川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

エルガー : オラトリオ「ゲロンティアスの夢」 ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 2018年 7月14日 サントリーホール

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英国の国民的作曲家であるサー・エドワード・エルガー (1857 - 1934) は、時に「英国のブラームス」などと呼ばれ、数々の名作を書いたとされる割には、その作品が日本で演奏される機会は決して多くない。もちろん、行進曲「威風堂々」(の、とりわけ第 1番) は誰でも知る有名曲だし、「愛の挨拶」という小品も親しまれている。また、完成された 2曲の交響曲や、エニグマ変奏曲、序奏とアレグロなども、それなりに知名度はあるだろう。これがエルガー。口ひげ濃いなぁ (笑)。
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だが、それらの作品がこの作曲家の全貌をどのくらい示しているのか、実は我々はよく知らないのである。例えば私の手元には、私が史上最大の指揮者のひとりと尊敬する英国の巨匠、サー・エードリアン・ボールトによるエルガー録音の集大成がある。実に 19枚組で、交響曲やエニグマ変奏曲などは複数の録音を含んでいるが、それでも知らない曲が沢山入っている。そんな中、以前から名前は耳にするものの、実演はおろか録音でも聴いたことのない作品がある。それは、オラトリオ「ゲロンティアスの夢」。今回、英国の名指揮者ジョナサン・ノットが、自らが音楽監督を務める東京交響楽団 (通称「東響」) を指揮して演奏した曲がそれである。
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この曲が書かれたのは 1900年。作曲者 43歳のときである。今でこそ英国の国民的作曲家と呼ばれるエルガーも、30代は地方都市ウスターで合唱曲を作っている無名の作曲家であったらしい。それが、前年の「エニグマ変奏曲」に続き、この「ゲロンティアスの夢」で大成功を収め、一躍英国を代表する作曲家としての地位を築いたという。この「ゲロンティアスの夢」は、カトリック (もちろん、プロテスタントの一派である英国国教会が支配的な英国ではマイナーな存在であった) の枢機卿の長編詩をテキストとして用いている。初演を手掛けたのは、ワーグナーの弟子で、あの「ニーベルングの指環」を初演したことでも知られる、当時の大巨匠であるハンス・リヒター。彼は実はブラームス 2番・3番や、ブルックナー 4番 (前回の記事でご紹介した 1878/80年稿と、それから 1888年の改訂稿)・8番、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も世界初演している。またエルガーに関しては、この「ゲロンティアスの夢」だけでなく「エニグマ変奏曲」や交響曲第 1番も初演しているという。そのように音楽史上に残る大変な功績を残しているリヒターは、こんな人。こちらは口ひげとあごひげが完全に一体化しておりますよ。
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さてこの曲、リヒターによってバーミンガムで初演された後、ドイツでも演奏され、リヒャルト・シュトラウス (エルガーより 7つ年下だが、当時既に交響詩はすべて書き終えており、これからオペラの世界に入って行こうというところであった) が大絶賛した。また、パリでの演奏では、あのフォーレがオルガンを弾いたという。当時それだけこの作品がもてはやされた理由は、聴いてみるとかなりはっきり分かる。ここではワーグナー的な濃厚な音響世界 (特に、「パルシファル」を思わせる箇所がある) が繰り広げられ、そのロマン性には情緒的なものと劇的なものが混じり合って、感動的な内容になっているのである。この雰囲気はまた、極めて世紀末的というか、英国の作品という意味ではヴィクトリア朝の雰囲気が満点で、絵画で言うならばラファエル前派の持ち味と近いものである。なるほどこれは、世紀末文化に興味を持つ人間にとっては、聴いておくべき作品であったのだ。ラファエロ前派のイメージということで、例えばこれは、キリスト教的な題材ではないが、バーン=ジョーンズの「聖杯の礼拝堂におけるランスロットの夢」(1895-96年作)。
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約 40分の第 1部、約 60分の第 2部からなる大作であり、今回の演奏では、第 1部と第 2部の間に休憩が入った。実は今回、ノットにとってもこの作品を指揮するのは初めてであったという。なるほど、彼は英国人とはいえ、これまでのキャリアを考えてみると、決して英国音楽のスペシャリストではない。だがノットはこの作品を幼少時から知っていて、それは、エルガーが活躍した街ウスターで、マエストロもまた少年時代を過ごし、少年合唱団に入っていたからだそうだ。そして、「この曲は素晴らしい合唱団と、(中略) 懐が深い演奏をするオーケストラを得てこそ最高の効果が望めます。ですから、東京交響楽団や東響コーラスとの出会い、そして共演を重ねてきた『今』が、その時だと思いました」と語る。そう、いわば今回の演奏は、音楽監督就任から 4年を経たノットと東響による、これまでの活動の集大成という位置づけになるのではないか。実際、冒頭からオケはまさに懐の深い音を出していて感嘆したが、その後も実によく練れた音が、100分の演奏時間を通して途切れることなく聴かれたのである。曲想の変化に応じて独唱、合唱が波のように幾度となく寄せては返す中、オケの (特に弦の) 雄弁さには特筆すべきものがあったと思う。独唱者の 3人、テノールのマクシミリアン・シュミット、バリトンのクリストファー・モルトマン、メゾソプラノのサーシャ・クックはいずれも世界的に活躍する歌手たちであり、長丁場をそれぞれ実に丁寧に歌いあげた。だが今回の驚きはやはり、合唱団だろう。このオケに付属するアマチュア合唱団である東響コーラス (指導は冨平恭平) は、総勢 150名ほどであろうか、ステージ裏の P ブロック客席に陣取り、なんと全員暗譜でこの大作を歌ったのである!! しかも全く危なげない歌いぶりで、多彩なニュアンスを表現していて見事であった。楽団が発表している当日の写真を、以下にお借りしてお目にかけたい。音楽の熱気が感じられると思う。
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終演後のノットの顔は実に晴れ晴れとした表情であり、ともに演奏したメンバーすべての労をねぎらっていた。私としても、これまで知らなかったこの曲の深い表現力に魅せられたので、ボールトの演奏を再度聴いてみることとしたいし、バルビローリやコリン・デイヴィス、そして最近の録音であるバレンボイム盤 (さすがワーグナーの大家は目のつけどころがよいですな) なども、聴いてみたいものである。いざ、ヴィクトリア朝の世界へ。

