川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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カテゴリ:映画( 244 )

ヴェノム (ルーベン・フライシャー監督 / 原題 : Venom)

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世の中には、偽善者ならぬ偽悪者という人たちがいる。つまり、実はそんなに悪い人ではないのに、何かというと意地悪なことを言ったり、人に嫌われるようなことをしたりする人である。まぁ私自身もどちらかというと、偽善者であるよりむしろ偽悪者たれと、いつも自分に言い聞かせているような人間であるが (笑)、一旦他人から「コイツは悪い奴だ」と誤解されるとそれを解くのが大変なので、あまり偽悪者ぶることはしないようにしている (変な日本語ですな)。この映画についての記事でいきなりそのようなことを書いてしまうとネタバレになってしまうかもしれないが、ここで「最も残虐な悪」と称されている化物には、一言でそのように描写してしまうことを躊躇わせるような何かがあるわけだ。予告編でも散々流れていたが、まあそれはこんな感じで出て来る化物は、誰だって悪の権化だと思うだろう。
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このシーンでは、この化物に襲われる人が、「オ、オマエは誰だ?」と恐怖に突き動かされながら問うと、"We---- are----- Venom!!" と答えるのであるが、それを見た人は、主語が "I" ではなく "We" であることから、このヴェノムと名乗る化物の集団が地球に襲い掛かり、人類を危機に陥れていると思うだろう。だが、本編を見てみると実はそうではなく、ここで言う "We" とは、この化物の個体と、もう 1人の誰かのことなのである。つまりは、そのコンビが "We" だということが、このシーンから知れるのである。だがいずれにせよこの不気味極まりない化物は地球外生物であり、人間を襲うことは確か。劇中では、それをビジネスのネタにしようという輩がいて、彼の犯罪を追求する記者、そしてその恋人、というあたりが主要キャラクターなのである。私の感想を簡単に言ってしまうと、まずまず面白い映画だということになるだろう。ヌメッとしたヴェノムとその原型の CG は実に手が込んでいて、生理的になんとも気持ち悪いし、人間とヴェノムの関わり方にも、ありきたりのモンスタームーヴィーやパニックムーヴィーとは一味違う工夫がある。だがもともとこのキャラクターは映画のオリジナルではなく、マーヴェルコミック、しかもスパイダーマンの敵として登場するようだ。
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例によって私は、最近の日本のマンガにも疎く、ましてやアメリカン・コミックに関する知識はほぼゼロであるので、このキャラクターについての予備知識もゼロであった。だが、Wiki で「ヴェノム (マーベル・コミック)」を調べると、「そんなに詳しく書かなくてもいいよ」と思われるほど (笑)、事細かにこのキャラクターの「経歴」についての記述を見ることができる。私の考えるところ、そんな予備知識なしにこの映画を見ることには全く問題はないし、映画の最後に現れるアニメの意味が分からずとも、さほど気にすることはないだろう。ただ私がひとつ思うことには、この作品の成功には、とびきりの存在感を持つ俳優が必要であり、その俳優の出演によってこの作品が活き活きしたものになっている。今を時めく名優、トム・ハーディである。
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このブログでも何本かの映画 (メジャーなものからマイナーなものまで) の記事において彼の演技を称賛してきた私であるが、幅広い役をリアルに演じることができ、そしてどの場合にも必ずどこかに人間性を感じさせる人である。なるほど、この映画の主役にふさわしい俳優である。もしこの手の映画を子供だましだと思う方がおられれば、ここでトム・ハーディが披露している演技を、自分がその立場だったらという想像力を働かせて見てみるとよい。もちろん、娯楽作品であるから、「そんなバカな」ということがあちこちで起こることは間違いないのだが、極端で、それこそマンガ的な設定の中に、結構考えさせられる要素もあり、最終的にはかなりの爽快感 (意外だろうが) も感じることとなる。世界の終わりを声高に唱えて、あまり工夫のない映画よりは、よほどましである。いやいやトムさん、褒めているんだから、そんなに喚かないで。しかも、首のあたりから黒くなっているが、大丈夫だろうか?
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少し残念なのは、この主役以外の役者陣が、どうももうひとつであることだ。特に、主人公の恋人役のミシェル・ウィリアムズは、残念ながら今回も私はピンと来なかった。しかもなぜかミニスカートだったりして、どうも納得がいきかねる。やはりこのようなキャラクターの方が、よほどしっくり来ようというものだ。
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このヴェノムというキャラクター、コミックでは 30年ほど前から存在しているようだが、ある意味では、昨今のヒーロー物の行き詰まり感の産物とも思われる。このブログでもかつてそのことを論じたことがあるが、こういう時代になると、どこから見ても正義の味方というヒーローが、どこから見ても悪い奴という敵をバッタバッタとなぎ倒す映画は、なかなか観客の共感を得られない。悪の姿をした善、あるいは自らの行為を完全な善と認識することのできないヒーロー。そういったものが必要と思われているようだ。だがその中には、アンチヒーロー性だけに腐心して、全く面白くない作品になってしまったものもあるし、何もヒーローを殺してしまうことないじゃないのと思われる作品もある。そう考えるとこの映画には、いろいろと気が利いていると思われる箇所があると思う。まぁもちろん、マーヴェルの新作がこれ一本で完結ということはないだろうから、これからシリーズ化、あるいはスパイダーマンなど、ほかのマーヴェルのヒーローとの対決ということになって行くのだろうが、ちょっとどんな動向になるのか気になるところだ。

ところでこの作品の監督は、1974年生まれのルーベン・フライシャー。私は初めて聞く名前だが、2009年の「ゾンビランド」というデビュー作で注目された人であるという。ゾンビ物好きを自認する私であるが、この作品は恥ずかしながら知らなかった。曲者俳優のウディ・ハレルソン主演で、今やオスカー女優となったエマ・ストーンも出ている。この監督の次回作は、この「ゾンビランド」の続編というから、今からでもこの映画を見ておいた方がよいかもしれない。
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ともあれ、この映画の教訓は、人を見掛けや先入観で判断してはいけないということ。それから、偽善者に騙されることなく、偽悪者の本質を見抜く眼力を身に着けようということだ。・・・まぁ、そんな戯言は気にせず、偽善者の方も偽悪者の方も、ヒーロー物の変形としてご覧になればよいものと思います。

by yokohama7474 | 2018-11-30 01:07 | 映画 | Comments(0)

ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲 (デヴィッド・カー監督 / 原題 : Johnny English Strikes Again)

