川沿いのラプソディ


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メモ帳

サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団 (ピアノ : クリスティアン・ツィメルマン) 2018年 9月24日 サントリーホール

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舞台の上に、ともに白髪の指揮者とピアニストがいる。指揮者は英国人サイモン・ラトル 63歳。ピアニストはポーランド人クリスティアン・ツィメルマン 61歳。ともに現代を代表する音楽家である彼らが、東京・サントリーホールで共演した曲目は、ベートーヴェンでもブラームスでも、あるいはショパンでもラフマニノフでもない。バーンスタインの作品だ。聴衆たちの喝采の中、私はしばしそのことを考えていた。クラシック音楽と呼ばれる分野の音楽を私はそれなりに聴いているのだけれども、この分野はいかんせん、世間一般においてはマイナーなもの。この分野の音楽が今後どのくらい聴衆を維持して行けるかは、どんな音楽をどんな演奏で聴くことができるかということと、密接に関係しているだろう。ともに音楽家として、広い視野と、そして同時に強い信念とこだわりを持つこの 2人。別に現代が「不安の時代」であると決めつけるつもりはないが、このような人たちが真摯な演奏を続けてくれる限りにおいて、音楽界には希望があると思う。

そんなことを書いているのは、ベルリン・フィルの芸術監督を今年退任したラトルが、既に昨年 9月から音楽監督を務めるロンドン響と、早くも来日公演を行っているからである。自他ともに認める世界最高のオケであるベルリン・フィルの芸術監督とは、これまでは指揮者にとっての最終ゴールにふさわしいポストであった。だがラトルは 60代前半でそのポストを返上し、新たな活動に入ることを決めたわけである。もちろんロンドン響は英国でベストを争う、歴史から見ても能力から見ても、文句のない世界的な名門オケではあるが、それでもベルリン・フィルを辞することを決めたラトルがそこを次の職場に選んだときには、驚きの声が上がったものである。ラトルとベルリン・フィルの演奏は、過去 2回の来日公演をこのブログでも採り上げたし、先般 NHK でも芸術監督としての最後の公演であったマーラー 6番を放送していた。彼のベルリンでの業績や課題をここで繰り返すつもりはないが、私の思いを一言で表すとするなら、やはり既に退任の潮時であったということだ。これはラトルとベルリン・フィルとの永遠の別離でも何でもなく、お互いに新たな道に入ったということである。この写真は、ロンドン響の本拠地バービカンにおける両者の演奏会の様子。
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そんなラトルが今回そのロンドン響との初来日に際して選んだ曲目は、なんとも意欲的なもの。東京での最初の演奏会となったこの日の曲目は以下の通り。
 バーンスタイン : 交響曲第 2番「不安の時代」(ピアノ : クリスティアン・ツィメルマン)
 ドヴォルザーク : スラヴ舞曲集作品72
 ヤナーチェク : シンフォニエッタ