# by yokohama7474 | 2018-07-16 01:25 | 音楽 (Live) | Comments(0)

シモーネ・ヤング指揮 新日本フィル  (ヴァイオリン : 木嶋真優) 2018年 7月14日 すみだトリフォニーホール

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新日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「新日本フィル」) の今シーズン最後から 2番目の定期公演。今回指揮を取ったのは、新日本フィル初登場の名指揮者、シモーネ・ヤングである。このブログでは既に、彼女の指揮する二期会の「ナクソス島のアリアドネ」公演や、東京都交響楽団、読売日本交響楽団の演奏会をご紹介した。間違いなく現代の指揮界における最も優れた才能のひとりであるヤングは、オーストラリア人である。
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新日本フィルの定期公演は、上記のようなチラシで宣伝される。毎回なんらかのコピーがついているが、今回は「ブルックナーと恋に落ちるつもりで。」・・・は、はぁーっ??? これは一体どういう意味なのか理解に苦しむ。私も過去 40年の間、ブルックナーの音楽を散々聴いてきたものだが、ここで断言してもよいことには、その音楽と「恋に落ちた」ことは、1秒もない。ブルックナーの音楽にはコケットリーは一切なく、愛だの恋だのという要素は皆無なのである。だから私はここで、残念ながらこのチラシの意図を心底図りかねると正直に申し上げておこう。・・・と意気込んではみたものの、ここで気を取り直して、この演奏会の曲目を書いておこう。
 ブルッフ : ヴァイオリン協奏曲第 1番ト短調作品 26 (ヴァイオリン : 木嶋真優)
 ブルックナー : 交響曲第 4番変ホ長調「ロマンティック」(1874年初稿、ノヴァーク版)

最初のブルッフのコンチェルトは、古今のヴァイオリン協奏曲の中でも人気の曲であり、かなり頻繁に演奏されている。実際のところこの作曲家の作品の中で、唯一このヴァイオリン協奏曲第 1番だけは文句のない傑作として知られているのである。3楽章からなるものの、全曲が続けて演奏されるこのコンチェルトを弾いたソリストは、木嶋真優 (きしま まゆ)。
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樫本大進や庄司紗矢香、そして、ヴェンゲーロフやレーピンも指導した、あの名教師ザハール・ブロンの門下であることは知っていたが、多分私は今回初めて、生演奏で彼女のヴァイオリンを聴いて、いやいや、その堂々たる表現力には圧倒された。艶やかな美音でありながら、力強さもあり、ロマン派のコンチェルトとして音楽史に名を留めているこの曲のソロとして、充分聴きごたえのある演奏であった。ヤングの指揮は、動きは単調ながら、オケから大きな壮大でドラマティックな音を引き出すことにかけての手腕は大したもの。うーん、今思い出しても、この曲のそこここで聴かれた情熱には、胸が熱くなる。素晴らしい演奏であった。そして木嶋はアンコールとして、なにやら序奏を弾いたあと、あの「ふるさと」を演奏した。誰もが知るこの曲の旋律を一度通して奏で、その次のフレーズでは、装飾的な音型を交えての華麗なる演奏を披露したが、これは木嶋自身によるアレンジであった。西日本の大豪雨の被災者に対して安らぎを与えるという意図であったのかもしれない (因みに木嶋の出身は神戸である)。さて、このように素晴らしかった木嶋のソロなのであるが、もしひとつ、僭越なコメントをさせて頂ければ、彼女のステージマナーには、もっと堂々たるものがあってもよいのではないだろうか。演奏の前後にはまっすぐ聴衆を見て、その自信を顔に浮かべ、そして音楽に没頭する、そんな流れがないことが不思議であった。彼女は随分以前からソリストとして活躍しているものの、今回初めて知ったことには、2016年には第 1回上海アイザック・スターン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝しているという。ここに彼女の音楽家としての向上心を見ることも可能であろうが、これだけ実際に活躍しているにも関わらず、コンクールを受けるということは、まだまだ自分を認めて欲しいという意欲が強いということだろうか。だが私の見るところ、既に何年も前から一流の演奏家であったはずの彼女は、そのような思いを持つ必要はなく、ただ自分の表現意欲に忠実に、演奏活動を続けて行って欲しいと思うのである。是非、ステージでは笑顔で。

