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井上章一著 : 南蛮幻想

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前の記事に引き続き、歴史を扱った書物である。ただ実際のところ、この本と、前回ご紹介した本との間にはいくつかの相違点がある。まず、前回のものが、書店で購入した比較的最近の本であったのに対し、こちらの方は、1998年発行の本を、最近古本屋で見つけて購入したものであること。もうひとつの違いは、前回は歴史を独学で学んだ著述家の書物であったのに対し、こちらは学者による書物であるということだ。それから、扱っている時代が違う。この書物は古代史ではなく、題名と、上に掲げた表紙写真からも明らかである通り、南蛮文化、すなわち近世になってから日本に入ってきたヨーロッパ文化を主たるテーマにしたものであるからだ。この南蛮文化は、私としては以前から大いに興味のある分野であり、また、著者があの井上章一ともなると、これはやはり読みたくなる。このブログでも、2016年 7月28日の記事で、彼の「京都ぎらい」という本を採り上げ、またその記事の中で、そもそもこの井上という人の名を知ったきっかけとして、桂離宮を美しいという思い込みは、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトが創り出したものであるという書物を著していることだと書いた。そんな彼が今から 20年前にこんな本を出していたとは知らなかった。Wiki で調べるとこの本は出版当時、芸術選奨文部大臣賞なるものを受賞している由。

この書物においては、日本に存在している、あるいはかつて存在していた建築や演劇、あるいは伝説などの中に、ヨーロッパ起源のものがあるのではないかという言説に対して、そのような論の発生や、それへの反論の歴史的経緯を探ることで、日本における西洋文明との対峙方法の推移が考察される。主として取り上げられる東西文明の交流は以下の通り。
・織田信長が作った安土城は、日本の城郭建築として初めて本格的な高層建築であったが、その設計にはキリスト教の教会に倣う部分が多く、つまりは日本の城郭建築はヨーロッパにその起源がある。一般の城で天守と呼ばれるメインの部分は安土城では「天主」と呼ばれ、これはそのままキリスト教の神のことである点、その証左である。
・日本庭園に時折見られる織部灯籠と呼ばれるスタイルの灯籠には、キリスト教のモチーフが見られる。これは禁教時代にキリシタンがカモフラージュとして作ったものである。
・幸若舞の演目に「百合若大臣 (ゆりわかだいじん)」というものがあるが、その内容は古代ギリシャのホメロスによる「ユリシーズ」と、題名を含めて細部まで類似点があり、これは近世にヨーロッパから日本にもたらされたものである。
・聖徳太子に重用された渡来人、秦河勝 (はたのかわかつ) はネストリウス派キリスト教 (景教) を信仰していたユダヤ人であり、秦氏が住んだ京都の太秦 (うずまさ) にはその痕跡がある。

これら以外にも、聖徳太子が馬小屋に生まれていることはキリストの伝記に由来するものであること、あるいは法隆寺などに見られるエンタシスという中間部の膨らんだ柱の形態が古代ギリシャ由来であること、また、毛利元就が死ぬ前に息子たちに諭した三本の矢の逸話は、実はヨーロッパ起源であること、などの説も言及されている。要するに、ユーラシア大陸の東の端と西の端に遠く離れて存在する日本とヨーロッパに、様々な共通点が見られるということである。ここで井上は、特に安土城の天主の話と百合若大臣の話に多くのページを割いて、それらの論がいついかなるかたちで登場し、また時勢に応じて変貌して行ったかということを詳しく述べている。

このブログでは既に、安土城も太秦も採り上げている (2016年 7月22日の記事と、2018年 2月 4日の記事)。せっかくなので、それぞれの記事から、安土城の想像復元模型 (吹き抜け構造がヨーロッパの教会の模倣か?!) と、太秦の蚕の社にある三柱の鳥居 (三位一体を表すのか?!) の写真を再録しておこう。
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私自身は、以前もどこかの記事で書いたことがあるが、日本とヨーロッパは遠く隔たってはいても、ユーラシア大陸という巨大な土地でつながっていて (まぁ、厳密には日本に来るにはどのみち最後は船が必要だが)、実は文明の根底のところで共通するところがあってもおかしくない、どころか、その方が自然であると思っている。ただ、時代が下るにつれ、キリスト教ならキリスト教、仏教なら仏教が、それぞれに巨大宗教としての発展を遂げたことに加え、社会の成り立ちや気候風土によって、東西の違いがより大きくなって行ったわけであろう。この「南蛮幻想」においては、20世紀初頭の頃、つまり日本が近代国家として先進国に追いつこうとしていた頃に、安土城や百合若大臣という題目を通して、日本とヨーロッパとの過去の交流についての論説が盛んになったことが、詳細に述べられている。つまり、ユーラシア大陸の東の果ての島国である日本にも、ちゃんとヨーロッパの文明がもたらされていたという事実を認識したいという欲求があったということだろう。これは私の大好きな (?) 日ユ同祖論 (日本人の祖先がユダヤ人であるという説) などと同様の心情によるものだろう。日本は遅れた三流国ではなく、ちゃんと先進地域であるヨーロッパと根幹でつながっているのだという思いである。この書物においては、柳田邦男や折口信夫、坪内逍遥や新村出といった、よく知られた名前から、歴史学の専門家なら知っているであろう学者の名前、あるいは無名な地方の歴史研究者の著作まで、様々な人たちの名前が出て来る。そして、日本の近代化時代から戦争に向かう時代、敗戦、復興という歴史の中で、この種の議論の主流が移り変わって行ったことが述べられている。そこから学ぶことができるのは、学者とても人間であり、時流におもねて忖度する人もいれば、「こうあるべし」という自分のイメージから逃れられない人もいる一方で、学問的真実を探求する気概の人もいる、ということだ。私がそれを読んで感じたのは、学問であってもやはり、何らかのファンタジーとかイマジネーションが研究の動機づけになる場合もある、ということだ。だが、真実の探求には厳密さが求められ、そこには果たしてロマンが必要か、という観点も重要であり、この書物における井上は、あちこちに目線を飛ばして、様々な論者たちの立場を慮っているのである。そのロジックの運びはかなり目まぐるしいが、考えさせられる点は多い。ところでこれが、織部灯籠と言われるもの。果たしてキリシタンの手になるものだろうか?
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この本に書いてあることから少し離れるが、東西の文明の影響関係について、私が知識として知っている例を挙げておこう。例えば仏像の起源。ガンダーラ地方で仏像が初めて作られたという説をよく聞くが、ここで作られた仏像は、明らかにギリシャ彫刻の影響を受けたもの。その一方で、マトゥーラという土地こそ仏像発祥の地だという説もあり、そこでの作風は純粋にアジア的だ。ヨーロッパの学者は前者の説を、アジアの学者は後者の説を支持するのが通例だという。あるいは、こんな話はどうだろう。なぜ中国にラーメンがあり、イタリアにスパゲティがあるのか。中国人は、自分たちが発明した麺がヨーロッパに伝播したのだと言い、イタリア人は、もちろんイタリア人が麺を中国に伝えた (具体的にマルコ・ポーロの名前が出るときもある) のだと言う。自国の文明の正当性や優位性を唱えたいのは、どの国民も同じということだろう。これらを通じて私が面白いと感じるのはやはり、この巨大なユーラシア大陸における文明の広がりという点、そこに尽きる。実際の伝播の時期や手段については謎はつきまとうし、類似はただの偶然ということもあるだろう。だが、重要なのは、人間の営みには、時代も場所も越えた共通性があるということではないだろうか。ここに歴史のロマンがあり、文明のダイナミズムがある。この本によって、そのようなことを考えさせられた。

ただ、この本にも難点はある。2段組構成で 400ページを超える本だが、実のところ、大変に読みにくいところがあるのだ。それは、安土城なり百合若大臣なりについて、過去の言説をあれこれ紹介してくれるのはよいのだが、同じ説明が何度も何度も出て来るし、時間軸もかなり柔軟に前後する (上記で「目まぐるしい」と書いたのはこの意味だ)。同じ名前、同じ論説、同じ背景説明が何度も繰り返されるが、その先の続き方が違っている、そんな箇所が実に多く出て来るのだ。これでは、読者は混乱してしまう。正直、この本に書いてある内容は、さらに切り詰めて、時間軸を明確にし、反復を取り除いて記述することができるだろう。そうすると、こんな立派な本ではなく、新書 1冊に収まるくらいの分量になるのではないか。その方が、読む方としては有難い。それから、ここで紹介されているのは過去の言説の流れであり、著者の井上はそれに対する評価を都度書いてはいるのだが、その書き方に遠慮があったり、「〇〇と取れなくもない」とか「〇〇ではないかもしれないが△△かもしれない」という、なんとも曖昧な表現が多くて、正直その点には、読んでいるうちに苛立ちを覚えてくる。また、他人の考えを評価してはいても、自分自身の考えを書いていないケースがほとんどである点も、その苛立ちを助長するケースがある。もっとも最後の点については、この本は他者の考えの評価が主眼であるので、自分の考えを書いていないという批判は甘んじて受ける、という内容のことを明確に記載している。

