日本人には分かりにくい面があり、関連情報を目にしても、「なるほど、そういうことになるわけか」と思うくらいが関の山なのであるが、ただ、映画を見るときに、そんなことをあれこれ考える過ぎる必要はないだろう。以下ざっと私の感想を述べて行きたい。まず、主役の 2人は大変よいと思う。ピアニスト役のマハーシャラ・アリの相棒、トニー・"リップ"・バレロンガを演じるのはヴィゴ・モーテンセン。作中の設定はイタリア系米国人だが、実際にはデンマーク系。但し、幼少の頃にベネズエラに住んでいたことからスペイン語ができ、それだけではなくて、デンマーク語、そしてなぜかフランス語とイタリア語も流暢だという。なので、イタリア語も多く出て来るこの役には最適の人選であったのだろう。過去の映画では、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズにおけるアラゴルン役で知られるが、今回はこの役を演じるために 20kgも増量したという。これが「ロード・オブ・ザ・リング」における彼。
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そして本作での彼。もちろん経年もあるが、その役作りは非常にプロフェッショナルだ。
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一方のマハーシャラ・アリは、つい先日も「アリータ バトルエンジェル」の記事でその名を出したが、その作品における中途半端な悪役よりも、この役の方がずっとよいと、私は思う。実在したピアニスト、ドン・シャーリーについては私は全く知識はないが、この時代にあのような活動をした黒人音楽家として、なんとなくイメージできるようなものを、ここではうまく表現している。つまり、作品のひとつの前提は、ニューヨークで盛名を馳せる黒人音楽家が、彼が何者かも知らないがさつなイタリア系白人に対し、自らの持つ音楽的才能や教養全般を盾として、過剰な干渉を許さないという態度を取るということであり、その点におけるアリの演技は完璧であろう。2人の出会いの場では、彼はこのような恰好で王座にような椅子に座っている。場所はニューヨーク、カーネギーホールの上層階にあるアパートである。史実でもドン・シャーリーはカーネギーホールと契約を持っていて、その上層階に暮らしていたようだ。やはりニューヨークは米国の中でも特別な街で、黒人であっても、実力があって要領がよければ、音楽の世界では成功することができたということか。
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この映画の面白い点は、この 2人の微妙な距離感から、長い道のりを一緒に旅し、様々なトラブルに見舞われながらもお互いを徐々に理解しあい、そして信頼しあうようになる、その過程である。これは、このように文章で書いてもあまり切実感を伴わないが、実際に映画で体験すると、かなりの説得力を感じることになる。そもそも 1960年代の米国では、黒人が入れない場所というものもあったわけで、だからグリーンブックが存在したわけだ。また、オバマ大統領が就任時に、自分の祖父の頃にはレストランにも入れなかった、そんな黒人が今や大統領になる時代なのだ、と演説していたことを思い出す。特にこの映画では、もともと人種差別の激しい南部に演奏旅行に行くという設定であるから、その苦労たるや、想像にあまりある。物語では、このピアニスト、ドン・シャーリーがなぜに南部を目指すのか、多くを語ることはないのであるが、見て行くうちに観客には、時には笑わせられながら、ドン・シャーリーの屈折ぶりの中にある何かとてもシャイでピュアなものに感情移入して行くことになるのである。一方のトニー・リップは、もともと黒人への明確な差別・偏見はあるものの、それは当時に白人として通常レヴェルであったのだろう。勤務先のキャバレーが閉鎖され、金欲しさに運転手の職にありつくわけだが、旅を続けるうちにその素晴らしいサヴァイヴァル能力を随所で発揮、コンビの間には何か特別な信頼関係が築かれて行く。人間ドラマとして素晴らしい出来であると思う。
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さぁ、これをもって、白人の上から目線の映画と断じてしまうことが適当だろうか。ネタバレを避けるためにここには書けないラストシーンなど、Whitesplaining との批判を受けるものかもしれないが、私は結構感動して、涙腺もちょっと危なくなってしまうほどであった。1960年代の現実と、映画としての流れからして、このラストは充分感動的であると思うし、それが白人至上主義の表れと言ってしまうと、ちょっともったいないように思うのである。実はマハーシャラ・アリがインタビューで面白いことを言っている。この作品の監督ピーター・ファレリー (「ジム・キャリーは Mr. ダマー」や「メリーに首ったけ」というコメディで知られる) は白人であるが、観客の中には、例えばスパイク・リー監督作品を最初から見に行かないという人もいるのが現実。そういう人たちもピーター・フェレリーの映画なら見に行き、笑って見ているうちに、思いもしなかったことを考えることになるかもしれない。「そこには価値があると僕は思う」とアリは言っているのだが、この態度には極めて現実的なものがあり、この作品に対する自信のほども伺える。