さて、今回のメインの曲目は、ブルックナーの 4番である。上述の通り私は、これまでの人生で、何度も何度も何度もブルックナーの音楽を聴いてきたが、その中でもこの第 4番「ロマンティック」は、最初に知った彼の交響曲である。もちろん、この曲なりブルックナーという作曲家と「恋に落ちた」ような気分になったことは、人生で一度もない私なのであるが、その音楽に圧倒されることはしばしばである。そして今回、ヤングが採り上げたのは、通常の版ではなく、初稿なのであった。これは 1874年に作曲された最初の姿である。一方、通常演奏されるのは 1878/80年版。この 2つの版には、かなりの相違がある。第 3楽章スケルツォは全く別の音楽だし、その他の楽章では、使われている音の素材は同じであっても、音楽の流れが著しく違う。洗練度ではもちろん 1878/80年版がかなり上を行っていると思うが、この初稿には、なにやら野人的で粗削りなブルックナー像がそのまま表れている。我々音楽ファンはこのブルックナー 4番の初稿には、エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送響の録音で初めて接したのであるが、その後も実演でこの版が演奏されることは依然として稀である。だが今回の指揮者シモーネ・ヤングは、当時の手兵であったハンブルク・フィルを指揮してブルックナーの交響曲全集を録音しており、その中の第 4番は、この初稿によるものなのである。
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今回の演奏は、ワーグナーやシュトラウス、そしてこのブルックナーを得意とするヤングの面目躍如たるもの。オケは隅々まで音を感じて、高揚したり鎮静化したりする。衣装の袖をめくっているのであろうか、肘から先を露わにして力強く指揮をするヤングの思い切りが、オケを最初から最後まで引っ張っていった感がある。こんな演奏で聴くと、初版も悪くないと思われてくる。だが、やはりこれは、耳慣れた音楽よりもゴツゴツしたもので、盛り上がりの後の突然の休止などは、後年の円熟期の交響曲にはないもので、あえて言ってしまえば、ひとつ前の 3番のシンフォニーと共通する点がある。これはこれで、傾聴に値するブルックナーであろう。それにしてもこのすみだトリフォニーホールにおける新日本フィルの響きの美しいこと。実は今年は、新日本フィルがこのホールをフランチャイズとして契約してからちょうど 30周年。これを称して「すみだ×新日本フィル フランチャイズ 30周年」という企画が進行中だ。以前の記事で、このオケがこのホールに本拠を移して 30周年と書いたところ、それは間違いだというご指摘を頂き、説明が面倒であったのでその記事を改訂したことがあったが、私が言いたかったのはこのことである。ホールのオープンは 1997年、小澤征爾指揮によるマーラー 3番で、私は当然それを聴きに行ったのであるが、開館後しばらくは、どうも音響に納得できなかったものである。その後音響が改善されたのか、またはオケがホールになじんできたのか、最近このホールで聴くことのできる新日本フィルの音楽には、本当に感動するのである。そんなホールとオケの組み合わせを、ヤングはどのように感じたであろうか。東京における音楽文化の発展ぶりを実感してくれればよいのだが。

終演後のサイン会に参加したところ、ヤングは想像通り、ヴァイタリティ溢れるタイプの人であった。私はマーラー 6番の CD を購入してサインをもらったのであるが、これもきっとパワフルな演奏なのであろう。聴くのが楽しみだ。また、コンサートマスター崔文洙以下の楽員たち自らが聴衆に挨拶しながら、西日本豪雨の義援金を募っていたので、僅かながらの寄付を行った。
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さて、新日本フィルの今シーズンの締めくくりとして、今月末にもうひとつ演奏会が控えている。是非また、すみだトリフォニーホールと新日本フィルの 30年間の成果に耳を傾けたい。