こんな具合に、その表現方法にはいろいろと疑問もあるものの、ユーラシア大陸の雄大さを思い、人間の営みの歴史を感じる材料を沢山含む本であることは確かであると思う。ロマンなしには、学問の発達もないと、やはり考えてしまう私であった。

by yokohama7474 | 2019-03-19 22:52 | 書物

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文化に興味を持つと、自然な流れで、歴史にも興味が出て来るものである。というのも、連綿と続いてきた人間の営みの結晶が文化であるならば、その文化を生み出した歴史的背景を知ることで、理解が深まり、そのことによってまた一層、文化への興味が増すからである。なので、私もこれまで、硬軟取り混ぜて、歴史に関するあれこれの書物を読んできたものである。だが、私はもちろん歴史の専門家ではないし、あまり小難しい書物を読む根気も時間もないので、書店 (最近では数は減ってしまったが、それでも大型書店で書物との偶然の出会いを持つことは未だ可能である) で目についた面白そうな歴史についての本を、興味の赴くままに購入するというのが、せいぜいである。あるいは、時には古本屋で、それまで存在を知らなかった同種の本との出会いを持つというのも、学生時代から今に至るも変わらぬ、私の大きな喜びなのである。ここでご紹介するのは、2016年に発行された比較的新しい本である。

私がこの本に興味を持った理由はふたつ。まずひとつは、この関裕二 (1959年生まれ) という著者。私は過去にも、この人の書物を何冊か読んでいる。それについてはあとでまた触れるとして、もうひとつの理由を書いておくと、表紙や帯に踊るコピーを見る限り、この本は、どうしても西日本中心に考えられがちな日本の古代史において、東日本にスポットを当てているようであること。たまたま自分が東京に暮らしていて、東京の文化イヴェントに日々触れる中で、東日本にある歴史的な場所の探訪も、私の大きな興味の対象である。それゆえ、古代における東日本の位置づけには、最近ちょっと敏感なのである。だが、どうだろう。一般的に言って、日本の古代史の舞台はもっぱら近畿か北九州、あるいは出雲といった西日本というイメージがあることは確かである。もちろん、ヤマト政権は現在の奈良県にあったわけだし、邪馬台国だって、伝統的に近畿説か北九州説のいずれかと相場が決まっている。だが、関東をはじめ東日本には、実は大変多くの古墳があって、古代において既に大きな勢力があったことを示している。そして、これは以前も書いたことがあるが (2017年 3月 4日の、東京国立博物館における春日大社の展覧会の記事において)、藤原氏の氏神として大変に古い歴史を誇るあの春日大社の祭神は、なんと、現在の茨城県にある鹿島から、奈良の地に降り立ったというのである。これはつまり、奈良よりも茨城の方が、歴史が古いということを意味しているのでは? なんと意外なことだろう。そもそも茨城県が日本史に出て来るのは、あの平将門が 940年に反乱を起こすのが最初ではなかったのか。これは国貞描くところの将門。
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さて、この関裕二の「闇に葬られた古代史」も、まさに将門のことから話は始まる。なぜに将門は乱を起こし、そしてその祟りが今でも恐れられているのか、といった点から、古代の歴史において「東」は、「西」に対する恨みがあるのだと、著者は話を進めて行く。その内容をここで要約するのは容易ではないし、それこそこのブログがいつも避けているネタバレになってしまうので (笑)、それはしないこととするが、要するに、「東」はヤマト政権確立に貢献があったが、何らかの事情でその存在を歴史から抹殺されてしまった。それゆえに将門に象徴される「東」の復讐を「西」は非常に恐れたのである、というのが関の主張である。本書の中においては、邪馬台国ではないかという説もあながち信憑性がないではない纏向遺跡の発掘における発見や、以前は明確であった縄文時代と弥生時代の区別が曖昧になってきていること、あるいは日本人の祖先を探る DNA 調査など、最近の研究成果も取り入れられていて、その点はなかなか面白い。そもそも日本の古代史には謎が多すぎて、最近でこそ上記のような研究が進んできたとはいえ、やはり古代史の闇は依然として深いと思うのである。それゆえ、様々な仮説が (たとえそれが荒唐無稽なものであっても) 成り立つ余地があるのではないか。よく日本の歴史学は文献偏重であり、書かれていることを妄信していて、イマジネーションを欠いているという批判を耳にするが、確かに伝統的な歴史研究は、「古事記」「日本書紀」等の書物に書いてあることをまず正として行われてきた、というイメージがある。関裕二という人はその点、独学で歴史を学んだ人だけあって、非常に豊かなイマジネーションを駆使して、自由な発想で古代史の闇に斬り込んでいる印象だ。実はこの人の著作は、1991年の「聖徳太子は蘇我入鹿である」というデビュー作以来、大変に多い。実は私もそのデビュー作を、発表後 10年以上を経てから、その題名のインパクト (笑) におおっと思って、買ってしまった口なのだが、古代史についての著作ばかりこれだけ多く執筆しているということは、結構な数の読者に支持されているということだろう。それにしても、聖徳太子の正体やいかにいう疑問は、確かに古代史における大きな検討ポイントではあるだろう。
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ネット上でこの著者の名前を検索すると、かなり否定的なトーンの言説も多く目にすることになる。だが私が面白いと思うのは、きっと専門の歴史学者からは相手にされないであろう大胆な仮説を、これだけ手を変え品を変えて世に問うという度胸である。もちろん学問の世界になれば、仮説の論拠にはかなりの厳密性が求められるので、我々が文庫や新書で気楽に読む本とは、それは別次元の厳しい目にさらされるであろう。だがその一方で、我々一般人にとっては、古代史の闇が深ければ深いほど、この関裕二のように、平易な言葉で面白い仮説を立ててくれる人の本に興味を抱くことになるのである。いやもちろん、その私とて、例えばこの本を読んでいて、すべて納得、目から鱗、全部信じます!! ということには正直ならないが、それでも、「なるほど、そういうことがあったら面白いなぁ。意外とそれが真相かも」と感じる瞬間が沢山ある。だからこそ私は、この人の本を何冊も読んでいるのである。専門の歴史家の方々は、彼の説を荒唐無稽と否定する、あるいは無視するのではなく、是非、古代史の闇を取り払って真実を明らかにすることで、本格的な学問の意義を主張して頂きたい。

そういえば、日本有数のパワースポットとして有名な将門の首塚は大手町にあるが、隣接する三井物産本社のビルが現在建て替え中である。首塚はどうなっているのだろうと思って調べてみると、やはりこの地区の再開発の対象外となっている。つまりは、そのまま維持されるということであろう。というわけで、これは芳年描くところの将門。「東」を代表する荒ぶる魂は、神田明神の祭神でもある。これからも東京を守護してくれるであろうか。
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by yokohama7474 | 2019-03-18 21:46 | 書物

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ジェローム・ロビンス (1918 - 1998) は米国の有名なダンサー・振付師である。この本の題名は、この人の死を告げるもので、何やら目を引く強烈さがある。そして副題は「ミュージカルと赤狩り」。赤狩りと言えばもちろん、米国 1950年代を激しく吹き荒れた、共産主義者たちを敵視する運動である。映画界における赤狩りの逸話は、その行動が英雄視されているハンフリー・ボガートや、その逆に裏切り者というイメージが定着してしまったエリア・カザン。また、その生き様が映画となり、このブログでも採り上げた脚本家ダルトン・トランボなどの名前を思い出すことができるし、その赤狩りの嵐がいかにひどいものであったのか、ある程度は常識の範囲でもイメージを持つことができる。だが、ミュージカルの世界と赤狩りとの関連については、それほど知られてはいないのではないだろうか。考えてみると、1940 - 50年代はまたミュージカル映画の全盛期。ステージでミュージカルに関わった人たちが、同じ作品の映画化に関わることは多かったに違いない。それゆえ、同じショービジネスであるミュージカルの世界にもやはり映画同様、赤狩りの嵐は吹き荒れたということだろう。この本は、1998年に亡くなったジェローム・ロビンスの訃報を新聞で見た筆者が、彼を巡る赤狩りの運動について調べ上げた労作である。私の手元にある本は 2008年の初版であるから、訃報から 10年の歳月を経て、ようやく世に出たことになる。

ではなぜ私がこの本に興味を引かれたかというと、もちろんその名前を知っていたからであり、ではなぜに知っていたかというと、もちろんこの作品によってである。
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1961年の映画、「ウエストサイド物語」である。ロビンスはこの作品の舞台版における振付師であり、この映画でも振付を担当して、ロバート・ワイズとともに共同監督にクレジットされているし、アカデミー監督賞も受賞している。この映画や、その原作の舞台作品については、このブログでも記事を何度も書いているが、それはもう、歴史に残る傑作であることは間違いなく、そしてそこには必ず作曲を担当したレナード・バーンスタイン (1918 - 1990) の名前がついて回る。これまでにバーンスタインの伝記を何冊も読んでおり、ドキュメンタリー作品も何本も見ている私であるから、彼の複雑なメンタリティにはそれなりのイメージがある。彼が終生貫いたリベラリズムというものは、この作品が作られた頃には、政府から危険なものとみなされたことも知っている。だから私はこの本を読むことで、赤狩り時代の米国についてさらに知りたいと思った以上に、バーンスタインという人物についての側面からの理解を深めたいと思ったのである。