これをどう評したらよいだろう。まず最初は、今年生誕 100年を迎える米国のレナード・バーンスタインの作品。そして後半は、なぜかチェコ音楽である。しかも、ポピュラーな「新世界」などではなく、スラヴ舞曲の第 2集 (有名な数曲の抜粋かと思いきや、8曲全部の演奏だ!!)、そして大変な名曲とはいえ、別動隊のトランペットを必要とするヤナーチェクのシンフォニエッタ。これはオケにとっても負担が大きいし、動員の面でも些か不安はありはしないか。実際に会場であるサントリーホールに足を運んでみると、いつもベルリン・フィルなら空席はほぼゼロになるところ、さすがに今回は、ほぼ満席に近いとはいえ、当日券も販売されていたし、ところどころに空席がある。だがその演奏は、期待に違わず、新たなコンビの門出に相応しい新鮮さで、ツィメルマンのピアノともども、実に素晴らしい内容となった。これは今年の 6月、退任間近のラトルが、ベルリン・フィルのステージでツィメルマンとともに、やはり「不安の時代」を演奏したときの写真。
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バーンスタインのこの作品は、3曲ある彼の交響曲のうち、唯一ユダヤ教色がないせいだろうか、最近演奏頻度が増えてきた。いかにもバーンスタインらしい平明さと都会的な孤独感、そして未来への希望を感じさせる曲で、米国音楽の代表作のひとつに数えられる。ピアノが全曲を通して活躍し、淋しいモノローグから、先鋭的な音響、はたまたジャズ風のフレーズまで、様々な表情を聴かせる。ツィメルマンのような高い芸術性を持つピアニストとしては異色のレパートリーかと思えば、実は 1986年に作曲者バーンスタインの指揮で演奏し、映像が残っている。そしてその時のオケもやはり、ロンドン響であったのである。今回のプログラムに記載あるところでは、ツィメルマンはバーンスタインと、100歳の誕生日に共演しようと話していたとのことで、つまり彼は今回、バーンスタインとの約束を果たしているわけである。もちろんそのピアノは、多彩な音響を素晴らしい説得力で描き出していて、いかにもこの人らしい奥行きを感じさせた。一方のラトルとロンドン響も、冒頭のクラリネット 2本から大変鮮やかでかつドラマティックな音で鳴っていて、曲への共感に満ちていた。もともとこのオケは大変に柔軟性があって、映画音楽も多く手掛けてきているわけであるが、あたかも映画音楽的な要素もあるこの曲には、もったいぶったところのないこのオケの音がよく合っていた。そしてラトルも、これはどう聴いても彼独自のものである密度の濃い音を自在に鳴らしていて、なるほどこのコンビの共演は、このように鳴るのか!! と、大変新鮮に聴いた。これは上記写真でご紹介したベルリンでのライヴ録音。このジャケットを見て、バーンスタインがツィメルマンに乗り移ったように見えるのは私だけか (笑)。ついでに、髭を生やしていた頃のバーンスタインの映像もアップしておこう。
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上述の通り、後半 1曲目のスラヴ舞曲第 2集は、8曲すべてを演奏したのだが、ここではさらに指揮者とオケが自在に音を繰り出すことで、とにかく誰が聴いても楽しい音楽に仕上がっていた。8曲中有名なのは 3曲ほどであるが、ラトルは 40分ほどの全曲をすべて暗譜で指揮。オケが盛り上がる箇所では、まるでシンフォニーのような壮大な鳴り方で、これもいかにもラトル風の「音楽が牙を剥く」瞬間だ。そして、さらには最後のシンフォニエッタでは、舞台裏手のオルガン前に 9人のトランペット奏者がずらりと並んだ。こんな大人数だから、日本でエキストラを募っているのかと思いきや、一人も日本人はいない。今回この曲を演奏するために、これだけの人数の楽員を来日させたということだろう。私はもともとヤナーチェクは大好きだし、このシンフォニエッタはその中でも最もお気に入りなのだが、なにせこの編成では、それほど実演で耳にすることはない。外来オケによる演奏だけでも貴重な機会であるのに、これだけの強い表現力の線が一本通った演奏となると、なかなか聴けるものではないだろう。ラトルは若い頃からこの曲をレパートリーにしているだけあって、ここでも完全に暗譜での指揮ぶり。ウェットに歌う部分もあるが、テンポは概して速めで、この作曲家特有のワイルドさが炸裂する。クライマックスは鳥肌立つような迫力で、すべての聴衆を圧倒した。これは 1982年に彼がフィルハーモニア管を指揮した録音。未だ 20代の頃の、彼のレコーディングキャリアでも最初期に属するものだ。
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ここで冒頭の感慨に戻ろう。クラシック音楽の場合、どうしても過去の名曲を繰り返し聴くということになってしまうし、もちろん名曲は何度聴いても名曲だとも言えるのだが、やはり、曲の新たな面を発見できるような新鮮な演奏を聴く機会がないと、新たな聴衆など生まれようはずもない。その意味で、サイモン・ラトルが、ロンドン響を指揮して、クリスティアン・ツィメルマンと、バーンスタインのシンフォニーを演奏することに、何か素晴らしい意義があるような気がする。いつもながら、こんな音楽を聴くことができる東京の聴衆は、やはり恵まれていると再認識するのである。このコンビのほかの演奏も、楽しみである。

# by yokohama7474 | 2018-09-24 23:47 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ペトル・アルトリヒテル指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 2018年 9月23日 サントリーホール