# by yokohama7474 | 2018-07-15 23:26 | 音楽 (Live) | Comments(0)

千葉市 加曾利貝塚

千葉市にある加曾利貝塚 (かそりかいづか) は、全国の貝塚の中でも最も有名なものではないだろうか。それもそのはず、貝塚としては世界最大規模で、特別史跡に指定されているのである。
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いや、ちょっと待て。今自分で「貝塚としては世界最大規模」と書いた。貝塚って、日本以外にもあるわけですな。実は貝塚の研究は 19世紀後半にデンマークで始まったということだから、日本独自の縄文時代だけのものというわけではないようだ。そうか、そういえば、日本の考古学発祥の地と言われる大森貝塚は、1877年に米国人エドワード・モースによって発見されている。横浜から新橋に向かう途中、モースが地層の中で目にした貝殻の堆積がそれだったわけだから (今ではその場所がどこだったかについては、品川区と大田区の間にちょっとした論争があるようだが)、決して日本独自の遺跡ではなかったわけだ。ともあれこの加曾利貝塚、長年行きたいと思っていたのだが、これも前回の記事に続いての、今年の GW の安・近・短の旅のひとつ。千葉市美術館に面白い展覧会を見に行って (その記事は追ってアップ予定)、その途中に立ち寄ったもの。実際に行ってみて分かったことには、この場所は堂々たる縄文遺跡であって、ここにあるのは決して貝塚だけではない。これだけ歴史的に貴重な場所なのであるから、「貝塚」などと謙譲の美徳を発揮している段階から早く脱して、「加曾利縄文遺跡」と名前を換えるべきである。なにせこの遺跡の発見は、大森貝塚に遅れること僅かに 10年、1887年という驚くべき早さであったのだから。これが遺跡の全体図である。
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私たちがここを訪れたときには、何やら縄文祭りのようなものが開催中で、臨時駐車場が開かれるほどの大混雑。それは大変結構なことであると思ったのだが、私の個人的意見では、この場所が本当に歴史好きに広く認知されるためには、施設もすべて新しくしないと。例えばこれは、貝塚の北側の断面を見るために作られた建造物だが、何やら古びてはいないか。それもそのはず、1968年から公開しているというから、今年でちょうど 50年。
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中に入ると、確かに夥しい貝の蓄積があり、発掘時そのままの雰囲気が圧巻なのである。
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因みにここには、南貝塚もある。高台にあるこの場所は、縄文の昔から多くの人々が暮らしていた場所であるようだ。
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そして、上述の通りここは、ただ「貝塚」と名乗るだけではもったいない規模の遺跡なのであるが、ちょうど昼時。ちょっくら腹が減ったので、縄文人にあやかってアサリでも食ってみるかと思い立った。あれ、ハマグリだったかな。ともあれ、うまかったー (笑)。
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ここにはまた、貝塚の博物館というものがある。そこに辿り着くと、何やら着ぐるみのキャラクターが。これはカソリーヌと言って、2014年に制定された、ここの公式キャラクターなのである。なるほど、「加曾利犬」か。なかなかの人気である。
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この博物館もかなり古いもので、開館は 1966年。うーん、できればこれは千葉市が資金を出して、最新の施設に建て替えるべきであろう。なぜなら、ここ加曾利貝塚からの出土品を数多く収めたこの博物館は、見ごたえ充分であるからだ。例えばこれは、この遺跡で発掘された遺品の中で最も精巧に作られたもので、耳飾りである。ほかの地域から持ち込まれたものという説もあるという。
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この遺跡で見つかった装身具は、この写真に多く掲載されている。なんとオシャレなのだろう!!
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この博物館のよいところは、ボランティアの案内人たちが展示品について解説してくれること。この遺跡は、ただ単に貝の堆積が発掘されているわけではなく、このような土偶や土器の数々も出ているのである。
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そして再び、装身具である。想像上の復元も。えっ、肩掛けのポーチまでしていたの???
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そしてさらには、人骨から犬の骨まで。これは明らかに埋葬である。当時の人々には既に、死というものに対する畏怖の念があったということだろうか。あ、それから、この犬の骨は、カソリーヌのキャラクター設定のもとになっているのであろうか (笑)。
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そしてここからの出土品で判明している古代人たちの食材のうち、海産物がこちら。うーん、リッチな食生活である。
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博物館を出て、遺跡の中を散策すると、おっと出ました。縄文弓矢。中にはコスプレで、すっかり縄文人になりきっている子も (笑)。
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そして、復元された縄文人の住居。その中では、やはりボランティアの人が、復元された古代のかまどについて説明していた。
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興味深いものはまだまだあって、これは古代人の住居跡。貝の堆積の下の層から発掘されたらしく、重なり合った穴から、ここで縄文人が何世代にも亘って暮らし、何度も家を建て替えていることが分かるらしい。そして、それこそ火を焚いたかまどの跡もある。
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このように見ごたえ充分な加曾利貝塚であるが、1960年代には企業がこの土地を買収して一部を破壊。それを機に保存を求める運動が活発化し、その結果、奇跡的にこの遺跡は残されたという。ここでは過去に 13度に亘る発掘調査がなされているが、これまでに調査されたのは、遺跡全体のわずか 7%であるとのこと。そして昨年 2017年には、45年ぶりに新規の発掘作業が開始された。ということは、まだまだこれから、新たな発見がある可能性も期待できると思う。うーん、恐るべし加曾利貝塚。首都圏の人たちには是非この場所に足を運んで頂き、古代のロマンを感じて頂きたいものである。