さて、このロビンスとバーンスタインが大変に親しい仲であったことはよく知られている。2人は同い年 (ともに昨年が生誕 100年) であり、ともにユダヤ人であった。まずこれは、1943年に初演されたバレエ「ファンシー・フリー」の舞台セットで。もちろん右端の水兵姿がロビンス、左端の燕尾服がバーンスタイン。ともに未だ 20代である。
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これはその「ファンシー・フリー」を原案にして 1944 年に制作されたミュージカル「オン・ザ・タウン」(のちに映画化された作品の邦題は、「踊る大紐育」) の稽古場の風景。左からバーンスタイン、ロビンス、そして脚本家のベティ・カムデンとアドルフ・グリーン (この 2人の名前は、バーンスタインの伝記でおなじみだ)。この写真自体が、まるでミュージカル映画の一場面のような和気あいあいぶりである。しかしこれって、未だ戦争中の頃である。こんな国を敵に回して日本は戦っていたのか・・・。
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これは 1957年、ミュージカル「ウエストサイド・ストーリー」の練習風景。
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さらに時が経って、これは 1980年のツーショット。
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この二人の共通点には、実は性的嗜好というものもあったらしく、この本にもそのあたりは赤裸々に書いてある。そのような嗜好を持つユダヤ人で、かつ一時期は共産党員であったというロビンスは、その時代においてはなかなかに厳しい環境に置かれていたことは、容易に想像がつく。だが、そこはやはりアーティストである。男色家であったり左寄りの思想を持っていることは、その個性の表れであったと解することはできよう。ただこのロビンス、非米活動委員会という赤狩り組織の一室で、1953年 2月に公開証言を行っていて、その中で、以前の共産党の仲間の名前を告げる ("naming names" というらしい) ということを行っている。つまりは、エリア・カザンのやったことと同じである。そのことについては、後の時代になってからあれこれ非難するのは簡単であるし、そのことだけで彼の人格や才能を否定できるものではないので、ここではただ、そのような状況に置かれたロビンスの心情がいかなるものであったか、という想像だけをしておこう。尚ロビンスは、上記のバーンスタイン作品の振付だけでなく、その後「王様と私」「ジプシー」「屋根の上のバイオリン弾き」などの振付によって、ブロードウェイのレジェンドになって行く。仲間への「裏切り」ともみなしうる "naming names" が非難されたり、活動自体が停滞することはなかったわけだが、それは考えてみてば当然で、政府の方針に従って、「米国人として正しいことをした」という整理をすれば、非難されるいわれはないということだったのだろう。重いテーマである。

この本の筆者、津野海太郎 (つの かいたろう) は、もともと演出家であり編集者であり評論家であるという (現在も 80歳で活躍中)。幼い頃に見たミュージカル映画、特に「踊る大紐育」(1949年制作、日本公開は 1951年) に胸躍らせたことから、ジェローム・ロビンスへの憧れが生じたらしい。この映画 (私も若い頃、リバイバルで劇場で見て、そのレトロな邦題作品が、まさかバーンスタインの「オン・ザ・タウン」だとは、その時気づいてビックリしたことを覚えている・・・但し、映画においては、バーンスタイン作曲の楽曲は一部のみ) はそもそも、ハリウッドの大手映画スタジオが歴史上はじめて、歌や踊りのにぎやかなミュージカル・シーンを撮るべく、ニューヨークの市街地に大がかりな撮影チームを送り込んだ映画であったとのこと。左からジーン・ケリー (本作ではスタンリー・ドーネンとともに共同監督)、フランク・シナトラ、ジュールス・マンシン。
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実は筆者の津野は、この映画に心ときめかしてから 10年後の 1961年に公開された、同じ振付師、同じ作曲家、同じニューヨークが舞台の「ウエストサイド物語」の暗い内容を見て、「かつて映画版『踊る大紐育』が野放図に放射していたような幸福感のかがやきはカケラも存在していなかった」と語る。これは確かにそうであり、考えてみれば大変に象徴的なことだ。その 10年の間にこそ、マッカーシズム、赤狩りの嵐が吹き荒れたわけである。これらのミュージカル作品を漫然と見ている際にはそんなことには思い当たらなかったが、やはり時には歴史を振り返ってみるものである。そしてまた津野は、ロビンスについて、「共産党入党にせよ非米活動委員会での裏切りにせよ、それが私の遠い記憶に残る『踊る大紐育』以下のミュージカル映画の底抜けに明るく開放的なイメージとは、あまりに異質なできごとであった」とも語っている。ここに、50年代米国の光と影を見ることができる。光が強いほど影は濃くなるし、善悪の基準は、様々な要素によって移り変わるもの。それを考えると、実に複雑な思いに駆られる。この書物は、あれこれの資料を渉猟して、ロビンス本人やバーンスタインだけでなく、その他の多くの有名無名の俳優たち、アーティストたちの生き様にも光を当てていて、大変に示唆に富んでいる。ただ難を言うなら、詳しい情報の途中で話題が飛んだり、時系列が前後することも多く、内容がすんなり頭に入って来ないきらいはある。ただ、筆者のミュージカルへの深い愛や、真実に迫ろうという探求心には、大いに敬意を表するべきであると思う。

上で、共産党員で男色家でユダヤ人という「三重苦」について触れたが、バーンスタインは共産党員ではなかったようだがそれに近い存在で、実はほかにも何人かそのような文化人がいる。そのひとりが、バーンスタインとも終生の友情で結ばれた、作曲家アーロン・コープランドである。この作曲家は、私の知る限りミュージカルこそ書いていないが、アメリカ音楽というものの性質をはっきりと打ち出したことで、やはり音楽史に大きな足跡を残していると思う。本書でも何度もその名が登場している彼についても、近く語ることになるような気がすると書いて、この項を終えたいと思う。

by yokohama7474 | 2019-02-07 00:04 | 書物

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江戸川乱歩が 1960年に選んだ過去の推理小説、探偵小説の短編のアンソロジーで、創元推理文庫のロングセラー。5冊シリーズの 3冊目である。このブログでは、2018年 4月 5日に第 1集を、9月15日に第 2集をご紹介しているので、ほぼ 5ヶ月に 1冊のペースで読み進んでいることになる。なかなか読書の時間を確保できない日々の生活において、少しのこだわりをもってシリーズ物を読み進めることは、多少時間はかかろうとも、それなりに意味のあることだと、自分では思っている。

19世紀後半の作品から始まったこのアンソロジー。今回もまた、大変に充実した以下の 10作品から成っている。第 1集からずっと一貫して、掲載作品の配列は、書かれた年代順になっているのである。
 キプロスの蜂 (1925年作) : アントニー・ウイン (1882 - 1963)、英国
 堕天使の冒険 (1925年作) : パージヴァル・ワイルド (1887 - 1953)、米国
 茶の葉 (1925年作) : エドガー・ジェプスン (1863 - 1938) & ロバート・ユーステス (1854 - 1943)、英国
 偶然の審判 (1925年作) : アントニー・バークリー (1893 - 1971)、英国
 密室の行者 (1925年作) : ロナルド・ノックス (1888 - 1957)、英国
 イギリス製濾過器 (1926年作) : C.E.ベチョファー・ロバーツ (1894 - 1949)、英国
 ボーダー・ライン事件 (1928年作) : マージェリー・アリンガム (1904 - 1966)、英国
 二壜のソース (1928年作?) : ロード・ダンセイニ (1878 - 1956)、アイルランド
 夜鶯荘 (1928年作?) : アガサ・クリスティ (1890 - 1976)、英国
 完全犯罪 (1929年作) : ベン・レイ・レドマン (1896 - 1961)、米国

今回は半数の 5作が 1925年の作品で、そこから 1929年までの間に書かれた作品が集められているので、いわばすべて同時代の作ということになる。この年代はつまり両大戦間であり、大国間の衝突が一旦静まったあとに都市文明が発達した時代であるからして、大都市における人と人の対立や憎悪といった人間的要素が殺人事件に発展する可能性を持っていたという面が、あるのかもしれない。だが、第 2集を思い出してみると、そこでは電話や列車や、電気そのものの使用によるトリックが結構あったが、今回はそのような近代性よりもむしろ、素朴なトリックが多いという印象がある。あるいは、トリックそのものよりも、人間心理の機微が面白いというタイプの作品と言おうか。