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先に音楽監督上岡敏之の指揮で聴いた新日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「新日本フィル」) が、またまた意欲的な演奏会を開いた。今回指揮台に登場したのは、チェコの名指揮者ペトル・アルトリヒテル。今年 67歳で、これから指揮者としての円熟期を迎えるであろう人である。例えば今、Googleでこの人の名前を検索すると、音楽事務所ジャパン・アーツのホームページの次に出て来るのが、このブログの昨年 10月 1日付の記事である。それはこのアルトリヒテルが名門チェコ・フィルを率いて行った来日公演から、チェコの代名詞のような曲、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の演奏会であった。そして今回そのアルトリヒテルが新日本フィルとの顔合わせで振るのも、やはり同じ「わが祖国」。チェコの指揮者にとって聖典のようなこの作品を、今度は日本のオケを指揮して披露するにあたり、アルトリヒテルにはいかなる期待や疑念があったものだろうか。
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この曲に関して、上で「チェコの代名詞のような曲」とか、「チェコの指揮者にとって聖典のような曲」と書いたが、それは決して誇張ではない。ドヴォルザークやヤナーチェクやマルティヌーに先んじてチェコに現れたベドルジハ・スメタナ (1824 - 1884) は、まさにチェコ音楽の父と呼ばれるにふさわしい存在。中でも、6曲の交響詩を連ね、演奏時間 70分を要するこの「わが祖国」は、文字通り彼の晩年の代表作である。この曲がいかにチェコの人たちに大事にされているかということは、同国の首都プラハで毎年開かれているプラハの春国際音楽祭で、そのオープニングとして、スメタナの命日である 5月12日には必ずこの「わが祖国」が演奏されるという事実でも明らかだろう。もともとチェコ人は音楽を愛する人たちであり、また大国 (ハプスブルク帝国、ドイツ、ロシア=ソ連) によって度々領土を占領・侵略されて来たという苦難の歴史にあって、その燃えるような愛国心には凄まじいものがある。その意味で、愛国心の塊であるようなこの曲が、チェコの人たちの深い愛と尊敬の対象になっていることは、必然であると思われるのだ。これがスメタナの肖像。
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そして私は思うのだが、演奏を終えたときに指揮者アルトリヒテルの胸中を駆け巡った思いは、恐らく、「師であるヴァーツラフ・ノイマンからも話を聞いていた日本の聴衆の音楽の理解度と、日本のオケの水準の高さは、本当だった!!」といったものではなかったか。というのも、今回の演奏で前半 3曲を終えて休憩に入る際、聴衆の拍手が起こるよりも先に指揮者が譜面台をピシッと叩いて、何やら叫んだからである。そして、全曲を演奏し終えたあとは、コンサートマスターの崔文洙を力いっぱい抱きしめていたからである。実際にこの日の演奏は、最近の新日本フィルが有している高度な演奏能力がフルに発揮された素晴らしい名演であり、世界のどこに出しても恥ずかしくないようなものであったからだ。私は最近のこのオケの演奏を、とりわけ本拠地であるすみだトリフォニーホールで聴くときに、実に美しく響くと表現することが多いが、今回の会場であるサントリーホールでもその美感は同等であり、ただ単にきれいな音とか、迫力のある音ということではなくて、なんというか、曲の本質に切り込むような深い音が最初から最後まで聴かれたと思うのである。今回の演奏で印象的なシーンがある。この曲の冒頭、「ヴィシェフラド (高い城)」は、ハープ 2台によって始まるが、今回アルトリヒテルはそこで、全く指揮棒を振ることなく奏者たちに音の進行を任せたのである。決して気心が知れたとは言えないオケ (今回が初顔合わせ?) を相手に、このように思い切った任せ方ができるとは驚きだが、恐らくはリハーサルを通じて、彼にはそのような確信ができていたのかと思う。どんな人間でも、誰かに指示されてただ従うというのはあまり嬉しいことではない。冒頭のハープが自由に音楽を奏でたことが、今回の演奏の自発性につながったのかもしれない。そういえばアルトリヒテルは、昨年のチェコ・フィルとの演奏の際と同じく、今回も青い表紙の楽譜 (2分冊になっていて、恐らくは前半と後半で分かれているのか) を指揮台に置きながら、全く開くことなしに暗譜で振り抜いた。多分その楽譜は彼にとって文字通りの聖典なのであろう。前回も書いたことだが、一見学者風にも見えるこの指揮者、内部にたぎる情熱はすさまじく、またオケの推進力を自在に操るだけの技量を持った人なのである。
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ところで、この曲には有名な「モルダウ」も含まれていて、なかなかに起伏に富んだドラマティックな連作なのであるが、今回改めて思ったのは、ワーグナーを思わせる響きである。スメタナはワーグナーよりも 11歳下で、チェコ国外、例えばスウェーデンでも活動しており、その際にリストの交響詩から、標題音楽というヒントを得たという。だが、ただ標題性ということではなく、音響自体に、リストよりもさらに先鋭的であったであろうワーグナーの影響が聴こえるような気がする。例えば終曲の「ブラニーク」の冒頭間もない箇所は、まるで「ワルキューレ」第 1幕の前奏曲のようだ。ワーグナーの「指環」の初演は 1874年。この「わが祖国」の初演は 1882年だから、これらはほとんど同時代音楽と呼んでよい。だがここで注目すべきは、スメタナは「指環」初演の年である 1874年頃には聴覚をほぼ完全に失ってしまったという事実である。これは何を意味するかというと、あの西洋音楽において間違いなく最高の旋律のひとつである「モルダウ」も、そして、今日我々が耳にしてワーグナー風だと思う響きも、どうやら作曲者の内部で響いていたものだということだ。たまたま前項ではベートーヴェンのことを例に挙げたが、人間の能力は、何かハンディがあった方が先鋭化するのかもしれない。また、前々項ではフィンランドの人たちの誇りたるシベリウスの音楽について触れたが、この「わが祖国」はそれと同様に、チェコの人たちにとっての大いなる誇りである。そのような音楽を、ヨーロッパから遠く離れた日本のオケが実に見事に演奏するということも、少し大げさに言えば、人間の能力の素晴らしさを具現してるのではないだろうか。いや実際、しょっちゅうこのブログで唱えていることであるが、こんな音楽に日常的に接することのできる我々東京の聴衆は、本当に恵まれていると思うのである。