# by yokohama7474 | 2018-07-14 23:40 | 美術・旅行 | Comments(0)

旧軽井沢散策

先だって 3連発でお届けした出雲・松江旅行は今年の GW の前半の旅行であった。今回採り上げたいのは、その後半の日帰り旅行の行き先であった軽井沢である。いや、正確にはこれは旅行などという大それたものではない。5月 3日、既にこのブログでは記事として採り上げた、チョン・ミョンフン指揮東京フィルの演奏会を軽井沢まで聴きに行った際、開演前の時間を利用して、軽井沢駅周辺、いわゆる旧軽井沢地区のなじみの観光地を、貸自転車で巡ったというだけである。その記事にも書いた通り、今や東京と軽井沢とは、新幹線でほんの 1時間程度で着いてしまう手軽な場所。だが、さすが避暑地の王様 (?)、訪れるたびに澄んだ空気に癒される場所なのである。そんな軽井沢で、新幹線を降りてからほんの数時間の間に自転車に乗って回れる、旧軽井沢の歴史散策が今回のテーマ。ちなみに今回は、珍しく (?) 古墳も仏像も登場しないので、そのあたりに興味のない方にも気楽に読んで頂けるかと思う。観光地においては遠いところから先に見て回るべし、という観光の鉄則に従い、木立を抜けて颯爽と自転車を飛ばして (息を切らしながら 笑)、最初に辿り着いたのは、重要文化財、旧三笠ホテルである。
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この三笠ホテルの開業は実に 1906年。日本の洋風ホテルとしては、それ以前にも帝国ホテルや、築地や横浜にできたものがあったが、それにしても古いし、また、営業されていた土地にその (すべての建物ではなく主要部分だけとはいえ、また、数十メートルの移築はされているとはいえ) 建物が残る例は、なかなかほかにはないのではないだろうか。それだけこの軽井沢が、避暑地として古くから外国人や富裕層、あるいは文化人に人気であったということであろう。このホテルを経営していたのは、実業家の山本直良。この名前で明らかな通り、あの指揮者で作曲家の (最も有名な作品は「男はつらいよ」のテーマであろうか) 山本直純の祖父である。設計は、辰野金吾門下の建築家、岡田時太郎という人で、日本人の手になる史上初の純西洋風建築である (なお、調べてみて知ったことには、岡田の現存作品のもうひとつが重要文化財に指定されていて、それは牛久シャトーという茨城のワイン醸造所)。1970年まで営業しており、多くの文人墨客を迎えたという。これがメインロビーの様子。ソファーや絨毯は、往時のものを復元している。フロントは昔懐かしい、鍵を部屋ごとに置くようになっているスタイルだ。お、よく見ると、フロントには、私がこの日に聴いた、チョン・ミョンフン指揮東京フィルのコンサートの宣伝が見える。
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これはカーテンボックス。おめでたい松と鶴に、三つの笠で三笠を表すとともに、M (Mikasa) と H (Hotel) の隠し文字が。設計は、有島武郎の弟の画家、有島生馬である。
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これは創業時からのシャンデリアであるそうだ。110年以上の間に、多くのセレブたちがくつろぐ様子を見つめ、ホテル廃業後は、観光客の好奇の視線にさらされてきた。そこに展示されている大正初期の晩餐会 (近衛文麿、里見敦、有島武郎、山本直良ら出席) の写真を見ると、お、本当に同じシャンデリアが下がっている。
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このホテルは 2階も公開されていて、大変に興味深いが、19号室では、あたかも往年のその部屋に滞在したかのように、ソファに座ってくつろぐことができる。ノスタルジックな気分に浸ることができる場所である。
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さて、旧三笠ホテルを出て、もとの道 (その名も三笠通り) を戻ると、右側に何やら看板がある。普段軽井沢では、レンタカーをすることが多く、その場合にはこのような場所は素通りしてしまうであろうが、今回はレンタサイクルであり、簡単に寄り道できるのが大いなるメリットである。というわけで立ち寄ったこれは、旧スイス公使館。深山壮 (みやまそう) と名付けられており、1942年に建てられて、戦時中は外国人の疎開別荘として利用されたとのこと。内部は公開されていないが、ここ軽井沢における戦時中の雰囲気を想像してみると、悲惨な戦争から離れた厳粛な平和を感じることができる。
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旧軽井沢の中心部に向かう途中に立ち寄った先は、聖パウロカトリック教会。1935年に建てられており、設計は、フランク・ロイド・ライトの弟子である、アントニン・レイモンド。日本にも沢山の建築を残している。梁の断面に年号が入っているのが興味深いし、内部のトラス構造を見ても、木の交差にモダニズムを感じることができる。
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この軽井沢の地に、松尾芭蕉の句碑があるのは意外と知られていないかもしれない。旧軽銀座の突き当り、つるや旅館のもう少し先、矢ヶ崎川にかかる二手橋 (にてばし、昔軽井沢が中山道も宿場町であった時代に、旅人たちが二手に分かれて旅路を続ける、別れの場所であったことによる命名) の近くにある。これは、天保 14 (1843) 年、芭蕉の 150回忌に当地の俳人によって建てられたもの。芭蕉が中山道を通ったことがあるのか否か、私には確たる知識はないが、この句は「野ざらし紀行」(江戸から故郷である伊賀上野への旅紀行) にある「馬をさへ ながむる 雪の あしたかな」。雪の朝、道行く旅人たちを眺めていると、馬でさえ面白い恰好で通って行く、という意味。街道の旅の途上、雪に降られて、慌てたり慎重になったりする旅人たちの様子を描いているのだろう。
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そしてこの芭蕉句碑の正面にあるのが、このような看板の場所。
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これは、カナダ生まれの英国国教会宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーという人が、1886年に家族とともに暮らし始めた場所。軽井沢は、明治に入ると以前の宿場町としての活気を失っていたが、このショーの布教活動が、その後の避暑地としての軽井沢の出発点となった。現在の建物は 1895年のものであるが、それでも軽井沢最古の教会である。質素な佇まいが好ましい。