それぞれに個性的な 10作品であるが、誰もが唸るであろう作品はやはり、後のミステリーの女王、アガサ・クリスティの「夜鶯荘」であろう。
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これは謎解きの面白さというよりは、意外性を持つクライム・ストーリーであり、それこそやはり、人間の恐ろしさを思わせる、実に震撼すべき短編である。ストーリーは、長年付き合った男性ではなく、最近目の前に現れた男性と結婚した女性が、夫の行動に不信を抱き、また恐れを抱くようになって、ある夜、元彼に助けを求めるのだが・・・というもの。これ以上語れないのが残念ではあるが、例えば何でもない夫の一言が、一旦不信にとらわれると、何か恐ろしい意味を帯びてくるあたりの描写は、実に秀逸としか言いようがない。また、助けを求める電話で SOS を伝えるシーンも手に汗握るのだが、いやいや、この作品の真価は、なんといっても最後の 2ページにある。追い詰められた主人公に迫る危機。そして・・・あなたは驚愕し、もしかすると私のように、声すら上げるであろう (笑)。そこに至れば、それまでのシーンの位置づけも変わってきてしまうのである。本当に恐ろしい作品である。尚題名にある「夜鶯」とはもちろんナイチンゲールのことであるが、原題には Philomel とある。これはギリシャ神話のピロメーラーという女神に由来する言葉で、姉たちとともにひどい目に遭い、ついには鳥に変えられてしまった女神であるという。因みにこのクリスティの「夜鶯荘」、1937年、及び 1947年に映画化されているようだ。"Love from a Stranger" という原題であり、その最初のものは今や YouTube で全編見ることができるようだし、それから、1943年にあのオーソン・ウエルズがラジオ・ドラマ化したものも、YouTube で音声を聴くことができる。当時からそれだけ強烈な作品であったということだろうし、今読んでもその強烈さは些かも弱まってはいない。これは 1937年の映画から。
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さて、今回の作品集には、よく見てみると、密室物が多い。動物を使ったもの、エキゾチズムを活用したもの、古代の遊戯を題材にしたもの、そしてそのものずばり、完全犯罪についての探偵の美学をそのキーとして設定したもの等々。それらに加えて私が「おぉっ」と思ったのは、「茶の葉」という作品である。この作品のトリックは、私が子供の頃読んだ探偵クイズ本には、必ずと言ってよいほど載っていたものだ。大人になってからの私は、「そんな凶器をそんな場所に持ち込めるなら、いっそ人気のない場所でブスリとやった方がよっぽど確実だろう」と思い続けてきたのだが (笑)、このオリジナルを読んでみると、なるほどトリックだけではなく、人間模様も描かれている。なかなかに余韻の残る作品である。

それから、「偶然の審判」という作品も、滅法面白い。これは、どうやら毒入りチョコレートによって殺されたとおぼしき婦人が、一体誰によっていかに殺されたのかの謎解きを描いた作品であるが、途中でなんとなくネタが分かってくる。だがそれでも、最後の 3行は、実に痺れる。これぞ古きよき探偵小説である。ここでも私は、「おおっ」と声を上げそうになってしまった。実はこの作品の作者アントニー・バークリー (本名 Anthony Berkeley Cox = 頭文字が ABC) は、この「偶然の審判」の 4年後、1929年に、その名も「毒入りチョコレート事件」なる長編をものしているらしい。当然これは、この短編の焼き直しであろう。だがそこでは、「犯罪研究会」なる素人探偵 6人が、それぞれの推理を展開するという。やはり創元推理文庫に入っているので、いずれ読んでみたいものだ。
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さてそれから、どうしても触れざるを得ないのは「二壜のソース」なる異端作品だ。この本に掲載されている、編者江戸川乱歩の説明を引用しておこう。

QUOTE
本編は、いわゆる推理小説でいう「奇妙な味」の代表作である。「死体の隠し場所」のトリックがふくまれているが、トリックというにはあまりにも意味深長な最後の一行ではある。
UNQUOTE

ここでその最後の一行も引用したい誘惑に駆られるが、読んでいない人にはさっぱり分からないし、読んだ人には自明であるから、やめておこう。題名にある通り、これはソースの行商人が語る、どうやら殺人事件とおぼしき事件の経過を聞いて、友人がいわゆる車椅子探偵として、その謎に迫るという構成。うーん、なぜにソースの行商人なのか。調理せずとも、かければ味が出るということなのか・・・。す、すみません。ちょっと気持ち悪くなってきました (笑)。まぁこんな、小さいソースの容器 400個も、普通の人なら要らないはずですが。
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それにしても両大戦間に書かれた欧米の推理小説のレヴェルの、なんと高いこと。そして、翻って考えてみるに、欧米でこのような面白い作品が生まれていたちょうどその頃、日本でも負けじと推理小説が書かれていた。そんな時代に傑作を著したのは、ほかならぬ江戸川乱歩である。そう、今調べてみて分かったことに、例えば夢野久作の代表作「ドグラ・マグラ」も、その原型小説が書かれ始めたのは翌 1926年。小栗虫太郎とか久生十蘭、横溝正史らも 1925年には未だデビューしていない。乱歩のデビュー作「二銭銅貨」は 1923年の作。その彼は 2年後の 1925年に、「D 坂の殺人事件」「心理試験」「屋根裏の散歩者」などの名作を立て続けに発表しているのである。それは実は、かなりすごいことではないだろうか。乱歩はアガサ・クリスティよりも 4つ若いだけの、同世代。クリスティの盛名を知りながらこのようなアンソロジーを編集する過程で、自らの創作をどのように振り返ったものであろうか。そして日本が誇るそのような彼の作品群は、海外でどのくらい紹介されているのであろうか。乱歩作品は、きっと現代でも、海外の人たちに受容される余地は大いにあると思うのである。
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by yokohama7474 | 2019-02-02 22:45 | 書物

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しばらく前の、秋山和慶指揮東京交響楽団による「第九と四季」の記事の最後で、今から 200年前の 1818年 (ベートーヴェンが交響曲に声楽を取り入れるアイデアを得た年) に発表された小説があると書いた。実は、それはこの小説である。フランケンシュタイン。世界中で知らぬものとていない、有名なモンスターのひとつ。だがまず質問しよう。ボリス・カーロフ演じるこの怪物は、なんという名前だろうか。
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墓場から掘り出された死体をつなぎ合わせ、電気ショックによって生命を与えられたこの怪物、実は名前がないのである。では、フランケンシュタインとは? それは、このモンスターを作り出した科学者の名前。これは実は一般にはあまり知られていないことかもしれないが、モンスター好きなら是非認識しておきたい事柄である。そしてもうひとつ、一般にはあまり知られていないかもしれない事実を挙げると、このホラー小説の作者は女性、しかも執筆時は 18 - 19歳。出版されたときでもわずか 20歳。その名をメアリー・シェリー (1797 - 1851) と言い、生前の肖像画がロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに残っている。1840年に描かれたというから、当時既に 43歳。だがその凛とした雰囲気は大変印象に残るものである。
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さて私はこの小説に以前から興味があって、読みたい読みたいと思っていたのだが、この度ようやくその機会を得ることができた。実はこの作品が、本当の作者名を隠して匿名で出版されたのは、1818年 1月 1日。実は、今から 200年前というより、もうほとんど 201年前のことである。前述の通り、1818年とは、ベートーヴェンが交響曲に声楽を導入することを着想した年。時代はロマン主義に移ろうという頃で、ヨーロッパの国々は、フランス革命への反動に躍起となっていた頃。その後数十年のスパンで見れば、ヨーロッパ中が戦争に巻き込まれて行く過程が明確であるが、この頃はその前夜で、人々の間には不安が渦巻いていたのではないだろうか。ロマン主義の台頭と軌を一にして、いわゆるゴシック小説が流行する。その嚆矢はかなり早い時期に書かれたホレス・ウォルポールの「オトランド城奇譚」(1764年) で、私の手元にはその小説が、読まれる日を待って待機しているのだが (笑)、ともあれ、ゴシックホラーの代表作とみなされるこの「フランケンシュタイン」には、そのような時代の流れが明確に刻印されている。そして今や伝説的になっている 1816年のいわゆる「ディオダディ荘の怪奇談義」という出来事が、この作品の霊感のもとであり、そこにはあの放蕩貴族詩人のバイロンや、メアリーのー夫パーシー・シェリー、そしてバイロンの主治医であるポリドーリがそこにいた。このポリドーリは「吸血鬼」という作品を書き、それがブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」(1897年) に影響を与えたという。そのあたりの事情を描いた映画に、ケン・ラッセルの「ゴシック」があるが、そこでバイロンを演じたアイルランド人俳優ガブリエル・バーンは、前々項でご紹介したホラー映画「ヘレディタリー / 継承」で、主人公一家の父親を演じていた。
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このように記事から記事に自由に想像力を羽ばたかせるのはなんとも楽しいことだが、ともあれ、「フランケンシュタイン」に戻ろう。この作品は、そのモンスターの人気によって、200年後の今日もよく知られているが、原作を読んだことのある人は、どのくらいいるものだろうか。ここには、いわゆるモンスター映画で我々が持ってしまっているイメージとは異なる内容が満載だ。例えば以下のような具合。
・フランケンシュタイン博士は、頭のおかしいマッド・サイエンティストではなく、愛情に満ちた家庭に育った、大変に思慮深い人物である。
・博士がモンスターを作り出す部分の描写には、それほどおどろおどろしいものはなく、死体をつなぎ合わせたとか、電気ショックで生命が発生したという、映画ではかなりキモになるシーンも、ほとんど描かれていない。
・何より、ここでのモンスターは、自ら言葉 (フランス語なまりの英語) を喋り、また、自らの醜さによって人間たちを驚かせないよう、細心の注意を配る、思いやりのある性格である。
・のみならず、実はモンスターは読書家でもあり、ミルトンの「失楽園」、プルタークの「英雄伝」に加え、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」も読んでいるのだ!! なんという知性であろう。
・小説の構成自体は、まず北極圏を目指す船乗りの手紙に始まる (ケネス・ブラナー監督の「フランケンシュタイン」は原作に忠実)。そこで船乗りはモンスターを目撃し、それを追っていたフランケンシュタイン博士を救助する。その後はフランケンシュタイン博士の長い長い独白によって、彼の辿った数奇な運命が語られる。その際、さらにモンスター自身による独白も入る。つまり小説は三重の入り子構造になっている。
・禍々しいシーンの描写は少なく、ドイツやスイスの街、あるいはアルプスの風景などが、克明にまた美しく描写されている。これはロマン主義美学で言うところの「崇高 (Sublime)」のイメージそのもの。そう言えば私が敬愛する画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒによるこの「雲海の上の旅人」も、ちょうど「フランケンシュタイン」発表の年と同じ 1818年の作。これぞまさに時代の空気であろう。
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このように「フランケンシュタイン」には、改めて学ぶべき数々の価値があるのである。正直なところ、その設定には破天荒な箇所が幾つもあり、ストーリー展開には大いに無理があるものの、ある意味での様式美だと捉えれば、それほど目くじら立てることもないかもしれない。これは 1831年改訂版 (そのときには作者メアリー・シェリーの名で出版された) の内表紙。この才能溢れる女性の想像力は、この頃から世の中を震撼せしめたのだろう。
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実は、ボリス・カーロフ主演、ジェームズ・ホエール監督のユニヴァーサル映画「フランケンシュタイン」は、1931年の作。つまり、上記の改訂版出版からちょうど 100年後であったわけである。世の中にはこのような巡り合わせがあれこれあるものだ。