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もしかしたらこのブログには未だ書いたことがなかったかもしれないが、私はローワン・アトキンソンの大ファンである。もちろん「Mr. ビーン」に腹を抱えて笑ったことがきっかけであり、そのビーンの映画も、本作「ジョニー・イングリッシュ」シリーズも、欠かさず見て来ている。彼のおかしみを何と表現すればよいのだろう。ある意味では、実に英国らしいブラックな要素が多々あって、そこには毒もあるわけだが、そんなことを考えずとも、つまりは理屈を並べなくても、ただ可笑しい。言葉に頼らず、長い手足を使って体を張った演技をしているし、喜怒哀楽ははっきりしているし、ちょっとした意地の張り方や見てくれを気にする点にも、あるいは他人への些細な意地悪も、すべからく人間性満載である。彼こそが理想の人間像である、とまで言うつもりはないものの (笑)、結構それに近い感覚を持っている私なのである。これは「Mr. ビーン」の頃の、つまりは 20~25年ほど前の彼。
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年齢を調べてみると、1955年生まれで、今年 63歳ということになる。まぁ、トム・クルーズよりは年上だから、あれほどのアクションを披露しないことは道理である (笑) が、それでもこの映画では、まだまだ体の切れるところを見せてくれている。
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このようなシーンで人を笑わせるのは、簡単なようでいて、実は大変難しい。つまり、実際に体が動かなくてはならず、でもその表情は平然としているべきで、そして、演じているときに恥ずかしいと思った瞬間に手足がすくむだろう。高度な身体能力と無我の境地、そして集中力。まるで一流のアスリートのようではないか。そんなローワン・アトキンソンがこの「ジョニー・イングリッシュ」シリーズで演じているのは、英国のスパイで、その名もジョニー・イングリッシュ。2003年に 1作目、2011年に 2作目「気休めの報酬」、そして今回が 3作目の「アナログの逆襲」である。この映画でも、007や「ミッション・インポッシブル」シリーズ、「キングズマン」シリーズなどのスパイ物を採り上げてきているが、かつての東西冷戦の構図が崩れてしまっている現在、スパイを主人公とした作品の設定そのものが難しい。従って、それぞれに工夫を凝らした設定が見られるが、この映画では国対国ではなく、英国の諜報部員と、最先端の IT 犯罪との戦いが描かれている・・・などと真面目に書いているのも可笑しいが、ま、そんな設定ゆえに、デジタル時代に対抗するアナログのオッサンという構図が成立する。いつもの通りジョニーは、騒動を起こしながらも、なんだかよく分からないうちに最後には敵を片付けてしまい、かくして最後は一件落着となるのである。アナログの究極である中世の甲冑がよく似合う (?)。
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対する敵は、AI と相談しながら、神業のごときハッキングの手腕を発揮して、英国国家のみならず、世界の首脳が集う場を危機に陥れる。もちろん誇張はあって、こんなことは現実には起こらないが、それでも、嘘によってできる映画の設定としては、それなりに面白く出来ていると思う。VR をネタにした騒動も、なかなかに面白い。
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この種の映画では、共演者の質によって面白みが変わってくるものだが、「本物の」ボンド・ガールを演じたことのあるウクライナ出身のオルガ・キュリレンコは、適度なコミカル具合でよいと思う。先日見た「スターリンの葬送狂騒曲」における、ピアニスト、マリア・ユージナ役のシリアスな演技とは好対照。この写真、前に写っている人が邪魔だなぁ (笑)。
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それから、英国首相役はあのエマ・トンプソン。大真面目であることによってコミカルな味を巧みに出していて、さすがの演技だと思うが、見ている人たちにしてみれば、現実の英国首相のことを思い出すなという方が無理だろう。鋭く現代を切り結ぶ作品にふさわしい (?)。
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監督は、これが長編デビューとなるデヴィッド・カーという人。1967年生まれの英国人で、本国ではかなり知られたテレビのコメディ監督であるらしい。英国のコメディアンの多くが高学歴であることは周知であるが、この人も (自身コメディアンではないものの) ケンブリッジ卒。いやそれだけではなく、古典学を首席で卒業して、BBC でそのキャリアを始めており、シェイクスピアの「夏の夜の夢」を大胆にアレンジした演出なども手掛けているという。あの国にはこのような古典と前衛、シリアスとコメディ、アカデミズムとエンターテインメントの垣根を軽々と越える人たちがいて、文化の成熟度を思わざるを得ない。
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このように、デジタルづくめの現代人の抱えるストレスに対し、一服の清涼剤となる映画と言えるか否かはさておき、少なくとも誰もが何度かは笑うことは請け合いだ。その一方、私としてはどうしても 1作目の、アバの "Does your mother know" を使ったシーンでの大爆笑と、宗教に対する冒瀆とも受け取られかねないブラックな内容を忘れることができない。今回は、さすがにそれを越えることはなかったと思う。それでもやはりローワン・アトキンソン、只者ではない。このような素顔を見ると、さすがに 63歳、決して若くはないが、きっとこれからは BREXIT の中、彼の表現もますます磨きがかかって行くことだろう。ジョニー・イングリッシュは、まだまだ田舎で子供たちを教える平和な日を過ごしているわけにはいかないと思うのである。
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by yokohama7474 | 2018-11-29 00:03 | 映画 | Comments(0)

アンダー・ザ・シルバーレイク (デイヴィッド・ロバート・ミッチェル監督 / 原題 : Under the Silver Lake)

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これはすこぶる奇妙な映画である。それゆえに、好む人と好まない人が明確に分かれるであろうが、既に封切後 1ヶ月以上経過しているにもかかわらず、渋谷の小劇場、アップリンク渋谷で週末に見ようとすると、満席になっている。こういう話は、自分で書いていてもなんだか楽しい。やはり私は、王道を行くメジャーな映画だけでなく、このようなマイナーな映画を見ることで、幸せになる人間なのである。と言いながらも私はこの監督の名前を今回初めて耳にした。デイヴィッド・ロバート・ミッチェル。1974年生まれだから、今年 44歳。決して若手というわけではなく、既に中堅である。
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この一見してオタクの雰囲気を漂わせる監督は、この映画では脚本・製作を兼ねている。彼の前作であるホラー映画「イット・フォローズ」(2014年) はクエンティン・タランティーノに絶賛され、日本でも一部で熱狂的に支持されているらしい。この映画を見損ねた私は、自らの不甲斐なさに我慢ができないのであるが、ともあれ、今回この映画を見ることができてラッキーであった。映画の宣伝では、「新感覚ネオノワール・サスペンス」と謳われているが、これでは正直、何のことやらさっぱり分からない。なのでこの記事では、この作品について知識のない人が、なるべくイメージを持てるように書いて行きたい。まず紹介すべきは主演俳優であろう。
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最近の映画では「ハクソーリッジ」で鬼気迫る演技を見せ、このブログでも絶賛したアンドリュー・ガーフィールドである。もともと「アメイジング・スパイダーマン」2作で世に出た彼が、この映画の中ではそのコミックの原作を読んでいたりして、なかなかに遊び心溢れる出来である。そしてここで彼は「ハクソーリッジ」とは全く異なる意味で極めてリアルな演技を披露しながら、いわば捨て身の思い切ったシーンも演じている。これを見るにつけ、日本ではこのような素晴らしい俳優がこのような下劣なシーンでの演技をすることは、全くあり得ないと思ってしまうのである。

映画のストーリーは単純で、このガーフィールド演じる主人公サムが、隣のアパートに住む女性サラに恋してしまうものの、そのサラが突然姿を消してしまい、彼女を追い求めてあの手この手を尽くすというもの。単純なストーリーの割に、140分という長い上映時間の作品である。なので、繰り返しだが、この映画のテイストを気に入らない人にとってこの映画は駄作であろうし、ただ徒らに長いだけ、という評価になるだろう。実際この映画の設定は、スマホがあることから推して現在であろうが、随所に 1990年代のテイストが入る。そして、現実と妄想、事実と空想が入り交じって、さながらサムの脳髄の迷宮を彷徨い歩くような作品である。そしてここには、様々なサブカルチャー由来の暗号がひしめいているようだ。正直私も、その種のオタクではないので、分からないことがほとんどだが、この映画のプログラムに掲載されている様々なネタを見ると、なるほどねと思わせるものが沢山ある。これが劇中に登場する架空のバンド。いかにもでしょう (笑)。
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この作品の舞台になっているのはロサンゼルスで、登場人物たちの一部はハリウッドに関わっている。この地域を舞台にした映画はこれまでに数多く作られていて、一般庶民から見るセレブたちの華やかな生活に対する憧れが、その理由として説明されうるであろう。だがこの浮世の栄光は、何か退廃的なものと紙一重であり、デイヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」という不気味な映画もあった。また、映画の題名にあるシルバー・レイクとは、実際にハリウッドの近くに存在する土地であるようだ。このようなサイトで、その雰囲気を知ることができる。
私の思うところ、この映画に込められたメッセージは決して分かりやすくはないものの、以下のようなものが含まれるであろう。
・人間には誰しも夢がある。その夢が破れてしまうとその人は、悲しいかな、どこかに仮想の敵を作り出して自分を正当化したくなるものである。
・夢破れたときには、そこから立ち直れるのか否かが重要。自分が立ち直るために、たまには憎い存在をメチャクチャにしたくなるときもある。
・1990年代にオタク文化は世界に発信された。これは今や、年間 2000万以上の人たちが海外から訪れる現代日本が形成される、きっかけのひとつと評価されるのではないか。
・この映画では、明確には描かれないものの、主人公は明らかに妄想・空想の世界に浸っていて、その中の情景が演じられる舞台は、自由自在に変転する。これは、まるで夢のように、現実と虚偽の間が曖昧になっていると解される。ここにおいては、何が事実で何が虚偽かであるかは重要ではなく、ただ映画の嘘に身を委ねるべき。例えば、いたずら少年たちに傷つけられたはずのサムの車が、続くシーンでは傷を負っていないことは、何を意味するだろうか。また、主人公の友人は本当に自殺したのか。あるいは本当に実在したのか。同様に、フクロウの仮面をかぶった全裸の女は、殺人を犯したのか、はたまた実在するのか。主人公が解き明かす曲に隠された暗号は、陰謀論にありがちなこじつけではないか・・・等々の疑問が生じるが、細かい整合性を気にせずに楽しめばよいと思う。
・成熟した社会には必ず終末感がある。この映画では、ある種の宗教的な事柄がそのような終末感を和らげることが描かれている。極端ではあれ、人間の弱さがよく描かれている。
・そして、終末感漂う世界では、人間は神を殺してしまうものである。