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この教会に向かって右手の奥に、ショー一家が住んだ別荘が復元され、ショーハウス記念館として公開されている。私は常々、東西の文化の出会いには大変興味があるのだが、この日本でキリスト教の布教活動を行うことを決意した西洋人の思いを想像することのできるこのような場所からは、多くの刺激を受けることができるのである。
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軽井沢にはこのような昔ながらの小道がそこここに残っている。「お気持ちの道」から「犀星の径」へ。
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この先に、あの文学者室生犀星 (1889 - 1962) の旧居がある。犀星の作品はもう久しく読んでいないが、その抒情は侮りがたいものがあって、時々読みたくなる。ここに残るのは 1931年以降彼が毎年夏を過ごした別荘である。犀星に関しては、生地である金沢や、私の現在暮らしている東京都大田区にある馬込文士村でもゆかりの土地を訪れたことがあるが、この軽井沢の別荘は、実際に彼が暮らしていた場所が現存しているわけで、一層感慨深い。但し、現在はちょうど改修中であり、内部に入ることは今回はできなかった。
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その代わりと言ってはなんだが、この犀星旧居の向かい側に、このようなバンガローを発見。一般のガイドブックに載るほどメジャーな場所ではないが、1927年に建てられたもので、登録有形文化財に登録されている。松方正義の孫が所有していた別荘であるらしい。この青いプレートは、軽井沢町の認定する歴史的建造物、Karuizawa Heritage であることを証するもの。今はカフェになっている。
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そして次は、旧軽銀座のど真ん中にある教会へ。日本基督教団軽井沢教会である。ここも 1929年に建てられた古い教会で、設計があのウィリアム・メレル・ヴォーリズ (メンソレータムで有名な近江兄弟社の創立者の米国人であり、日本に教会・学校・個人宅などを多く残した) であると聞き、楽しみにしていたが、この日は残念ながら内部に入ることはできなかった。
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あ、そうそう、ヴォーリズの残した建築について網羅的な本を読みたいなぁと思っていたら、8/24 にこのような本が刊行されると聞いて、早速予約しましたよ。面白そうだ。
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さて、旧軽井沢地区には、私のお気に入りの美術館、脇田美術館 (洋画家、脇田和の作品を集めたこじんまりした美術館) があるのであるが、今回私が訪れた 5月には未だ開館していなかった。その代わりというわけではないが、最近オープンした美術館を初めて訪れることとした。その名は軽井沢ニューアートミュージアム。
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ここは未だ新しい美術館なので、これからコレクションを作って行くようだが、いわゆる評価の定まったアーティストの作品を展示するというよりも、展示即売も含めて、若いアーティストの作品を紹介して行く場にもなって行くようだ。私が訪れたときにもいくつかの展覧会が並行して開かれており、丸尾結子という彫刻家の作品が並んでいるコーナーを興味深く拝見した。白くうねる形態は、生々しいとともにどこか都会的。触感がよさそうだが、お値段を見ると、もし触って壊してしまったら大変なことになると実感 (笑)。
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さて、コンサートが始まるまでもうひと踏ん張り。私にはもうひとつ、訪れたい場所があった。それは、軽井沢駅から中軽井沢の方へ、国道 18号線を数 km 行った場所にある、軽井沢現代美術館である。私の経験では、もしレンタカーでこの場所に向かうと、軽井沢駅方面に戻ってくる道路が渋滞して、コンサートに間に合わない可能性がある。そんなこともあって、今回はレンタサイクルにしたのである。あの美術館に向かう坂道はとても登り切らないが、それでも、久しぶりに行ってみたいと思い、自転車で爆走。件の坂道に辿り着いて、エッチラオッチラ登り始めると、左手にも何か施設があるのが見えた。ちょっと面白そうであったので、自転車を停めて、そちらの方に向かってみた。見えてきたのはこんな建物。
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ここには、軽井沢の歴史を知ることができる展示があるが、正直なところ、あまり観光客が熱狂するようなものはないと思う。それよりも、表示に従ってさらに足を進めて発見したこの建物が、実に興味深い。木造だがモダン建築の雰囲気満点である。
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これは 1926年、のちの総理大臣、近衛文麿が購入した別荘。その後、近衛と親交のあった市村今朝蔵という政治学者に転売されたため、現在では市村記念館とも呼ばれている。内部はこんな感じで、さすがに洗練されている。蓄音機があるが、これまどは、もしかすると、文麿の弟で、偉大な指揮者であった近衛秀麿も聴いたのではないかと、勝手に想像が膨らんでしまう。
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実はこの旧近衛文麿別荘のあるあたりは、離山公園という国立公園の一部。私は裏から入ってきてしまったが、国道 18号線沿いにちゃんと門がある。また、明治時代に丸井沢を開発した実業家、雨宮敬二郎の旧宅、その名も雨宮御殿もある。私が訪れたときには、建物は閉ざされていたが、一般公開している時期もあるのだろうか。
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さて、それから最後の目的地である軽井沢現代美術館へ。日本の現代アートが展示の中心で、なかなかに心地よい場所である。まあ、人が少ないということもありますけどね (笑)。そして、草間彌生とルイ・ヴィトンのコラボも!!
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帰りがけにショップを除いたら、一目で気に入った作品があった。作者は、これは誰が見ても奈良美智であるが、この勉強中のワンちゃんは、なんともユーモラスではないか。すぐ購入したのだが、これはドイツで印刷されたポスターで、額に入っていてそのまま飾ることができ、お値段もお手頃だ。奈良ファンにはお薦めである。我が家では既に壁にかけられ、犬の勉強は継続中なのである。
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このように旧軽井沢には、ほんの数時間で回ることのできる文化的な場所がいくつもある。その澄んだ空気感は、いかに旧軽銀座が混み合っていても、濁ることはないのである。