なお、この作品の副題は「現代のプロメテウス」であるが、それは、(1) 土から人間を作り、また (2) 人類の救済のために太陽から火を盗み、永遠に罰せられるというプロメテウスの役割が、ここでのフランケンシュタイン博士の役割、つまり、創造主として人造人間を作りながらも、その傲慢な行為の代償として罰を受ける、というものに擬せられるからだろう。そして私は、モンスターの内面に深く同情する。自ら生まれたくてこの世に生まれてきたわけではないのに、創造主であるフランケンシュタイン博士は、無責任にも自分を放置して逃亡した。深い内面性も知性もあるにも関わらず、その醜い姿によって人々から忌み嫌われる存在。このような設定は、恐らく世界文学史上にも、それ以前はなかったものではないだろうか。その意味でも、やはりきっちり読みこなすべき、世界文学であると思うのである。

by yokohama7474 | 2018-12-31 02:03 | 書物

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これは、光文社知恵の森文庫の中の一冊。どこで購入したのか、記憶は定かではないが、小難しくないアートの本を読もうと思って手に取ったら面白そうであったので、読んでみることにしたのである。単行本で出版されたのは 2003年、つまりは今を去ること 15年前であるから、最新の書物ではない。ゆえに中身も、特に映画監督北野武の活動においては、過去 15年という時間は決して短いものではなく、読んでいてその点が気にならないわけではない。だが、様々な意味で現代日本を代表するこの 2人がアートについて語っているわけなので、多くの箇所で示唆に富んだ発言に出会うことのできる、大変に刺激的な本である。
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まずひとつ注釈を付しておきたいのは、これはこの 2人の対談ではない。つまり、1人が何か発言すると、もう 1人がすぐにそれを受けて、「そうそう、〇〇なんですよね (笑)」といった反応を見せるということにはならない。とはいえ、1人の発言 (本では数ページに亘る) を受けてもう 1人が、そのことへの感想や、あるいはそこから連想されることを発言するという意味では、対談集に近い構成を取っているのである。ちょっと気になるのは、どちらかというと、たけしの発言を受けて村上がコメントを述べることが、その逆よりも格段に多いことだ。もちろん年齢はたけしが 15歳上。そのような気遣いが村上の側にあったのかもしれない。このブログでは過去に、北野武の映画も採り上げているし、ある意味で私の村上隆への先入観が解ける機会ともなった、六本木の森美術館で開催された「村上隆の五百羅漢図展」(あれからほぼ 3年が経つとは、時間の経過の速いこと!!) の記事も書いたことがある。文化関係無差別ごった煮ブログとしては、このような刺激的な組み合わせの書物をご紹介できることは、冥利に尽きるというものである。ところで私は上で、たけしのことを「北野武」という映画監督として言及したが、彼自身も絵画を描くアーティストである。彼の絵画作品は、子供の絵のようであるというか、昨今の言葉でいうところのアール・ブリュット、少し以前の言葉ではアウトサイダー・アートを連想させるようなものである。見ていて決して楽しいものではないし、技術が優れているわけでもない。でもなぜか気になる、たけしの絵画作品。ちょうど今、滋賀県守山市の佐川美術館で、彼の個展を開催中であるらしい。
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一方の村上の方は、日本のオタク文化をアートに活用した点がユニークであり、それゆえに、海外での知名度が非常に高い日本人アーティストである。上記の通り私はつい 3年前まで、キッチュな彼の作品や、「アートはビジネスだ」などと公言して憚らない言動に、全く共感できないでいた。だが、百聞は一見にしかず。実際に彼の作品群を目の当たりにして、なるほどこれは非凡なアーティストだわいと思った次第である。何事も先入観に囚われず、自由な発想で物事に接することがいかに大切かということだろう。これは村上が創り出したキャラクター、DOB 君。チェブラーシカではありません。
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この書物の中でのたけしの発言には、発想が自由すぎて、文化ブログではとても紹介できないような下品な内容も多々あるわけだが (笑)、でもそこにはある種のリアリティがある。私なりにそれを表現するとするなら、アート、または芸術という漢字を使ってもよいのだが、それが人間が生きる様相を如実に反映したものであるとするなら、そこには人間の下部構造も含まれるわけで、そのようなことを堂々と口にするたけしの腹の座り方には、大いに感服するのである。逆に言えば、よく言えば気遣い、悪く言えば忖度 (もっとも、忖度する人にとってその行為は決して「悪く」言われるべきものではないのだろうが) して日々を過ごすことが多い我々日本人にとって、スカっと下品なことを言うことで、いわば社会へのアンチテーゼとなりうる要素もあると思うのである。いやもちろん、セクハラ、パワハラが致命傷になりかねない昨今の日本 (だけではなく、世界中の状況なのかと思われる) において、ここでのたけしのような言説を普通の人が展開するわけにはいかない。それゆえにこそ、彼の持つ過激さに、世間は拍手喝采するのであろう。だって、コマネチ本人と、こんなことできませんよ、普通。
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そしてこの書物は、悪ふざけの様相を呈しながらも、ある意味での現代日本への警鐘ともいうべきシリアスな内容なのである。珠玉の言葉が散りばめられていると言ってもよい。その示唆に富む 2人の発言の数々に触れて行くときりがないが、いくつか引用してみたいと思う。

* たけしの発言
村上さんの作品を初めて見たとき、ここまでアートとして広げていいものか、とビックリしたね。アートはこういうもんだって、思い込んでいたわれわれの固定化したアタマを思いきりドツかれたというか。

* 村上の発言
僕はたけしさんのファンです。(中略) ヴェネツィア国際映画祭のグランプリを獲るという文化的国際的な快挙を成し遂げたすぐ後に、ブリーフ一丁でテレビに出演したり、カンヌ映画祭にコスプレして現れたり、「誤解されることを前提にやっている」としか思えない現代のリアルなトリックスターである点 (後略)。

* たけしの発言
あるものがアートになるかならないかの「境界線」っていうのは何だろう? 強引な理屈で言えば、アートって、いろんな雑学の勝負みたいなところがあるからさ。(中略) 灰皿持ってきて、「これがアートだ」っていう理屈も言えちゃうわけでしょ。作品はあくまで作品でしかないんだけど、最近のアートっていうのは、それに付随する包装紙みたいなものも意識させないといけないのかもしれないな。お歳暮でも、中身は同じなのに、イトーヨーカドーより三越の包装紙のほうがいいというのがあるじゃない。(中略) どんな包装紙で作品をラッピングするか。どんな理屈のついた包装紙で包めば、価値が出るか。そういうところはあるな。

* 村上の発言
「芸術」と「美術」の違い。かつては自分なりに規定していたはずなのに、すっかり忘れてしまった。(中略) 最近ずっと「芸術とは何だ」って真剣に考えているので、逆に、取りつく島がないというか。(中略) だってカテゴライズした瞬間、逃げ水のごとくなくなってしまう恋みたいな物を「芸術」って言うんだ、ということに気がついたんで。

* たけしの発言
南千住で酒飲んで電柱に向かって怒ってるオヤジって、アート・パフォーマンスみたいなもんだな。「何だ! その顔は!」とか、「何だ、この野郎!」とか「いいか覚えとけ」とか、電柱に向かって言っているわけだから。「いつまでもそんな状態でいられると思ってんのかオマエは!」とか、最高だよね。