ただ惜しむらくは、主役以外の俳優陣の演技がそれほど印象的でない。サラを演じるライリー・キーオ (過去の出演作には「マッドマックス 怒りのデスロード」や「ローガン・ラッキー」を含むらしいが、残念ながら覚えていない) は、大詰めのシーンは結構よいと思ったが、主人公サムが入れあげるほどの魅力があるかどうか。
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私としては、この映画のテイストは嫌いではない。なので、話題の前作「イット・フォローズ」に大変興味がある。ちょっと怖そうだけれども (笑)。
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by yokohama7474 | 2018-11-27 23:27 | 映画 | Comments(0)

テルマ (ヨアキム・トリアー監督 / 原題 : Thelma)

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この映画のポスターを見て、足が停まった。そして、劇場に置いてあったチラシを見て、さらに興奮した。そこに踊る文字は、「ラース・フォン・トリアーの遺伝子を受け継ぐ鬼才が放つ北欧ホラー、ついに日本上陸!」というもので、しかも、最後の「日本上陸!」は特大フォントである (笑)。そうなのか。この映画の監督、ヨアキム・トリアーは、あのラース・フォン・トリアーの甥っ子であるらしい。ラース・フォン・トリアーは、1984年のデビュー作「エレメント・オブ・クライム」に始まる一連の強い表現力の作品、とりわけカンヌのパルムドールを受賞した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で知られるデンマークの監督である。だが近年その名前は、そのカンヌ国際映画祭でのナチス擁護発言以降 (その発言を撤回したにせよ)、忌まわしいものになっているように思う。そんな中、この 1974年生まれのヨアキム・トリアーが活躍の場を広げ、2006年の長編デビュー後、今回が未だ 4作目であるにもかかわらず、既に各国での受賞歴もあり、注目されている由。
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この映画、どうやらそのヨアキム・トリアーが手掛ける最初のホラー映画らしい。何やら、少女の秘めたるパワーが覚醒する話であるようだ。そうすると、スティーヴン・キング原作でブライアン・デ・パルマが映画化し、さらにその後リメイクまでされた「キャリー」のような映画なのであろうか。実際、プログラムに掲載されている「『テルマ』に影響を与えた作品」という欄には、11本の映画と 2人の監督の名前が列挙されていて、その中には実際に「キャリー」もあれば「AKIRA」もあり、また「ローズマリーの赤ちゃん」「デッドゾーン」から、ヒッチコックの「鳥」、また監督としては、ダリオ・アルジェントとイングマール・ベルイマンが挙がっているという、かなりのごった煮である (笑)。だがここは先入観なく、この監督の映像美に向かい合ってみようではないか。

私の感想を正直に申し上げると、これは大変に凝った映画であることは間違いないものの、観客をグイグイと引っ張って行くものではなく、ひたすら感性に訴えようという作品であり、上記の映画のいずれとも異なるし、私見では、上記の映画群ほど面白くはない。要するに、観客をグイグイ引っ張るのではなく、ネタをズルズルと引っ張るタイプ。そしてクライマックスが驚天動地の凄まじいものになるかというと、そうでもない。少女の持つ神秘の力というイメージは、実際にはさほど強くないのである。116分の映画は、それこそベルイマンの「ファニーとアレクサンデル」(上映時間 311分) ほども長く感じると言えば、さすがに大袈裟だろうか。長く感じる理由のひとつは、役者たちの存在感が今ひとつということもあるだろう。そして、なかなか明かされない少女の秘密が、結局明かされるような明かされないような。「えっ、これで終わり???」という感想を持つ人がほとんどではないだろうか。そう、これって本当にホラーと呼べるのだろうかという疑問は、多くの人たちが抱くと思う。

主役のテルマを演じるのは、ノルウェイで子役時代から活躍していたという、1994年生まれのエイリ・ハーボー。
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さて、彼女の演技をどう評価しようか。繊細で複雑な役柄を、頑張って演じているとは言えると思う。だが、その熱演が映画をどこまで見ごたえのあるものにしているかというと、ちょっとクエスチョンマークなのである。私には、ここで語られている言語がノルウェイ語であるのかデンマーク語であるのかさっぱり分からないが、その言葉の馴染みのなさを割り引いても、超常現象を引き起こす少女の謎の力が、彼女の演技によってどこまで観客の心胆を寒からしめるかというと、ちょっと心許ない。特殊な能力ゆえにトラウマから抜け出ることができない彼女は、では一体、本当は何ができるのだろうか。何やら水に因縁があるようだが。
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ただ、印象に残ったシーンもいくつかある。画像は見当たらないが、冒頭と最後に出て来る、多くの人たちが行き交う大学のキャンパスのシーンである。かなり広範囲の映像において無秩序に人々が歩いて行く中、カメラはぐぅーっとズームして行く。そこには、どこの誰という特定がないにせよ、それぞれの人の人生が交錯している。そんな中、他人とは違う能力を持つ女性が歩いている。もしかすると私の隣にいて普通を装っているこの人は、実は宇宙人かもしれないし、吸血鬼かもしれないし、はたまたアンドロイドかもしれない。この奇妙に切実な感覚は、なかなかのものであった。我々は日常、街を歩いていてすれ違う他人について多くを感知することはない。もしかすると、先刻まで確かにここにいた人が、かき消すようにいなくなるかもしれない。この感覚にはちょっと怖いものがあった。だが、繰り返しだが、そのような恐怖の要素を、さらに強く、また効率的に観客に伝える術があったような気がしてならないのである。ラース・フォン・トリアーの遺伝子を受け継ぐこの監督には、ホラーよりも人間ドラマの方が合っているのだろうか。こんなシーンはホラーであれ人間ドラマであれ、いろいろな発展がありそうなものだが。
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ともあれ、この監督にはまた今後を期待するとしよう。そして我々は、この「テルマ」についてネット検索するとき、以下のような映画と混同してはならないのである (笑)。
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by yokohama7474 | 2018-11-13 23:17 | 映画 | Comments(0)

チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛 (ジャスティン・チャドウィック監督 / 原題 : Tulip Fever)