# by yokohama7474 | 2018-09-24 00:09 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ユベール・スダーン指揮 東京交響楽団 (ヴァイオリン : 堀米ゆず子) 2018年 9月22日 サントリーホール

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指揮者とオーケストラの関係はなかなか一筋縄ではいかないもので、かなり相性のよいと思われた組み合わせが長続きしなかったり、全く違う持ち味が意外としっくり行ったりということもある。また、あるオケの首席指揮者や音楽監督というポジションにいた指揮者が、退任後にそのオケの指揮台に頻繁に戻ってくるケースと、ほとんど戻って来ないケースがある。いずれにせよ、指揮者とオケの相性自体が、その時々でも変わりうるものであるだけに、音楽ファンとしては、様々な顔合わせで様々な曲を楽しみたいと思うものである。そこへ行くと、東京交響楽団 (通称「東響」) の前音楽監督である 72歳のオランダ人指揮者、ユベール・スダーンの場合は、2014年に音楽監督を退任後も桂冠指揮者としてこの楽団を時々指揮していて、その信頼関係には揺るぎないものがある。私の独断では彼はオーケストラ・ビルダーとして一流の手腕を持っていて、現在ジョナサン・ノットのもとで充実した活動に取り組んでいるこのオケの水準は、このスダーンの貢献も大いにあるものと思っている。そしてスダーンの場合、ブルックナーも振るし、フランス物も得意にしているが、やはりなんと言ってもウィーン古典派を聴いてみたい。私にとっては、彼はその分野を指揮する場合にその最良の部分が発揮される指揮者であるからだ。そして今回のプログラムはまさにそのウィーン古典派のみから成るもの。
 ハイドン : 交響曲第 100番ト長調「軍隊」
 モーツァルト : ヴァイオリン協奏曲第 4番ニ長調K.218 (ヴァオリン : 堀米ゆず子)
 ベートーヴェン : 交響曲第 6番ヘ長調作品68「田園」

うーん、実に見事にスダーンのよさが期待できる曲目ではないか。
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この人はもともと指揮棒を使わず、しっかりと譜面を見ながら指揮する人。加えて今回は、指揮台すらない。近代オーケストラの粋を聴かせるというのではなく、これらの曲が作曲された当時の古雅な響きを目指しているのだろうか。彼はモーツァルトの生地ザルツブルクのモーツァルテウム管弦楽団の音楽監督を長く務めた人であり、その功績によってザルツブルク名誉市民になっているような人なのである。ただ、彼の演奏はいわゆる古楽とかピリオド楽器とか言われるスタイルとは無縁で、ヴァイオリンは左右対抗配置を取らないし、ヴィブラートも結構かかっている。要するに、演奏スタイルがどうのこうのということではなく、ただ曲の魅力を最大限に発揮することだけが、彼にとっての興味の対象であると思う。

そしてその期待は裏切られなかった。ヨーロッパを遠く離れたこの日本で、このように充実したウィーン古典派の音が鳴っていることは、考えてみれば不思議なほどである。なんと言えばよいのか、ハイドンの最初から、弦も菅も、呼吸しながらともに音を作り出している感覚。このような高度な音楽は、ただ客席で聴いているだけでも、幸福感に満たされるのである。フルートとオーボエのかけあいから、軍隊調のトランペット、そして千変万化の表情を作り出す弦楽器の洒脱さまで、これは本当に楽しい演奏であった。このブログでは何度もご紹介しているが、今回のハイドンの演奏の後、スダーンが真っ先に立たせたのは、オーボエ首席の荒木奏美。今年未だ 25歳の若手だが、東京藝術大学を 2015年に首席で卒業した後、藝大の大学院に所属しながらもこのオケで首席を務めている。ということは、スダーンがこのオケの音楽監督を辞してから入団しているわけであるが、そのスダーンが、真っ先に立たせるだけの評価をしているということだろう。
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そして 2曲目はモーツァルトの 4番のヴァイオリン協奏曲。ソロを弾くのは、私としても久しぶりに聴くことになるのだが、日本を代表するヴァイオリニストである堀米ゆず子。今年 60歳になったが、1980年のエリーザベト王妃国際コンクールの覇者としての記憶も新しい・・・というのは言い過ぎか (笑)。このコンクールが開かれるベルギーに、今でも在住しているようだ。最近の写真はあまり多く見当たらないが、これは昨年、ピアニストのジャンマルク・ルイサダとともにブリュッセルで行った、東日本大震災の復興支援コンサート。
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このように髪に霜を置くようになった堀米であるが、久しぶりに聴くその音色は落ち着いていてしかも雄弁。例えばマールボロ音楽祭でルドルフ・ゼルキンと共演を重ねるといった、日本人奏者にはなかなかないような奥深い経験が、その音に現れていると思う。今回のモーツァルトは、あえて言えば室内楽的な親密さを感じさせるもので、何とも心に残るものであった。この日のコンサートは結構曲目の合計が長めであったせいか、今回はアンコールもなく、そのあたりも大人の呼吸が感じられた。数年前にフランクフルト空港で、関税の対象としてヴァイオリンが差し押さえられた事件は、これは冗談ではなく記憶に新しいが、その事件は無事に解決しているようだ。文化国家であるはずのドイツたるものが、一体何という恥知らずなことをしてしまったものか。