* 村上の発言
どんな絵でもアートといえばアートになっちゃうんだよっていう、ある種、マジックを作ったっていう意味では、ピカソはデュシャンの便器と同じくらい効果があった。そういう意味では、超一流の価値があったんですよ。

このあたりでやめておくが、ふざけていながらも、それぞれに示唆に富んだ発言であり、傾聴に値するものと思うのである。

by yokohama7474 | 2018-11-14 23:55 | 書物

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この題名は一体なんだろう。チャップリンを知らない人も、ヒトラーを知らない人も、この日本にはそうはいないと思う。だが、この 2人を結び付けて何かを語れるであろうか。まぁ、世間一般の人たちがこの 2人の名前を結び付けて考えるとしたら、この映画ではないだろうか。
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そう、「独裁者」である。喜劇王チャップリンが独裁者ヒトラーを茶化したこの映画、その独善的な演説のパロディシーンがつとに有名である。だが現代日本に住む我々は、どれほどこの映画が作られた背景のことを、そして、別々の分野でそれぞれに良くも悪くも 20世紀を代表する存在となったこの 2人の人物の関係を知っているだろうか。答えは簡単で、ほとんど知らない。その理由も簡単で、これまでそれらの点について書かれた書物が (もし皆無ではなかったにせよ) ほとんどなかったからである。この本の筆者である大野裕之は 1974年大阪生まれ。京都大学大学院出身で、専攻は映画・演劇・英米文化史であるそうだ。そしてまた彼は、日本チャップリン協会会長である。チャップリンが 88歳でクリスマスの日に没したのは 1977年。なるほど、ということは、この本の筆者が生まれた 3年後であるからして、筆者大野は、リアルタイムのチャップリンを体験していないことになる。いやそれどころか、チャップリンの本格的な最後の作品である「伯爵夫人」は 1967年の作。そのひとつ前の「ニューヨークの王様」は 1957年の作。チャップリンはそんな時代にとっくに活動を停止していたのである。それなのに、きっとオールドファンも多いと思われる日本チャップリン協会の会長を、1974年生まれの人が務めるとは、大変に立派なことだ。

大野はこの著作でサントリー学芸賞を受賞した。この本に書かれていることは、それだけ歴史的な価値のある内容だということだろう。その詳細をここで要約するわけにもいかないが、いくつか興味深いことを列挙すると以下の通り。
・チャップリンの誕生日は 1889年 4月16日。ヒトラーの誕生日は 1889年 4月20日。なんと 2人の誕生日はたったの 4日違い!!
・チャップリンが撮影のためにチョビ髭をつけて映画デビューしたのは、1914年 1月。一方、未だ無名のヒトラーが、ミュンヘンで撮影された群衆写真においてチョビ髭を生やしているのが確認できるのは、同じ年、1914年 8月。この頃にはドイツでもオーストリアでも、未だチャップリンの映画が上映されてはいないので、ヒトラーのチョビ髭はチャップリンの真似ではなく、全くの偶然ということになる。
・英国人チャップリンはドイツではユダヤ系と信じられ、ナチスの蔑みの対象となっていたが、実際にはそうではない。ユダヤ人か否か訊かれたチャップリンの答えは、「そうではないが、自分のどこかにユダヤ人の血が混じっていると思いたいものだね」という、実にユーモアに富んだもの。
・ヒトラーはメディアを利用してファシズムを推し進めたという評価が一般的であるが、実はそれは、(確証はないものの) ヒトラーがチャップリンの人気を通じてメディアの威力を思い知ったからだと考えてもおかしくない。
・チャップリンの「独裁者」は 1940年の作。つまり、ヨーロッパで大戦が始まってわずか 1年後で、ドイツ本国ではヒトラーが未だ飛ぶ鳥を落とす勢いであった頃。また米国では未だ戦争は始まっていない。すなわち、チャップリンの「独裁者」は、同時代に対する警告であった。

これらはいずれも驚くべきことではないか。例えば、1914年の映画におけるチャップリンと、同じ年にミュンヘンの群衆デモに参加していたヒトラーは、以下のような具合。うーん (笑)。
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私が子供の頃、チャップリンはテレビで無声映画に弁士がついて古い短編映画を放送していることでおなじみであった。その後、「街の灯」や「モダンタイムス」「ライムライト」などをやはりテレビで見て、壮年期以降の彼の活躍にもイメージができてきたのであるが、それでもやはり私にとってのチャップリンは、チョビ髭にダボダボズボンのお笑い役者であった。もちろん、楽譜も読めないのに「ライムライト」のテーマのような名曲を作曲したと聞いて驚いたが、いかにもチャップリンらしい持ち味はやはり無声映画時代にあると思っていた。そんな理由で、実は「独裁者」の全編を見たことは未だにないのである。だが今こそ、この稀代の映画人の勇気や強い表現力に対して敬意を払うべきであろう。この本の中には、いかにチャップリンがこの「独裁者」という映画に情熱を傾け、数々の困難を超えてこの作品を世に問うことになったかの過程が詳細に述べられている。若干誇張気味に言ってしまえば、これは 20世紀という大戦争の時代のポジとネガを描いた労作であり、人間の愚かさと尊さについて、また、社会の危機においてはいかに笑いというものが人々を勇気づけるかということについて、多くの示唆が含まれている。戦争終結後 70年以上を経過した現在、ナチスを絶対悪として非難することは簡単だ。だが、当時ナチスは多くの人々の支持を得ていたわけであり、そんな時代に早くもヒトラーを揶揄する映画を撮ったチャップリンとは、いかに偉大な人であったか、よく考えてみる価値はあると思う。また、日本におけるチャップリン受容についても事細かく調べられていて、例えば戦時中にチャップリンを攻撃していた作家が、戦後は掌を返したように絶賛に走っている実例も、この本に挙げられている。人間は弱いものであり、大きな歴史の流れに抗うことなど、よほど勇気がないとできないことなのだと思い知る。だが当のチャップリンは、そのような賛辞に対してどのように応えるだろうか。「いやいや、私はただ自分が正しいと思うことをやっただけ。別に歴史がどうのという大げさなことではないよ」というものではないだろうか。
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いかにも強そうなものは、実は意外と強くなく、ポキリと折れてしまうこともある。その一方、ユーモアを身に纏い、飄々とした生き方をする人物に、実は強靭さが宿っていることもある。そう思うと、チャップリンの映画を久しぶりに見たくなってしまうのだ。沢山学ぶことがあるはずである。そして、この本を読むか読まないかで、チャップリンの偉大さについての理解度は格段に異なるがゆえに、映画好きのみならず、20世紀の歴史に興味のある方には、強くお薦めしたいと思う。

by yokohama7474 | 2018-10-15 23:08 | 書物

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今年の 4月 5日付の記事で採り上げた「1」に続く、創元推理文庫の「世界短編傑作集 2」である。世界の探偵小説を渉猟した江戸川乱歩による選りすぐりの短編集であり、5巻シリーズの 2巻めということになる。1961年の初版から実に 63版を重ねているロングセラーである。私の場合は、1巻めを読んで、19世紀末から 20世紀初頭にかけて書かれた作品群の質の高さに仰天し、すぐに残りのシリーズも購入したもの。今回も実に読み応えある作品ばかり 9編が集められている。

赤い絹の肩掛け (1907年作) : モーリス・ルブラン (1864 - 1941)、フランス
奇妙な跡 (1908年作) : バルドゥイン・グロルラー (1884 - 1916)、オーストリア
ズームドルフ事件 (1911年作) : メルヴィル・ダヴィソン・ポースト (1869 - 1916)、米国
オスカー・ブロズキー事件 (1912年作) : オースティン・フリーマン (1862 - 1943)、英国
ギルバート・マレル卿の絵 (1912年作) : ヴィクター・L・ホワイトチャーチ (1866 - 1933)、英国
好打 (1913年作) : エドマンド・クレリヒュー・ベントリー (1875 - 1956)、英国
ブルックベンド荘の悲劇 (1914年作) : アーネスト・ブラマ (1868 - 1942)、英国
急行列車内の謎 (1920年作) : フリーマン・ウィリス・クロフツ (1872 - 1957)、英国
窓のふくろう (1923年作) : ジョージ・ダグラス・ハワード・コール (1889 - 1959) & マーガレット・コール (1893 - 1980)、英国

なるほど、こうして並べてみて、そして第 1巻の内容と見比べてみて、気づくことには、このアンソロジーは年代順の配列になっているのだ。第 1巻の最初が 1806年作で、今手元にある第 5巻の最後を確かめると、1943年の作。いわゆる推理小説、探偵小説の誕生した 19世紀後半から第二次大戦中までの傑作短編を集めているのである。それが分かるとまた一層興味が深まる。このジャンルの醍醐味は、犯罪 (主として殺人) を犯すに至る人間心理と、その犯罪を実行するためのトリックの妙、そしてそれを解き明かす名探偵の手腕であるが、その背景にはやはり、近代都市の誕生という事情があるだろう。様々な人々が集う大都会において、様々な利害が錯綜することで、人間が犯罪を犯す動機は多様化して行ったし、トリックにもヴァラエティが生まれたということは言えるように思う。だがその一方で、都会と対照的な田舎町での犯罪が描かれることも多く、それはある種の密室犯罪に近いものになりうるし、動機にしても、複雑性のない「愛」や、それゆえの「憎しみ」である場合も多い。だから近代化への反動という要素も、このジャンルの発展には寄与しているだろう。いずれにせよ、そこに描かれているのが、血が流れ、感情もある人間たちであるからこそ、探偵小説は面白いのである。