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私も人並みに受験なるものを経験した人間だが、予備校の講師が語ったことで、唯一と言っては語弊があるだろうが、今でも鮮明に覚えている言葉がある。それは世界史の授業であったのだが、「17世紀はオランダの世紀」というものだ。ヨーロッパの歴史における政治経済、そして当時はそれと密接な関係を持っていた宗教や文化を考えるとき、この言葉はまさに、金科玉条のものと響く。もちろん、オランダがどこから独立したか知っておく必要があるだろう。もちろんそれは、ハプスブルク大帝国スペインである。例えばマドリッド近郊のエル・エスコリアル修道院を訪れて、フェリペ 2世の生涯に思いを馳せるとき、あるいはオペラで言えば、その時代を舞台としたヴェルディの「ドン・カルロ」を見るときでもよい。17世紀にヨーロッパの覇者が交代したのだということを知っていれば、何倍も面白いこと請け合いだ。また日本から見れば、オランダは鎖国時代 (17世紀に始まる) に我が国が唯一交易を継続したヨーロッパの国である。それには明確な理由があり、プロテスタント国オランダでは、カトリックの国々と異なり、布教をせずとも、商売さえできればよく、命をかけてこの極東の国までやってくる価値があったからだ。そして、経済の繁栄はまた、文化の繁栄を呼ぶ。17世紀オランダの画家で、現在でも日本で絶大な人気を誇るのは、もちろんレンブラントとフェルメール。前者が 1606年生まれ、後者が 1632年生まれと、年齢的には一世代異なっていて、またその画風も題材もかなり違っているが、いずれも 17世紀に世界を制したオランダで生まれた芸術家なのである。さてその時代に、世界最初のバブルと呼ばれた出来事があったことは、結構知られているのではないか。それは、チューリップに対する異様に加熱した投機である。調べてみるとそのピークと崩壊は 1637年。当時フェルメールは未だ幼児である。前置きが長くなってしまったがこの映画、そのチューリップバブルの時代が舞台となっている。上のチラシにもある通り、「フェルメールの名画から生まれた物語」とあるのだが、舞台設定は、厳密にはフェルメールの全盛期とはいさささか時の隔たりがある。正直、既に開幕している上野でのフェルメール展は、日時を事前予約できるというシステムであって大変便利だが、私は今のところその展覧会に行くか否かは未定である。なぜなら、どういうわけか日本では、この画家の名前があれば人々は大騒ぎという風潮があって、何もそんな混雑の中にでかけなくてもよいのでは、と思ってしまうからだ。ま、それは脱線ということで (笑)。

脱線ついでに告白してしまうと、もちろん私とても、人後に落ちずフェルメールが好きである。いや、大好きというか、もうそれは熱狂的に好きであると言ってもよい (笑)。だが、この映画の宣伝にその文句が必要か否か、またそれが適当か否か、それが最初の疑問。上で見た通り、時代はわずかだがずれているし、この映画の映像は、どうひいき目に見ても、フェルメールのあの奇跡的な光の描写のレヴェルには達していない。作り手の良心からすると、フェルメールの名前への言及はむしろおこがましいのではないか。どうやら原作小説が、フェルメールの絵画の世界を描きたいという発想で書かれたものであるらしいのだが、文学の世界における空想的情景と、映画における視覚の間には、かなり大きな差異があるだろう。

そして次の疑問は、主演女優である。ここで、曲者俳優クリストフ・ヴァルツ (「007 スペクター」の怪演が手っ取り早く思い出せるところ) の横に立つ若妻役は、アリシア・ヴィキャンデル。
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このブログでは、最近の「トゥームレイダー ファーストミッション」をはじめ、彼女の出演映画の何本かに高い評価を与え、この将来性溢れるスウェーデン人女優への賛辞を捧げてきた。だが、正直なところこの映画での彼女は、ちょっとミスキャストではなかったかと思わざるを得ない。というのも、プロテスタント国オランダでは、金髪碧眼で長身であることが女性の典型である。それなのにこのヴィキャンデルは小柄だし、何よりも、黒目黒髪で、どういうわけか肌も浅黒い。もちろんこの女優のことであるから、演技面ではなかなか繊細なところを見せているのだが、残念ながら、それだけでは歴史映画における説得力は出て来ない。彼女の新境地を見ることができるかという期待があっただけに、これはなんとも惜しいことであった。

残念ついでに言ってしまうと、この人妻と恋に落ちる画家を演じるデイン・デハーンも、雰囲気は悪くはないものの、その演技はまだまだ未熟だと思うのである。彼の前作「ヴァレリアン 千の惑星の救世主」が面白かっただけに、これも残念。今後の活躍を期待したいところだが。
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そうそう、その「ヴァレリアン」で彼の相手役であったカーラ・デルヴィーニュは、ここでは娼婦役を元気に (?) 演じている。だが、いかんせん出番が少なすぎる。なおこの 2人の共演シーンは確か 1箇所だけであるが、全くタイプの異なる映画で再度共演するとは、面白い巡りあわせである。
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それから、英国演劇界の至宝、デイム・ジュディ・デンチまでが出演している。オランダの栄光の時代 17世紀におけるしたたかな修道院長役で、さすがの貫禄。
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このように豪華俳優陣であるのだが、個々の俳優の起用法を離れても、正直なところ、この映画に心底引き込まれるという印象はない。ストーリー展開はある程度客観的に追うことができるし、主人公たちの悲恋とか、思い切った企てとか、あるいは運命の別離なども、冷静に見ていることができる。これに比べると、同じ監督、ジャスティン・チャドウィックがナタリー・ポートマンを主演に撮った 10年前の映画「ブーリン家の姉妹」の方が、まだよかったと思う。これはオランダに代わって世界の覇権を握ることになる英国の、歴史の分岐点であった 16世紀のお話。思い返してみるとこの 2作には、共通する印象もあるのであるが・・・。
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さてここからは多少のネタバレになるかもしれないが、私が勝手に想像したことを書いておこう。ちょっと調べた限りではどこにもそんなことは書いていないが、この映画の発想の根源はこの絵ではないか。
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もちろんこれは、アムステルダム国立美術館所蔵になる、フェルメールの「手紙を読む青衣の女」。1665年頃の作とされる。この女性、一見して妊娠しているようにも見えるが、これは当時オランダで流行っていた衣装であるとの説もある。映画の中のドレスはさすがにあからさまな絵画の模倣ではなく、ブルーの色合いも若干異なっているが、仮装妊娠が可能な服にも見える。
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うーん。こう書いていると、この映画ので出来不出来はともかく、上野の森美術館のフェルメール展に行きたくなってきてしまうのである・・・。結局、そのような効果を持つ映画であったか (笑)。

by yokohama7474 | 2018-11-05 23:13 | 映画 | Comments(2)

クワイエット・プレイス (ジョン・クラシンスキー監督 / 原題 : A Quiet Place)

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地球に隕石が衝突し、宇宙生物が地球に到着。宇宙生物の正体は不明だが、その「何か」は盲目である代わりに異常に敏感な聴覚を持ち、ほかの生物が音を立てれば最後、どこからともなくその「何か」が走り寄って来て、その生物は餌食となってしまう。既に大半の人々が犠牲となり、街はゴーストタウン。そんな荒廃した地球でサバイバルを続ける一家は、果たして生き残れるのであろうか。そのような内容の映画である。ストーリーとしてはもうそれ以上でも以下でもなく、至ってシンプル。上映時間も 90分と手頃である。なので、見たい人と見たくない人に明確に分かれる映画であろうと思うのだが、私の場合は、この手のホラーには目がない上に、やはりこの人が主演であることが、見に行こうと思った大きな理由であった。
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ここで子供たちに音を立てないように指示している母親役は、エミリー・ブラントである。このブログでも彼女の出演作を何本か採り上げてきているが、これからさらによくなる可能性を持った女優だと思う (この後には、あの「メリー・ポピンズ」のリメイク版の主役が控える)。本人いわく、これまで母親役を演じた記憶がないとのことであるから、これは彼女にとっても大きな挑戦であったろう。また彼女はこのようにも語っている。

QUOTE
わたしが映画鑑賞する時、もっとも目を引くシーンと言ったらセリフがないシーンだったりする。人と人の間で何があるのか、言葉で表されていない何かを見るのが大好き。気の利いたセリフがいっぱい詰まったシーンだから印象的になる、っていうわけではないの。
UNQUOTE