と、少しばかり息巻いてしまったが (笑)、この日のメイン、ドイツ人たるベートーヴェンの「田園」の演奏を思い出して、心を鎮めよう。この「田園」は、聴きようによってはかなり地味な演奏だったとも言えるかもしれないが、その瞬間瞬間に鳴っている音の、実に感動的であったこと!! これぞ西洋音楽の、そしてウィーン古典派の、神髄ではなかったか。最初から最後まで一貫した音色設計がなされていて、第 2楽章の小川沿いのたゆたいも、第 4楽章の嵐も、そして第 5楽章の神への感謝も、すべて、人間の感情が情景に託されたものであった。これだけ見事な古典音楽を、ヨーロッパから遠く離れたこの東京の地で聴くことが出来るのは、なんと素晴らしいことだろう。きっとこれを聴けば、ベートーヴェンも満足するであろうが、ちょっと待て。この頃のベートーヴェンは既に耳がほとんど聴こえなかったはず。孤立した世界にいた彼の内なる世界は、我々の想像を超えたものであったのだと思う。
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そもそも「田園」の終楽章は、かなり演奏が難しいのであるが、今回の演奏は実に素晴らしいもので、晴れ渡った青空に召されて行く魂が目に見えるようであった。こんな演奏をする東響も素晴らしいが、このスダーンが導く音の充実感に、けだし脱帽である。次回スダーンがこの東響の指揮台に帰ってくるのは、来年 6月。チャイコフスキーのマンフレッド交響曲がメインとなっていて、これもまた聴き逃すことができないものである。東京のオケは今後多様化して行くと思われるが、東響が培ってきた響きには、これまで共演した指揮者たちの美点が残っている。このスダーンも、これから一層円熟の境地に入って行くであろうし、まだまだ東響の指揮台に登場してくれるだろうから、それを楽しみにしたいものである。

# by yokohama7474 | 2018-09-23 22:35 | 音楽 (Live) | Comments(0)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 2018年 9月22日 NHK ホール

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パーヴォ・ヤルヴィと NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の今月の定期演奏会は、既にウィンナ・ワルツとマーラー 4番を組み合わせたプログラムをご紹介した。その後、サントリーホールを舞台に、シューベルト、ベートーヴェン、ハイドンに R・シュトラウスのホルン協奏曲 (ソロは名手ラデク・バボラーク) という内容の定期公演が開かれ、私はヤルヴィのハイドン (今回は 102番) には大変興味があったが、行くことができなかった。そして 3種類目の定期公演がこれである。最初に総括してしまうと、これは、パーヴォ・ヤルヴィという現代のトップを走る指揮者と N 響の組み合わせの最良の部分が出た、大変意欲的なプログラムであり、また充実した内容であったと思う。N 響の定期公演の場合、普通は独自のチラシが作成されない場合がほとんどだが、今回は上記のようなチラシが作成され、楽団としても宣伝に力を入れていることが分かる。ここであしらわれている白地に青い十字は、フィンランドの国旗であるが、その理由はもちろん、今回の演奏会がフィンランドを代表する作曲家、ジャン・シベリウス (1865 - 1957) の作品だけによるものであったからだ。
 レンミンケイネンの歌作品31-1
 サンデルス作品28
 交響詩「フィンランディア」作品26
 クレルヴォ作品 7