# by yokohama7474 | 2018-07-14 11:38 | 美術・旅行 | Comments(0)

四方田犬彦著 : ルイス・ブニュエル

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ルイス・ブニュエル (1900 - 1983) の名を知る人は、一般にはどのくらいいるだろうか。私の世代は、ちょうど彼がこの世を去った頃には学生で、円熟期 (?) のフランス語による作品の数々 (製作がセルジュ・シルベルマンであったり、脚本がジャン=クロード・カリエールであったりする) を見る機会があり、それから、それに先立つメキシコ時代の作品の上映会などもあって、いわゆるシュールレアリスムの映画における代表例という、紋切り型の分類に留まらないこの映画作家の多様な面を知ることができた。この本はそのブニュエルについての、大変に大部な書物である。実は私は、2年かそれ以上前だろうか、あるとき突然無性にブニュエルの作品を見たくなり、そして、作品を見るだけではなく、彼の評伝を読みたいという衝動に駆られた。そして購入したのがこの本である。ブニュエルの作品一覧という資料的な部分を除き、つまりは本文と後記だけで、実に約 650ページ。結局私はその後、何本かのブニュエル作品の DVD を購入しただけで見ることができず、そしてこの本もしばらく置きっぱなしになっていた。だが、意を決してページをめくり始めてから何ヶ月を要しただろう。この度ようやく読み終えたので、めでたくここで記事にすることができるのである。だが、この本を読み通すのは正直つらかった。それは、これがブニュエルの人生のエピソードを集めたような評伝ではなく (もちろん、一部評伝風の箇所はあるものの)、そのメインは、極めて詳細な作品論であるからだ。その中には、私が昔見たことのある作品もあれば、全く知識のない作品もあり、後者に関しては、もし私が残りの人生でいつか見ることがあるとしたら、ネタバレされるようでいやだな、と思ったものだが、その点は大丈夫。もう読んだ内容の詳細はすっかり忘れてしまったからだ (笑)。だが、これを読み通したことで、この監督の指向するイメージやその暗喩するものについての理解は確実に深まった。