うむ、これは何か分かるような気がする一方で、私にとって映画とは、映像と音声のアマルガム。そこには映像があり音声があるからこそ、様々なドラマが生まれるのである。それなのに、セリフがない映画を見るなんて、なんと矛盾したことか。いえいえ、実はこの映画、セリフがないわけではない。それこそコソコソ話し合う家族の会話もあるし、大きな音のする滝の近くでは、普通の声でも会話ができる。それから、登場人物たちが自由に話せない分、観客は注意して耳を澄ますようになり、そうするとこの映画で再現されている、世界の中に満ちているささやかな音の数々が、どんどん耳を刺激するのである。おぉ、これぞ 20世紀の現代音楽界の風雲児、ジョン・ケージがあの有名な「4分33秒」で示した思想そのものではないか!! つまり、ステージ上で音楽家たちが楽器を演奏しない時間、聴衆はしきりに耳を澄ませ、世界に存在する様々な音に気がつくというもの。だがこの映画がケージの音楽 (としよう、一応) と異なるのは、ちょっとでも音を立てれば、こんな怪物が容赦なく襲い掛かってくるということだ。
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実際この映画の中で主人公一家は、もう見ていられないくらいの危機また危機に襲われる。そのあたりの作りはかなり巧妙で、一難去ってまた一難の設定は面白いし、それをまた凝ったカメラワークで見せるあたりも、監督の確かな手腕が感じられて、好感が持てる。ここで家族の絶体絶命の危機を描いている監督は、ジョン・クラシンスキーという人である。実はこの人、もともと俳優であって、この映画では脚本、監督、製作総指揮に加え、出演もこなしている。エミリー・ブラント演じるエヴリンの夫役。これだけの働きをすると、映画がヒットしたらかなり収入があるだろうなぁ。「しぃっ。黙らないと、せっかく稼いだ金をカミさんに持って行かれるではないか!!」 という意味ではないと思うが (笑)。
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などと軽口を叩いているにはわけがあって、実生活でのこの人のカミさんは、誰あろう、エミリー・ブラントだ。だから劇中のこういうシーンも、自然な親密さがにじみ出ているのである。
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このような夫婦の共演によって、なかなか見ごたえのある映画になっていることは確かである。そのことは大変結構なのだが、それでも私がこの映画の設定に疑問を持った点を 2つ、挙げておこう。ひとつは、劇中でこの夫婦に赤ん坊が生まれること。その設定によって、息詰まるサスペンスシーンがいくつもできてはいる (無力な赤ん坊に迫るおぞましい怪物という設定は、誰しも息が詰まるものだ) が、ちょっと待て。日常生活でちょっと音を立てるだけでも怪物の襲撃に怯え続ける家族が、子供を作るだろうか。親がどんなになだめても、赤ん坊の泣き声を止めることは絶対不可能だ。だから、よほど怪物退治の秘策があるか、さもなくば絶対安全な場所を確保するのでなければ、サバイバル生活を送る夫婦が、危険を顧みずに子供を作るわけはないと思うのである。それからもうひとつ、父親が子供を守るために随分と屋外を走るシーンが出て来るが、そこでの足音は、怪物に聞かれないのだろうか。足音というものは存外響くもの。こんな明確な獲物の動きをキャッチできない怪物は、生存競争に残っていけないのではないかと、ちょっと心配になってしまった (笑)。

いつも書いているように、映画とは嘘の連続でできているがゆえに、その映画の嘘が嘘と認識されるような映画には、やはり課題があるということだ。大きな流れにおいて結構いい線行っている映画だけに、この点については惜しいと思ったものである。「こらこら、黙らないと映画がヒットしないじゃないか!!」
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ともあれ、この設定は極端にせよ、人は生きていれば窮地に陥ることもあるものだ。そんな目に遭ったときには、この映画における登場人物たちの知恵と勇気を思い出して、生き残ろうではないか!!

by yokohama7474 | 2018-10-30 23:41 | 映画 | Comments(0)

検察側の罪人 (原田眞人監督)

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奇妙な題名である。悪、それも時には巨悪に立ち向かい、正義を実現すべき検察の人間に、罪人? 予告編から察するにこの映画の内容は、木村拓哉と二宮和也が先輩後輩の検事であり、凶悪犯の自白を採ろうとしながらも、二人の間に考えの相違があって対立が起こるというもの。容疑者は一見して異常な人物でありながら、そこには冤罪の匂いも漂っている。なかなかに社会派の内容である。見終わってみると、なるほど大変に重い内容の映画であることは間違いない。だが、最初に私の言いたいことを言ってしまうと、(原作は読んでいないのでそちらは知らず、映画に限って話だが) この作品のラストはどうにも頂けない。以前「三度目の殺人」に関しても似たようなことを書いたが、文化に携わり、社会に対して発信をしようとするクリエーターなら、自身で劇中の白黒をつけるべし、というのが私の持論である。よく、「結論は見た人が考えればよい」という言い方があるが、それは往々にして作り手側の言い訳になってしまいかねない発想である。この映画の登場人物の中で、誰が正しくて誰が間違っているのか、もちろんそんなことは簡単に結論が出る話ではないが、それでも、その判断を観客に提示するのでなければ、本当に訴える力を持った作品にはならないだろう。はっきり提示せずとも、ほのめかすだけでもよい。だがこの映画のラストにはそれすら見られない。この点が評価の分かれ目になるものと思う。
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もちろん、プロのやっていることだから、作り手には作り手の決意があるだろう。それを否定するつもりはないのだが、それでもやはり私は、この映画におけるあれこれの意欲的な試みが、肝心のラストで強いメッセージに結実するのを見たかったと思うのである。今「意欲的な試み」と書いたが、上のチラシの宣伝文句にもある通り、これは「一線を越える」話。率直に言えば、そこにはリアリティはない。現実世界において検察の不祥事は、過去に結構発生しているが、さすがにこの映画で描かれているような事態は、起こる可能性はゼロだろう。そうであるからこそ、意欲的に映画ならではの嘘を織り上げて行くべきだし、そうして嘘を織り上げたなら、作り手による結論を提示しないといけないのではないだろうか。それがなければ、ただ荒唐無稽なお話に対して、「さぁ、あなたはどう判断しますか」という質問がなされ、「いやいや、そんなの答えられないし、関係ないよ」という回答になってしまうのだ (笑)。つまり、ここでの「検察側の罪人」は、自ら描いたシナリオを信じて一線を越えてしまうのだが、そのシナリオは客観的に見てリスクのあるもの。思わぬ要素によってシナリオが変わってしまいかねないものなのだ。実際ここではそのような思わぬことが起こるのだが、その検察側の罪人はさすがの知恵者で、いくつかのリスクは瀬戸際で見事に回避してしまう。だが、そのリスク回避行動が行き詰ってこそ、その罪人の人間性を描くことができる。だからやはり、「一線を越えた」リスクは顕現化し、罪人に報いを与えるべきなのだと思う。

もうひとつ私の違和感を述べておくと、インパール作戦という歴史的な出来事を、ストーリーの背後に流れる要因と位置付けていることだ。これもいかにも唐突でリアリティがないし、ストーリーを徒に複雑にしているだけだ。この映画のセリフの端々に、現代の日本という国に対する絶望が垣間見えるが、もしかするとインパール作戦が、今に変わらぬ日本のダメさの象徴であるという意味なのかもしれない。だが私に言わせれば、インパール作戦の何たるかを知らない人たちにとっては、残念ながらこの設定は何らの意味も持たない。ただ唯一、この設定が映画に貢献した点があるとすると、それによってこの人、松重豊の登場場面が多かったことくらいではないか (笑)。相変わらずいい味出している。
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この映画においては、この松重以外にも、かなりインパクトの大きな俳優が何人も出演しているが、インパクトという意味では、この人、松倉役を演じた酒向芳 (さこう よし) がなんと言ってもダントツだろう。
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彼が本当に劇中で殺人を犯したのか否かはともかく、その言動の異常ぶりには、演技とはいえ、かなり胸が悪くなること請け合いだ。この役者さんは、長らく舞台で演技をして来た人らしい。このような役を映画で演じると、同じような役の依頼しか来なくなるかもしれず、それはそれでなかなかに厄介なことであろう。ま、私が心配することではないのだが (笑)。主役の二人だが、まず木村は、以前の記事でも書いたことがある通り、以前からもっと本格的な俳優業を行うべきであったと思う。今回の演技は、悪いとは思わないし、彼流のクールな演技が決まっているところもあるが、さらに内面の葛藤がじわりと出て来るような表情が欲しかったと思う。その点二宮は、より本格的な映画俳優としてのキャリアを持つだけあって、そのストレートな演技には共感が持てる。童顔であり、決して器用な役者ではないと思うのだが、予告編でも一部流れていた、松倉の取り調べでキレるあたりは迫真の出来。これからまだ伸びる俳優であろう。
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この二人のチームに所属しているのか否か分からない事務員を演じる吉高由里子は、のらりくらりしながらもいざという時には行動力を見せる役柄で、彼女らしい、つかみどころのない演技が興味深かった。このように前髪を垂らし、内向的に見えながら、「冤罪ってこんなところから始まって行くんじゃないんですか」などと呟いて独自の正義感を見せる女性は、現実にはあまりいないと思いつつも (笑)。
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繰り返しだが、この映画の題材は極めて重い。そのような重いテーマに取り組んだことについては、脚本・監督の原田眞人を大いに評価したい。それだけではなく、面白いシーンも沢山ある。例えば、「罪人」が本当に罪を犯す深夜の別荘地のシーンはかなり衝撃的であり、先行きが読めない。それから、結構ユーモラスな小ネタも多く入っている点も、好感が持てる。それらの要素を面白く見ることができるゆえに、やはりラストが残念な気がしてならない。映画の嘘が嘘として機能し、人々を不愉快にさせるのではなく、悲劇の中にも希望を抱かせる、そんな映画に、私はより心を引かれるのである。