ここで何が注目されるかというと、すべてに男声合唱が入るということで、それをエストニア国立男声合唱団が歌う。もちろんエストニアはヤルヴィの故郷であり、この地の合唱団の力強さはつとに知られるところだ。
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今回演奏されたのはシベリウス初期の作品ばかり (いずれも 19世紀、つまりはフィンランドがロシアの領土であった時代に書かれている) で、有名な「フィンランディア」にも合唱が入るが、すべての歌詞はもちろんフィランド語。それゆえであろう、最初の 2曲は演奏そのものが大変珍しいし、演奏時間 70分を要するメインの「クレルヴォ」も、録音はともかく、実演に触れる機会は決して多くない。これは、世界的な活躍を続けるヤルヴィが、祖国の音楽家たちとともに、近い文化的土壌にある国の音楽を奏でるという、ローカリズムを打ち出した演奏会であるという点で、実に意欲的なプログラムと言えるのだ。だが、その「近い文化的土壌」とは、一口に言えば北欧ということになるが、エストニアを含むバルト三国とフィンランドの位置関係はどのようなものなのか。これが実に近く、それぞれの首都 (ヘルシンキとタリン) はバルト海のフィンランド湾を挟んだ対岸にあり、その距離はたったの 90km!! ほかのサイトから借用してきたこの地図で、その位置関係がよくお分かり頂けよう。またここでは、ロシアのサンクトペテルブルク、スウェーデンのストックホルムがその東西に位置することも分かるが、その事実が、この地域の文化的・軍事的な歴史と深く関わっているのである。
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ヤルヴィによると、エストニア語はフィンランド語の古語に、フィンランド語はエストニア語の古語に似ているというから、エストニアの人たちにとっては、これらフィンランド語の歌唱は親しみやすいものなのであろう。そして実際、その堂々たる歌唱には有無を言わせぬ説得力があって感動した。最初の「レンミンケイネンの歌」とメインの「クレルヴォ」は、フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」に基づくもの。2曲目の「サンデルス」は 19世紀初頭のスウェーデンとの戦争におけるヨハン・サンデルスという将軍の逸話を題材とし、「フィンランディア」はロシア帝国の圧政とそれからの解放をテーマとしている。上で書いた通りの、この地域の複雑な過去を知っていれば、曲のメッセージがより明確に分かろうというものだ。だが、例えば「レンミンケイネンの歌」は、まるでジークフリートの角笛を思わせる音型もあって、神話的なイメージもワーグナー的だし、「クレルヴォ」は、兄妹の姦通という点で「指環」に通じ、また音楽的にはシェーンベルクの「グレの歌」を思わせるようなところもある。もちろん、ワーグナーの「指環」はもともと北欧神話に由来したストーリーであるから、フィンランドの作品と共通点があるのには理由がある。ただそれ以上に思うことは、単に民族的なテーマだけなら、遠く離れた日本の聴衆が感動する理由もあまりないが、やはりこれらの音楽作品には、音楽としての普遍的な力があるからこそ、我々もそれを聴いて感動するのだというだ。ローカリズムが昇華してグローバルな説得力を持つという、好例であるだろう。

それにしても、ヤルヴィと N 響は相変わらず好調だ。例えば「フィンランディア」はもちろんシベリウスの全作品の中でも最も一般に知られたものであるが、後半の賛歌の部分に国を称える内容の歌詞が入ることで、その作品の持つ本来の力が自然に沸き起こるように感じる。それは、冒頭の暗い色調から勇壮な音楽を経てこの賛歌に辿り着く過程に、強い表現力が漲っているからだろう。素晴らしい演奏であったと思う。
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だがやはり圧巻はメインの「クレルヴォ」であったろう。私などはこの曲を「クレルヴォ交響曲」と呼びならわしているが、今回のプログラムにはその表記はなく、ただ「クレルヴォ」という題名だけになっている。作曲者自身も譜面の題名には「交響曲」という言葉は使用せず、「独唱者と合唱、管弦楽のための交響詩」としているというので、それが適切な表記なのだろう。大規模な編成で、しかも歌唱がフィンランド語ということもあって、実演を聴く機会はなかなかないが、興味深いことに東京では、昨年 11月にハンヌ・リントゥ指揮東京都交響楽団が演奏している。こんなことが起こる都市は、やはりここ東京だけであろう (但し私自身は、もう 30年以上前に渡邊暁雄指揮日本フィルで聴いて以来、実演を聴いた記憶がない)。録音でも、シベリウスの交響曲全集を録音した指揮者以外でこの曲を録音した人は、ほとんどいないのではないかと思うが、パーヴォは既に 1997年にロイヤル・ストックホルム・フィルを指揮して録音している。
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さすが 20年以上前からのレパートリーだけあって、その指揮ぶりから、作品の隅々までを熟知していることは、充分に知ることができた。いつもの通り長い腕を効果的に使ってオケの緩急を巧みにコントロールしていたが、曲に対する思い入れ、あるいは祖国の合唱団との共演といった要素が、その指揮を後押ししたと思われてならない。あらゆる曲想を鮮やかに描き出し、若き日のシベリウスの野心までをも明らかにした演奏であった。そして、合唱団もすごいが、独唱パートを受け持ったソプラノとバリトン歌手もすごい。全 5楽章のうち独唱が入るのは第 3楽章と第 5楽章であるが、独唱者たちは、第 3楽章で歌が始まる前に、ソプラノは下手から、バリトンは上手からそれぞれ舞台に登場し、暗譜で歌い切ったのである。そんなことができるのはフィンランドの歌手だけであろうが、確かにこの二人はフィンランド人で、国内外で活躍している。ソプラノはヨハンナ・ルサネン、バリトンはヴィッレ・ルサネンといい、あれ、同じ苗字だと思ったら、なんとなんと、姉と弟らしい。
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実はこの曲、1892年に作曲者自身によって初演されたあと、数回演奏されてから、封印されてしまったという経緯がある。理由は未だに謎だが、再演も出版も自分の存命中は禁じるという措置に出たという。従って作品の存在自体が幻になってしまい、作曲者の死の翌年、1958年になってようやく蘇演されたという。そもそもこのシベリウスという人、1957年に 91歳という長寿を全うしたにもかかわらず、その創作活動は 1925年頃以降、ほぼ途絶えてしまった。つまり人生最後の 30年ほどの間は、沈黙を保ったままであったわけである。若い頃の愛国的で熱狂的な作風は、年を重ねるとともに徐々に抽象化して行ったことは確かで、その先にはまだまだ前衛化の可能性があったかと思われるだけに、その沈黙は謎である。そんな謎めいたシベリウスの、愛国的で熱狂的な初期の作品、今回の演奏では充分に堪能することができた。作曲者がこんな演奏を聴いたら、「クレルヴォ」を封印することはなかったかもしれないと思う。これは「沈黙」の晩年、バッハ作品の楽譜を見るシベリウス。
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ヤルヴィの N 響への次回の登場は、来年 2月。ストラヴィンスキーシリーズの続きや、もしかすると世紀末ウィーンシリーズの続きかと思われる演奏会もある。楽しみに待つこととしたいが、実はその前に、もうひとつの手兵であるドイツ・カンマー・フィルとの来日もあって、この指揮者の持つ底知れない表現力に、これだけ触れることのできる東京の聴衆は、なんと恵まれていることだろうか。