ここに並んだ 9編の作者を見ると、モーリス・ルブランはルパン物で大変に有名だし、世界推理小説史上最高傑作のひとつと言われる「樽」で知られるクロフツや、「トレント最後の事件」で知られるフィリップ・トレントという探偵を作り出したベントリー、あるいはこのブログでも以前ご紹介した盲目探偵マックス・カラドスを生み出したブラマなど、数人についてはその名を知っていても、その多くは未知の名前である。だが今回も私はこのアンソロジーを堪能した。ここにはハズレは全くないどころか、なるほどと膝を打ちたくなるほど鮮やかなトリックもあって、本当に面白い。中でも私としてのお薦めは、冒頭のルブランの「赤い絹の肩掛け」である。これが作者ルブランの肖像。
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上記の通り彼は、怪盗アルセーヌ・ルパンの創作者としてよく知られているが、ここに収録された短編も、実はルパン物。宿敵 (?) ガニマール警部との対決が主軸になっているが、ここでルパン (彼自身は絶対殺人は犯さない) は、ある殺人事件についてのヒントをガニマールに与えるという探偵役も兼ねているのである。ガニマールはルパンから与えられたヒントのおかげで殺人事件を解決し、あまつさえ自らの命をも落とさずにすむことになる。だがもちろんルパンは義理や親切心でそんなことを教えたわけではなく、その後まんまと欲しいものを簒奪。最後のガニマールとの対決で、またまた機知を見せて逃げおおせるのだが、それが機知であったと知るのは、ルパンがペンキ職人に託したガニマールあての手紙によってなのである。僅か 35ページの短編であるが、そこに張られたアイデアの妙とストーリー運びの巧みなことには、本当に舌を巻く。この作品を読むだけでも、この本を買う価値があると言いきってしまおう。なぜにそんなに面白いかというと、ガニマールはルパンの入れ知恵で犯人を逮捕することができるので、いまいましい怪盗でありながら、ルパンの鋭い洞察力に恐れをなしているので、彼の放つ言葉の呪縛にかかっているのである。これは大いに示唆に富んだ内容であると思う。人間と人間のコミュニケーションとは、ただその場その場で成り立つものではなく、過去のやりとりの結果としてそこにある。そんなことを思わせてくれるのである。この話は、このような子供用の翻訳もあるようだ。うん、これを子供の頃から読んでおけば、コミュニケーションができるだけではなく、どんな窮地も機知によって切り抜ける、逞しい人間になることでしょう (笑)。
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もう 1編挙げるとすると、フリーマンの「オスカー・ブロズキー事件」であろうか。作者のフリーマンはもともと医師であるらしく、作家に転身してからは「倒叙形式」を主張した人であるらしい。これは、例えば「刑事コロンボ」シリーズがそうであった通り、犯人が最初に明らかになって、その犯罪が暴かれる過程を描くという手法。フリーマンが創造した探偵役はソーンダイク博士で、彼が活躍する小説は日本でも沢山翻訳が出ている。これがフリーマン。さすが医者だけあって知的に見えるが、ちょっと侮れない雰囲気もある人だ。上記のルブランとは同世代ということになるが、粋なフランス紳士のルブランとは好対照な、英国エリートである。
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この「オスカー・ブロズキー事件」もまた、倒叙形式によって、ブロズキーなる人物が被害者となる事件を題材にしている。犯罪者が自己を正当化する声が描かれていたり、あるいは同じ場面の描写を視点を変えて繰り返していたり、映画に慣れた我々には普通に思われる手法も、この作品が今から 106年も前に書かれたことを思うと、実に驚くべきものである。細かい心理描写やストーリー展開もいちいち気が利いていて、読み応え充分である。これは、作者フリーマン自身が高く評価していたというソーンダイク博士の挿絵。1908年12月号の「ピアスン」誌に掲載されたもので、描いたのは H・M・ブロックという人である。
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このアンソロジーの中にはほかにも、近代化時代を反映して、長距離列車内の密室殺人、貨車 1両がまるまるなくなってしまう大胆な盗難、電気の利用による意想外の殺人、電話を使ったトリックなどが扱われていて、どれもこれも本当に面白いのである。もちろん、翻訳の文体がやや古めかしい面は否めないが、それも含めて時代の雰囲気を堪能するのがよいと思う。慌ただしい日常の中で、いい気分転換になること請け合いだ。

by yokohama7474 | 2018-09-15 11:23 | 書物

川村湊著 : 闇の摩多羅神

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摩多羅神 (またらじん) という神様の名前を聞いて、「あぁ、あれか」と思う人はどのくらいいるだろう。八幡神とか天神とか、あるいは七福神 (全部言える人はあまり多くないかもしれないものの) なら、知らない人の方が少ないだろうが、さて、マタラジンとなると、その知名度は非常に低いに違いない。この書物はそのマイナーな神様の正体に迫ろうという内容である。まあ、正体も何も、この神が謎の神であると知らなければ、そもそもその正体にも興味を持つわけがないので、この本を手に取る人の数は、正直それほど多いとは思われない (笑)。だが、この本の副題は「変幻する異神の謎を追う」とあり、オビには「究極の絶対秘神!」などとセンセーショナルな文字が踊っていて、このあたりがもしかすると、知的好奇心旺盛な人にはアピールするポイントになるかもしれない。かく申す私は、このブログで既に、記憶にある限り 2回、この神の名前に触れている。一度は、京都・太秦の広隆寺及び大酒神社を訪れたときの記事。もう一度は、島根県安来市の清水寺を訪れたときの記事。後者において私は、この本の表紙の写真を掲げて、「私はちょうど今、この本を読みかけであるので、この神について何か分かったらまた報告します」と書いている (今年の 7月 4日の記事)。そう、私は約束を守る男なので (?)、しばらく前に読み終えたこの本を、このあたりでご紹介したいと思い立った次第である。

さて、私がこの謎の神の名を初めて聞いたのは学生時代。それは、この祭に関しての記述であった。
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これは、京都・太秦の大酒神社 (もともと広隆寺に属していた) の奇祭、牛祭りである。私は実際に見たことはないが、上の写真のごとく、奇妙な紙の面をつけた摩多羅神が牛に乗って練り歩くというものらしい。その由来ははっきりしていないらしく、それゆえこの摩多羅神は謎に包まれた神なのであると、私の中では整理された。その後、「怪」という雑誌 (いかがわしいものではなく、水木しげるや荒俣宏、京極夏彦といった錚々たる面々が執筆していた立派な「怪」に関する雑誌) でこの祭が特集されていて、誰の書いた記事であるかは記憶がないが、「摩多羅神、マダラシンは、ミトラ神だったのだ!!」と書いてあったのが鮮烈に印象に残っている。ミトラ神はゾロアスター教の神であり、このペルシャの拝火教が日本にまで伝播しているという壮大なイメージは、なんともワクワクするようなものだ。もちろん、調べてみるとこのミトラ (ミスラ) 神は中東に発してインドや、ギリシャ・ローマにも伝えられているようなので、いかにユーラシア大陸が広いとはいえ、東の果ての日本にまで伝播していたとしても、あながち荒唐無稽な話ではない。このゾロアスター教と古代日本の関係については、松本清張も仮説として唱えていたし、世界史的なダイナミズムのある話なので、私のお気に入りの話題なのである。もちろん史実であるか否かは、学問的な研究が必要であり、現在の歴史研究でそのあたりがどう評価されているのかは分からないが、さしずめこの本などは、専門的な歴史書ではなく、一般書なので、人間の歴史のダイナミズムへのイメージを膨らませるための読み物と割り切って読むべきだと思う。