ともあれ、一般の人がこのブニュエルの作品について何かイメージがあるとすると、この映画ではないだろうか。
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そう、この映画は「アンダルシアの犬」。よく知られている通り、この後カミソリは無惨にも、また理不尽にも、この女性の眼球を切り裂くのであるが、それ以外にも奇想天外な悪夢のような映像がこれでもかと現れるこの映画は、1927年制作の無声映画で、ブニュエルのスキャンダラスなデビュー作であった。そしてこの映画の共同監督として、強烈なヴィジュアルを作り出した張本人は、あのサルヴァドール・ダリだ (ちなみに彼のファーストネーム Salvador のうち "va" の部分は、英語読みでは 「ヴァ」になるが、スペイン語読みでは「バ」に近い発音のようだ。だが私はやはり va をヴァと表記したい・・・ヴェラスケスも同様)。これもよく知られた通り、このブニュエルとダリは若い頃の親友であり、彼らのいたマドリッドの寄宿学校では、もうひとりの天才がいた。情熱的な詩人であり、スペイン内戦中に銃殺されたフェデリコ・ガルシア・ロルカである。この 3人の交流については、私も随分以前に、アウグスティン・サンチェス・ビダルという人の「ブニュエル、ロルカ、ダリ - 果てしなき謎」という、滅法面白い本を読んだことがあるので、このいずれかの芸術家に興味のある人には、絶対にお薦めだ。
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ともあれ、もとの本に戻ると、いやはや、これは本当に大変な労作なのである。四方田犬彦は、私が若い頃から活躍している評論家で、映画がメインという印象があるが、本人はどうやら、比較文学が専門と自称しているようである。確かに彼の著書は映画評論だけでなく多岐に亘り、その驚くべき博識ぶりを、私は以前から深く尊敬している。
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1953年生まれの 65歳で、未だ年齢的には充分若いが、最近大病を患ったようなこともあったらしく、また、この本の後記には、この本の執筆を強く促した編集者の志半ばでの死にも触れられている。なるほどそのように思って読んでみると、この大部な書物が世に問われるにあたって必要とされた、激しい執念を感じることができる。ブニュエル作品の細部の描写が延々と続いていても、それを逐一理解する必要はない。ただそこに流れる筆者の情熱から、それを可能ならしめたブニュエルという特異な才能の巨大さを感じればよい。そのように思うのである。作品の詳細に即した分析は本作のほぼ 2/3。それは「前衛の顕現」「聖性と流謫 (るたく)」「悪夢と覚醒」の 3つの部分に分かれている。ページ数にして 458ページまでである。残りの 1/3 は、むしろ気楽に読めるエピソードを多く含むもの。その中には、スペインの田舎町、カランダに残るブニュエルの生家を筆者が訪れる様子なども活写されていて、興味深い。それにしてもこのブニュエルという人は、なんともブラックな感覚の持ち主の皮肉屋で、その感性には、とても万人が賛同できることはできないような、危険であり冒涜的な面がある。それは、この人の代表作のひとつでも見れば明らかなのであるが、不思議なことに、その作品の持つ毒が、偽善に満ちたこの世の毒を中和してくれるようにも思われるのである。これが老年のブニュエル。どう見ても品の良い巨匠監督ではない。私もこんな不良ジジイになりたいものである (笑)。
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この本を読んで私のブニュエルへの理解は、もともとのイメージのまま、より深くなったし、そして何より、本を読んでいるだけでは満足できずに、手持ちの DVD に少し買い足して、このユニークなシュールレアリストの作品を見たいと思うようになった。以前紀伊国屋書店から出ていたブニュエルの中期作品集の DVD は全部で 6セットあり、既に新品では手に入らないが、中古なら、ものによってはなんとかなる。そんなわけで早速何セットか購入した。だが、もしこの記事によってブニュエルをちょっと見てみようかなと思う人は、やはり後年のフランス語作品がお薦めで、私としては、「ブルジョワジーの密かな愉しみ」とか「自由の幻想」が好きである。もしそれ以前の作品なら、貴族たちが集い、理由もなしに館から出られなくなってしまうという、ストーリーがあるようなないような、いや、明確にないか (笑)、「皆殺しの天使」が滅法面白い。
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私の若い頃に比べて今は、過去の優れた映画を体験することは、比較にならないくらい容易になっている。だが、容易に手に入るものは、かえって有難味がないとも言える。ルイス・ブニュエルという破天荒な大芸術家の神髄に触れるには、まずは作品を見てみて、そしてできれば、このような大部な関連書籍を読んでみることだ。きっと、読む前と読んだ後では、何かが違って見えることだろう。何ヶ月もかけてこの本をようやく読み終えた私は、今度は彼の映像によって、ブニュエルの毒にすぐに感染する状態にあり、それが私の人生を非常に豊かなものにしてくれると、信じているのである。

# by yokohama7474 | 2018-07-10 00:07 | 書物 | Comments(0)


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