# by yokohama7474 | 2018-09-23 18:00 | 音楽 (Live) | Comments(0)

長野県 諏訪湖近辺 その 2 諏訪大社下社春宮 (万治の石仏)、おんばしら館よいさ、諏訪大社下社秋宮

前項に続く長野県岡谷市とその周辺の散策である。前回は近代製糸産業の遺産を見たが、実はこの地域には、太古から文明が存在していた。この地域は要するに諏訪湖の周辺ということになるが、このあたりには何やら、通常の日本的な古代文化と違う匂いがする。つまりは狩猟民族の匂いである。私は随分以前に、茅野市にある神長官守矢史料館というところに行ったことがあり、藤森照信設計のその建物に、古代人の野性の声を感じたものだが、今回はそこの再訪はならなかったのでここでの紹介は割愛する。またこの茅野市では、先に東京国立博物館で開催された縄文展に出展されていた国宝指定の縄文時代の土偶 5点のうち 2点が出土している。ここには何やら我々の未だ知らない壮大な古代史が眠っているように思う。・・・と書いて思ったが、岡谷だ諏訪だ茅野だと言っても、その位置関係が分からない人もおられようから、以下の地図を拝借しよう。ここに「四社」と書いているのは、総称して諏訪大社と呼ばれる神社のこと。実はこの神社、上社と下社があり、上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれていて、合計で 4つの社が存在するのである。この地図の通り、岡谷市は諏訪湖の北西の方角で、諏訪大社の下社はそのすぐ東隣。一方上社の方は諏訪湖の南東で、茅野市の近く。
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私は以前 4社ともお参りしたことがあるが、今回は時間の関係で下社のみの参拝とした。それには少し付随的な理由もあるが、それは追って説明することとして、まずは最初に訪れた諏訪大社下社春宮である。
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この諏訪大社の創建は不明だが、日本最古の神社のひとつと言われているらしい。このあたりも、畿内の神社や、あるいは関東でも香取神宮や鹿島大社なら古い伝承や記録がもう少しあろうものだが、この諏訪大社の場合はあまりそれもなさそうだ。このあたりの謎めいた感じについては、この神社と古代史を語る書物もあれこれあるので、それによって想像力を広げることが可能である。例えば、私の手元にあるのはこんな本。あながち荒唐無稽な本ではないように思うが、もちろん学術的に証明されるか否かはまた別の話。
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この場所の古代史の真実がどうであったにせよ、今我々がこの神社に詣でて感じるのは、聖なる場所に対する敬意であろう。拝殿と門を兼ねたような幣拝殿と、その左右にある片拝殿が、重要文化財指定。
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そして、その建物群の左右に聳える 2本の柱は、枝を取り払い、皮も剥いてある。なぜに加工した柱を立ててあるのか。
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そう。もちろんこれらは、この地方に伝わり、6年ごと (寅年と申年、数えでは 7年に 1回) 開催される天下の奇祭、御柱 (おんばしら) 祭で曳かれた柱なのである。前面の 2本以外に、どうやら裏にも 2本あるようだ。御柱祭は、この諏訪大社 4社の宝殿の建て替えとともに行われるようであり、すべての社に 4本ずつ、合計 16本の柱が立てられる。この御柱祭ではかなりの頻度で過去に死者も出ており、その荒々しさは本当に凄まじいものだ。クライマックスの木落としはこんな感じ。次回の開催は 4年後の 2022年である。
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この祭の荒々しさを思って御柱を見ると、何やら身震いしてくる。死者を出してまでも人々をこの祭の熱狂に駆り立てるものは、一体何なのだろうか。
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さてここで、この諏訪大社下社春宮を訪ねたひとつの大きな理由について書いてしまおう。これは、私が今回岡谷近辺に立ち寄ろうと思った大きな理由。20年ほど前に一度訪れて、再訪したいと強く思っていた場所なのである。当時私たちは、未だ赤ん坊であった愛犬 (3年前に天国に行ってしまったビーグル犬、ルル) を連れてここに来たのだが、その際の記憶の通り、この春宮の横手に小川があって、こんな赤い橋が架かっている。