ここで展開されている論説は、あれこれの引用や実地調査によってちょっと複雑になっており、とてもここに要約することはできないし、そもそもそれがこのブログの使命であるとは認識していない。ただ、私が以前、牛祭りを巡って抱くことになった「謎の神」というイメージよりは、この摩多羅神の正体を考える材料は意外と多いのだなということが分かった。つまり、牛祭りに登場する以外にも、この神の名前は様々な古文書にて言及されていて、かつ、祀られているケースもそれなりにあるのである。彫像としては、まず、私が先に対面した安来市清水寺のもの (10年ほど前に発見。1329年作) が大変に貴重。
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実は摩多羅神の彫像としては、これ以外にも平泉の毛越寺や奈良の談山神社 (こちらは面のみか?) に祀られているらしい。いやいや、それだけではない。久能山東照宮 (お、ここも以前訪問して記事を書きましたな) は、現在でこそ祭神は徳川家康のみであるが、神仏分離前の祭神は三柱で、それを東照三所権現といったらしい。その三所権現とは、東照大権現、山王権現、そしてなんと、摩多羅神であったのだという!! これはなんとも意外ではないか。つまり、徳川幕府が信仰を奨励した三人の神のうちのひとりが、謎に包まれたこの摩多羅神であったとは。実は日光の輪王寺には、やはりこの神が祀られているという。
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これは常識に属することだと思うが、徳川幕府が強く結びついていた仏教の宗派は、天台宗。実はこの摩多羅神はもともと、天台宗第 3代座主 (ざす) であった慈覚大師円仁 (794 - 864) が唐からもたらしたものだという。そして、阿弥陀経の守護神とされ、念仏を唱える道場である常行三昧堂の裏側に祀られ、「後戸の神」と呼ばれたという。このような、踊る童子たちを引き連れ、快活に笑っている画像例はいくつかあるようだ。
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さぁ、こうなると、江戸時代にはそれなりの認知度のあったはずの神様が、なぜに「謎の神」となってしまったのか、不思議である。上記の通り、「後戸の神」として人の目に触れないうちに、本当にその存在が忘れられていったのかもしれない。本書においては、そのような存在が忘れられて行った神の記録を様々に調べることで、ほかの神との混淆などにも踏み入って行く。正直なところ、そのあたりの論説は理路整然というよりは、材料を見つけたら好奇心に駆られて深追いしているようにも思われ、すべての説に読者がついて行くことは、なかなか難しいだろう。古い文章の引用も、そのままではなかなか意味が分からない点も多く、そのあたりは少し残念にも思われた。ただその一方で、よくあるトンデモ本のようなこじつけや論理の飛躍はなく、飽くまでも著者が真摯に謎の神の実像に迫ろうとしている点には、好感が持てる。読み終わっても、摩羅羅神がミトラ神なのか否かは、ついに判明しなかったが (笑)、歴史の中では神様にも栄枯盛衰があるということは実感できて、大変面白かった。日本の歴史にはまだまだ、埋もれた興味深いネタが沢山あるように思う。

作者の川村湊は、歴史学者や宗教学者ではなく、文芸評論家である。1951年生まれなので、今年 67歳。古典文学や日本の伝承をテーマにした作品だけではなく、最近では原発を巡る著作もあるようだ。あるいは、「村上春樹はノーベル賞をとれるのか?」という新書もあるらしい。だが私としては、本書の流れで、次はこんな本を読みたいなぁと思っている次第。読み終わったら、また報告します!
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by yokohama7474 | 2018-09-06 00:40 | 書物

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ルイス・ブニュエル (1900 - 1983) の名を知る人は、一般にはどのくらいいるだろうか。私の世代は、ちょうど彼がこの世を去った頃には学生で、円熟期 (?) のフランス語による作品の数々 (製作がセルジュ・シルベルマンであったり、脚本がジャン=クロード・カリエールであったりする) を見る機会があり、それから、それに先立つメキシコ時代の作品の上映会などもあって、いわゆるシュールレアリスムの映画における代表例という、紋切り型の分類に留まらないこの映画作家の多様な面を知ることができた。この本はそのブニュエルについての、大変に大部な書物である。実は私は、2年かそれ以上前だろうか、あるとき突然無性にブニュエルの作品を見たくなり、そして、作品を見るだけではなく、彼の評伝を読みたいという衝動に駆られた。そして購入したのがこの本である。ブニュエルの作品一覧という資料的な部分を除き、つまりは本文と後記だけで、実に約 650ページ。結局私はその後、何本かのブニュエル作品の DVD を購入しただけで見ることができず、そしてこの本もしばらく置きっぱなしになっていた。だが、意を決してページをめくり始めてから何ヶ月を要しただろう。この度ようやく読み終えたので、めでたくここで記事にすることができるのである。だが、この本を読み通すのは正直つらかった。それは、これがブニュエルの人生のエピソードを集めたような評伝ではなく (もちろん、一部評伝風の箇所はあるものの)、そのメインは、極めて詳細な作品論であるからだ。その中には、私が昔見たことのある作品もあれば、全く知識のない作品もあり、後者に関しては、もし私が残りの人生でいつか見ることがあるとしたら、ネタバレされるようでいやだな、と思ったものだが、その点は大丈夫。もう読んだ内容の詳細はすっかり忘れてしまったからだ (笑)。だが、これを読み通したことで、この監督の指向するイメージやその暗喩するものについての理解は確実に深まった。

ともあれ、一般の人がこのブニュエルの作品について何かイメージがあるとすると、この映画ではないだろうか。
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そう、この映画は「アンダルシアの犬」。よく知られている通り、この後カミソリは無惨にも、また理不尽にも、この女性の眼球を切り裂くのであるが、それ以外にも奇想天外な悪夢のような映像がこれでもかと現れるこの映画は、1927年制作の無声映画で、ブニュエルのスキャンダラスなデビュー作であった。そしてこの映画の共同監督として、強烈なヴィジュアルを作り出した張本人は、あのサルヴァドール・ダリだ (ちなみに彼のファーストネーム Salvador のうち "va" の部分は、英語読みでは 「ヴァ」になるが、スペイン語読みでは「バ」に近い発音のようだ。だが私はやはり va をヴァと表記したい・・・ヴェラスケスも同様)。これもよく知られた通り、このブニュエルとダリは若い頃の親友であり、彼らのいたマドリッドの寄宿学校では、もうひとりの天才がいた。情熱的な詩人であり、スペイン内戦中に銃殺されたフェデリコ・ガルシア・ロルカである。この 3人の交流については、私も随分以前に、アウグスティン・サンチェス・ビダルという人の「ブニュエル、ロルカ、ダリ - 果てしなき謎」という、滅法面白い本を読んだことがあるので、このいずれかの芸術家に興味のある人には、絶対にお薦めだ。
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ともあれ、もとの本に戻ると、いやはや、これは本当に大変な労作なのである。四方田犬彦は、私が若い頃から活躍している評論家で、映画がメインという印象があるが、本人はどうやら、比較文学が専門と自称しているようである。確かに彼の著書は映画評論だけでなく多岐に亘り、その驚くべき博識ぶりを、私は以前から深く尊敬している。
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1953年生まれの 65歳で、未だ年齢的には充分若いが、最近大病を患ったようなこともあったらしく、また、この本の後記には、この本の執筆を強く促した編集者の志半ばでの死にも触れられている。なるほどそのように思って読んでみると、この大部な書物が世に問われるにあたって必要とされた、激しい執念を感じることができる。ブニュエル作品の細部の描写が延々と続いていても、それを逐一理解する必要はない。ただそこに流れる筆者の情熱から、それを可能ならしめたブニュエルという特異な才能の巨大さを感じればよい。そのように思うのである。作品の詳細に即した分析は本作のほぼ 2/3。それは「前衛の顕現」「聖性と流謫 (るたく)」「悪夢と覚醒」の 3つの部分に分かれている。ページ数にして 458ページまでである。残りの 1/3 は、むしろ気楽に読めるエピソードを多く含むもの。その中には、スペインの田舎町、カランダに残るブニュエルの生家を筆者が訪れる様子なども活写されていて、興味深い。それにしてもこのブニュエルという人は、なんともブラックな感覚の持ち主の皮肉屋で、その感性には、とても万人が賛同できることはできないような、危険であり冒涜的な面がある。それは、この人の代表作のひとつでも見れば明らかなのであるが、不思議なことに、その作品の持つ毒が、偽善に満ちたこの世の毒を中和してくれるようにも思われるのである。これが老年のブニュエル。どう見ても品の良い巨匠監督ではない。私もこんな不良ジジイになりたいものである (笑)。
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この本を読んで私のブニュエルへの理解は、もともとのイメージのまま、より深くなったし、そして何より、本を読んでいるだけでは満足できずに、手持ちの DVD に少し買い足して、このユニークなシュールレアリストの作品を見たいと思うようになった。以前紀伊国屋書店から出ていたブニュエルの中期作品集の DVD は全部で 6セットあり、既に新品では手に入らないが、中古なら、ものによってはなんとかなる。そんなわけで早速何セットか購入した。だが、もしこの記事によってブニュエルをちょっと見てみようかなと思う人は、やはり後年のフランス語作品がお薦めで、私としては、「ブルジョワジーの密かな愉しみ」とか「自由の幻想」が好きである。もしそれ以前の作品なら、貴族たちが集い、理由もなしに館から出られなくなってしまうという、ストーリーがあるようなないような、いや、明確にないか (笑)、「皆殺しの天使」が滅法面白い。
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私の若い頃に比べて今は、過去の優れた映画を体験することは、比較にならないくらい容易になっている。だが、容易に手に入るものは、かえって有難味がないとも言える。ルイス・ブニュエルという破天荒な大芸術家の神髄に触れるには、まずは作品を見てみて、そしてできれば、このような大部な関連書籍を読んでみることだ。きっと、読む前と読んだ後では、何かが違って見えることだろう。何ヶ月もかけてこの本をようやく読み終えた私は、今度は彼の映像によって、ブニュエルの毒にすぐに感染する状態にあり、それが私の人生を非常に豊かなものにしてくれると、信じているのである。

by yokohama7474 | 2018-07-10 00:07 | 書物