さて、最後に、音楽に関するネタを 2つ。この黒人ピアニストは劇中で、ツアーで田舎町に行ってもスタインウェイのピアノしか弾かない契約としている。弾いているのはジャズ風の音楽で (チェロとベースを伴奏として連れている)、クラシックではないのだが、もともとクラシックを学んだことから、ピアノの選択には強いこだわりがあるようだ。言うまでもなスタインウェイの本社はニューヨーク。今はどうか知らないが、その場所はカーネギーホールからは通りを挟んだ反対側だ (昔、グレン・グールドのドキュメンタリーで、グールドがここを訪れるところが紹介されていた)。ところが、ツアーの途中で、音楽のことなど何も分からないはずのトニー・リップから賛辞の言葉を受けながらも、差別に遭って傷心のうちに安酒場に行くシーンで、彼はそこにあるピアノ (調律もいい加減な、いわゆるホンキートンクという奴だろう) で、ショパンのエチュード「木枯し」を弾いて、人々を感動させる。これはいいシーンであった。ところが演じるマハーシャラ・アリは、実際に鍵盤を叩いているのでもともとピアノが弾けるかと思えばさにあらず、数ヶ月は練習したものの、演奏は「ふり」だけで、映画の中の音は別人が出しているらしい。うーん、それにしても器用だ。これが実在のドン・シャーリー。
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実際にドン・シャーリー (1927 - 2013) は、9歳のときにレニングラード音楽院に入学、18歳でアーサー・フィードラー指揮のボストン・ポップス管弦楽団と共演した神童であったらしい。そしてあのストラヴィンスキーも、そのピアノを神業と称えたという。映画で描かれている通り、ノーブルで教養もあり、でも心の中に屈折を抱えている人だったのだろうか。がさつ者のトニーが家族にたどたどしい手紙を書くのに耐えられず、口述でそれを直して行くのだが、その中に面白いシーンがある。
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手紙の最後に P.S. をつけ、子供への愛を表明しようとするトニーに対してドンは、「交響曲のあとに余計な音を足そうというのか!!」と非難するのだが、字幕には「交響曲」となっているが、セリフでは "Shostakovich 7" と言っていた。これはもちろん、ショスタコーヴィチの交響曲第 7番「レニングラード」のこと。この曲は、ドイツによってレニングラードが包囲される危機的な状況の中、1941年に初演されているのだが、なぜここで言及されているのだろうか。私の勝手な解釈では、上記の通りドンはレニングラードに留学しており、それは 1936年頃のこと。すると、まぁ戦争前には本国に帰っていただろうが、包囲された街レニングラードには思い入れがあるのだろう。ただ、そのことをトニーに説明しようとはしない。このさりげないセリフひとつにも、ドンの性格が表れていると思うのだが、どうだろう。

ほかにも語りたいシーンはいろいろあるが、この辺でやめておこう。差別問題という社会性ある観点を離れて見ることはできないにせよ、人間を描いた映画として面白いというのが、私の感想である。

by yokohama7474 | 2019-03-30 17:39 | 映画