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そのとき私たちのビーグル犬は、この橋を怖がって渡れなかったことを昨日のことのように覚えている。足元から下の川が見えていたからかと思ったが、そこは鉄板であり、実際には川は見えない。だが、川の流れの音は聞こえてくるので、動物は本能的にそれを恐れるのであろうか。・・・と、亡き愛犬を偲んでいると、こんな注意書きが。人のノスタルジーに水を差さないで欲しいが、まあこれも切実な問題なのであろうか (笑)。
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さてこの橋の先に私のお目当てがある。これだ。
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これは一体何かというと、万治の石仏である。万治 3 (1660) 年に作られたと刻まれている、高さ 2.7mの石仏。日本には様々な石仏があって、中には国宝指定されているものもあるが、これは文化財指定はない。それは、一見すると素人が彫ったとしか思えないその素朴さが、いわゆる美的な価値に乏しいと学術的には判断されうるからだろう。だがこの石仏、一度見たら絶対忘れないインパクトがある。巨石には申し訳程度 (?) の仏の体が浅い線で刻まれ、その上に単純な造形の顔がチョコンと乗っている。そして、顔の中にデンと構える三角形の鼻は、なんとも異国的。
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年号である万治ならぬ「卍」が彫られているが、よく見るとこれはかぎ型が逆で、ちょうどナチスのハーケンクロイツと同じである。よく見ると「万治」の文字も見えるが、写真に撮るとちょっと分かりにくいか。
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ぐるりを回ってみると、より一層奇異な感じがする。これはどう見ても、巨石に頭が生えている感じだ。
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この強烈な仏さまには、我々現代人が普段忘れているような生命力があるように思う。この奇妙な石仏の存在感を 1970年代に絶賛した人がいて、その人の名は岡本太郎。そう、彼はまた、縄文土器の生命力を見出した人でもある。数々の貴重な縄文時代の遺跡が残るこのエリアに、こんなに破天荒で面白いものが作られたのも、その土地の精霊のなせるわざか。このような岡本太郎の手になる石碑も建てられている。それにしてもこの字、太郎の絵画そのままの躍動感ではないか。
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万治の石仏と 20年ぶりの再会を果たし、駐車場に戻ろうとすると、こんな建物が目に入った。
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その名の通り (「よいさ」とは祭のときの掛け声か?)、御柱祭に関する資料館である。規模はさほど大きなものではなく、比較的最近できたものであろうと思って調べると、2016年のオープン。中には、木落としを体験できるアトラクションや、祭の様子を再現したミニチュアなどがあって興味深い。今回は時間がなくて、駆け足の見学になってしまって残念。
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そして最後に向かったのは、諏訪大社下社秋宮。ここの駐車場はこんなだだっ広いが、実はこの場所、昔は武士の居城のあったところらしい。霞ヶ城 (別名手塚城) といい、木曽義仲の家臣であった、手塚太郎光盛の居城であったという。この光盛は義仲に従って源氏方として戦い、平家方の斎藤実盛を討ったが、実は実盛はもともと源氏方で、義仲の命の恩人であったという話が、平家物語のひとつのエピソードとしてあるらしく、能の「実盛」にもなっている。
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さてこの秋宮も、春宮と佇まいはよく似ている。ここでは、巨大なしめ縄を持つ神楽殿、そして、春宮と同じ幣拝殿と左右片拝殿が重要文化財。
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そしてここにも、御柱が屹立している。
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この諏訪湖近辺の土地は、日本の中でも有数の謎めいた場所であるように思われる。また機会があればさらに探訪してみたい。

# by yokohama7474 | 2018-09-22 23:57 | 美術・旅行 | Comments(0)


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