by yokohama7474 | 2018-10-06 00:42 | 映画 | Comments(0)

オーシャンズ 8 (ゲイリー・ロス監督 / 原題 : Ocean's Eight)

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「オーシャンズ」シリーズは誰もが知る痛快な犯罪映画で、2001年の 11 に始まり (もっともそれは 1960年の映画のリメイクであったようだが)、12、13 と来たところで 10年以上の歳月を経てしまった。いずれもスティーヴン・ソダーバーグが監督し、主演のジョージ・クルーニーをはじめとして豪華キャストが顔を揃えたこの 3作は、私はいずれも劇場で見て大変楽しんだ。今でも 1作目の大詰め、ラスヴェガスの噴水をバックにドビュッシーの「月の光」が流れるシーンは、鮮明に覚えている。だが正直なところ、いくつかのシーンの個々の印象はともかく、3作のストーリーの詳細までは覚えていない。だからこの「オーシャンズ 8」の予告編を見たとき、ジョージ・クルーニー演じるダニー・オーシャンの妹デビー・オーシャン役のサンドラ・ブロックが、兄の死を語るシーンに、少し違和感を覚えたものだ。どうやらこの映画、そのダニー・オーシャンの死後、その妹が率いる 8人の盗人仲間による宝石略奪を描いた映画であるらしい。ソダーバーグは今回は製作に回り、脚本・監督を務めるのはゲイリー・ロス。人気作「ハンガー・ゲーム」でも脚本・監督を務めた 61歳。
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さて今回、この監督の起用がよかったのか否かはにわかに判断がつかないが、それはひとえに、演出の良し悪しを考えさせないくらい、女優たちが素晴らしいからである。もちろん、まずはこの 2人。
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サンドラ・ブロック 54歳。ケイト・ブランシェット 49歳。この 2人がこれまで歩んできたキャリアはかなり異なると思うのだが、ここでのコンビは大変にいい味出していることは明らかだ。サンドラ・ブロックの場合、30歳のときに「スピード」で大ブレイクしたが、その後の活躍は正直なところそれほど派手ではなく、近年の作品としては「ゼロ・グラビティ」くらいしか思い当たらないが、それから既に 5年が経過している。だがこの映画では実に楽しそうに泥棒の役を演じていて、あえて言えば彼女の演技が映画全体に流れを作り出しているようにすら思われる。一方のケイト・ブランシェットは、エリザベス 1世を演じるかと思えば「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズに出演し、また、ウディ・アレン作品の主役までこなしてしまうという器用さを持っており、今年のカンヌ映画祭では審査委員長まで務めるという多才ぶり。だが正直なところ私はこれまで、演技者としての彼女を高く評価しても、彼女の顔を見て美しいと思ったことはあまりなかったが、この作品における彼女は、実にカッコよいとともに、惚れ惚れするほど美しい。だからまずこの作品は、この 2人の女優の新境地を開く作品であると思われるのである。そしてそこに、いつもの濃い役柄からは少しはまともな役 (かな?) を演じるヘレナ・ボナム=カーター。そして、天然なのかしたたかなのか掴みにくい女優役を演じる、アン・ハサウェイ。
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それ以外にも、白・黒・黄色・インド系の女優たちがそれぞれに持ち味を発揮している。この女優たちの実生活での本職は、ラッパーありミュージシャン兼モデルあり、はたまた脚本家ありで、まさに百花繚乱。
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ひところのハリウッドは、いい男の若手俳優が続々と輩出するのに比べ、女優の方はなかなかそうはいかないという状況が続いていたと思う。しかるにこの映画を見ると、なるほどいい女優も沢山いるではないかと思うこと必定で、時代は移り変わっているのだなという思いを新たにする。但し、その多くは若手女優ではなく、充分な経験のある人たち。これがこの映画の最大の特色であると思う。つまり、ハリウッドのような成熟した芸能界においては、ただ若いだけでは価値は充分ではなく、それぞれの個性こそが重要で、その個性の醸造には幾分かの年月がかかるということかもしれない。

劇中における彼女たち 8人は、それぞれになんともしたたかで、あるときは傍若無人、あるときは厚顔無恥、またあるときは清水の舞台から飛び降り、あるときには慎重には慎重を期して、それぞれの犯罪人生を突き進むのである。あ、そういえば、題名の通り 8人の女性が主人公なのであるが、ストーリーの途中まで、チームは 7人であることに気づくだろう。その点もなかなか気が利いている。もちろん大がかりな泥棒ストーリーであるから、ハラハラドキドキには事欠かず、「あれ? ここはなんでこんな無駄をするんだろう。こうすればもっと安全で手っ取り早いじゃないの」と思うシーンがあっても、必ずそこには意味がある。そのように思い返してみると、なかなかによく練られた脚本ではあると思う。それから、かつての「オーシャンズ」シリーズに登場したユニークなキャラクターも久しぶりに登場して、それもまた楽しい。メトロポリタン美術館で実際にロケしているとおぼしいパーティのシーンでは、マリア・シャラポワやセリーナ・ウィリアムズ、ケイティ・ホームズらがカメオ出演と、花を添えている。ただ、唯一残念なのは、ここでのメインストーリーである超豪華ネックレスの強奪作戦に関しては、うーん、ちょっと無理があるような気がするのである。いやもちろん、「こんなことありっこないよね」という声に対応するために、ある人物のキャラクターに工夫をしてある、つまり、確信犯で盗みに協力するという設定になっていることは分かる。だが、これだけ大掛かりな盗みにおいて、そのような不確実さに依拠した計画を立てるものであろうか。途中からなんとなくその流れが読めてしまうこともあって、そのあたりの設定には少し保留をつけたくなるのである。カルティエ秘蔵のネックレスは、劇中では時価 US$ 150百万。
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だが、そのようなストーリー上の若干の課題があってもなお、やはりここでの女優たちの活き活きとした演技を見る価値はあると思う。考えてみれば、主人公たちが軒並み女性という映画は、それほど多くないはず。この映画は文字通り、女優で見る映画であると言えそうである。あ、そうそう。実はこの映画にはもう一人、注目の女優が出演していた。私も見終わってからプログラムを見て気づいたのだが、劇中でアン・ハサウェイ演じるダフネ・クルーガーのライヴァルであるペネロピー・スターンを演じる女優は、よく知られている人なのである。劇中の写真が見当たらないので、この女優がこの映画の撮影現場に現れたというニュースの画像を拝借しよう。
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実はこれ、ダコタ・ファニングである。かつて天才子役として知られた彼女は、今でも 24歳と充分若い。だが、大変残念なことに、この映画を見る限りは、女優としての魅力満載という印象でもない。彼女の妹エル・ファニングの活躍ぶりはこのブログでも散々絶賛して来ているが、4つ年上の姉は、明らかに妹の後塵を拝している。だが、まだまだ将来のある身。またその演技が変わってくることで、存在感を取り戻す日が来るかもしれない。そうなれば、8人の盗人たちの仲間入りもできるだろう。それを期待したい。

