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上岡敏之指揮 新日本フィル 2019年 3月30日 サントリーホール

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新日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「新日本フィル」) とその音楽監督、上岡敏之による定期公演、今月の 2つめのプログラムである。今回は大曲 1曲によるもの。
 マーラー : 交響曲第 2番ハ短調「復活」

この大曲はもちろんマーラーファンの大好物であり、かく言う私も、実演で聴くたびに鳥肌立つ思いをしている。東京の音楽界において、その個性で独自の地位を占めている上岡と新日本フィルの演奏については、度々このブログでも採り上げてきたが、この「復活」を採り上げるということで、今回も大変楽しみであった。以下、どんな演奏であったのかレポートしたい。
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さて、上で「独自の個性」などという極めて抽象的な表現を使ってしまったが、それを言葉で表現するとどうなるだろうか。私なりに整理してみると、この上岡という指揮者、通常の演奏と異なるテンポを取ったり、音楽の表情づけを行うことがままあるが、そのユニークさは常に、上岡自身の信じる音像を表している。つまり、時にエキセントリックに響くことがあっても、それは彼自身に内在するその音楽のあるべき姿の再現であるということである。派手に大向うを狙うことは皆無であり、流れに応じて音楽に細かい緩急をつけ、丁寧に音像を描いて行く。そして、どんな強烈な音響でも、叩きつけるような乱暴な音にはならない。そんな感じであろうか。今回の「復活」も、冒頭の弦の切れ込みは、多くの演奏にあるような鋭いものではなく、むしろ落ち着いた音色 (若干アンサンブルが乱れたのは惜しかったが)。だがその後のチェロの呻吟は、充分に深刻さのあるもので、決して軽い演奏ではない。この第 1楽章においては、大変に劇的な音楽的情景が描かれるのであるが、今回の演奏では、その音楽的情景には全く鬼面人を驚かすようなところがなく、いつものように実に丁寧な進行ぶりだ。このあたりには多少聴き手による好みもあるかもしれない。つまり、若いマーラーが書いたこの音楽には、ある種のこけおどし的要素もあって、クリアでパワフルな音質でグイグイ押して行く演奏が、意外と成功するのである。その意味では、今回の上岡と新日本フィルの演奏には、圧倒的な要素があまりなかったがゆえに、その点で評価が分かれるかと思う。

この演奏には合唱団と、ソプラノ、アルト (またはメゾ・ソプラノ) の 2人のソリストが入るが、今回の演奏では、第 2楽章と第 3楽章の間で、彼らとオルガン奏者が登場した。合唱 (栗友会合唱団) はステージ裏の P ブロックに陣取り、独唱者 2名はステージ上の最も奥、つまり合唱よりは低い位置ではあるものの、指揮者の近くではなく、合唱のすぐ前に陣取った。この登場のタイミングは、若干珍しいかと思うが、第 3楽章から第 5楽章まで続けて演奏するという作曲者の指示にも叶うものである。ただ、第 4楽章と第 5楽章は、通常は間髪を置かずに「それっ」と指揮者が指揮棒を振り下ろす箇所であるところ、今回上岡は、充分な間を置いていた。ここにも、音の強烈さで聴衆を圧倒しようという意思がないことが読み取れた。その関連で言うと、私が今回感心したのは、第 2楽章の優しさと、第 3楽章の諧謔である。どうしても両端楽章の迫力に中心を置く演奏が多い中で、「えっ、第 2楽章はこんなに優しい音楽だったっけ」とか「第 3楽章はやっぱり諧謔味いっぱいだなぁ」と思わせる演奏には、あまり出会うことはない。この点も今回の演奏のユニークな点として、記憶に値すると思う。新日本フィルの技術も安定していて、恐らくは指揮者の求める音像を十全に表現していたものと思われる。ただその一方で、特に両端楽章で音楽が進んで行く際に、ともすれば部分的にテンポを上げていた点には賛否があるだろう。これは上岡流の緩急ではあると思うが、聴きようによっては性急感がある。あまり「復活」の演奏では耳にすることのない表情であると思う。さて、そうは言いながらも、大団円ではやはり鳥肌立つような音響が渦を巻き、バンダ (舞台裏の別動隊) からホルン 4本がステージに出て来て、それまで舞台にいた 7本と合わせ、11本のホルンが咆哮するさまは、やはり壮観ではあった。合唱団は全員暗譜で堂々たる歌唱であったし、独唱者 2名も素晴らしい出来であった。まず、メゾのカトリン・ゲーリング。
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第 4楽章「原光」は通常もっと深々と歌われると思うが、彼女の歌唱は、現代的というか、一見さらりとしながらも歌詞の意味を考えさせるようなものだったと思う。上岡とはドイツでマーラー 3番、「パルシファル」のクンドリ、「ルル」のゲシュヴィッツ侯爵夫人などで共演し、2017年には初来日して、この上岡 / 新日本フィルとワーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」で共演した。上岡の好みとする声なのだろう。一方のソプラノは、森谷真理。二期会の歌手であり、このブログでも何度かその歌唱に触れてきた。この「復活」のソプラノではそれほど聴かせどころがあるわけではなく、むしろ合唱団の中から静かに響く声の清澄さが大事であるが、見事な歌唱であった。6月には二期会の「サロメ」で主役を歌うとのことなので、過酷なまでの絶唱は、そこで聴けることであろう (笑)。
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このような個性的な「復活」であり、賛否が分かれる点もそれなりにあったと思うが、何よりも、上岡という指揮者の誠意を感じることができる演奏であったことが嬉しい。彼と新日本フィルのコンビは、これからも是非聴いて行きたいと思うのであった。

と書いて〆ようと思ったのだが、なぜだか急に思い出したことがあるので書いておこう。SF 作家の中で伝説的な地位を持つフィリップ・K・ディックの作品の中に、この「復活」の楽器編成について書かれたものがあった。あれは一体なんだったろう・・・と思い、手元にある何冊かのディックの作品 (私は決してその道のマニアではないので、それほど多くディック作品を読んでいるわけではない) を調べて、判明した。「聖なる侵入」という作品だ。その中で、この曲の楽器編成の詳細が述べられ、ルーテという言葉に言及されたときに警官が「それは何だ」と訊く。それに対する答えは、「ルーテは文字通り鞭 (注 : 私の所有する本には「苔」とあるが、「コケ」のようなのでこの字を使う) のことだ。藤製の鞭だ。大きなブラシ、あるいは小さなほうきに似ている。これをバス・ドラムにつかうんだ。モーツァルトもルーテのための曲をつくっている」というもの。なるほど、ルーテとはこれである。シャンシャンシャンという音が鳴る、あれである。
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そういえばマーラーはこのルーテを、2番だけでなく 3番とか 6番でも使っている。ディックの作品でモーツァルトも使っていると言っているのは、「後宮からの誘拐」などのトルコ風の音楽のことだろうか。マーラーの巨大な音響の中で、このルーテが重要な役割を果たしているということを、ディックに教えてもらいましたよ。

by yokohama7474 | 2019-03-31 10:56 | 音楽 (Live)