さて、ここでまた私の根拠のない憶測を披露させてもらおう。「オーシャンズ」シリーズは 11、12、13 と来て、今回は 8 ということであるから、これは当然、間を埋める 9、10 もこれから制作される算段であると見るのが、妥当ではないだろうか。そして、本作では既に死んでいる (死亡年は 2018年、つまり今年である) という設定のダニー・オーシャンが実は生きていて、次あたりヒョコヒョコ登場するのではないだろうか。本作のラストでサンドラ・ブロックが兄の墓の前で、今回の盗みの首尾について「見せたかったよ」と呟くのであるが、次の作品ではこの人が物陰から出て来て、「見たよ」と返事をすると・・・。ま、繰り返しだが全く根拠はなく、私の妄想なのですがね (笑)。あっ、でもそれ、「ゼロ・グラビティ」ではないか!!
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by yokohama7474 | 2018-10-02 00:13 | 映画 | Comments(0)

ミッション : インポッシブル / フォールアウト (クリストファー・マッカリー監督 / 原題 : Mission : Impossible - Fallout)

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前作の「ローグ・ネイション」から 3年。「ミッション・インポッシブル」シリーズの最新作 (第 6作) である。この映画の撮影中にトム・クルーズがジャンプの際に建物に激突して足首を骨折したというニュースが報道されていて、どうなることかと思いきや、意外なほど早く映画は完成し、公開の運びとなった。それ以外にも、この映画のために彼はヘリコプターの操縦を学んだと聞いたが、その知識を持って予告編の映像を見ると、この男はいつか映画の撮影で本当に命を落とすことになるのではないか、と本気で心配になるほどだ・・・まぁ、今に始まったことではないが。プログラムの記載によると、足首の怪我は全治 9ヶ月と言われたものの、理学療法や集中的なトレーニングによって、6週間後 (!!) には撮影を再開したとのこと。実は全力でダッシュするシーンでも、未だ足は骨折状態であったというから驚く。それ以外にも、高度 7620mを時速 250kmで飛ぶ飛行機から実際に飛び降りたり (しかもその間にトラブルが発生して対処する)、峡谷を飛んでいるヘリからぶら下がったロープを登っていったり、パリの街をヘルメットなしでオートバイで高速逆走したり、大詰めではカーチェイスならぬヘリ・チェイスを行ったり、それはもう、インポッッッシブルなミッションの数々にトライしているのである。あぁぁー、危ないっっっ!!!
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もうこれは、誰が止めても本人はやめないだろうし、ましてや私ごときがここでいくら危険だと叫んでみても詮無いことなので (笑)、この話題はこのあたりとしよう。本作の特徴は、シリーズで初めて、前作とストーリーにおける連続性があるということである。実際のところ、ほかのシリーズ物でもそうだが、忙しい現代人の場合、3年も前の前作の内容を覚えていることはなかなかに難しく、前作との連続性にどれほど意味があるのか分からない。だが、常連のサイモン・ペッグや、前作の印象的な活躍以降、いくつも出演作を見るようになってきたレベッカ・ファーガソンの顔を見ると、少しほっとする。あ、それから、アレック・ボールドウィン。
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さすが人気シリーズ最新作。これだけでもかなり豪華な布陣だが、それ以外の役者にも注目するべきで、特に今回シリーズ初登場の謎のキャラクターがまたよい。髭を生やしているので最初は分からなかったが、よく見るとこれはヘンリー・カヴィル。現在スーパーマン役を演じている役者である。プログラムに載っている彼のインタビューが面白くて、「これまでの人生で絶対不可能なことに挑戦したことはありますか」との問いに、「この映画を生き延びることだね (笑)。いや、冗談じゃないよ。この映画の撮影中、何度も死ぬと思ったから。もし、そのことをうちの母に相談していたら、うちの母はトムに電話をかけて止めさせようとしていたと思うほどで (笑)」と答えている。ユーモアを交えてはいるが、うーむ、これは本音なのだろう。いかに過酷な現場であったか想像がつこうというものだ。
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これ以外にもさらに濃いキャラクターがあれこれ登場するこの映画、今思い出してみれば、それだけ多くの登場人物を使いながら、かなり要領のよいストーリーテリングで物語を捌いていたと思う。上記で列挙したようなストレートなアクションシーンの数々に加え、複雑に錯綜するロマンスあり、裏切りとトラップによって何度も起こるどんでん返しあり、意外な人物の死あり、追い詰められた場面でのユーモアあり、なかなかに手が込んでいる。これはやはり、本作で監督のみならず、脚本と製作も担当しているクリストファー・マッカリーの手腕に負うところ大であろう。1968年生まれの 50歳。
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因みに彼の過去の関与作品は以下のようなもの。
 2008年 ワルキューレ (脚本 / 製作)
 2012年 アウトロー (監督 / 脚本)
 2014年 オール・ユー・ニード・イズ・キル (脚本)
 2015年 ミッション:インポッシブル / ローグ・ネイション (監督 / 原案 / 脚本)
 2016年 ジャック・リーチャー NEVER GO BACK
 2017年 ザ・マミー / 呪われた砂漠の王女

これは誰でもすぐ分かる通り、すべてトム・クルーズ主演の映画である。特に、本作の全編である「ミッション : インポッシブル / ローグ・ネイション」からの継続性が注目される。なるほど、これはかなり厚い信頼関係が既に出来上がっているということだろう。そうなると今後も期待なのであるが、既に 56歳のトム・クルーズが一体あと何年、この過激なアクションを続けるのであるか、世界は固唾を飲んで見守ることになるだろう。いやだから、あ・ぶ・ないって!!!
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題名の「フォールアウト」の意味は、私も知らなかったが、放射された核物質が拡散して地上に降下することを指すらしい。この映画では核兵器を使って大規模テロを起こそうとするテロリストと、それを防ごうとする主人公たちの対決が描かれているが、昔と違って東西冷戦というはっきりした世界の勢力地図がなくなってしまった現代では、どこかの国の政府ではなく、テロリスト集団が核兵器を使用する恐れは、以前から指摘されている。そもそもスパイ物の「ミッション・インポッシブル」は、その物語の前提であった東西冷戦時代から既に遠く離れて、現代のリアルなテロの恐怖を題材にしているわけである。これが映画の中の話で留まってくれることを、切に願わずにはいられない。まぁもちろん、これだけ凝ったストーリー構成と、トム・クルーズの極限的に危険な演技を見るだけで、現実世界から逃避することができるので、その世界に浸ればよいのいかもしれない。そう割り切って、また次のインポッッッシブルなミッションを待ちたいと思う。

by yokohama7474 | 2018-09-13 01:14 | 映画 | Comments(0)

カメラを止めるな! (上田慎一郎監督)

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世の中には、ちょっと普通ではなかなかあり得ない出来事が、時折起こるものである。もちろん個人レヴェルでは、ちょっとした偶然や、ラッキーなことアンラッキーなこと、様々な出来事を繰り返すのが人の生活の常とも言えようが、映画に関してはどうだろう。製作費 300万円、最初は東京でのたった 2館での上映で始まった映画が、2ヶ月後には全国 120館以上での公開に至ったような極端な大ヒットの例が、かつてあるのかどうか。私の場合は、常々このブログで公言している通り、ヒットしているからという理由で映画を見に行くことはない。この映画の場合は、「ゾンビ映画撮影中に本物のゾンビが現れ・・・」という設定を耳にして、これは面白そうだと思って見に行ったのである。ところが、私がこの映画を見たある平日、新宿のメジャーなシネコンでの昼間の上映において、この映画はそのシネコンで最も大きなスクリーンで上映されていて、しかも、ほぼ満員であった。夏休み中の若い人たちが多いとはいえ、これはやはり、かなり特殊なことであると思う。

さて、ネタバレを避けてこの映画について語るのは難しい。なので、まず、世評通り面白かったと訊かれれば、「いや、実に面白かったですよ」と答えよう。そしてその面白さとは、禍々しいホラー映画の逆説的な評価ではなく、人の心を温かくする要素があるがゆえの、この映画を見る多くの人に共通する評価なのだと思うのである。まず、私のように、充分な事前情報なしに映画を見始めた者にとっては、冒頭から始まるゾンビ映画の撮影シーン、その手作り感満載の映像による自主映画 (という言葉がまだあるとして) 風の雰囲気は、ある種の警戒心を起こさせるものである。つまり、ほらほら、こんなことには騙されないぞ!! という思いである。
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だが、これは私のように事前知識なしに見るよりも、むしろあった方がよいと思った点として挙げたいのは、この映画の冒頭 37分間は、なんと、切れ目なしのワンカットで構成されているのである。これだけでも、この映画を見る価値はあると言えるだろう。しかも、冒頭の廃棄された工場のような場所から、カメラは何度も屋外に飛び出し、車には乗るわ (発車はしないが)、小屋には入るわ、最後には屋上にまで登って行くのである。これを可能にするための関係者の事前の打ち合わせやリハーサルは、相当に大変であったことだろう。そして、狂気にとらわれたかのような監督が、なんとも不気味。これはカメラに向かって、題名通り「カメラを止めるな!」と指示する監督。
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そして恐ろしい惨劇はこのようなクライマックスへ。恋人がゾンビと化した、このうら若き女性の運命やいかに!!
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そして、その 37分が終わったところで、エンドタイトルが出る。「え? もう終わり? 早くない?」と思う人も多いだろうが、上に掲げたチラシの宣伝文句にある通り、「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる」ということになる。正直なところ私は、このコピー自体はあまり上出来なものとは思わないものの、実際に映画を見てみて、なるほどそれはそうなのだなと納得した。実は、いかにも低予算というイメージの冒頭のゾンビ物のあとに、ちゃんとした映画としての体裁を備えた映像によって、本当の物語が語られて行く。この二重構造こそが、この映画のアイデアの胆なのである。「第二部」では、少し説明調すぎると言ってもよいほどの語り口で、過去の経緯が明らかになる。その結果、この禍々しい 37分のゾンビ映画が、ある種の人間の営みというか、様々な制約やトラブルにめげることなく、創意工夫と一致団結によって難局を切り抜けるという行為のひとつの例であると理解される。会場は、いくつかのシーンではクスクス笑い、あるいはほぼ爆笑に包まれ、大スクリーンを見ている観客たちの心の中に、何かほのぼのとしたものが沸きあがってくるのを感じる。そして、見ず知らずの人たちの集合の中に、いつのまにか仲間意識すら生まれているのを感じるのである。そんな経験のできる映画は、そうそうないと思う。だから、もしこの映画をゾンビ物として敬遠している人がいるとしたら、心配ないから見に行くとよいですよ、と声をかけたい。ほら、映画を離れれば、このゾンビ物の出演者たちは、こんなに仲がよいのである。
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繰り返しだが、人生はトラブルの連続。いかに普段偉そうなことを言っている人も、予測不可能な事態に直面すると慌てふためいたり、逆に、いつもチャランポランだと思っていた人が、非常時には思わぬ現場対応能力を発揮するということもある。この映画から学ぶべきは、ある人間のぶざまな生き方であったり、またほかの人間の意外な信頼度であったり、そのような要素こそが、我々の生活を豊かに彩っている、ということだろう。うーん、見ていない人には全く何のことやら分からないだろうが (笑)、でも私はこの映画を見て、何度も声を上げて笑ったし、見終わったあとには爽快な気分になったものだ。ほら、いかにも爽やかでしょう?
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この映画の紹介においては、低予算もさることながら、監督も無名なら、出演俳優も全員無名ということが取り沙汰されているが、それは全くその通り。役者さんたちの多くは舞台経験者であり、演技力のある人でも、一般に広く知られているということはない。だが私は、それがこの映画の成功の秘密のひとつであろうと思うのである。脚本・監督に編集まで手掛けている上田慎一郎は 1984年生まれで、自主映画の分野で多くの実績を挙げた人らしい。だが、長編映画としてはこれがデビュー作。彼自身が鑑賞したとある演劇がヒントになっているらしく、この映画がヒットしてしまったばっかりに、盗作騒ぎにまで発展しているという報道も見たことがある。真偽のほどは分からないが、少なくとも、これは映画として本当によくできているとは言えるだろう。この映画は、日本での大ヒットのみならず、海外の多くの映画祭でも賞を受けている。大変喜ばしいことだが、そのことが今後の彼の映画作りにおいて、余計なプレッシャーにならないことを祈るばかりだ。
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あ、そうそう。役者さんたちの中で、最も強烈な印象を受けた人を紹介しておきたい。この写真の右端の女性。竹原芳子という 1960年生まれの女優だが、役者として活動を始めたのは数年前である模様。うーん、この強烈な関西弁には、何か尋常ならざるものがある。きっとゾンビも彼女にはたじたじではないか (笑)。
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さて、私のこの映画についての感想はこのくらいにして、最後に「川沿いのラプソディ」流、突飛な連想による 2つの映画をご紹介しておこう。もしかすると最近の若い世代は、これらの名作を知らないかもしれないので。まず最初は、映画史上初の (その後ほかの例があるのか否か知らないが)、全編ワンカット、つまりシーンとシーンの間につなぎのない、極めてユニークな作品。この「カメラを止めるな!」でのワンカットは 37分であるが、この作品はその倍の 80分。ヒッチコック監督の「ロープ」(1948年制作) である。ただ、当時のフィルムでは 80分連続の撮影はできないので、カメラの移動の途中で、例えば人の背中などの大写しの場面で、何度かカットをつないでいる。私はこの「カメラを止めるな!」のゾンビ映画の部分を見ているときに、「ロープ」を思い出し、そのようなつなぎはないものかと注意して見たが、見当たらなかった。そのことで改めて、現場での苦労が偲ばれるのである。ヒッチコックもきっと、この作品を見たら喜ぶのではないだろうか。これは「ロープ」の公開時のポスター。今では市販ディスクで簡単に見ることができる。
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もうひとつは、このブログでは何度もその名前に言及してきている稀代の映画監督、ロシア人の故・アンドレイ・タルコフスキーに関連する映画。彼の晩年 (といっても享年 54歳だが) の 2つの大傑作、「ノスタルジア」と「サクリファイス」のメイキング物である。特に前者 (私にとってはこれまでに見たすべての映画におけるベスト 5に常に入る映画) における超絶的に美しいシーンに、廃墟の聖堂に降り注ぐ雪というものがあるのだが、このメイキング物 (題名は「タルコフスキー・in・『ノスタルジア』) においては、そのシーンがどのように撮影されたかが、克明に記録されている。あの超絶的シーンが、このように人間的な雰囲気で撮影されたとは知らなかった。文化に興味を持つ人は「ノスタルジア」が必見の映画であることは論を俟たないが、そのメイキングを併せて見ることで、オリジナルの映画の見方が変わるほどのインパクトがあるのである。そしてその感覚は、この「カメラを止めるな!」を見たときの感想と似通っている。この主張を分かってくれる人は少ないかもしれないが、分かる人には分かる感覚であると信じる。これが、「ノスタルジア」と「サクリファイス」のメイキング物を特集上映したときのプログラム。残念ながら、本編はともかく、メイキング物の全編を見ることは今では容易ではないようだ (YouTube で一部を見ることができるという情報も目にしたが、未確認)。
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改めて、「カメラを止めるな!」について語って、話がタルコフスキーに及ぶ人はさほど多くないとは思うが (笑)、でもその突飛な連想こそが、日々を新鮮な気持ちで生きるためには必要なのだと思う。そんなことを感じさせてくれるこの映画、やはり大変によくできていると思うのである。

by yokohama7474 | 2018-08-30 00:10 | 映画 | Comments(0)


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